第5話 文官vs猛将
10分前。
在野エリア前の文房具店。
玲火は上機嫌だった。天下の七海が今自分の名牌技にかかってもがき苦しんでいる。どう料理しようと自分の思いのままだ。
「天下の夏侯惇も、私の名牌技の前ではぐうの音も出ないってことね。あはは、私ってもしかして最強?」
七海は微動だにできなかった。玲火は確信した。夏侯惇は「智力」も「政治」も自分より格下だ。
「どうかお許し下さいっておねだりしてみなさい~~まあどうせ~負けは決まってるけど~? あはは」
玲火は、友だちの暖蜜の間抜けで間延びした口調を借りて七海を茶化した。黙って聞いていた七海はやがてため息を付いた。
「戦争には予算がかかるってこと、わかってるわよね?」
「は?」
いきなりの質問に玲火は目を瞬いた。
「私のことなめてるの? 各エリアに『防御兵力』を配置する時も、兵力1当り100銭がかかる。この店に設定された防御兵力は1,000人。だから蜀の予算10万銭を学校に払ったわ」
玲火の話に七海は頷いた。
「そう。そしてエリアに攻撃を仕掛けるには、配置された防御兵力と同じだけの攻撃兵力が必要になる。それでやっと戦争が成り立つのよ」
三学はたくさんエリアから成り立っている。そのエリア一つひとつに、全て『所有権』が設定されている。そしてその所有権を有するところが様々な利益を確保できるのだ。
魏呉蜀は自分のエリアに『兵力』を配置できる。これは実際の『兵士』を意味するのではなく、防御数値、つまり防御力の概念だ。昼夜を問わない相手側からの攻撃を防ぐための手段なのだ。
この防御兵力が増えれば増えるほど、守備する側はより徹底した準備ができる。防御力が増大し、小規模ではなく、中規模、大規模な戦闘になれば、単純な玉璽代理人同士の1対1の戦いではなく、他の玉璽代理人や一般の生徒まで動員した戦争になる。
相手のエリアを攻撃するためには、配置された防御力と同じだけの攻撃兵力が必要となる。この攻撃兵力を編成するために必要なのは、各所属の『予算』である。所属の予算は施設のレベルをアップグレードするなど、用途が様々なので無断で使うことはできない。
しかも、もし大規模戦争になった場合、相手が配置した防御を突破できるだけの人員を動員しなければならない。でなければ、戦争をふっかけておいて、ろくな攻撃すらできないまま負けることになるかもしれないのだ。
攻撃を仕掛けておいて敗北するなど、深刻な予算の無駄使いだ。
「まあ、こんな辺鄙で、兵力もたった1000の地域なんだから、玉璽代理人同士1対1の勝負ね。でも、うちの頭領の曹操はびた一文だって勿体なくて人にはやれないドケチなの。そのドケチが一体どういうつもりなのかこんな辺境を攻撃するために、予算を10万銭も無駄にしたうえ、その先鋒を私にまかせた。それがどういう意味かわかる?」
「……?」
七海は玲火を見ながら唇をほころばせた。
「絶対に負けちゃいけないってことよ。万が一負けようものなら、一文無しになった、その脚―――ストッキングでぴちぴちに締まったあの美しい脚で容赦なく踏みつけられるでしょう。だめ、もしそんなことされたら、その快感に目覚めて虜にされちゃうわ」
ゾクッ……。
玲火は得体のしれない寒気を感じた。眼帯少女から何とも言いようのないねちねちとした不吉な気配が感じられる。七海は両頬を赤く染めてため息を漏らした。
「はあ……だめ。そんなの絶対嫌よ。私は変態じゃない。正常でいたいの。そんなことされたら変態になるに決まってるわ。ヤダヤダヤダ! はあ……はあ」
玲火は思わず後ずさりした。
蜀の頭である「劉璋」も妙ちくりんな趣向をもつ変態だ。そして目の前の少女からはそれに似た、いや下手をするとそれ以上の何かが感じられた。荒い息を吐いていた七海は、たちまち嘘のように平穏な表情に戻った。
「これでわかった? 私は変態になりたくないの。だからあなたは絶対私に勝てないわ。絶対にね」
「わ、笑わせないでよ。今すぐ終わらせてやるわ!」
最初は七海を嘲笑って弄ぶつもりだった。だが、今はそんな気など微塵もない。玲火は、一息で終わらせるため、七海に飛びかかった。
目標は七海の胴体―――。
「―――?!」
その瞬間、玲火はまるで蛇を見たネズミのように急に立ち止まった。玉のような汗が額から吹き出した。今、飛びかかればやられる、そんな予感がした。
「どうしたの? 攻撃しないの?」
急に動きが止まった玲火を見て七海は首を傾げた。 玲火はまだ動けなかった。
(そ、そう。気のせいよ。私の名牌技はそんなにあっさり敗れる技じゃないわ)
玲火は今感じた不吉感を気のせいだと決め込んだ。それだけ自分の技に自信があった。
(もしもの場合に備えて後ろの方に……)
玲火は七海の背後へそろそろと回りこんだ。七海が動く気配はまだない。
「五体硬化!」
「くっ」
二度目の名牌技に七海が呻き声を上げた。玲火は一撃で終わらせようと七海の背中に向かって拳を振るった。
「あっ―――?」
玲火の拳が宙を切る。
ついさっきまでびくとも出来なかったはずの七海は、背中に目でもついているかのように反応した。拳があたる直前、いきなり体を回転させて攻撃を避けると同時に玲火の腕を掴んだ。
瞬く間に起きた事態を、玲火は理解できずにいた。どうやって避けたのかしら? いや、それよりどうやって動いたの?
七海は玲火の腕を掴んだままいたずらっぽく笑った。
「残念でした」
「な、何? どうやって私の名牌技を解いたの?」
「企業秘密って言いたいところだけど、特別に教えてあげましょう。私の名牌技の一つは『盲夏侯』よ。この技は自分に起きた複数の異常を無効にできるの。基本的な効果は『痛みの緩和』だけど、応用すれば状態異常の名牌技を無力化することだって可能だわ」
盲夏侯――。
「隻眼の夏候惇」という意味だ。
[親からもらった体を捨てることはできない]
流れ矢に当たり、刺さった矢を眼球もろとも引き抜いて目玉を食べたという演義の逸話に由来する技である。
玲火はぞっとした。しばらくの間、体の異常を無視できるという意味だ。つまり短時間であればあらゆる状態異常が無効になるのだ。
「そ、そんなバカな! それって一定の時間無敵になれるってことじゃない?」
「曹操孟徳の右腕になろうと思ったらこれくらいは基本よ」
七海は最初から玲火が攻撃するタイミングを待っていた。攻撃が始まると名牌技を発動させ、体にかかった異常を無力化したのだ。
「万が一に備えて背中を狙ったことは褒めてあげる。それと―――ご苦労様」
七海が玲火の腕を掴んだまま体を回転させた。その回転力を利用して玲火を地面に叩き付けた。
全身に衝撃を受けた玲火は呻きを上げた。
「くはっ……」
「盲夏侯とやりあったことを光栄に思いなさい」
七海は玲火のお腹を拳で軽く殴りつけた。
《勝利――魏》
七海の勝利を知らせる文字が空に表示された。
七海は体を起こし、侵略対象の文房具店を見た。ついさっきまで、店のてっぺんにかかっていた蜀の旗が消えている。代わりに立てられたのは魏の旗だ。
「よかった。今日も危ない線は越えなくても済みそう。私は正常。そんなの死んだって嫌だ」
勝利を喜びながら七海は明るい笑顔を見せた。それを見ながら玲火は考えた。
(よく言うよ。あんたはもうとっくに変態じゃない……)
しかし、口に出して言うことは出来なかった。七海があまりにも恐ろしかった。
変態扱いされているなど夢にも思わず、喜んでいた七海は首を傾げた。
(孟徳はどうしてこのエリアを占領しろと言ったのかしら)
ここは、魏呉蜀の境界にあたる地点ではあるが、かなりの辺境なのであまり大きな価値はない。七海はドケチ少女が校内の予算を充ててまでこのエリアを占拠した理由が理解できなかった。
(ま、いっか。孟徳なりの考えがあるんでしょう)
七海は特に疑いもせずやり過ごした。彼女にとってドケチ少女―――曹操孟徳こと、三神姫貴の命令は絶対だ。
在野エリア前、文房具店の所有権が蜀から魏に移った瞬間だった。




