表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

自家製シトロンコンフィ

 自宅の庭で収穫したレモンを洗い乾かす。それからアルコール度数の高い蒸留酒を満遍なく吹きかけて消毒をし、ヘタを取ったら半分に切って果汁を絞る。絞った後は外皮を残し、スプーンで中身のなくなった瓤嚢(じょうのう)を取り除く。白いふわふわした部分は、全て取ってしまうと苦みがなくなってしまうので、少しだけ残す様にするのがコツだ。逆に苦いのが苦手ならば、レモンを果実が付いたまま約六等分に切り分け、手で果汁を絞った後にペティナイフで、ほぼ外皮だけになるよう削り取ってしまうといい。ただしそうすると食べ応えが少なくなってしまうのだけれども。

 処理を終えた皮を更に半分に切り、茹でこぼしをして苦みを取り除く。一度目、二度目と茹でこぼしを終える毎に少し切り取って味見をし、適度な苦みが残るまで続ける。今回のレモンは苦味が強いようなので、茹でこぼしを三回にした。

 茹でこぼしを終えたら再び皮を柔らかくなるまで煮て一度取り出し、細い棒状に切ると鍋に戻して皮と同量の砂糖と絞ったレモン汁の三分の一を加え、甘みが浸透するまで煮る。用途によって皮の形状は変えるのだが、今回は砂糖菓子としてそのまま食べたいので棒状にした。煮終えたら鍋から別の容器に移し、粗熱を取って残りのレモン汁を加え一晩休ませる。

 翌日にもう一度シロップごと鍋に移し、ほんの少しの塩を加え水分がなくなるまで火にかける。ジャム状になったシロップをよく切り、網を敷いたバットにのせ乾燥させる。時間がない場合や、せっかちな人は低温のオーブンで乾燥させるといい。乾燥し終えたら砂糖を塗し、乾燥剤と共に煮沸消毒を済ませた瓶に入れ保存する。勿論残ったジャムシロップは別の瓶に入れ、ケック・オ・シトロンやウィケンドに使ったり、サブレに塗って食べたりして楽しむ。


「まあ。なんという美味しさ。我ながら今年も素晴らしい出来のシトロンコンフィだわ」


 クロエは出来上がったばかりのシトロンコンフィを一つ摘まみ、感嘆の声を上げた。甘味、酸味、苦味と風味。複雑な味わいが、この砂糖菓子を奥深いものにしている。やはり菓子は甘いだけでは駄目だ。

 世の中の甘味好きには、菓子は甘ければ甘いほど良いだなんて言う人もいるけれども。少なくともクロエは、その意見にちっとも賛同が出来ない。ただ甘いだけでは面白味も旨味もあったものではない。

 旨味とは、甘いだけでも酸っぱいだけでもいけないし、苦味や香りが強すぎてもいけない。全ての調和がとれた複雑な味わいこそが旨味となる。それは前世から続く菓子に対するクロエの強いこだわりだった。

 クロエには前世の記憶がある。とはいっても、これといって今世に役立つ知識や技術は何も持ち合わせてはいない。あるのは前世が見習い程度の菓子職人だったという記憶と、菓子作りに対する強いこだわり。そしてある程度の製菓と家庭料理の知識だった。


「やはり塩を僅かばかり入れたことによって、味の複雑さが増したような。来年は砂糖の一割を黒糖に変えてみようかしら。全て黒糖にすると折角のレモンの風味が消えてしまうものね。でも風味を大切にするのならば、黒糖は邪魔になるかしら。きび砂糖があればいいのだけれど」


 生姜を一緒に入れても美味しそうだなんて。クロエはひとり言を止めどなく呟きながら、すぐに来年への改良点を探し始めた。製菓に終わりなどない。火の通し方、煮詰め方、配合、材料も。時代と好みに合わせ変化させていかなければ。


「あらあら、まあまあ。クロエあなたったら、またお菓子作りをしていたの」


 難しい顔をした中年の女性が、厨房の入り口に立っている。紫がやや強い勿忘草色をした絹のデイドレスに身を包み、黒のレースガウンを頭から被った、上品な出で立ちの彼女はクロエの母でありブリオ男爵夫人でもあるルイーズだ。


「あら、お母様。お母様もおひとついかが」


 折角の会心の出来栄えなのだからとクロエは、シトロンコンフィの一つ摘まみ母に差し出した。けれどもルイーズは受け取らなかったので、仕方なくクロエはそれを自分の口にいれた。


「クロエ。あなたは男爵家とはいえ、歴とした貴族の娘です。本来は、お料理などしてはなりませんのよ」


 ルイーズはそう言うものの、ブリオ男爵は成り上がりの新興だ。クロエの曽祖父の代は準男爵という身分であり、正確に言うと貴族ではなかった。先の戦争において金銭面で国を助けた功労を認められ、祖父の代に男爵へ陞爵(しょうしゃく)したのだから、確かに身分だけを見れば貴族ではある。しかし歴とした貴族であるかと言われるとそうではない。


「けれど、とっても美味しいシトロンコンフィが出来ましたのよ」


 所詮は成り上がりなのだから、そんなもの気にする必要もないのではないだろうか。特にクロエは前世の記憶があるからか、貴族という身分は何だかしっくりとしない。母のルイーズは子爵とはいえ、代々続く家系の出であるからか、クロエにも貴族としての矜持を持つことを望んでいた。しかし暇さえあれば菓子作りに没頭したいクロエにとってはいい迷惑である。


「ええ。あなたの作るお菓子が美味しいことは、お母様も知っていてよ。それこそ我が家の料理人よりも上手ね」


 料理人よりも上手という言葉に、クロエは少し鼻を高くした。前世では菓子職人として、一日、十五時間労働。終業してからは、一時間の自主練習。休みは週に一日のみ。その休みも、たまに勉強会や仕事で潰れることもある。人間関係だって円満というわけではない。仕事も丁寧には教えてはもらえない。自分で何とかして食らいついていくしかない。そんな辛い下積みを乗り越えたのだから、遊びで菓子職人をしていた訳ではない。菓子を専門にしていない料理人よりも、製菓が上手で当たり前だ。


「でもね。あなたは貴族。お料理が上手であってはならないの。それは貴族にとって恥になりますのよ。それをあなた分かっていて」


 貴族とは言え、ブリオ男爵家はいつ庶民に戻るか分からないような末席なのだから、別にいいではないかとクロエは思うのだけれども。落ちぶれてはいるものの由緒ある家に生まれた母には、貴族の娘が厨房に立つなど耐えがたい行為であり、都度都度菓子作りに耽るクロエを注意していた。


「お菓子を作る暇があるならば乗馬をなさい。あなたちっとも馬に乗れないじゃないの。それが嫌なら絵画でも結構よ。それとも戯曲や詩の勉強でも結構。それも嫌なら、せめてピアノくらいまともに弾けるようにおなりなさい」


 乗馬はクロエにとって恐怖でしかない。馬に跨ることが出来るのならば、また違うだろう。けれども貴族の女は横鞍で乗らねばならず、いくら体は前を向いていても、あまり運動神経の良い方ではない彼女からすれば、そんな曲芸みたいな真似を何故しなくてはならないのか。それがとんと理解出来ない。


「お母様が厳しく言うのは、あなたの為なのよ。分かって頂戴クロエ」


「――分かっています。お母様、申し訳ありません」


 上機嫌だった娘が、項垂れる様を見たルイーズの胸がつきりと痛んだ。彼女は娘が憎くて小言を言うわけではない。ただただ娘が心配だった。少しも貴族らしくないものだから、ついつい口を出してしまうのだ。

 貴族という狭い世界で生きるには、彼らの常識から少しでも外れてはいけない。人と違う道を生きるということが、どれほど辛いものなのかルイーズはよく知っている。だからこそ愛娘には、その様な苦労をさせたくない。もし娘が貴族の世界を嫌い、市井の民になるというのならば、それでもいい。けれども万が一にも貴族に嫁ぐことになりでもしたら、あまりの教養のなさに婚家が愕然とするだろう。彼女は貴族の嗜みとされている事を、何一つ出来やしないのだから。

 なにもルイーズは、全てを一流に熟せと娘に言っているわけではない。貴族の芸事は稚拙でも達者であっても不都合がある。あくまでも貴族は貴族であり、労働階級ではない。有閑階級の嗜みが、それを本職としている者の腕前を超えては、それはただの恥。可もなく不可もなく。それが重要だ。

 ああ、どなたか。こんな変わり者の娘を貰って下さるような。酔狂な方は、いらっしゃらないものかしら。けれど、それはそれで苦労をするわね。

 ルイーズは慰めるようにして意気消沈する娘を抱き締めながら、そんな事を思い、今のままではどうしても明るくならない娘の未来を憂いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ