第2話 遭遇! 迷惑な3人トリオ
私立三緑高等学校。略して「三学」。
三学の名は全国的に有名だ。今、世界的に数か所のモデル校を選んでテスト運用されている「聖物カリキュラム」が初めて導入された学校だからだ。
その名声に相応しく、三学の敷地は口があんぐりするほど立派だった。
親なら誰もがこぞって自分の子どもを入れたがるうえ、三学の卒業証書は名門大学の卒業証書に並ぶという話まで出回るくらい特別な学校だった。
ただし、入学のためには試験に通らなければならず、特別な「適性」が求められる。
生徒に三学の学生証である「名牌カード」が反応しない場合、入学試験すら受けられないのだ。この学校で生活するうえで、「名牌カード」は必須アイテムだ。よって、カードを動かせる「適性」すらない者の入学は不可能なのだ。
この学校が特異なのは名牌カードだけではない。
三学は、全生徒を収容できる居住地域を設けてもなお有り余るほど広大な面積を誇る。この広い敷地内にある施設の運営のほとんどを、生徒に委ねている。例えば、ついさっき在野所属の生徒に二倍の価格を請求しようとした店も、生徒が運営している。誰が見てもぼったくりだが、それさえも学校は認めている。
というのも、ここのもっとも基本的なモットーに根差しているからだ。
―――それは、「三学紛争教育システム」である。
イェリエルは、名牌カードに指を乗せると軽くスライドさせた。すると、TCG用カードのような表面のデザインが切り替わり、様々なアプリが表示された。このカード一枚に、スマートフォン、あるいはタブレットPCのような機能が備えられているのだ。
イェリエルは、【占領状況】という名前のアプリをタッチする。
すると、カードに学校の全敷地を表すミニマップが表示された。ミニマップは、青、赤、緑、白と、全部で四等分されていた。まるで戦略シミュレーションを連想させるような展開図だ。
青は魏、赤は呉、緑は蜀の領地を示す。占領されていないその他のエリアは白だ。ついさっきまでこのエリアは共用を表す白で表示されていたはずだった。
イェリエルは、名牌カードのリロードボタンをタッチした。さっきまで白かったエリアが、蜀の緑に変わった。
「あいつら、昼休みの直前に占領したんでしょう。蜀の頭領は色んな意味で性格がよろしくないわ」
魏。蜀。呉。
三国志に登場する国の名前にかけて学校のエリアを分ける。
各所属の生徒は、自分の勢力が支配するエリア内では学校生活に必要なあらゆる利権を享受でき、相手側の所属に対する不当な権力行使や搾取も可能だ。学校側は、学校に存在する数多くの「利権」を餌に、生徒たちを競争させ、自発的な勉強、能力習得を促すことを目的としている。
これが、「聖物カリキュラム」を利用した三学オリジナルの「三学紛争教育システム」なのだ。
現在、あの店は「蜀」の所有だ。
他のエリアの生徒に二倍の金を払わせようが何をしようが、それは「蜀」の自由であり、この学校ではれっきとした合法行為だ。
「どうしよう? ボールペン買わなきゃいけないのに。今日の授業は赤のボールペン持参必須なのよ! ねえ、誰か千銭だけ貸して!」
「俺もだよ! くそっ。次は学年主任の授業なのに…」
「誰かノート買うお金か、使わないノート持ってる人!」
店の前で生徒たちがパニックになっている。イェリエルも次の美術の授業のために4B鉛筆と美術用の消しゴムを買いにきたところだった。
「急に文房具店が蜀に取られて持ち物を用意できませんでした~って言ったら、先生も許してくれるんやないか」
「無理に決まってんだろ、ハゲ! 髪の毛だけじゃなくて頭の中まで空っぽなのか、ハゲ!」
「あん?」
テカチュウと月夜が言い争うのを傍目に見ながら、イェリエルも無理だろうと考える。
前もって準備しておかないのが悪いと怒られるのが関の山だろう。
「俺だってハゲになりたくてなったんじゃないわ! 体質がこうなんやからしゃあないじゃろうが!」
テカチュウの、「髪の毛がなくて悲しいぞトーク」が始まった。イェリエルは片耳で聞き流しながらどうすべきか悩んだ。
悩むことしばし―――。
「あっ」
帽子についた猫耳がぴくりと動いた。
その姿を見たテカチュウが歓声をあげた。
「イェリエルの耳が動いた!」
周りで困っていた在野所属の生徒たちが、テカチュウの叫び声を聞くと歓声をあげた。イェリエルの耳が動くときというのは、彼女特有のイタズラが思い浮かんだ時の反応だった。CIAですら欺くことができると評判だ。
「頼りにしてます! 行動隊長!」
生徒らが叫ぶと、イェリエルは驚いた猫のようにびくりと震えた。
「し、静かにしなさい!」
その姿はまるでびっくりした猫が敵を威嚇するようだった。
月夜はイェリエルを惚れ惚れとした目で見ながら鼓動を高鳴らせ、体をもじもじさせた。
「イェリエル様、かっこいい――」
帽子を目深にかぶったイェリエルは、店の端末の前に立った。そして、手に握った名牌カードをくるくる回しながら端末にカードを通した。
さっきとはうってかわって、端末の反応が遅い。しばらく妙な電子音を発しながら端末が異常な反応を見せた。そうすることしばし。
【-WELCOME-】
店のドアが早く入れと言わんばかりに大きく開いた。さっきのような警告ダイアログは全く見えなかった。
「~♪」
イェリエルはいたずらに成功した猫のような笑顔で、躊躇いなく店に入っていった。所属を証明する腕章は腕から外していたため、イェリエルを見た店の主人は一瞬妙な表情を浮かべたが、気にすることなく、再び名牌カードに搭載されたゲームに集中した。
(所属の判断基準は腕章か名牌しかないから、騙すのは簡単ね。初めて使ってみたけどすごい性能だわ。脱獄専用の所属変更アプリ)
イェリエルは内心ほくそ笑む。
イェリエルの名牌カードは、さっきとは違って所属表示が「蜀」になっている。
「闇ルート」を通じて秘密裏に広まっているアプリだ。名牌カードの所属表示を変えるためには、実際に自分の所属を移さなければならない。しかし、脱獄したカードにのみ設置できるこのアプリは、ハッキングを通じて簡単に所属表示を変更できる。開発者はこの学校の誰かであること、そして「DRAGON」というIDを使っていることを除いては知られていなかった。
(端末CPUがダメージを受けるから頻繁には使えないかな…。さて、それじゃあさっさとやっちゃいますか!)
イェリエルは、他の生徒から受け取ったリストを確認し、カゴの中に商品を次々と入れた。商品でいっぱいになったカゴをレジカウンターに載せる。ゲームに熱中していた主人は、商品の多さに面倒そうな顔をした。
「うん……。四万二千五百銭」
(定価だわ。ナイス脱獄)
ハッキングした名牌カードで所属を偽り、店の商品を全て定価で購入、蜀に一矢報いる。一石二鳥だ。イェリエルは満足そうな顔で電子マネーの「銭」を支払った。商品を袋に入れたイェリエルは入り口のほうを向いた。
「……!?」
そして息を飲んだ。
店の中に三人の少女が入ってきた。彼女らの姿を見た瞬間、イェリエルはそそくさと後ろを向いた。
「ん?」
三人の少女のうち真ん中にいた小さな少女が目をぱちくりさせた。
「うわぁっ、かわいいっ。猫の帽子だぁ~っ」
他の二人もイェリエルに視線を向けた。「私不良です」といった雰囲気を醸し出している茶髪の少女が目を細めた。
「あの猫の帽子といい後ろ姿といい、見覚えがあるわ」
反対側の、おっとりした巨乳少女が首を傾げた。
「え~っ、誰だっけ~?」
三人がイェリエルに向かってゆっくりと近づいてきた。イェリエルの額からは冷や汗がたらりと流れた。
(なんでよりによってここで簡孫糜トリオに見つかるのよ?)
この学校で簡孫糜トリオを知らない者はいない。現在、蜀の幹部として知られている三人組だ。
妹のように可愛らしい若宮萌乃。
不良っぽく髪を染めているが、キリッとした顔立ちが人気の樋口玲火。
天然に見えるが、胸が大きくて色気のある花園暖蜜。
それぞれ独自の魅力を持ち、全校生徒の注目を集めている名物三人組である。
そして、彼女たちがなぜ、簡孫糜トリオと呼ばれているのか。それは「玉璽代理人」と称されるシステムによるものだ。
イェリエルは簡孫糜トリオに何度か出くわしたことがある。もし顔を見られたら間違いなくバレるだろう。逃げ道はないかと周りを見回したが、この店にドアは一つしかなかった。
「なんか怪しいわね。ちょっと」
イェリエルはこの状況を抜け出す方法を探そうと、必死に頭を働かせた。三人の足音が近づくにつれ、だんだんと鼓動が大きくなった。
「聞こえないの? ちょっとこっち向きな」
簡孫糜トリオの行動隊長である玲火が、イェリエルの肩を掴んで無理矢理彼女を引き寄せた。
そして―――
「あ、あああああっ!」
イェリエルは突然悲鳴をあげ、その場にへたり込んだ。
「な、何よ!?」
玲火が、びっくりして後ずさりした。萌乃と暖蜜は、一体何をしたのかという表情で見つめた。
「玲火ちゃん、何してるの~っ。出会い頭にカツアゲなんてやりすぎだよ」と、萌乃。
「罪なき人を泣かすなんて、下種のキワミねぇ」
暖蜜がおっとりと言う。
2人ともとても友人にかける言葉ではない。
「何もしてないわよ! こいつが勝手に悲鳴をあげてへたり込んだのよ!」
玲火は自己弁護を始めた。
「……自分の犯罪を被害者に擦りつけるなんてっ。玲火ちゃん、最低~っ」
「ほんと、もう私たちじゃ救えないかも…」
1ミリの信用もない。玲火は泣き顔になった。
「違う! 違うんだってば! こ、このっ! ちょっと、あんた何よ。急に何なのよ?」
玲火は、へたり込んでいるイェリエルに向かって手を差し伸べた。イェリエルは近づくなと言わんばかりに大声で叫んだ。
「や、やめて! 今私に触れてはだめ! 大変なことになるから」
「何よ、一体、ど、どうしたのよ?」
玲火は戸惑いながら尋ねてくる。イェリエルはやけくそになって叫んだ。
「で、伝染病よ!」
「伝染病!?」
玲火は、慌てふためいて後ろに下がった。驚いたのは萌乃も、暖蜜も同じだ。
「びょ、病気って、一体何の病気よ? 危険な病なの?」
玲火の声がぶるぶると震えた。
「な、何の病気かって……?」
イェリエルは震えながら自分の股間のほうに手を伸ばした。
「が、学名は下腹部変異病……」
「何、かふく……?」
「簡単にいうと、ハアッ、ハアッ」
荒い呼吸をしながらイェリエルは歯を食いしばった。
「あ、脚の間に三番目の脚が生える病気なのーっ」
「「「……」」」
店の空気が冷ややかだ。
イェリエルは穴があったら入りたかった。
「うん……。だから何て言ったらいいんだ? まあ元気出しな」
「……」
玲火の温かい一言がイェリエルの胸に染み渡った。
「これ一体どういうことなの~っ?」
萌乃が暖蜜に尋ねた。暖蜜は、萌乃の耳元に顔を寄せて囁いた。
「きっとね、この子のオスを求める心、満たされない思いが募ってね、そんな病気になったと思うんだ。あそこから生えちゃうなんて…」
イェリエルは全部放り出してどこか旅に出てしまいたい気分だった。
「……うん?」
イェリエルの帽子の間から金髪がはみ出していた。哀れむような表情だった玲火は大きく目を見開いた。
「ちょっと、あんた……?」
―――コンコン。
そのときだった。誰かが店の窓ガラスを手で叩いた。簡孫糜トリオは窓のほうに顔を向けた。窓の外には、背の高いハゲ男と、ショートカットの少女が立っていた。ショートカットの少女は、簡孫糜トリオに向かってこれ見よがしに中指を立てて見せた。ハゲ男は中指で鼻の穴をほじくり、舌を思い切り出した。
「あいつら!」
玲火が、かっとなってハゲ男のほうに体を向けた。
「隙あり!」
その瞬間、イェリエルが光のごとく素早く動いた。彼女は立ち上がるや否や、玲火のスカートのホックを外した。
「え?」
パサッ。
三学指定の制服のスカートが床に落ちた。ゲームをしていた店の主人が、名牌カードをぽとりと取り落とし、萌乃と暖蜜は、顔を赤らめた。
「……やだぁ、ヒヨコってかわいいっ♥」
「玲火ちゃん、そんな趣味だったんだあ」
状況をのみこんだ玲火は―――
「きゃあああああああ―――!?」
絶叫に近い悲鳴をあげた。
皆が凍りついた隙をついて、イェリエルは簡孫糜トリオの間を素早く突破した。
「つ、捕まえ―――きゃあっ!?」
あたふたとスカートを拾い引っ張り上げていた玲火が、足をもつれさせてその場に倒れた。無事に店の外に脱出したイェリエルは、振り向きざまにぺろりと舌を出した。
「またね~。ニャオーン♪」
「お、お前~! イェ、イェリエエエエ~ル!」
「またのご来店お待ちしております」
玲火の叫びに応えたのは、店のドアから鳴り響く冷たい機械音だった。