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第3話 少女は鬼と化した

 三学生徒会。

 

 玉璽代理人の「献帝」を中心とする、三学学生自治機関のトップである。三学で起こる様々な出来事がここで話し合われ、処理され、我こそはという人材が三校の競争を正しい方向へと導くべく、昼夜を徹して努力している。

 ―――と書いて、嘘と読む。

 一般生徒はこう言う。


「はい? 生徒会? 三学に生徒会があるんですか?」


 生徒会について少しでも知っている生徒はこう言う。


「ああ、そうえいばそんなところがあるらしいな」


 最後に、生徒会の実態を知る生徒はこう言う。


「一体なんでこの学校に生徒会が存在するんだ?」


 つまり、あってもなくてもいい存在。

 今年も例年のように、生徒会のトップである新しい生徒会長が決定した。三学の生徒会長は「選挙」によって選ばれるのではない。だから生徒たちは誰が生徒会長になったのか知る由もなかった。在野の数人の生徒たちだけが新しい「生徒会長」を知っていた。そしてその新しい生徒会長について、こう言った。


「あの血まみれの男?」


 赤兎馬が周囲を一周して生徒会室に戻ってきた。その後ろから、血まみれの死体がずるずると引きずられてきた。プルルルと荒い息を吐いていた赤兎馬は、一瞬にして光に包まれ元の少女の姿に戻った。少女は心底嬉しそうな笑顔で言った。


「えへへ。玉璽の化身である私も、たまにはこうやって走らないと体が鈍っちゃうんです。走るついでに害虫駆除もできたし一石二鳥ですね」


 容赦なく罵声を浴びせる。それが罵声であるとわかっていないだけに、余計に救いようがない。

 ピクピク。


「うう、ああ」


 一体の死体が生徒会室に横たわっている。通り道を血で染めた死体がピクピクと動いていた。


「くっ、くうっ、お、俺の貴重なRh-の血液が……」


 死体がふらつきながら起き上がった。血まみれになった男がよろめきながら立ち上がる姿は、B級ホラー映画のゾンビそのものだった。


「おい、お前ひどすぎないか? 俺は輸血だってなかなか受けられないんだぞ」


 血まみれの男―――天月は無理に生徒会長の椅子に座った後、タオルで血を拭った。せっかくのサラサラヘアが血で固まって台無しだ。

 もう生徒会室に鬼神の姿はなかった。 黒いシルクのような美しい髪の少女が静かに参考書を開いていた。少女は天月が声をかけようがお構いなしだった。さっきまで馬だった少女が膝に寝そべってじゃれていたが、それすらも気に留めない様子だった。彼女は黙って参考書に一生懸命線を引いていた。


「おい、桃寧」

「……」

「桃寧? 桃寧さん? 桃寧ちゃん?」


 うんともすんとも答えない。

 適当に血を拭いた後、天月はタオルをゴミ箱に捨てて少女に近寄った。そして目の前で手をひらひらして見せた。


「太郎の大切な可愛い幼馴染は勉強で忙しいのです」


 ようやく少女が参考書を天月に見せながら強調した。彼女は少し捻くれたように唇を尖らせた。


「おいこら。馬で俺を殺そうとしておいてなんでまだ拗ねてるんだ?」

「拗ねてるんじゃないもん。私は勉強中なの!」


 少女はまた参考書を見た。


「心配しなくても俺は指一本触れてないさ。あいつらが勝手にくっついてきただけだよ。本当だって。お~い?」


 天月は少女の機嫌を直そうとまた話しかけた。すると少女は今度は逆方向を向いてしまった。


「女に密着されて喜ばない男なんていないぞ? それでも俺は最大限我慢したんだ。男の本能を抑えるために悪戦苦闘した辛い時間だったぜ。まさに生仏になれそうな―――」

「はい? 私がこの目でしっかり見ていたというのに何をいけしゃあしゃあとほざいているんですか? 騎手、こういうやつをクレイジーって言うんですよね?」


 馬少女の爽やかな笑顔から発せられた一言に、天月の努力が水の泡になった。

 どう言おうか悩みながら、天月は少女の頬を指で突いた。少女は驚いて天月のほうを見ると慌てて参考書に視線を戻した。


「べ、勉強中の幼馴染には犬も吠えないって言葉、知らないの?」


 10年以上の付き合いになる幼馴染をどう扱うべきか、天月は頭を掻きながらしばし悩んだ。


「……勉強で忙しいみたいだな。それなら仕方ない」


 天月はつまらなさそうに自分の席へと戻っていった。天月がまた後ろを向くと少女は安堵して参考書を手に取った。


「あ、そうだ。江尻桃寧ちゃん、明日なんだけどさ」

「フルネームで呼ぶなあああああああああっ――――――!」


 さっきまで黒色だった少女の髪の毛と瞳が一瞬にして紫色に染まった。鬼神が再び現れた。

天月は首を左に傾げた。


「なんでそんな怒るんだ?」

「なんでって……」


 天月は昔のことを思い出した。

 二人はもう十年来の付き合いになる。その当時、少女はかなり内向的な性格でなかなか友達ができなかった。幼かった天月は、一人ぼっちの少女に歩み寄ると声をかけた。


「お前、こんなところで何してんだ?」

「あっ」


 天月が声をかけると少女は戸惑った。


「お前この辺に住んでるのか? いつもここにいるみたいだけど。名前は?」


 少女はまともに話すこともできないまま、ただあたふたしていた。しばらくそうしていた少女は、ついに心を決めたように口を開いた。内気な性格だった彼女が必死に勇気を振り絞ったのだ。


「江尻桃寧」

「あん? それが名前か? なんか呼びにくいな……」

「あ、う……」


 少女は黙り込んだ。そんな少女を見て、天月はにっこりと笑った。


「面倒くさいから、君の名前の漢字を2つくっつけて、桃尻って呼ぶよ。どうだ、桃尻?」


 どうだ、桃尻―――。

 どうだ、桃尻―――――。

 どうだ、桃尻―――――――。


「やっぱり貴様でしたね、この能無しクソ野郎さん?」


 悪意のない罵倒が回想を強制的にシャットダウンした。馬少女によって回想を強制終了させられた天月は、「そういえばそうだったな」と言いながら頷いた。天月がそんなあだ名を付けてしまったから、桃寧はイジメられ、より一層閉じこもってしまったのだった。


「懐かしいな。だろ? 桃寧?」


 天月は桃寧のほうに顔を向けた。

 黒 → 紫。そこには鬼神がいた。

 少女の髪色が紫に包まれ一瞬にして鬼神の姿に戻った。様子を見ていた馬少女は、何かを期待するような眼差しで尋ねた。


「騎手。もうひとっ走りします?」


 鬼神は首を横に振りながら否定した。


「赤兎はたった今校内を一周してきたでしょ? 今回は私の番。ねえ、天月。幼馴染って素晴らしいわね。そんな思い出も共有できて。天月のおかげで久しぶりに懐かしい思い出が蘇ったわ。だから今度は私が思い出させてあげる」

「何を……?」

「武力100を超える『呂布』がどんな存在か」


 拳からボキボキと骨が鳴る恐ろしい音が聞こえた。天月は紫の鬼神を見ながら思った。


「ああ、今度こそ本当に死ぬかも知れないな」


 生徒会室の廊下に新しいオブジェができた。

 オブジェの名前は「壁に顔が突き刺さった男」。

 後の話ではそのオブジェがあまりにもリアルすぎて、見る者は皆腰を抜かしたという。


「いつも言ってることだけどRh-だから出血しないように気をつけてくれ」


 その状況でも、天月の減らず口は相変わらずだった。


「このウジ虫はなぜ死なないのですか? ゴキブリもここまではしつこくないのに。ゴキブリ以上の生命力ですね」


 そして馬少女は本当に不思議そうな目で天月をつんつんと突きながら、悪意なき毒舌を吐き続けた。


 呂布は玉璽代理人の中でもかなり特殊なケースだ。その座は代々三学風紀委員の「風紀委員長」を務める者に伝わってきた。


「私は、この学校全体のシステムを制御する『玉璽』の支援装置なんです。私の足、私の手、私の体は玉璽代理人である呂布を受け継いだ騎手のためだけに存在するのです」


 馬少女。名は赤兎だ。彼女は呂布のためだけに存在する支援装置である。


「だから騎手の敵は私の敵なのです。わかります? 低脳うすのろのウジ虫みたいな人間様?」


 天使のような可愛い顔に似合わず、口さえ開けばこの有様だ。全く悪意がないというのがまた問題だ。


「歴代の呂布はどいつもこいつもろくでなしで、どうしたら動かせるのか色々試したのですが、こういう口のきき方が一番有効だったんです。それにしてもなぜ皆顔面蒼白になるのでしょう?」


 天使のような顔で毒舌を吐くものだから成す術がない。


 江尻桃寧――とにかく、彼女が現在の呂布の継承者だ。

 ちなみに、玉璽代理人になると、しばしば身体に変化が生じることがある。髪や瞳の色、ひいては身長や体つきが変わる場合もある。呂布の鬼気迫る「紫の髪」もその変化によるものだ。

 桃寧の髪の色は元の黒に戻っていた。それと引き換えに、生徒会室には新しいオブジェができた。桃寧は、ピクピク動いているオブジェには目もくれず参考書と睨めっこをしていた。


「うう」


 既に10分以上参考書のページが進んでいない。桃寧は一旦シャーペンを置いてこめかみを指圧した。そうすることしばし、今度は眼鏡ケースから眼鏡を取り出して耳にかけた。


「ううううん~~」


 それから5分、参考書は一向に進まない。


「頭に入らないわ……」


 桃寧は頭を抱えて泣きべそをかいた。


「天月、どうしようどうしよう? 全く覚えられない」


 彼女はついさっき自分の手で壁に突き刺した天月に助けを求めた。オブジェから人間へと復活して間もないからか、天月の首は変な角度に曲がっていた。それを元に戻しながら天月はため息をついた。


「それはいつものことじゃないか」

「い、いつもじゃないもん。今日はたまたまよ」


 桃寧は言い返した。天月は赤兎のほうに顔を向けた。


「って言ってるけどどう思う?」

「はい? 何がですか? まさか私に騎手の言葉が嘘だって同意してほしいとか? 正解です、くそウジ虫野郎。騎手、残念ですが私は嘘がつけません」

「うあああん! 赤兎ひどい!」


 赤兎の言葉に桃寧は両手で顔を覆った。赤兎は「え? 何がひどいのですか?」ときょとんとした表情を浮かべていた。


「うう、見てなさい。この程度の暗記……」


 たじろぎながら桃寧はまた参考書を開いた。


「……それで騎手は一体何をしているのですか? 意味なく勉強にあくせくしてるのはいつものことだけど、今日は特にひどいですね」

「明後日世界史のテストがあるんだ。それで足掻いてるのさ」


 赤兎の問いに天月は答えた。


「それはまた無駄な……」

「無駄じゃないもん!」


 桃寧は赤兎の言葉に抗議した。鬼神の状態ではない時の桃寧はかなり純真だ。少しからかっただけですぐに赤くなる顔が加虐心を煽り立てる。しかしそうなったら最後、結末はいつも鬼神の光臨だ。一日に三回も鬼神にやられたくはないので天月は衝動を抑えて話題を変えた。


「備えをしておくのは悪くないさ。あ、テストといえば、最近違法アプリが出回ってるっていう噂だぞ」


 違法という言葉に桃寧が反応した。


「違法といえば以前天月が取り締まったあの所属を騙すアプリ?」


 首を傾げながら聞く桃寧は虐めたくなるほど可愛い。


(虐めるか?)

「―――騎手を虐めたければまずは私と散歩をしましょう」


 赤兎が恐ろしすぎて思いとどまった。


「あれ? 散歩するだけなのに……」


 赤兎はかなり寂しそうな顔で言った。

 だが、散歩=死を意味するのだから当然の反応だ。


「コホン、今回はテストのためのカンニングアプリのようだ」

「カンニング? 教師たちが目を光らせているでしょうね」


 三学で成績は特に重要だ。ただ成績が低いという理由だけで、島流し同然に在野へ送られた生徒たちは数知れない。


「世界史の先生に聞いたんだ。今回のテストで生徒たちが違法アプリを使うかも知れないから何か対策を立てろって。教師もアプリの正体は正確につかめていないようだ。とにかく……、そんなアプリがあるなら在野を出たがっているやつらにとっては避けては通れない誘惑だろうな」

「在野に限った話じゃないでしょ? 成績が上がるほど莫大な特権が手に入るんだから。それに成績に興味のない生徒も反発心からアプリを使うかも知れないし」


 桃寧の言葉に天月は頷いた。


「開発者は『DRAGON』。この前所属変更アプリを作ったやつと同一人物だ」

「DRAGON?」


 桃寧は眉をしかめた。DRAGON = 龍だ。三国志で龍といえば真っ先に思い浮かぶ人物がいる。三国志に名だたる蜀の天才軍師・諸葛亮孔明だ。彼は臥龍と呼ばれていた。諸葛亮の玉璽代理人であれば、違法アプリを開発できるのも納得であったが……。


「言っておくが、臥龍じゃないぜ。諸葛亮孔明を受け継いだ玉璽代理人はまだいない」

「……こういう時、幼馴染ってほんと嫌だわ」


 心のうちを見破られた桃寧は言葉を飲み込んだ。


「うーん、カンニング……」


 桃寧は世界史の参考書を見下ろした。参考書はさっきからちっとも進まず足踏み状態だ。ゴクリ。唾を飲む音が聞こえた。


「騎手、まさかとは思いますが『私も探してみなくちゃ~』とか思ってらっしゃるのなら、更生を祈る気持ちを込めて呂布を動かす発言108個を連続でおみまいしますよ」

「……! ご、ご、ご、ごめんなさい!」


 桃寧はギクリとして頭を下げたが―――


「―――じゃ、じゃなくて、そんなこと考えてないもん!」


 すぐに慌てて否定した。赤兎は安心したと言わんばかりに頷いた。


「えへへ。やっぱり騎手がそんなこと考えるわけないですよね」


 赤兎は甘えるように桃寧の膝に顔をすりすりと押し付けた。時に罵倒よりもこのようなピュアな発言のほうがはるかに怖い。


「そ、そうよ、当たり前じゃない。あ、あはは、……は……」


 口は笑っているが目は死んでいる。そんな桃寧を見ながら天月が髪をかき上げた。


「無駄な悪足掻きに疲れた挙句、カンニングに目がいくのは仕方ないことだろ」

「無、無駄じゃないもん!」


 桃寧は天月の言葉に反発し、机をバン! と叩きながら椅子を蹴って立ち上がった。ところが天月の反応は冷たかった。


「一日目は頑張れと応援した。二日目も元気を出せと励ました。三日、四日、五日、来る日も来る日もエールを送り続けた」

「うっ」


 天月の言葉に桃寧がギクリとした。


「でもそれが一か月以上も続くとな。 ……おい、幼馴染よ。そろそろ現実を受け入れるんだ」

「う、ううっ」


 天月の一言一言が桃寧の胸にナイフのように突き刺さった。


「さっきから参考書も全然進んでいないじゃないか? 問題集でもなく参考書だぞ、参考書」

「こ、これでも努力したのよ。ど、努力したのに……」


 桃寧は指をもじもじさせた。しばらくの間そうしていたが、彼女は助けを求めるような眼差しで赤兎のほうを見た。赤兎は桃寧と目が合うと目をぱちくりさせた。


「努力さえすれば何でも解決するなら世界平和も苦労しませんよ。いや、世界平和のほうが簡単かしら?」

「クリティカル―――!」


 桃寧はわけのわからない悲鳴をあげながら左の胸を押さえた。かなりショックだったのか髪の色が次々と変わっている。

 そんな桃寧のことを理解していると言うように、天月はうんうんと頷いた。


「まあ、仕方ないさ。天下無敵の呂布。呂布を受け継いだ者はどんな運動音痴だろうが、武力ステータスが100を超えるという詐欺級の超絶特典を手に入れるんだ。卒業した呂布は皆並外れたスポーツ選手じゃないか。……怪物みたいなチーターどもめ、っじゃなくて。コホン」


 天月は慌てて発言を取り消し咳払いをした。


「だが、世の中は公平だ。得るものがあれば失うものがあるのが世の常。神様も非情なもんだ。一時は歩く電子辞書、博学多識、賢者志望者……、あらゆる異名で呼ばれていた桃寧が今となっては……」


 天月はしばし空を仰いでチッチッと舌を鳴らした。


「この学園最低レベルの馬鹿とは」


 桃寧はまるで地面が崩れ落ちたかのようによろめいた。


「ば、馬鹿じゃないわ。暗記力が落ちただけよ。計算力が遅くなっただけよ。頭の回転が速くないだけよ。ば、馬鹿じゃないもん。違うもん。違うんだってば……」


 桃寧は必死に自分が馬鹿ではないことを主張した。その姿は涙ぐましいほどだった。


「呂布になったら元のステータスがどうであれ智力が30まで落ちるとは。平均が50なのに30だとは。これじゃ誰も呂布をやりたがらないのも当然だ。身体能力が上がったからって何の意味がある? どうせ馬鹿になるのに。チッチッ。呂布、全く恐ろしいぜ」


 そして天月は桃寧の言葉を聞いてもいなかった。


「人の話を聞きなさいよ~っ!」


 桃寧の髪と瞳の色が目まぐるしく変わり続けている。


「そうですよ、ウジ虫。客観的な意見を言うなら騎手は間違いなく馬鹿ですが、そこまでひどくはありませんよ」


 赤兎が桃寧の肩をもった。桃寧は感動して赤兎のほうを振り向いた。


「歴代の呂布はそれこそ救いようのない馬鹿。ウジ虫さえも比べ物にならないくらい、とてつもない馬鹿しかいませんでした。左脳と右脳の配置が入れ替わったのではないか、頭蓋骨を開けて確認したいくらいでしたから。それに比べたら騎手は可愛いほうだと私は言いたいのです。結論だけで言うなら馬鹿は馬鹿ですけどね」

「ひどい!!」


 信じていた赤兎にまで裏切られた。四方が桃寧の敵だ。桃寧が泣きじゃくると赤兎は「え? ええ?」とあたふたした。


「じゃあ、お前が馬鹿ではないと証明できる機会をやろう。さっき見てたのはこのページか? では問題」

「え? ちょ、ちょっと……」

「いくぞ。これは簡単だな。『Q. 中国史で、魏晋時代と南北朝時代の総称を何と言う?』うちの学校とも関係あるからすぐわかるだろ。カウントダウンいくぞ。5,4,3……」


 天月は桃寧が慌てようがお構いなしに、すぐに制限時間をカウントし始めた。


「え? だ、だから……」


 桃寧は焦りながらオロオロした。急な質問に当惑して答えが思い浮かばない。

 魏晋と南北朝。魏晋と南北朝。その瞬間、桃寧の脳裏に稲妻のように答えが閃いた。


「ぎ、魏晋南北朝時代!」


 これだ。これが答えだ、桃寧は確信した。

 天月が少し眉間にしわを寄せ、桃寧を見ながらため息をついた。


「本当に?」

「うん?」

「本当にそれが答えだと思うのかと聞いてるんだ。慎重に考えろ。俺は幼馴染に恥をかかせたくない」


 桃寧はひょっとして答えを間違えたのかと戸惑った。


「さあ、後5秒時間をやろう」


 5、4、またカウントダウンが始まった。天月の目は真剣だ。悪戯ではない。桃寧は「魏晋南北朝時代」が正解だと自信満々だっただけに余計に慌てた。


「ぎ、魏晋南北朝時代じゃないの?」


 桃寧は確かに魏晋南北朝時代であると覚えた。しかし、自分の記憶に自信がなくなってきた。時間がなくなるにつれどんどん焦りが生じる。目がぐるぐると回りだした。


「さあ、答えは?」

「ぎ、魏晋南北朝時代」


 天月の顔がさらに歪んだ。彼はまるで桃寧に違う答えを言えと言わんばかりに合図をした。しかし桃寧はそれを拒んだ。―――自分は馬鹿じゃない。彼女は自分を信じたのだ。


「……チェッ」


 天月は本当に残念そうに舌打ちをした。ドクン、ドクン、彼の姿に桃寧の鼓動が速くなった。


「正解」

「わあああああ!」


 桃寧は拳を突き上げて立ち上がった。自分を信じた結果が正解だったのだ。


「フン! あんたが意地悪したことくらいわかってるんだから。私を混乱させる作戦だったんでしょ? 残念でした! フン!」


 天月を見ながら桃寧は鼻で笑った。勝者桃寧。敗者は天月だ。赤兎は信じられないというように狼狽した。


「―――! ERROR、 ERRORが発生しました。今、私の違法感知システムが過剰反応を起こしています。こんな馬鹿みたいなことが起こるなんて。呂布、システムにエラーが発生していないかチェックを―――え? なぜそんな怖い目で見るのですか? 騎手? 騎手? き、ききききき騎手?」


 桃寧は赤兎の頭をありったけの力を込めて指で押さえつけた。


「いたっ、痛いです。痛い。ERROR、ERROR。騎手、痛いです。ああ、痛い、イタタタタタ!」


 刑を執行された赤兎は泣き顔になってその場にへたり込んだ。


「ほら。今読んだところくらいは間違えないんだから。馬鹿じゃないもん。ベー」


 桃寧は天月に向かって舌を出した。天月は「くそっ!」と悔しがりながら参考書のページをめくった。


「じゃあ今から智力30、正確には桃寧の現在の智力36の限界をテストしてみよう」

「ど、どうしてあんたが私のステータスの正確な数値まで知ってるの?」


 桃寧は驚いて自分の名牌カードを見た。智力36。ぴったりだ。


「お尻のホクロの数も知ってるのにこれくらい当たり前だろ?」

「はうっ!」


 幼馴染パワーは恐ろしすぎる。倒れた赤兎は(いくら何でもお尻のホクロの数まで知ってるのはおかしくないですか?)と思った。


「お、お尻のホクロの数を知ってるくらいで偉そうにしないで。私は太郎が最後にいつおねしょしたかも知ってるのよ! 熟睡したら周りにいる人にしがみつく癖、まだ治ってないでしょ? それやられる人はどれだけ苦しいかわかってるの?」

「最近も一緒に寝たことがあるってことですね」


 男女七歲不同席(男女七歳にして席を同じゅうせず)という言葉を軽く受け流してしまう幼馴染パワーに赤兎は戦慄を覚えた。

 天月と桃寧はお互いを睨みあった。


「そこまで言うなら全力で相手になるぜ。さっきの続きの問題だ。『Q.魏晋時代とは、正確には魏の国からいつまでの時代のことでしょうか?』」


 突然の問題アタック!


「え? ええ? え?」


 奇襲に慌てた桃寧は必死に記憶を辿りながら考えた。


「5,4,3,2,1」

「うううううう」


 桃寧が半泣きになって苦しんでいる。その様子は言葉にできないほどいじらしくて可愛い。 天月はその表情を思い切り楽しんだ。


「0. ……ふう。正解は『東晋末期まで』だ。たった2pの違いなのに。これが呂布の限界か? やっぱり馬鹿だな」


 この男は「馬鹿」だけを妙に強調して言った。


「やっぱり馬鹿だな」


 しかも二回も言った。その隣では「システムオールグリーン。一時的なエラーだったようです」と赤兎が安堵していた。


「ち、違うもん! 急に質問されて思い出せなかっただけだもん。う、うう……! 自分も大して変わらないくせに! かして!」


 桃寧は奪い取った参考書を開いて、天月に出す問題を探した。


「私も魏晋時代に関する問題! 三国時代を最終的に統一したのは西晋の司馬炎よ。司馬炎は皇族の権力を強化することで国家を治めたけど、これは結果的に西晋の滅亡をもたらすことになったわ。では問題。『晋が滅亡するきっかけとなった内乱をさす言葉は何でしょう?』」


 問題を聞いた天月は、しばし天井を見上げた。桃寧はその顔がすぐに苦痛に歪むだろうと確信しながらカウントダウンを始めた。


「5、4」

「知らん」

「3……。うん?」


 ところが悩むことすらせず、すぐにギブアップ宣言をしたのだ。


「ちょ、ちょっと、な、何よ? 何ですぐ諦めるのよ? ほ、他の問題を出すわ」


 桃寧は他の問題を探した。今度はそんなに難しくない問題を探そうと参考書のページをめくった。


「桃寧。献帝をなめるんじゃない」


 天月は首を振った。そして力のこもった声ではっきりとこう言った。


「献帝も呂布も大して差はないだろう。もちろん、献帝の智力ダウンはもう少しましだが結局は五十歩百歩! 俺は端から勉強する意欲すら起こらないレベルの境地に達している!」

「偉そうに叫ぶことじゃないでしょうが!」


 再び紫のオーラを放ち始めた。桃寧は理性を取り戻そうと深呼吸した。何回か大きく呼吸してやっとのことで気持ちを落ち着かせた。


「とにかく、太郎も馬鹿ってことでしょ? 私と全く違わないじゃない?」

「そうだ。違わない! 認めるんだ桃寧。俺たちは二人とも馬鹿だ!」

「はうっ、クリティカル―――!」


 馬鹿という言葉に胸をえぐられた。桃寧は泣き顔で咳払いをした。


「ば、馬鹿じゃないわ。違うもん。馬鹿じゃないもん。う、うう」


 泣きそうな声で訴えた。


「ふう。この際はっきり言ってやる。今そうやって勉強したからってテストで半分以上正解できると思うか?」

「あうっ!」

「俺たちはもう終わりなんだよ。呂布や献帝を受け継いだ時点でな。呂布と献帝の玉璽代理人は代々在野の生徒だった。何も複雑な理由があるからじゃない」


 天月は窓の外を見た。


「二人とも馬鹿だからさ。怖いもんだ、呂布も献帝も」

「その話はやめてええええ~~」


 桃寧沈没。

 絶望的な現実の重みに耐え切れず崩れてしまった。椅子の上で体育座りをしている桃寧の姿がなんともいじらしい。


「ところがだな……。実はこれを手に入れたんだ」


 天月は桃寧に見えるようにちらっと名牌カードを差し出した。金で縁取られた天月の名牌カードで、あるアプリが起動していた。


【カンニングペーパー。 by-DRAGON】

「……」

「……」


 沈黙。生徒会室に静寂が流れた。


「馬鹿ですか? やっぱり馬鹿ですね。アホですか? やっぱりアホですね。狂ったんですか? 狂いすぎて360度いかれちゃったんですか?」


 また起き上がった赤兎が天月を罵倒した。今の天月の行動は許されることではない。


「ふっ」


 しかしこの男は、赤兎の罵倒をものともしなかった。罵倒が通用しないので慌てた赤兎が両手を羽のようにばたつかせながらまた口を開いた。


「汚物に顔を突っ込んであげましょうか? さっきから妙に騎手の神経を逆撫ですると思ってたら、このための前振りだったんですか? いっそのこと殺してさしあげましょうか? 死んだほうがいいですよ。あなた、正義を守護すべき呂布の使命を受け継いだ騎手がそんな汚くて卑怯な誘惑にひっかかると本気で思って……」


 一生懸命話していたが、ふとおかしな気配がした。その気配の正体を確かめようと、赤兎はそっと振り向いた。

 名牌カードを手に持った天月の手があっちこっちに動いた。獲物を狙う猛獣の目がぎらりと光った。桃寧は天月の手にある名牌カードを捕まえようとするかのように、あっちこっちに動いた。


「……騎手?」

「……へっ!?」


 桃寧は赤兎の言葉にハッとした。


「ち、違うのよ。これはその、だから」


 そんな最中でも桃寧の目は天月の名牌カードを追っていた。天月が名牌カードを横に動かすと、桃寧の手が名牌カードにつられて動いた。天月が今度は反対側に名牌カードを動かした。今度も桃寧の手が名牌カードを追いかけた。


「カンニングには手を出さないんじゃなかったのか?」


 天月は会心の笑みを浮かべた。


「で、でも。でも。う、うう、でもお~」


 目の前に成績というお宝がちらついている。そのお宝を見ていると良心が激しく揺さぶられる。だめよ。これはいけないことだわ、そう桃寧は思った。

 でも手が勝手に動く。


「あの、お二人? ……冗談ですよね? からかってるんでしょ?」


 赤兎の唇がぴくぴくと動いた。そんな赤兎に向かって天月は首を横に振った。


「勘違いするな。これはカンニング根絶のためのものだ」

「こ、この人間、またおかしなことを言ってますね。こうなった以上、史上最悪の馬鹿だった呂布におみまいしたレベルの言葉で罵ってさしあげましょう。えっへん。このウンコにたかるハエとウジ虫の合成生物みたいな人間め、その汚い口で糞みたいなことをまたペラペラとほざいてるんですか? ひとの騎手をこんなザマにしておいて、どうやら私とまたデートしたいみたいですね」


 デート = 死の疾走。


「お望みなら最後の最後まで私がお付き合いしますよ? こんな子どもみたいな格好しててもあなたの汚い欲望くらい全部吹き飛ばしてやることくらいはできますから」


 当然死ぬのだから欲望など根こそぎ消え失せるだろう。ところが天月は死の脅迫にも屈することはなかった。


「成績なんかのためにこのアプリを使うわけじゃない」


 彼はまるで世間の荒波に立ち向かう凛々しい戦士のように拳を振り上げた。赤兎はこの人間はまた何を戯けたことを言っているのかと思った。


「我々の目的はただ一つ。このアプリを実際に使ってみてどんな仕組みになっているかを把握し、アプリの悪用を防ぐのだ!」


 その瞬間、誘惑の前で右往左往していた桃寧は、全ての迷いを断ち切った。


「―――そ、それよ。私もそう思ってたの!」


 彼女はこの大きな流れに身を委ねた。


「て、敵を知り己を知れば百戦百勝。まずはこのアプリがどういう仕組みになってるか、どうやって使うのかを知る必要があるわ」


 二人は幼馴染。普段はいがみ合っていても決定的な瞬間は意気投合する。天月と桃寧はどちらからともなく手を差し伸べ握手をした。


「私利私欲のためじゃないんだ。わかってるよな、桃寧?」

「もちろんよ、太郎。これも全てこの学校のためよ」

「そうさ。ぶっちゃけ、今更勉強したところで出題範囲が広すぎるからこのアプリで回避しようだとか、そんなことではない。OK?」

「これは一度性能をテストしてみてリスクを把握するための作戦よ」


 今二人はあうんの呼吸で通じ合っている。

 自己合理化は完璧だ。


「「いざ行かん。我らが戦場へ!」」


 全てはこの学校の正義(フェイク)を実現するため!


 MISSION START!


「……あの、お二人? あなたたち生徒会長と副会長、風紀委員であることをお忘れでないですか? 脳の容量が小さすぎてメモリーからDELしたのですか? 馬鹿だと自慢してるのですか? ……ううう。なぜ通じないの? 新しい話し方を学ばなきゃだめかしら?」


 赤兎は泣きべそをかきながら生徒会の隅へ行き『罵声で相手を黙らせる方法』という本を取り出した。



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