02 仔猫のご主人様。
ご主人様の名前を聞く機会がなかった。
なので、私の心の中では、ご主人様のまま。
ペリドットの髪をしたイケメンなご主人様の仕事は、なんと魔法を扱うお仕事。
そう。この世界には、魔法が実在するのだ。
それは心が踊ったのだけれど、すぐに現実が突き付けられる。
自分は「みゃー」と「にゃー」しか言えない。そもそも魔力があるかどうかも疑わしい。嘆かわしいな。魔法があるのに、魔法が使えない。
前世の私は、きっと人並み以上に、魔法を使いたがっていた。
魔法か超能力を使いたいと、念じてみることを幾度も試したほどだ。
いつか、それらが叶うと信じていた。
根拠がないのに信じているのは、どうしてだろうか。
ライオンやオセロットを、いつかもふれると信じていた。
信じる力が、何かの役に立てば、トラックに轢かれる最期にはならなかっただろうか。
まぁ、前世のことは置いておこう。
むしろ忘れてしまうか。
だって、私はもう仔猫だ。ローサというにゃん生がある。
イケメンなご主人様に愛でられていく、にゃん生を謳歌していこう。
「ローサ。だめだよ、この部屋に入るのは。僕は仕事をするのだから」
ちっさなちっさなあんよで歩いて行き、ご主人様についていこうとしたら部屋の前にしめ出された。
「まじないを込めている間は、だーめ」
人差し指を立てて、目を細めるご主人様。
イケメンである。
うん、好きだ。このイケメン。
穏やかで落ち着いた雰囲気。優しい手付きで愛でてくれるご主人様は、仕事をする時は頑なに入れてくれない。
ちょっと見るだけ。え? それもだめ?
なんでも部屋の中で、まじないを込めるらしい。魔法の行使。
私を巻き込みたくないらしく、追い出されてしまう。
一階だけの家は、多分人一人なら十分な広さだろうけれど、仔猫の私にはとても壮大すぎて少々怖い。
怖い。おっかない。心細い。
なので、いつも魔法行使が済むまで、部屋の前で待機していた。
ドアにぶつからないように隅っこに立つ。でもご主人様は、いつも慎重にドアを開けては私が無事でホッとした笑みを向ける。好き。
ご主人様の家に訪ねてくるのは、お客さん。
ご主人様は、玄関ホールで出迎える。明るい暖色系の茶色を基調にした家具や壁の玄関ホールに、赤いフリルをあしらった派手なドレスを着たちょっとほうれい線が目立つ女性が立つ。香水臭い。
ふむ、ドレス姿ということは中世風ファンタジー世界だろうか。
「ご注文の品です。ペンダントに魅了の魔法を込めました。これでより美しく魅せることが出来るでしょう」
「ありがとう。これお代よ」
「確かにいただきました。またのお越しをお待ちしております」
その場で品を渡して、お金をもらったご主人様。
預かったペンダントに魔法をかけた。
アクセサリーなどに様々な魔法をかける商売をしているようだ。
ご主人様は魔法使いなのである。
次の日に来たお客さんは、シンプルなドレスに身を包んだ若い女性だった。水色で飾りが一切ないドレスの彼女は、一輪の薔薇を手にしている。
「すみません。この花を永遠に枯れないようにしてもらいたいのですが」
「いらっしゃいませ。かしこまりました。すぐに出来るのでお待ちください」
きっと誰かから贈られたものだろう。
女性はとても大事そうに両手で持っていた薔薇を、ご主人様に渡した。
受け取ったご主人様はあの部屋に入るから、私はよちよちとついていく。でも入ってきてはだめだと締め出された。
仕方がない。今日はお客さんの相手をしてあげよう。
このお姉さんは、香水臭くないしね。
よちよちと歩み寄れば、しゃがみ込んで「あら可愛らしい」と指先で撫でてくれた。
でしょでしょ。
「赤い仔猫なんて珍しい」
「みゃ?」
え、この世界でも赤い毛並みの猫は珍しい方なのかしら。
言葉が話せれば、お姉さんがどうして薔薇の花に永遠に枯れない魔法をかけてもらいに来たのか尋ねられるけれど、話せないのでじゃれておく。
おーそこそこ。撫でてー。
しばらくして、ご主人様が部屋から出てきた。
「あれ? ローサ。ここにいたのか」
廊下をキョロッと探したご主人様が、玄関ホールに来ては私を見付けて微笑んだ。
「赤い猫なんて珍しいですね」
「そうなんですよ。目立ってたおかげで拾えました」
この毛並みのおかげで、拾われたのか。
目を真ん丸に見開いてしまった。
「時を止める魔法をかけておきました。半永久的にこの薔薇は枯れません。ただし形が崩れることに注意してください」
「はい、わかりました。ではお金を」
「はい、お金は確かに受け取りました。またのご来店お待ちしております」
「ありがとうございました」
ドライフラワーとは違って、花を保存する魔法か。
素敵だな。なんて思った。だってお姉さん、とっても嬉しそうな笑みを零していた。
そんな私をご主人様は持ち上げて、片手で抱く。ご主人様の掌に収まる私はとても落ち着けられた。
「あのお客さんと話でもしていたのかい?」
「みゃー」
「誰から贈られた薔薇だろう。告白でもされたのかな。とても嬉しそうだった」
「んみゃー」
ご主人様が尋ねればよかったのに。
ご主人様は必要以上に会話しない。
私には色々話しかけてくれるのだけれどね。だから相槌を打つ。
ご主人様は素敵な商売をしている。そう思った。
にんまりしていたら、眉間をぐりぐりと撫でられる。
「機嫌が良さそうだね」
うん、ご主人様が自慢なんです。
そんなご主人様は仕事の依頼がないと、大抵はリビングで読書をしている。
あとは庭でガーデニングをしていたり、葉っぱを干したりしている。葉っぱは魔法に使うのかしら。
ご主人様がリビングのテーブルについて読書をしている間、私は膝の上でまったりと寝ていることが多い。でも今日はテーブルの上によじ登って探検をした。
リビングテーブルなのに、本が山積みだ。山積みと言っても、三冊だけだけれど、分厚いし私にとっては山に見えた。
そんな本の背表紙には何も書いていない。
書いてあっても、私に読めるだろうか。
話している言葉はわかるのだけれども。
試しにご主人様が開いて読んでいる本を見せてもらおうと、にゃーにゃー言いながら前足で手にしている本を小突いた。
「なんだい? ローサも読みたいのかい?」
ご主人様は笑って、私に開いた本を見せてくれた。
反対だからちょっと見にくい。
「世界語がわかるかな? まぁローサには魔力があるから、わかるかもしれないね」
にゃんですと!?
私に魔力があるの? ご主人様!
それって魔法が使えるかもしれないってことだよね!?
興奮していたら、頭を指で撫でられた。
「僕の言葉も少しは理解しているみたいだけれど……流石に読めないよね。頭はいいけれど、人間並みの知能がなければ読めないよ」
そうご主人様が苦笑いを漏らす。
「みゃあ!」
ご主人様! 私、元人間だからありますよ!
「世界語は、共通の言葉。意識がはっきりしていれば、わかる言葉で通じる。だから……人間の言葉さえ覚えればローサにもわかるかもしれないね」
人間の言葉わかりますよ! ご主人様!
「なーんて、こればっかりはわからないよね」
甘い笑みを零すご主人様に言いたい。
わかっていると。
でもにゃーみゃーしか言えない私を見て「お腹空いた頃かい」とご主人様はミルクを与えてくれた。
夜になると、私は網のかごで作られたベッドに寝かせられる。
すぐそばには、ご主人様のベッド。
「おやすみ、ローサ」
ご主人様は決まっておやすみのキスをしてくれる。
とても照れてしまう。イケメンのキス。
きゃーと目元を前足で隠すことがお決まりになった。
「可愛い」
そのポーズを見て、クスッとするご主人様が、魔法で灯していた明かりを消す。就寝の時間。ご主人様がベッドに横たわって眠った。
私も一度は眠ったのだけれど、数時間後に起きる。
本が読めるか確かめたい。私はベッドを飛び降りて、リビングに行こうとした。しかし、寝室のドアが閉じられてしまっている。どうあがいても、仔猫の私には開けられるはずもなく、断念してベッドに戻った。
翌日に、もう一度本を見せてとせがもう。
そう決めて、ベッドに戻ろうとした。
でもご主人様のベッドを見上げて、止まる。
イケメンなご主人様と添い寝したい。
そう思った私は垂れ下がるシーツを小さな爪でよじ登り、なんとかベッドの上に乗った。健やかな寝顔のご主人様を見付ける。にんまりしながら、枕のところに丸まって眠ることにした。
あったかい。
ポカポカしたベッドであっという間に眠りに落ちた。