第6話 戦い終えて 傷ついて
四人の少女はひざまずいて座っていた。もう昼休みは終わっていたが、誰も立ち上がろうとしなかった。
イェリエルはそっと顔を上げて男を見た。
髪は血と埃にまみれて滅茶苦茶だった。元の姿がどうだったかは知らないが、今はまさしく山賊の頭領そのものだった。外見はなかなか良いほうに見えるが、今は血のせいで夢に出てきそうな恐ろしい姿だった。男はかなり風変わりなデザインのコートを揺らめかせながら指で鼻をほじった。醜さが倍増した。
いくら元の顔がよくても意味がないということが証明された瞬間だった。
「あ、あの……」
玲火が恐る恐る手を挙げた。
「あん?」
男が面倒くさそうに顔をしかめると玲火は驚き、慌てて手を下ろした。男は鼻の穴をほじくっていた指を抜いた。
「何だ? 今俺を見てびびったのか? 自慢じゃないが俺の顔はそこまで腰を抜かすほどのもんじゃないと思うぞ」
顔の問題じゃないとイェリエルは思う。
「言いたいことがあるならさっさと言え。俺も忙しいんだ。ただでさえさっきの昼飯があたったのか腹が痛くて死にそうなんだ。今はどうにか治っているがいつまた痛くなるか。あ、そんなこと言ってる間にまた腹痛が……」
お腹より全身の傷が問題だろうとイェリエルは思う。
痛みに顔を歪めながらお腹をさすっている男を赤兎馬がつんつんと突いた。
「あん? 何だ赤兎? 手鏡がどうした? これで顔を見ろって?」
男は赤兎馬が差し出した手鏡を受け取ると自分の顔を覗き込んだ。
「うおおおおぉぉっ!?」
そして悲鳴をあげてその場にひっくり返った。
「何なんだこの血まみれのバケモノは?」
しばらく鏡を見ていた男は、それが自分の姿であることに気づくと再び悲鳴をあげた。
「う、うおぉぉ! 俺の血か? あ、くそっ。どうりでさっきからくらくらすると思った! なぜ俺の貴重な血が無断で流出してるんだ? こんなふうに垂れ流すくらいなら病院で献血するほうがよっぽどましだ! 最近Rh-がどれほど貴重かわかってんのか!?」
いや、それ以前になんで生きてるの? 出血性ショック死の域をはるかに超えてるのに!
―――と思いながらイェリエルは冷や汗を流した。
男はぶつぶつ言いながらタオルで顔をガシガシ拭いた。
「ああ、そうだ。真昼間からグロテスクな姿を見せてすまなかった。それにそこの不良」
「不良!?あ、は、はいっ!」
男に名指しで呼ばれ、玲火は驚いて答えた。
「さっき何か言おうとしてたろ? 耳の穴かっぽじってよく聞いてやるよ。さっさと言いな」
男は耳の穴を小指でほじった。どこからどう見ても人の話を聞く態度ではない。玲火は少し躊躇ったが口を開いた。
「あの、ひょっとして三学風紀委員、呂布の玉璽代理人なの?」
「違うが?」
即答だった。
「で、でも赤兎馬……」
玲火は赤兎馬を指さした。赤兎馬は空をひらひら舞う蝶に夢中になって目をキラキラさせていた。
「ああ、赤兎のやつか? あれは俺のじゃない」
男は手を振った。
「桃……じゃなくて、お前の言った『呂布』は勉強で忙しいんだ。だから何かあったら俺を赤兎に括りつけて代わりに行かせるんだよ。今回も腹が痛くてトイレに行く途中捕まったんだ。気付けばもう赤兎馬に縄で結ばれて引きずられていたのさ」
呂布は勉強中。それで代わりに。赤兎馬に括りつけられて。
四人はどこから突っ込むべきか迷った。
「とにかく、赤兎が俺を引っ張ってきたってことは、何か問題が発生したってことだな?」
男の目が鋭く光った。
簡孫糜トリオとイェリエルはごくりと唾を飲み込んだ。呂布の代理ということは、風紀委員と同等の権限を有していると言っても過言ではない。そこまで考えると、イェリエルの猫帽がピクリと揺れた。テカチュウが見ていたら「また何か企んでるやろ!」と言っただろう。
イェリエルはすぐさま男に向かって叫んだ。
「た、助けて! この三人が私を無理矢理連れ去ろうとしてるの!」
「「「!?」」」
簡孫糜トリオは驚いてイェリエルを見た。イェリエルはまるで悪党にさらわれそうになっている、か弱い少女のように涙を流した。
「うん? どういうことだ?」
イェリエルはまるで男の胸に抱かれるようにしがみついた。
「あの三人は悪どいレズ女の手下どもなの。少しでも可愛い女を見ると容赦なく捕まえていってあの変態女に差し出すの。今までどれだけたくさんの女子生徒が犠牲になったことか、グスン」
簡孫糜トリオは慌てふためいて立ち上がった。
「な、何言ってんのよ! 赤兎馬が動くような違反をしたのはお前だろ? そ、そこのあんた! 絶対騙されちゃダメよ! 私たちは何もしてないんだから!」
玲火は潔白を主張した。
「そうだよ! あの不届き者を捕まえて三学風紀委員に引き渡そうとしただけなんだから!」
続いて萌乃がすかさず援護射撃したと思いきや、
「あれ~? 劉璋のところへ連れて行くんじゃなかったかしら?」
最後に暖蜜がのんきに言って、それを台無しにした。
「「暖蜜!」」
玲火と萌乃は慌てた。すると暖蜜は首を傾げて急にごまかした。
「あ、すぐに風紀委員に引き渡すのはかわいそうだから~、先に劉璋に話してどうするか相談するつもりだったの」
「そ、そう! それよ」
「私たちなりの寛大な措置なの」
玲火と萌乃はすぐに暖蜜の言葉を補った。
「違うわ! あいつらはこの学校最悪のチビレズビアン女王に捧げる生贄として私を選んだのよ。信じて」
イェリエルはさらに強く男の胸元にしがみついた。イェリエルの瞳が涙でうるんでいた。その姿を見れば男なら誰でも見とれてしまうほど、可憐で美しかった。男はイェリエルをしばらく見ていたが、顔を上げて再び簡孫糜トリオを見た。そしてまたイェリエルを見た。
「今の俺はとにかく仕事をさっさと片付けて帰ることで頭がいっぱいだ。下腹をチクチク突き刺しながら悲鳴をあげるこの感覚が脳からアドドレナリンを分泌させて、いつも以上の鋭い思考が可能になっている。というか、痛いんだ! うぐぐ、とにかく俺を騙そうなんざ百年早い」
「―――!」
イェリエルは歯を食いしばった。色仕掛けでどうにかこの場を切り抜けるつもりだった。しかしこの男はそんなイェリエルを馬鹿にするように嘲笑った。
(さすがは風紀委員、こんなやり方は通用しないか?)
どうすべきかイェリエルが悩んでいたそのとき、男は片手でイェリエルの肩を抱き寄せた。イェリエルが「えっ?」と驚いた表情を浮かべると、男は自信満々に笑いながら叫んだ。
「こんなか弱い美少女を弄ぶとは、神が許してもこの俺が許さない! この醜いチビレズ魔王の手先どもめ!」
「通用した!」
イェリエルは男に見えないようにガッツポーズをした。
「ちょ、ちょっと! 今のそれ色仕掛けじゃない! 呂布の代理を務める男がそんなものに引っかかってどうするのよ?」
「色仕掛けなんぞにやられるか!」
玲火の抗議に男は舌打ちをした。
「見ろ。この少女の姿を。大きな帽子で髪を隠し、制服も着崩している。少しも自分を着飾っていない。だが、こんな格好であるにもかかわらずその美しさを隠しきれていないんだ。こんな美人が嘘をつくわけがなかろう? ふんっ、色仕掛けだなんて笑わせるな!」
「完璧にやられてるじゃない、この馬鹿!」
玲火は地団太を踏んだ。
「とにかく、そんなこんなでお前たちの罪を裁かねばならん。俺の貴重なRh-の血液を地に流させたんだ! それに俺はAB型。下手すれば輸血も受けられずにくたばっちまうってことだ。わかるか? この責任をどう取るつもりだ?」
男は血まみれになった恨みを簡孫糜トリオにぶつけた。イェリエルをさらに強く抱き寄せると微笑んだ。
「安心しろ。俺が守ってやる」
「あ、うん……。あの、ところでちょっとくっつきすぎじゃ……」
「安心しろ。俺が。守って。やる」
「なんで同じ言葉を繰り返しながらさらに密着……」
イェリエルは色仕掛けの相手を間違えたのではないかと思った。
「あ、あんまりじゃない。私たちも女なのよ。蜀で簡孫糜トリオといえば美女御三家で有名なんだから!」
美女という言葉に反応した男が玲火の方を向いた。玲火は胸とお尻、体のラインを強調するセクシーポーズをとった。
「そっちが色仕掛けならこっちだって負けないわ。蜀の数多くの男子生徒を悩殺したこの腰のくびれを見なさい! 私たちくらいの年頃でこんなナイスボディーな女はいないわ。それに萌乃!」
今度は萌乃が前に出ると少し前かがみになって上を見上げるポーズをとった。大きな瞳が恥ずかしそうに揺れていた。
「お兄様方の心を揺るがす『妹』キャラの破壊力は抜群。蜀の学生は誰もが萌乃に先輩と呼ばれたがっているわ。最後に暖蜜!」
「もーう、あたしにそんなことさせるの?」
最後に暖蜜が笑いながら前に出た。どこか抜けているような笑顔の少女が動くたびに、大きな胸が揺れた。
玲火は勝利を確信した。イェリエルは確かに美少女だったが、玲火の美貌と、萌乃の愛らしさ、暖蜜のバストを合わせれば、ほぼ全ての男の好みを網羅できるはずだった。
男はしばしイェリエルと簡孫糜トリオを交互に見つめていた。
「ふう……」
そして残念だというように首を横に振った。
「チッチッ。悪の手下どもめ、情けないものだ」
玲火は予想だにしなかった男の反応に動揺した。男は本当に呆れたと言わんばかりに舌を鳴らした。
「体? 妹? 胸? 天然? それがどうした? 呂布の親友として『赤兎馬』を代わりに操れる権利を譲り受けているこの俺様に、そのようなくだらん色仕掛けが通用するとでも思っているのか?」
「なにっ―――!」
「俺を誘惑したければだな」
男は耳の穴をほじった後、指についた耳垢を吹き飛ばした。
「反則級のグラマーナイスボディーでありながら、ちょいドジ天然の愛らしさを持ち、なおかつご主人様に尽くす大和撫子を連れてきてからにしろ」
「「「!」」」
ゴロゴロ、ピカッ、ドーン! 快晴の空に稲妻が光り雷鳴が轟いた。
「なんだかわかんないけど負けた気分だわ!」
玲火はショックを受けて足元がふらついた。
「な、なんかカッコいぃ。胸がうずく~」
暖蜜が胸をおさえながら、変なことを口走ったが、玲火と萌乃は気にしないことにした。
イェリエルは何が何だかわからず、おとなしく黙っていることにした。
「俺に見つかった以上見過ごすわけにはいかない。覚悟しろ。お前たちを手始めに悪党どもを蹴散らしてやる。この学校の平和は俺が守る」
「く、くぅぅぅ。呂布の代理の分際で……!」
女のプライドを傷つけられた玲火は涙を浮かべて男を睨みつけた。玲火が徹底抗戦する様子を見せたことで、萌乃と暖蜜は動揺した。
「風紀委員に逆らって目をつけられたら内申点にひびいちゃうよ!」
「あんたたちこんな扱いを受けて悔しくないの? 風紀委員がどうしたっていうのよ! そんなに偉いわけ!?」
かなりご立腹なのか、玲火は握った拳をわなわな震わせた。
そんな簡孫糜トリオを見ながら男は余裕の笑みを浮かべた。
「正義は必ず勝つ」
「くうううぅぅぅ〜〜!!」
玲火は内申点も何も、あの人間を殺してしまおうかと本気で悩んだ。
まさにその時、赤兎馬がゆっくりと男に近づくと、頭を小突いた。男は「うん?」と言いながら赤兎馬のほうを振り向いた。
「何? ……ルール違反反応が出てるのはあの三人じゃないって?」
今すぐにでも男に飛びかかろうとしていた玲火が動きを止めた。男の腕に抱かれたイェリエルの額から汗がたらりと流れた。
「端末ハッキング? 端末に異常反応があったって? 通したカードが普通の名牌カードじゃなかっただと?」
イェリエルの顔に冷や汗がだらだら流れた。
「この子から似たような反応を感じるだと?」
男は自分が抱きしめているイェリエルを見た。イェリエルは全てバレてしまったことを悟り、微妙な笑みを浮かべた。最大限可愛く見せようと子猫のように笑って見せた。
「……ニ、ニャオーン?」
沈黙。イェリエルに冷ややかな視線が突き刺さった。
「ふ、ふんっ」
簡孫糜トリオはそれ見よと言わんばかりに男を見た。
「私たちが何だって? え? 呂布の代理人さん? その赤兎馬は全部知ってるようだけど? 主人よりも馬のほうが優秀みたいねえ?」
玲火は余裕ありげに笑った。
「どうやら風紀委員は人材不足のようね? あんたみたいな情けない男を代理で使うなんて。これじゃ噂の呂布だってたかが知れてるわね。確かに虎牢関のイナゴは武力を除けばただの馬鹿だもんね? ピョンピョン跳びはねること以外何もできない馬鹿〜。そんな子が選んだ男がまともな人間であるわけがないわ。あはは」
今までやられた分をそっくりそのままやり返すように、玲火はここぞとばかりに男を嘲笑った。
「こんな美人が嘘つくわけないですって? プッ。バッカじゃない? あははは! そんなにしっかり抱き寄せちゃって! 下心見え見えなのよ! どうせカッコいいとこ見せて気を引こうとしたんでしょ? 残念ね。ハズレでした! あはははは!」
いくらなんでも笑いすぎだ。
「オツム弱すぎだよっ。かっこわる~」
「あら。馬鹿だったの? イケメンさんなのに残念~」
萌乃と暖蜜までもが罵倒に加わる。
「ブルルル」
赤兎馬までもが男を馬鹿にするように息を吐いた。イェリエルはこの隙に男の腕から抜け出て逃げようとした。しかし男の腕は少しも緩まなかった。
「ふ、ふふふ。ふふ」
男が突然笑いだした。
「抱き寄せて下心見え見えだと? ふふ、本当にそう思うか? これだから浅はかな単細胞人間は困る。俺は最初からルールを破った者が誰か知っていた」
「何ですって!?」
玲火は驚いて男を見た。
「馬鹿どもめ! 誰も俺の作戦に気づかないとは。見てわからないか? 俺はわずかな力も使うことなくルールを破った違反者を捕まえた。今までの俺の行動は全て違反者をたやすく捕えるための術策だったんだ!」
簡孫糜トリオの表情は果てしなく冷ややかだった。玲火は何か言おうとしてしばし悩んだがすぐに首を降った。
「そんな馬鹿な顔で言われても説得力ないんだけど? さっきまで鼻の下伸ばして喜んでたのはどこのどいつよ!」
「それはオマケだ。美女を抱きしめて喜ばない男はいない! 捕えるついで柔らかい感触も思い切り楽しんで体臭も吟味させてもらった! スーハースーハー」
「……何よこの男、最悪じゃん!?」
玲火は驚愕した。最低すぎる発言に萌乃と暖蜜はお互い抱き合ってぶるぶる震えた。
「決して色仕掛けにやられてデレデレしたわけではない。捕まえるついで楽しませてもらったまで。この俺にかかれば違反者を捕えることなど朝飯前だ。うはははは! ……あ、鼻がかゆい」
間違ったことを言っているわけではないが、性格が腐っている。しかも豪快に笑いながら鼻までほじっている。
今までいろんな男を見てきた玲火だが、ここまで初印象が悪い人間も珍しい。捕まっているイェリエルが気の毒に思えてくるほどだ。
「ねえ、あなたもひょっとして玉璽代理人なの?」
イェリエルは静かにため息をつくと男を見上げた。
「うん? そうだが」
男は笑うのを止めてイェリエルの問いに答えた。
「まったく―――」
答えを聞いたイェリエルはにっこり笑った。
「玉璽代理人はどいつもこいつも気にいらないわ」