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第2話 馬鹿は必死に頭を働かせる

 天月がイェリエルと会ってから数日が過ぎた。

 放課後、桃寧は生徒会室の惨状を見てかばんを取り落とした。


「な、な、何これ?」


 本本本、どこもかしこも本だらけだ。30冊ほどの本が生徒会長のあちこちに散らかっている。桃寧はそのうちテーブルにあった1冊を手にとった。


『三国志』

 古典名作、三国志ハードカバーセット(全30冊)だ。市場価格で3万円もする、恐ろしい本だ。


「最近ネットショッピングというものを知りました。こんな文明の利器を知らずにいただなんて。半万年ほど損した気分です」


 犯人は赤兎だった。彼女はニコニコ顔で三国志の漫画を見ていた。


「……赤兎馬が三国志の漫画」


 実に妙な気分になった桃寧は口を尖らせた。


「赤兎、これを買ったお金は一体どこから?」

「あら、ご存知じゃなかったんですか? もともと呂布は一人で風紀委員を務めているのでお給料が入ってくるんですよ。呂布専用の口座があります」

「そんなの初耳よ!」


 桃寧は驚いた。


「ちょ、ちょっと待って。じゃあ、それって私のお金ってこと?」

「違いますよ」


 赤兎は一言で否定した。


「え? でも呂布の口座……」

「呂布の口座であって、騎手の口座じゃありません。学校設立以来、ずっと一つの口座に入金されてきました。もともと初代が引き出すべきところ、忘れたまま卒業してしまいました。それ以来2代、3代も忘れ続けて、口座に貯まったお金がかなりの額になったんです。それを次の呂布がおろすのも何ですし、そのまま風紀委員の予備費として使ってるんです。呂布がみんな揃いも揃って超絶馬鹿だったために起きた事態ですね」

「そ、そんな……」


 呂布の頭の悪さは圧倒的な武力を得る代わり、智力を失うことに起因している。桃寧も現在そんな状態だ。他人事ではない。


「い、いくら馬鹿だからって。口座を……お金を……うう」


 漫画を読んでいた赤兎は茶化すように舌をペロッと出した。


「実はそんなものありません。理事長から頂いたお小遣いで買っただけです」

「へ……?」


 桃寧は赤兎を見て目をパチクリさせた。


「いくら馬鹿でも、お金を忘れるわけないじゃありませんか? まあ、騎手みたいにすぐ騙されるほど馬鹿ではあったんですけど」

「クリティカル―――!」


 赤兎は天真爛漫に笑った。全く悪意は感じられない。彼女としては軽い冗談のつもりだったのだろう。ただ、呂布の頭の悪さに真剣に悩んでいた桃寧にとってはその重みが全く違っていた。桃寧はべそをかいて天月に泣きついた。


「天月、天月、赤兎がいじめる―――!」

「ああ、はいはい」


 泣こうが何をしようが、天月は赤兎が買った漫画を読みながら適当に答えた。


「ダブルクリティカル!」


 ドサッ。桃寧は力なく自分の席につき、次の問題集を開いた。


「どうってことないわ。大丈夫。ううっ……」

「あら、き、騎手?」


 桃寧がひどくショックを受けると、赤兎は慌てた。「冗談、冗談ですよ。ね? 騎手、きしゅう~」赤兎は桃寧をなだめるために愛嬌を振りまいた。

 微笑ましい光景だ。二人の姿を心の中のアルバムにしまいながら、天月は三国志の漫画を読んだ。ちょうど、見ていたのは劉備が劉璋の治める益州に入る場面だ。


「……そういえば蜀にはまだ劉備がいないよな?」

「劉備はおろか、蜀の中核戦力の『五虎大将軍』もいませんよ。今年の蜀のレベルは取り沙汰する価値もないほどくだらないんです」


 愛嬌を振りまいていた赤兎が答えた。彼女はただ現在の蜀の状況について話しただけだ。それが自然と、相手をあざ嘲笑う暴言に変わってしまう。


「……」

「どうしたんですか?」


 赤兎が無垢な瞳を輝かせる。


「……いやなんでも。最近の蜀の趨勢はどうなんだ桃寧?」


 泣きべそをかきながら勉強していた桃寧は天月に声をかけられると、まるで生き別れの親に再会した子どものように明るく笑った。しかしその直後、桃寧は急にぷいっとそっぽを向き、「ふ、ふん!」と鼻で笑った。


「し、知らない! どうせ呂布は馬鹿ですよ。ふんっ」


 こう言いながらも、こっそり天月の様子を伺う。


「で、でも、太郎はもっと馬鹿だから……教えてあげようか? えへへ」

 怒ったふりをしているが、口元はほころんでいる。赤兎は「え? なんで私は無視で、ウジ虫の言葉には反応するんですか?」と不満そうに口を尖らせる。


「ちょっと、異議あり。なんで俺がお前より馬鹿なんだよ? 呂布のこと過小評価してるのか? 呂布は献帝さえも参りましたって頭を下げるほどの馬鹿なんだぞ」


 天月は桃寧の言葉に異議を唱えた。


「ちょ、ちょっと! なんでまた突っかかるのよ! やり過ごしてくれたっていいじゃない!」

「空がこれだけ澄んでいるんだ。どうして真実を否定できようか? 人として嘘に抗うのは当然のこと!」

「何よ! ばかばか、馬鹿のくせに!」

「智力が低いのはお前のほうだろう!」


 天月と桃寧はお互いを睨みながら唸った。赤兎はそんな二人をしばらく眺めていた。

 そして口を開いた。


「献帝も呂布もどうせクズじゃありませんか?」

「「ぐはあっ!」」


 暴言マスターの一言に天地が揺らぐ。天月を桃寧はショックのあまりその場に倒れた。「え? どうしたんですか? 二人とも智力が低いって意味ですよ?」悪意がないだけに、より強烈な一撃だ。二人はしばらくの間気を取り直せずにいた。

 戦意を完全に喪失した桃寧は、席に座ったまますすり泣いた。


「……ヒック。とにかく蜀って言ったわよね? 魏や呉に押されてばかりいるわ。学期が始まって間もないのに、押されっぱなしね。今の状況だと今学期以内に首都まで陥落させられるかもしれない」

「じゃあ、どうなるんだ?」

「そうなったら……占領された蜀は全ての権限を失うわ。その勢力に与えられる全ての予算と施設が占領した側に引き渡されるの。部活動や委員会などあらゆる面でとてつもない不利益を受けるし……後は何だっけ。あ、そう。所属の玉璽代理人の資格も全部取り消しね。それに生徒たちはみんな在野同然の状態になる。成績加算点も全部取り消し。占領した側に何か命令されれば、それを断れる権限もなくなるわ」


 例えば、占領した側が「プール」を「掃除」しろ。こんなふうに命令すると、被占領側は、自分たち勢力の生徒を動員して必ずこれを遂行しなければならない。これに背いた場合ペナルティーが科される。

 学校の施設自体の所属が異なると利用しにくい場合が多いので、一般生徒が被る被害も相当大きくなる。部活動や委員会所属の生徒ならなおさらだ。


「一般生徒にとって一番大きな問題は支援が途切れるから『銭』を稼ぐ手段がボランティアや試験しか無くなるってことよね? それに占領した側は学校の予算や成績加算点を含め、かなりの得点が与えられる……んだっけ?」


 桃寧は自信なさげに語尾を濁した。赤兎が頷く。


「だいたい合ってます。ただし、勢力は毎年初期化されるので、そこまで追い込まれることはめったにありません。首都まで陥落されたことは、これまで3回しかありませんね。蜀が2回、呉が1回でした。それも全部2学期の終わりで、1学期に陥落されたことはありません」


 首都が陥落されるということは、この学校では終わりを意味する。


「うむ。蜀の成績がとりわけ劣るってわけでもないんだよな。ここまで劣勢になってる理由は何なんだ?」


 赤兎は桃寧の膝に座った。脚をぶらぶらさせて遊びながら口を開く。


「それは、頭領が大のろくでなし……。えっへん。あ、これが罵詈雑言というものですね。なんとなく感がつかめました。訂正します。ウジ虫にも及ばないクソみたいな人間だからでしょう」

「「……」」


 赤兎は桃寧の顔を見上げた。


「どうです? 今度は暴言は言わなかったでしょう?」


 褒め言葉を待ち望む子どものように目を輝かせた。桃寧は一体どう反応していいかわからず、そっと目をそらした。


「と、とにかく! 今の蜀の玉璽代理人がみんな女子だってことは太郎も知ってるわよね? これも全て蜀の統領『劉璋』のせいよ。自分が気に入った子ばかり選んで玉璽検定試験の受験資格を与えてるの。蜀の内部でも問題になってるって聞いたわ」

「やっぱりな」


 天月は蜀の現状についておおまかに理解した。天月も蜀についていくつか噂は聞いていたが、ここまでの無法地帯だとは。


「こりゃあ、近々何かが起きるな」

「起きるって?」


 天月は三国志の漫画を閉じた。


「混乱。つまりそれは『機会』を意味する言葉でもある。後漢の『乱世』のようにな」


 あの星少女は間違いなく「機会」を狙っている。恐らく、近いうち必ず何か行動を起こすはずだ。

 天月の予想は的中した。桃寧がそれを知ったのはわずか30分後のことだった。

 ノックもせずに生徒会室の扉がガラッと開いた。あたふたと扉を開けた在野の生徒は息を上げてこう叫んだ。


「た、大変だ! ござ一派が第1体育館『江陵』に!」


―――星が動いた。


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