第5話 そして“伝説”は現れた!
―――伝説がある。
「うん―――?」
玲火は動きを止めた。萌乃と暖蜜は驚いて周りを見渡した。
「……音楽?」
萌乃が耳を傾けて呟いた。四方に変な歌が流れていた。周りに音響装置はない。しかし、その音楽はまるですぐ隣から聞こえてくるかのように生々しく響いていた。まるで子どもたちが見るヒーローもののテーマソングのように幼稚なリズムだ。
音楽を聞きながら、イェリエルはあの伝説を思い浮かべた。
誰か助けを求めれば、それは必ず現れる。まるで昔の戦隊もののヒーローのように、幼稚なメロディーとともに。パッパカパッパカ。馬の蹄の音がその信号だ。罪を犯した悪人よ、早く逃げるのだ。さもなければ―――。
赤免馬とともに現れた鬼神がお前たちに裁きを下すだろう。
「あ、あれ!」
玲火は息を飲んだ。
突如、風とともに大きな馬が現れた。凛々しいたてがみ、赤い毛、ヒヒーンという荒い息は見る者をぞっとさせた。一歩動くたびに地面が揺れる。この存在感、迫力、馬の姿を見たものは誰もが腰を抜かす。
「せ、赤兎馬!」
これは本物の馬ではない。馬の姿をして生きているように息をしているだけだ。しかし、これは玉璽代理人が玉璽を通じて三国名将に「憑依」するように、赤兎馬も玉璽を使って作られた、馬に限りなく近い「何か」なのだ。
「赤兎馬! ということは―――風紀委員の玉璽代理人、呂布か!?」
玲火は慌てたように顔を上げ赤兎馬の上を見た。
赤兎馬は一人では動かない。「騎手」が乗って初めて本来の目的に沿って動くのだ。その目的は、まさに校内で行われるあらゆる「違法」行為を監視するための巡回。三学風紀委員の力の証。それがまさしく赤兎馬だ。そしていつも赤兎馬とともに行動する最強の存在。他の玉璽代理人がルールを破った際の制圧手段、一般の玉璽代理人が得る「ステータスボーナス」など相手にならないほど、圧倒的な武力ボーナスを手にするのが、この「呂布」なのだ。
天上天下絶対無双。三国志を知らぬ者もその名は知っている。その人物は大陸史上「最強」を語るうえで避けては通れない勇将だ。
―――ところが。
「えっ?」
赤兎馬には誰も乗っていない。元々は呂布が座っているはずの鞍が空いている。玲火は首を傾げた。
「あれ? 呂布は?」
「玲火 、玲火。あそこ」
萌乃がどこかを指さした。そこにいる全員が萌乃の指さす方向、正確には赤兎馬の後ろを見た。 赤兎馬の体には、変な縄が括られていた。その縄は赤兎馬の後ろにつながっていた。赤兎馬が動くたび縄に括られた何かが地面に引きずられてきた。
それは赤兎馬のように真っ赤だった。表面に何かがついていて赤く見える。はっきり言うとそれは血だ。
さらに言うとそれは死体だ。
「「……」」
静寂が流れた。事態をのみこむまで残り三秒、二秒、一秒、
―――ゼロ。
「「きゃああああああああああ!?」」
さっきまで争っていた玲火とイェリエルが一緒になって悲鳴をあげた。暖蜜は既に立ったまま気絶していた。
「な、な、なななな何? し、しししし、ししし死体? し、死体なの? ほ、ほほ、本当に?」
玲火はパニックになった。
「な、な、な、な、何よこの展開は? ど、どうして死体が?……そうか! これは夢ね!」
玲火が動揺したためか、名牌技が解けた。体が自由になったイェリエルは、すぐさま隣にいた萌乃の頬を叩いた。少女は驚いてイェリエルを見た。
「急に何すんの! あたしを殴れるのはあたしが認めた殿方だけなんだからねっ!」
この少女も現在進行形で混乱中のようだ。
「何言ってるのよ!」
イェリエルが今度は萌乃のお腹をパンチした。
「ガホッ!?」
うめき声をあげて萌乃が地面に倒れた。
「あ、痛くない。やっぱりこれは夢かしら?」
イェリエルは拳で殴ったのに全く痛くないので、やっぱり夢だと思ってとほっとした。
「殴るなら自分を殴りなさいよ! 人を殴るから痛くないんでしょうが、この馬鹿!」
玲火がイェリエルにツッコミを入れた。イェリエルにボディーブローをかまされた萌乃は、本当に夢の国へ行ってしまった。
「馬鹿ですって? こうなったのも全部あんたたちが私をしつこく追いかけてきたせいじゃない! あ、あの死体……」
イェリエルは途中まで言うと、血まみれになった男を見た。一体どこからひきずられてきたのか、はるか向こうから血の痕が続いていた。
「き、きっと赤兎馬はあんたたちに反応したんだわ! どうするつもりよ!?」
「な、何言ってんのよ? ルールを破ったのはあんたでしょ! あんたを追いかけてきたのよ!」
二人の少女は目の前の現実を認めたくないのか、お互い相手のせいだと言い合った。その時だった。赤兎馬がくるりと振り向くと血まみれの男の頭を容赦なく踏みつけた。
グシャッ。
「「ぎゃあああああああああああ!?」」
スイカが割れる音がした。ブルルルと息を吐きながら、巨大な馬は少女たちが騒ごうがお構いなしに男を再び踏みつけた。
グシャッ。グシャッ。
「「~~~~~!」」
もはや悲鳴も出なかった。しばらくすると赤兎馬は飽きたのか後ろに下がった。そしてお互いを掴んでぶるぶると震えている二人の少女のほうに顔を向けた。
「「……!」」
殺人馬の瞳に見つめられると、イェリエルは玲火を前に突き飛ばしてその後ろに隠れた。
「あんた、ぎ、ぎぎ、玉璽代理人でしょ? 私よりステータスがはるかに高いじゃない! は、早くどうにかしてよ!」
「ば、ばばばば、馬鹿! あんなの恐ろしいのとどう戦えっていうのよ!?」
「め、め、名牌技、早く!」
玲火はわなわなと震えながら名牌カードを取り出した。名牌カードが光を放って輝きだした。
【名牌技 : 論客=三寸の舌!】
「五体硬化!!」
玲火の言霊が赤兎馬に向けられた。
「ヒヒーン?」
全く効かない。
「ど、どどど、どうして?」
名牌技が通じないことを知った玲火はがくがくと震えた。そしてイェリエルの後ろに逃げるように隠れた。
「あ、あ、あ、あんたがあの馬を止められたら、さっきのルール違反は無かったことにしてあげる。ね? いいでしょ? お願いだから、は、早く行って!」
「な、なな、何言ってんのよ!? さっきまで威張りくさってたのはどこのどいつよ?」
イェリエルは必死に頭を振りながら抵抗した。二人の少女の泣き声はほぼ叫び声に近かった。
―――ガシッ。
血まみれの手が赤兎馬の足を掴んだ。
「「ひいっ!?」」
ぶるぶると震えている手に足を掴まれると、赤兎馬は後ずさりした。そして、もう一方の手が赤兎馬の体を掴んだ。赤兎馬の毛の色と区別できない色の血の痕がついた。
「ク、クッ―――」
死体が息を吐きながらゆっくり、極めてゆっくり体を起こした。プルプルと体を震わせながら起き上がるその姿はかなり不気味だった。赤兎馬にしがみつくように、死体はついに完全に立ち上がった。
「「――――――――――――!?」」
イェリエルと玲火はその場にへたり込んだ。少女らは立て続けに起こったこのショッキングな出来事をとても受け入れることができなかった。
「私気絶」
「あ、私も」
「……」
男はよろめきながら赤兎馬を見た。
「どういうことだ?」
「ヒヒーン?」
赤兎馬は大きな図体に似合わぬ純真無垢な瞳を瞬かせた。血を拭うように蹄を地面にゴシゴシと擦りつけながら―――。