閑話 三学演義 wiki ~魏の麒麟児。能なしの代名詞、献帝となる?~
現在三学一の逸材といえば、誰もが知るあの人、つまり曹操孟徳である。
しかし『呉』のwiki本部の突撃取材記者であるこの私、呂蒙は大変興味深い情報を入手した。
去年の1学期。魏には現在の曹操孟徳以上の逸材がいたという。
あだ名は麒麟児。
この人物についてはいくつか謎がある。まず、去年の1学期にその麒麟児が起こした事件は全てありえない話ばかりだ。
事例1。麒麟児は李典の玉璽代理人との争いの末勝利したという。
事例2。麒麟児は曹植の玉璽代理人との詩吟対決で引き分けたという。
一番代表的な事例がこの2件だ。すなわち、麒麟児は玉璽代理人でもないのに、他の玉璽代理人との勝負で接戦を繰り広げたということだ。
二つ目。この麒麟児に関する噂は2学期になった途端、突如消えた。その後に関する情報は何も得ることができなかった。もしや、仮空の人物をもっともらしくつくりあげたのではないだろうか? そんな疑問すら浮かぶほどだ。
麒麟児の追跡を諦めかけたちょうどその頃、私呂蒙は匿名の情報提供者からとある情報を入手した。
去年麒麟児と噂されたその人物は、現在は在野に移り、生徒会長の献帝の玉璽代理人になったというのだ。私はこの事実を確認するため、その生徒に関する資料を集めた。
在野所属 生徒会長 天月太郎
献帝[六星]の玉璽代理人
統率36、武力30、知力39、政治38、魅力34
確認した結果、生徒会長が去年魏に所属していたのは確からしい。ただ、献帝の呪いによるものだとしても、能力値が低すぎる。今の生徒会長が噂の麒麟児だというには無理がある。以後、再び匿名の情報提供者とのコンタクトを試みたが失敗。関心を引くための嘘の情報だったのではないかと思われる。
wiki本部では「献帝=麒麟児」説を否定している。ならば、麒麟児は一体どこに消えたのか?
情報求む。




