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第5話 猫少女は交渉の切り札を出した

 磨稟は、とても懐かしい人物に出会ったかのような顔だ。


「イェリエル? あは、あははは。そうね。そうか。あなたが首謀者だったのね。確かに、在野の他の雑魚どもはともかく、こんな大胆無敵なことやってのけるのはあなたくらいしかいないでしょうね。久しぶり」


 イェリエルは虫唾が走る感じがした。努めて平気なふりをして猫耳帽を目深に被った。


「そうね。お久しぶり。私に会いたがってたらしいじゃない? だからこうやって来てやったわ」

「嬉しいわ。あなたのほうから先に来てくれるなんて思ってもみなかったから」


 会話内容だけを聞いていると再会を喜んでいるかのようだ。だが、それにしては、あまりに二人の雰囲気が尋常ではない。


「もう劉璋って呼ばないとね? 見違えたわ。私が覚えている磨稟は、自分がちびだってことを隠すためにいつも必死な人間だったから。いつもバカみたいにヒールの高いブーツを履いてたじゃない」

「うんうん。私はあなたと違って大人になったからね」


 月夜は怪訝な表情でイェリエルと磨稟を見た。


「二人は知り合い?」

「せや。1年生の時からの腐れ縁だっけが?」


 テカチュウもあまり詳しいことは知らないのか、首を振った。

 磨稟は楽しそうに、イェリエルの頭からつま先までを眺め回した。


「イェリエル・乃愛。昨年三学に入学。成績は上位だったが、1年2学期に問題を起こして在野に降級。現在はござ一派の行動隊長兼、頭領。うふふ。身分が少々みすぼらしくなったことを除けば、私が知っているイェリエルの姿そのままだわ」


 磨稟が唇を軽くなめた。


「ふう……本気で手に入れたい。私は名前のとおり所有欲が強いの 。特に気に入った女子は手中に入れたい。中でもあなたは特別製よ、イェリエル・乃愛。今も忘れやしないわ。星が輝いていた瞬間をね」



 ―――イェリエルには尊敬する先輩がいた。

 その先輩は1学期に成績不振で在野に降格した。だが彼女は諦めなかった。

 必死に努力した。死にものぐるいで。イェリエルは先輩が努力するその姿を自分の目で見守った。

 努力が報われ先輩は再び蜀に帰還した。在野から返り咲くのは難しい。その難しいことをやってのけた先輩をイェリエルは心から尊敬した。

 だが、帰還の結果は悲惨なものだった。

 イェリエルは一ヵ月後、先輩が転校するという知らせを聞いた。


[どういうこと?]


 先輩がどれだけ努力したかこの目で見てきた。蜀への帰還が決まった時、どれだけ喜んだかも知っている。そんな先輩がいきなり転校だなんて、理解できなかった。

 一体どういうことなのか確かめるため、イェリエルは先輩の教室に向かった。そこでイェリエルが目撃したのは「転校お祝いパーティー」だった。


[おめでとう][おめでとう][おめでとう]


 先輩のクラスメイトたちは楽しそうに笑っていた。


[おめでとう]


 心から喜び―――祝っていた。


[おめでとう]

 ―――祝っていた。


[これからは在野出身と一緒にいなくて済む]

 彼らは先輩がまた転校することを―――祝っていたのだ。


[おめでとう私たち]

 ―――祝っていた。

 先輩はパーティーのど真ん中にいた。パーティー用に用意されたケーキを顔にぶつけられたまま泣いていた。ただただ、泣いていた。


 イェリエルはこの学校で「在野」がどんな存在なのか実感した。

 玉璽代理人は生徒が目指すべき目標。エリート。

 在野は反面教師。ああなってはいけないという「嘲笑」の対象。


[あ、あ、ああ]


 そこから戻ってきたとて、在野の烙印は消せない。たった1か月で、転校を決心するほど、ここの生徒たちは徹底して先輩をいじめたのだ。あんなに努力した先輩を一度在野に成り下がったという理由だけで。

 たったそれだけの理由で。


[う―――うわあああああ!!!]


 イェリエルは理性を失った。



 あまりいい思い出ではない。イェリエルは我知らず眉間にしわを寄せた。


「結局先輩たちの名牌技で制圧されちゃったけど。わたしはその現場にいたからね。ライブであなたの姿を見たわ。はあ~本当カッコ良かったわ~」

「あんたはあのパーティーの主導者側だったじゃない。2学期に劉璋の候補に選ばれて色々と活躍してたしね」

「あら? そのことで私を恨んでたの? まあ~そう恨まないでよ。私は上から命じられたとおりにやっただけよ。何の力もなかったわ。とにかくあの時からあなたが欲しかった。徹底的に私の色に染めて、私だけのための輝く星にしたい」


 体をブルブルと震わせ、磨稟は恍惚感に浸った。


(変態、レズ、しかもドS)


 イェリエルは磨稟の下で苦労している蜀の幹部たちが哀れになった。


「時間がもったいないわ。交渉しましょう。ここに集まった者たちは交渉の証人よ」

「交渉? 私が在野と? 冗談でしょう? 交渉っていう単語はね、お互い対等な立場の時使うのよ。そもそもこうやって口を聞いてもらうだけでもありがたく思うべきでしょう?」


 磨稟の言葉にござ一派の者たちがカッとなった。イェリエルは手を上げそんな彼らを制止した。


「同じ三学の生徒よ」

「同じ生徒? 本気? 冗談でしょう? 三学の要は生徒をお互い競わせて鍛えることよ。ライバル、善意の競争、そういうの知ってるわよね? 三学の三国紛争システムはそれをより深化させたもの。ただし、あなたたちはそんな紛争の機会も与えられなかった敗北者たち。どこが同じなのよ。この三学でずっといられることに感謝しないといけない立場なんだから」


 背の小さい磨稟はイェリエルを見上げた。だが、今の状況は磨稟が圧倒的に高いところからイェリエルを見下ろしているようなものだ。


「どうせ在野への待遇を改善しろって話でしょう? 笑わせないで。魏が在野に厳しい政策をとっているのは、反面教師としての役割をきちんとしてもらうため。そうすれば、皆在野行きが嫌で死に物狂いで努力するでしょ? 魏や呉は見向きもしないあなたたち在野を、私たちが徹底的に利用してあげているのよ。むしろ感謝してほしいくらいよ」


 交渉の余地はない。交渉するつもりもない。磨稟はイェリエルを抑圧しようとした。


「どうせあなたたちは敗者よ。敗者をどう扱おうが、それは勝者の権限じゃないの?」

「在野がいつあんたたちに負けたのよ? 成績? それだけで私たちがあんたらより、はるかに劣る存在だって言いたいわけ?」

「事実でしょう? 一を見れば十のことがわかるものよ。それに生徒を評価する大事な価値が『成績』だってことを忘れてもらっちゃ困るわ。学校だけじゃない。今後社会に出ても大事な価値よ。それを否定するつもり?」


 イェリエルと磨稟が五分に渡り合った。蜀も、在野の生徒たちも緊張した面持ちで二人の舌戦を見守った。


「もちろん成績は大事。ただ、絶対的価値ではない。それにあなたの言うとおりなら、どうして成績を上げて帰還した生徒までいじめるわけ? その人は成績を上げて自分で価値を主張したじゃない?」


 イェリエルは今やこの学校にいない先輩のことを思い浮かべた。いい人だった。心から尊敬していた。


「あんたたちは、ただ、弱い私たちをいじめることで喜びを感じているだけ。ストレスの吐口にしている。先輩をいじめた時みたいにね」


 猫が姿を現した。


「反面教師ね。聞こえはいいけど。蜀はそれにとどまらず在野をいじめている。私たちが敗者で弱者だからそれをいじめるのが当然ですって? ぷっ」


 周りで猫を抑えつける。自由を奪うため閉じ込めようとする。大事な髭を切り取ろうとする。


「笑わせるんじゃないわよ」


 猫は自分を捕らえようとする人間を見ながら嘲笑った。


「あなたたちがどれだけ在野を無視しているのかわかった。じゃあ、まずは『同等』な状態にしてみようかしら?」


 彼女は自由な猫。気に入らないものが見えればあちこちひっくり返す。ついでに爪で引っ掻く。誰も彼女を捕まえることはできない。

 イェリエルは磨稟に見えるように自分の名牌カードを掲げた。名牌カードでは無料のメッセージアプリが起動していた。


【会話失敗。攻撃求む。―――送信しますか?[YES/NO]】


 テキストの内容を見た磨稟は眉をひそめた。


「これはどういう意味なの?」

「曹操孟徳と取引をしたのよ。もし今度『会話』に失敗すれば魏がここ『江陵』を攻撃する」

「―――!」


 これまで余裕に満ちた表情を見せていた磨稟の顔が初めて崩れた。


「何馬鹿なこと言ってるの? 魏がどうして在野なんかと取引をするのよ?でたらめを……」

「つい最近あなた達が奪った在野エリア前の文房具店、今誰の手に渡っているかしら? あそこで鼻血を手で押さえている孫乾が夏侯惇にけちょんけちょんにやられたらしいじゃない? どうして魏が特に使い道もない店をわざわざ攻撃したと思う?」


 磨稟は玲火のほうを振り返った。両脇から萌乃と暖蜜に支えられていた玲火は驚愕した表情をしている。磨稟は舌打ちをして再びイェリエルのほうに向き直った。


「万が一、曹操があなたと取引したとする。でもここ江陵にはかなりの兵力が配置されているわ。ここを攻撃するには莫大な資金が必要よ。ドケチで有名な曹操孟徳がそんな損を被るはずないでしょう?」

「どうかしら? この江陵を手に入れた時の利益を考えるとそれくらいの損は受け入れるかも知れない。それに信じないのは勝手だわ。私がこの送信ボタンを押せばすぐさま攻撃するっていう取引になってるから。どう? これで少しは対等な立場で話をする気になった?」


 磨稟の子どものような顔が険悪に歪んだ。彼女は拳をギュッと握りしめ、鋭い目つきでイェリエルを睨みつけた。


     ★  ★    ★


 形成が逆転した。

 天月は口笛を鳴らした。今のは確かな一撃だ。


「天月、本当かな? あの曹操が江陵を狙うなんて」


 桃寧はイェリエルの言葉が信じられないようだ。


「さあな」


 天月は別に興味がないとでも言うように鼻をほじくりだした。


「ま、事実はどうあれ、魏が在野エリア前の文房具店を占領したのは事実だし、無視できそうにないなあ」

「なんで無視できないの?」

「そりゃあ……。……。……」


 桃寧の問いに答えようとした天月は言葉につまった。


「なんでだろう?」

「私に聞いてどうするのよ?」


 頭では理解したが、言葉にするのが難しい。おぞましい献帝の呪いに旋律しながら、天月は呻き声を上げた。


「あ、うむ、あれだ。無視したら本当に魏が攻めてくるかもしれないだろう?」

「あ、そうか。江陵まで奪われたら蜀の面目は丸つぶれね」


 わかった! 天月と桃寧は意気揚々とした笑顔を浮かべた。しばらくした後、


「「うっ……」」


 こんな当たり前のことを理解するにも一苦労だ。二人はしばらく体育館の壁に頭を預けてもたれかかった。


「ゴホン、とにかく会話以外の選択肢はないな」


 在野を全く相手にしない劉璋を相手に「会話しか選択肢がない状況」を導きだした。これだけで、十分快挙である。


「残るは……」

「……何を要求するか」


 天月と桃寧はこの一連の急展開を見守っていた。―――まだ生徒会の出番ではない。


「さあ見せてみろ。お前が言った逆転の秘法を」

 天月はこの場の真ん中に立っているイェリエルを見た。在野の運命を肩に背負った少女は、堂々と劉璋に立ち向かった。


     ★  ★    ★


「……要求は何?」


 磨稟は忌々しそうに聞いた。

 磨稟にとっては今の状況が苛立たしいはずだ。だが、イェリエルは今から更に彼女を苛立たせる提案をするつもりだった。イェリエルはメッセージアプリを終了させた。名牌カードは基本待受状態のTCGカード風のデザインに変化した。猫耳帽を被ったイェリエルの姿が可愛く描かれている。


(今からもっと面白くなるわよ)


 誰も在野を無視できなくなる方法―――。


(この学校で存在価値を証明するもっとも簡単な方法)


 イェリエルはそれを見つけた。

 きっかけは、在野でありながら「玉璽代理人」である生徒会長との出会いだった。彼の存在を知った瞬間、イェリエルはある方法を思いついたのだ。

 今、その方法を実行するチャンスがついに到来した。イェリエルは磨稟に向かって堂々と宣言した。


「『劉備』の玉璽検定試験を受ける」


「……は?」


 磨稟は「聞き間違えたかしら?」という表情をした。イェリエルはもう一度繰り返した。


「今、蜀には『劉備』がいないでしょ? 私がその試験を受けるわ。あんたたち蜀がなれなかった『劉備』に、他の誰でもない、『在野』の一人に過ぎないこの私がなるわ。その準備をしてほしいということ。これが私の要求よ」

「―――――――――!」


 玉璽検定試験。

 在野の誰一人として挑戦できなかった資格試験を受験する。

 イェリエルが出した答えに磨稟、そしてこの場に集まった全員が驚いた。天月と桃寧すらまったく予想だにできなかった「答え」に苦笑いを浮かべた。


「そうか、これが……」


 イェリエルが言っていた一発逆転のカードだったのだ。

 全員が息をのんで見守るそのど真ん中で、イェリエルはまるでいたずらに成功した猫のように明るく笑った。


「ニャオーン♪」


 帽子についた猫耳がぴくりと動いた。

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