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03 仔猫にキス。




「ローサ?」


 呼ばれて目が覚める。


「だめじゃないか。ローサ。自分のベッドで寝なくちゃ。僕が君に気付かずに潰してしまったら大変だよ?」


 そう優しく話しかけるご主人様は、長い髪が下ろしている。

 女性と見間違えるほど美しい。

 この人が私のご主人様なのだと誰かに自慢したい。


「しょうがない子だね……甘えん坊さん」


 いつもはしないのに、おはようのキスをされた。

 私はぱっちりと目が覚める。


 いやごめんなさい。出来心でした。照れ。


 ベッドから起きたご主人様は、朝の支度を始める。

 そんな姿を見つめる私。華奢なイメージなご主人様の身体だけれど、意外としっかりとしている。大きな背中。


 着痩せするタイプなのね。


 黒のズボンを穿いて、ワイシャツにループタイをつけたら、ローブを羽織る。いつものご主人様の服装だ。

 バスルームで顔を洗い、歯を磨くと、次は髪をブラッシング。そして三つ編みに束ねた。耳には赤い雫型のピアスをぶら下げる。いつものご主人様だ。

 ベッドを整えたら、私を片手で抱え上げてリビングに向かう。

 朝食は配達される焼きたてのパン。それと焼き上げた卵とカリカリのベーコン。

 香ばしい匂い。それを嗅ぎながら、ご主人様が食べ終わることを待つ。膝の上で。

「大人しいね。えらいえらい」とたまに頭を撫でてもらった。


 もちろん。騒いだり邪魔をしたりしませんよ、ご主人様!


 ご主人様の食事が終わったあとは、私の番。ミルクだ。

 これを飲むだけでお腹いっぱいになるのだから、全く楽なにゃん生である。

 食器を片付けてから、ご主人様は読書タイムに入る。

 膝の上に乗せてもらっている私は覗いた。


 なぁに何……。

 ふむふむ、小説のようだ。勇者ってワードがある。

 読める! 読めますよ! ご主人様!


「ふふふ。ローサも読んでいるのかい?」


 キラッキラに目を輝かせて、ご主人様を見上げた。

 でも伝わらない。真似をしているとでも思われているのだろう。


「いい子だね」


 またイケボでそう言い、耳をこねるように撫でられる。


 あ、そこそこ。気持ちいい。


 デレデレな表情になっていたら、ドンドンとノックする音が響いた。

 訪問者だ。きっとお客さんだろう。

 本を置いたご主人様は、私のことも床に置いて玄関ホールに足を運んだ。

 私もよちよち歩きでついていく。

 ご主人様が開けた途端に、玄関ホールに充満したのは香水の匂い。

 うげってなって、私は壁の隅っこに身を縮めた。


「魔導書の依頼をしたいのだが? 魔導書は作れるかね?」


 お客さんは、小太りの男性だ。ちょび髭を生やしていて、ちょっと目付きがいやらしい。そう感じるのは、私が異性だからだろうか。

 私の視点からでは見えないけれど、そんなおじさん相手にもにこやかにご主人様は対応をする。


「はい。これが魔法のリストですね。……はい、これなら魔導書を作成出来ます」

「では明日までに頼む」

「え、明日……ですか……。魔導書の作成には時間がかかります。もう少しお時間をいただけないでしょうか」

「わかっている。だからこうして頼んでいるんじゃないか。明日までに頼む」


 いや頼むって姿勢じゃない。頭を一回くらい下げろよ。

 ご主人様が困っているじゃないか。


「それじゃあ頼んだぞ」


 小太りのおじさんは、ご主人様が頷いてもいないのに扉を閉めて行ってしまう。

 振り返ったご主人様は、リストを持って肩を竦めた。


「はぁ……困ったな」


 はっ!

 癒しですか、ご主人様!

 癒しをご所望ですか!


「みゃあー」


 とびっきり甘えた声を出して、ブーツを履いたご主人様の足に擦り寄る。

 ご主人様は、すぐに私のことを抱え上げた。


「ローサ。手伝ってくれないかい? ああ、いっそのこと君を人間に変身させようか」


 え!? そんな魔法があるの!?

 ぜひそうしてください、ご主人様!


「なんて、身体を人間にしても、人間の知能がなければ意味がないか」

「みゃあ!」


 人間の知能なら持ち合わせています!


「さて、長い長い詠唱を深夜まで行って、魔導書の作成をしなくちゃいけない。ローサ、またさみしい思いをさせてしまうけれど、我慢してね」


 また通じることなく、高い高いされた。

 それからまたキスをされる。今日はよくキスをしてくれる。

 床に下ろしてくれたご主人様は、また作業をする部屋に入った。

 私はポツンと廊下に座り込む。


 さみしい。


 これから深夜まで出てこないのだろうか。


 ご主人様の身体が、心配だ。あの小太りのおじさんめ。無理を押し付けやがって、何か小さな不幸が積み重なってしまえばいい。石に躓いたり、紙で指を切ったり、バスルームで小指を突き指したり。


 念じている間に、私は床で眠りに落ちてしまった。

 しょうがない。仔猫は十八時間は眠る生き物だもの。

 お腹が空いた頃に、目を覚ます。

 もう廊下は薄暗くなってしまっていた。

 ご主人様が部屋から出た形跡はない。私はドアの目の前で丸まって眠っていたからだ。ランチを抜いているけれど、大丈夫かな。


 魔導書がどういうものでどうやって作られるのかはわからないけれど、長い長い詠唱をすると言っていたし、喉乾いていないだろうか。


 ああ、何故私は猫なんだ。猫では何もしてあげられないじゃないか。

 仔猫として癒しをあげるので、精一杯である。


 せめて人間の姿に変身出来れば、身の周りの世話をしてあげられるのに。

 ご飯を用意してあげたり、水をコップに注いで運んであげたり。

 魔力があるのなら、多少は仕事のお手伝いも出来るんじゃないのか。

 もどかしい。尻尾ごとジタバタしていたら、ガチャッとドアが開いた。

 少し開けて、下を覗き込むご主人様。私を見付けると微笑みを向ける。


「ゲホ……お腹が空いただろう? ごめんね、今あげるよ」


 ちょっと声が枯れているご主人様が、私を両手で持ち上げた。


 私のミルクよりも、先に水を飲んだ方がいいんじゃない?


 心配でじっと見上げるけれど、私のミルクを優先してくれた。

 だから急いで飲んだ。


「そんなにお腹空いてたんだね、ごめんね」


 いやいや仕事で忙しいのはわかってますので、ご主人様。

 ご主人様も早くご飯を食べてください。


 ぷはーっと飲み終えた私だったが、リビングのテーブルについたご主人様は突っ伏した。


「少し休憩」


 ええ!? 寝ちゃうの!?


 仮眠をとるためだとは思うけれど、お昼ご飯も抜いて夕食もまだでしょ?

 ほら、窓の外はもう真っ暗! ご主人様! ご飯食べないと倒れちゃいますよ!!


「みゃあみゃあみゃあ」

「しー。静かにして、ちょっと眠りたいんだ」


 とっても眠そうな声を出すご主人様は、目を開かないまま唇に人差し指を当てる。そんな顔をまた伏せてしまった。


 でも、でもでもっ!


 私はうろちょろして、結局眠りの邪魔をしないことにした。

 ご主人様が倒れたら、あのちょび髭おじさんを呪ってやる。

 すーすー、寝息を立てるご主人様を見てから、キョロキョロしていたら気付いた。

 あの作業部屋が開いている。いつもはきっちり閉めるのに。

 抱えられてだけど、数回入ったことがあるその部屋には、たくさんの本があった。ご主人様は、そこからいつも読む本を取っていたのだ。

 魔法の本も、そこにあるかもしれない。

 私が人間になるための魔法。

 私は見に行くことにした。

 でも今、私はテーブルの上だ。床は遥か遠くに見えた。


 おお、高い。高いぞ。


 ご主人様に抱えられている時の方が高い位置だったけれど、その時はしっかりと持ってもらえている安心感があったし、今と違って飛び降りることはしなかった。


 ええい、頑張れ私! 猫なのだから大丈夫!

 ひーい、ひーい、ふー!!


 息んで、いざジャンプ。

 スタン。

 なんとか四本足で着地出来た。小さな心臓はバクバク言っているけれど、私はご主人様の仮眠が終わる前に早く見付けようと廊下をタタッと走った。

 明かりがついたままの部屋に足を踏み入れる。

 真ん中に作業するためだと思うテーブルがあった。周りには本棚。えっと、確か左側の本をいつも取っていたから、きっとそっちは小説の棚のはず。

 だから右側の本棚を見てみよう。

 ちょうど椅子があったので、助走をつけてジャンプ。落ちかけたけれど、よじ登れた。

 続いて、本棚の前にある机の上にジャンプ。

 ここまで来れた自分が誇らしく思えた。


 ふふふん。


 得意げになりつつも、目の前に聳えるように並んでいる背表紙を見つめた。タイトルはない。


 背表紙には、何も書かないデザインが普通なのだろうか。この世界では。


 本棚にしまってある本はどうあがいても私には抜き取れないと諦めて、机の上に置かれた本を見ることにした。

 硬い表紙を開いてみれば、詠唱魔法というタイトルが書いてある。

 肉球でなんとか柔らかな紙を捲った。

 なかなか器用である。そう自画自賛しつつも確認した。

 変身する魔法。変身する魔法はどこだ。


「こら」

「みゃっ!?」


 声をかけられて、震え上がる。

 振り返れば、後ろにご主人様が立っていた。


「だめじゃないか、この部屋に入っちゃ。いたずらでもしていたのかい?」


 私の首を摘んで上げるご主人様が目を合わせる。


 違いますよご主人様!

 私は役に立ちたくて!


「散らかしてはいないようだね……ほら、君は眠る時間だ。先に寝ているんだよ」


 軽く見回したご主人様はいつものように片手で持ってくれて、私を寝室のベッドまで運んでくれた。


 ちょっと待って!

 変身する魔法を教えて!

 人間の姿にしてくださいご主人様!


「おやすみ、ローサ」


 ちゅ。

 額にキスをして、ご主人様はドアを閉めてしまう。

 私は目元を隠して悶えたのだった。



 

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