「ペーパートワコさんには未来が見える」
~~~鏡紅子~~~
ファミレスで雛とふたり、並んで座っていた。
普通なら対面に向かい合って座るところだが、その位置には知り合いが来る予定になっていた。
平日の午後。
夕食の支度を始める前の暇な時間。学校なんかは終わりの時間。
そのせいか、ファミレスは近所の主婦連や生徒などでごった返している。わいわいがやがや、賑やかな話し声が飛び交っている。
その中であたしたちはどう見えるのだろうか。
学生? 主婦? 社会人……にはぎりぎり見えまい。
マのつく自由業のあたしと、画家の雛。
一般的な社会人とはライフスタイルも、身にまとう雰囲気も全然違うはず。下手すると、家事手伝いという名のニートみたいに思われているかもしれない。
「ふわ~。わたし、ファミレスってはじめて~」
あたしの苦悩も知らず、ほけ~っと物珍しそうに店内を見渡す雛。
「……あ~、まああんた様はファミレスなんかに来そうもないわね」
富裕層のさらに上ひと握りに属する雛だ。
つき合いの範囲を考えても、ファミレスごとき庶民の社交場を訪れる機会などあるまい。
そういう嫌味もこめて言ったのだが……。
「うん~、そうなの。だからわたし、なんだか新鮮で~。あ、ほらあれなに? もしかしてあれがドリンクバー? あれ全部、どれでも好きなの飲んでいいの? アイスもあるよ? すご~い、楽しそう~」
ダメだ、通じてねえ。むしろものすごい楽しんでらっしゃる。
こいつに悪気がないのは知ってる。
ちょっと世間知らずで、察しが悪いだけだ。空気を読む力がないだけだ。
あとはすべて、こちらの度量不足。
「ちょっと行ってくるね。あ、紅子の分もとってきてあげる。なにがいい?」
「……クリームソーダ」
あたしは疲れを感じて、背もたれに沈み込んだ。
「おーっすおっすおっす! 鏡先輩! おひさしぶりっす!」
無駄に大きな声を出して、小鳥がやって来た。学校帰りなのかセーラー服のままで、肩にはでっかいバッグをかけている。
上屋敷小鳥。高1。
男の子みたいなベリーショートにおばあちゃんみたいなべっこうぶちのメガネ。まん丸大きな目をきらきらさせた、元気ハツラツオタク女子。
あたしが創始した漫研に所属している直系の手足だ。
うるさくて面倒なやつだが、修羅場の時なんかは安く酷使できるので重宝する。
「いっやー、最近お見限りじゃないっすかー。まぁた今度、アシで呼んでくださいよー。先輩の仕事ぶり見せてくださいよー」
あたしはひらひらと手を振った。
「あ。いまんとこ戦力は有り余ってるからいーわ」
「ええ~、どこでそんな戦力召集したんすかー。編集さんからの紹介っすかー?」
小鳥はうらやましそうに拳をぶんぶか振った。
「いいなー。プロの仕事が体験できるって、鏡先輩のバイトは競争力高いんすよー。人使いは荒いっすけどー」
あの後──新の家を飛び出した後、あたしはペーパートワコさんたちに徹底した教育を施した。
夜中に騒がない。あたしの仕事の邪魔をしない。バッグにまぎれて勝手について来ない。
ついでに線引き、ゴムかけ、ベタ塗り、トーン切り貼りなど、漫画アシスタントとしての基本をすべて教え込んだ。
さすがあたしの分身というべきか、技術の習得は一瞬だった。ベタフラ点描なんかはもはやプロ顔負けだ。
このまま順調に育てば、背景やモブはもちろん、メインキャラの体ぐらいまでは任せられるようになるんじゃないだろうか。
……ん? それじゃ最終的にメインキャラの顔だけあたしが描けばいいってことか?
ギャラもいらないし使いべりしないしマンパワーは死ぬほどあるし……。すごいな。完全勝ち組じゃん。
「ねーねー。紅子ぉ……」
勝手な物思いにふけっているあたしに、雛が声をかけてきた。
「あ? なによ」
「このコ、なんだか怖いんだけど……」
見れば、小鳥が目を爛々と輝かせて雛の写真を撮っている。
正面から、上から横から下から、あらゆる角度からその姿をファインダーに納めようと躍起になっている。
「ちょ、ちょ、ちょっと鏡先輩! この人誰すか! 知り合いすか⁉ ちょーう美人さんなんすけど! ドロテア様みたい!」
立ってくださいとか、スカートをたくし上げてくださいとか、前かがみになって胸を強調してくださいとか、胸の前でハートのマーク作ってウインクしてくださいとか、危ないポーズの注文をつけ出したあたりでいいかげん他のお客の目線がきつくなってきたので、おもいきりチョップして止めた。
「だだだだだだ……。ちょっと、マジ痛いんすけど……!」
「痛くしようと思ってやったんだから当然だっての」
涙目の小鳥はぶーたれているが。
「こんな真っ昼間から仮面外すのやめなさい。あんたと違ってこっちにゃ世間体ってのがあるんだから」
「うう~、ずるいっすよ~。こんな美人さんの知り合いいるの黙ってて~」
「黙っててもなにも、聞かれなかったし言う機会もなかったでしょうが」
「そりゃそうっすけど……」
クリームソーダのアイスをスプーンですくって食べると、小鳥は癖で、がじがじとスプーンを噛んだ。
「でもいいっすねー。え、え、この人、鏡先輩とどういう関係なんすか?」
「切りたいのに切れない腐れ縁」
「ええ~。紅子ひっど~い」
涙目になる雛。
「ちょ、ちょっと鏡先輩。全然余裕で斬ってますよ。一言で斬って捨てすぎですよ。マジでどこの剣豪ですかって話ですよ」
雛を気遣う小鳥。
「ちぇ、めんどくせえな~。──いい? こいつはあたしの小学校からの幼馴染。ほれ、あんた聞いたことない? 中学高校の6年間、ミス彩南をすべてぶっちぎりのトップに立った。クイーンオブクイーン。小鳥遊雛って」
「あ……あの行ける伝説の……⁉」
戦慄する小鳥。
「ちょ、ちょっとふたりとも……なにそれ、生ける伝説って……?」
さすがに聞き捨てならない、といった感じの雛。
「県下に無数のファンクラブが存在し、登下校時はつねに無数の親衛隊に守られていた、『実在する漫画みたいな美人』。しかも本人にはまったくその自覚がなく、親衛隊を『親切な運動部の面々』だと思っていたという……?」
「ちょっと~。だから親衛隊なんていなかったってば~」
「……でもファンクラブはあったっすよね?」
「う……あ……」
小鳥の確認に、雛の顔がぽっと赤くなる。
「ちょっとやめたげて。このコ、そのファンクラブのやつらに、自分をヒロインにしたエロ同人を描かれて大泣きしたことがあるんだから」
「もう、紅子ぉ……」
うらめしげに横目でにらんでくる雛。
「うあー、いいっすねー! 雛先輩! その流し目、いいっす! 男どもがほっとかないのもわかるっす! 女のアタシでも思わず変な気分になっちゃうっす! ぜひ今度、その雛先輩がヒロインのエロ同人を読ませてくださいっす!」
「やだもうこのコ……」
シュウウ……、顔から湯気を吹いてテーブルに突っ伏す雛。昔と変わらぬ初心でいたい気な姿を見ていると、あたしまで変な気分になってしまう。
いかんいかん。
気を取り直そうと、あたしはわざと大きな声を出した。
「本題! 小鳥、本題を忘れてる!」
「本題……え? あ……そうだった……!」
小鳥はぽん、と手を打った。
「──えっと、もっかい確認しますけど。副担任とトワコさんの日常、でいいんですよね?」
「おう」
小鳥は「ふむう……」と唸るとやおらスケッチブックを取り出し、ペンで絵を描きだした。
さすが現役漫研部員というか、きっちりコマ割りして、副担任──新と、トワコさんの日常をシャカシャカ描いていく。
──放課後、裏門で待ち合わせ中のトワコさん。
踵を浮かして落とす、というストレッチのような運動を繰り返している。目を閉じて頬をほんのりと染め、恋する乙女の表情で、誰かが出てくるのを待っている。
新はトワコさんの存在に気づかず通り過ぎようとしたところを後ろから抱き付かれ、顔を赤くして狼狽えている。
周囲の視線に怯え、腰に回されたトワコさんの手を懸命に振りほどこうともがいているが、なかなか上手く外せない。
──授業中、トワコさんの横を通過して教科書を朗読する新。
トワコさんがその脇腹をつつき、笑いをこらえている。
すっかりいじられキャラになっている新は、他の女子生徒やなぜか男子生徒にも同じようにつつかれ、怒っていいのか笑っていいのか複雑な顔をしている。
トワコさんは独占欲を刺激されて憮然とした顔になっている。
──昼飯時、精神的苦痛に耐えかね、屋上でひとりパンにかじりつく新。
「先生昼ご飯それだけ? 悲しー」と女子生徒たちに声をかけられ、いつの間にか車座の一部にされ、顔を引きつらせている。
「私らのちょっと分けたげようか?」とさまざまなおかず恵んでもらううち、ひとつの弁当箱が差し出される。差し出し主はトワコさん。
「ゴゴゴゴゴゴ……」とオノマトペを背負いながら新に迫ると、「わたしのも分けてあげますね。お腹いっぱい? ……まだまだ入りますよね?」と射すくめるような眼光でにらみつけ、有無を言わせず食べさせている。
「……なにこれ、あいつ大丈夫なの? 教師として」
トワコさんのあまりにもあからさまなアプローチにぞっとする。
ラヴコメはフィクションだから許されるんだなと改めて実感する。
ほれ、大人には世間体とか周囲の目ってもんがね……。
「それがけっこう大丈夫なんすよー。トワコさんのそれは、副担任いじりみたいな認定されてますから。やりすぎればやりすぎるほどに面白いというか……」
「いいのかそれで……」
ビリッ。
「ちょ、雛先輩なにやってんすか⁉ アタシの絵を!」
顔色を変える小鳥だが、
「ま、待て小鳥。こいつはヤバい……!」
小鳥のイラストを破り取りぐしゃぐしゃにまるめた雛は、声をかけようもないほどに顔を赤くしている。
「新くんの……バカ……! 浮気者……!」
ぽろぽろと涙を流して怒っている。
雛の豹変に驚いた小鳥は、イラストを破かれたショックもぶっ飛んだようで、
「か、鏡先輩……。もしかして雛先輩って……?」
慌てて確認してくる。
「新の元彼女」
「──今もよ! 今もだもん!」
大きな声を上げた雛を、慌てて口を塞いで黙らせた。
「うっへー。まじっすかー。その話……」
これまでの一連の流れを説明すると、小鳥は腕組みして唸った。
「IF? が具現化して? んで同棲してる? そりゃあ漫画のネタとしてはありっすけど……。現実としてはちょっと荒唐無稽というか……いまいち信憑性が……」
「ま、そりゃそうね」
あたしは素直に認める。雛なんかはいまだにIFのことを信じてないし。
「ということで信憑性の出番だ。ほれ」
あたしはピーコートのポッケを開けた。
バヒュンッ……クルクルストン!
擬音にするならそんな感じか。
コースターに描いたペーパートワコさんは、ミサイルのように飛び出すと、空中でトンボを切って軽やかに着地した。
「お……なん……⁉」
「紅子……これ……⁉」
ふたりとも、これにはさすがに衝撃を受けている。
ペーパートワコさんは見たことのない場所と見たことのない人物に驚き、興奮してわちゃわちゃ騒ぎだそうと──したので口元に指を当て「しー!」と強引に黙らせた。
もがもが! もがもがもが!
律儀に口元を両手で塞ぎながら、ペーパートワコさんはぴょんぴょん跳ね回って無言の抗議をしてくる。
「あーうっさいうっさい。あんたが目立つといろいろ問題があるから、おとなしくしてなさいって言ったでしょ? そしたら連れてってやるからって。だから喋んな。暴れんな」
ペーパートワコさんは小鳥からペンを奪い取ると、スケッチブックにイラストを描き始めた。
大勢のペーパートワコさんが拳を振り上げ、プラカード(何を描いているかは例によってわからない)を持ち、シュプレヒコールを上げている。
言論統制反対? うん、わかんねえなこれ。
「ひえぇ……っ。すげえ……っ。なんすかこれ、なんすかこれ……⁉」
小鳥はペーパートワコさんをわしっと掴んだ。
「ちょーう可愛いっす! これ持って帰ってもいいすか⁉」
持って帰る、というフレーズに激しく反応したペーパートワコさんはじたばたと暴れもがいた。
小鳥の手を蹴り、ピーコートのポケットに跳ねて戻った。
顔だけ出してガルルと唸り、小鳥を威嚇する。
「ダーメダメ。このコらはあたし以外に懐かないんだから」
「ら、ってことはたくさんいるんすよね? じゃあじゃあ、一匹くらいいいじゃないっすかー。きちんと世話しますから~」
べー、と舌を出して却下する。あたし以外に懐かないってのは嘘だけど(新には懐いてたし)、こいつに渡すと大騒ぎになる未来しか見えない。
「ねえ、紅子……もしかしてこれが新くんの言ってた……? これがIFなの……?」
「……お、ようやく認める気になったかい? お姫様」
「う、うん……」
驚愕冷めやらぬ表情で、しかしたしかにうなずく雛の頭を撫でてやる。
「よーしよし、いいコだ。何事も、まずは認めなきゃ始まらないかんね。あ、小鳥。言っとくけどこのことは他言無用だかんね? ちょっとでも漏らしたら、夏コミ用の原稿、ボイコットするから」
「うえ~」と小鳥は呻いて首を絞められるようなしぐさをした。
「言いませんよ。そもそも、誰がこんなこと信じますかって」
「ま、そりゃそうね」
「……でもなんで、アタシにこのこと話してくれたんすか?」
「うん?」
「だってそうじゃないすか。打ち明けるなら雛先輩の前でだけでもいいわけで……。その……なんて言うんすか?」
「ペーパートワコさん」
「そうその、ペーパートワコさんを見せればいいじゃないすか? なんでアタシにまで……」
そこまで言って、小鳥ははっとしたような表情になる。
「信頼の証すか? 結婚するすか? アタシを養ってくれるんすか?」
「するかバカ」
容赦なくチョップすると、小鳥は「のおおおおぉ……!」と苦しげに頭を抱えて悶えた。
「情報の共有をしただけよ。あんた、便利に使えそうだから。新のクラスの生徒だし、変人だからちょっとやそっとの突飛な行動は誰にも見とがめられないし」
「さすがに失礼すぎやしないすかね……? もうちょっと上げてくれてもいいんすよ……?」
あたしはひらひらと手を振り、小鳥の抗議を全面的に却下する。
「情報屋になってほしいのよ、新との絡みだけじゃなくて、トワコさんの行動をすべて余すところなく見張っててほしい」
「なんでですか? トワコさんがIFだとしても、べつに実害ないからいいじゃないすか。面白いし」
「実害ある人がいんのよ。ここに」
「ああ……」
雛は悲壮な覚悟を固めたような顔をしている。
「……そういうことならわたし、負けないから。トワコさんがIFなら、生身の人間じゃないなら、何より新くんが認めた恋人じゃないのなら、わたしは絶対に負けない──」
「……おおー。しゅ、修羅場っすねー」
ピントのずれたところで拍手をする小鳥。
「あれ、でも……」
小鳥がふと、不思議そうな顔をした。
「鏡先輩。なんでアタシの副担任が新堂先生だって知ってたんです? アタシ、そのこと言いましたっけ? 偵察及び情報収集せよとの指令を受けた時から不思議だなーと思ってたんすけど……」
「ああそのこと……」
あたしはバッグの中からスケッチブックを取り出した。
「これよ」
広げて見せたページには、ペーパートワコさんたちの手による無数のイラストが描かれている。
大半はあたしや新や雛、トワコさんたちの日常風景だった。教壇に立つ新。キャンバスに向かう雛。締め切りをぶち破って編集さんに張り付かれているあたし……。
それ自体はべつになんてことなかった。どれもこれも、普通に日々を送っていれば、当然あり得るだろう光景だった。
不思議なのは、ことごとくそれらの光景が、未来を予見しているとしか思えない符合を見せることだった。
──教壇に立つ新の背景の黒板と、日付、天気の(暴風雨だった)一致。
──雛の描いた油彩画の完成した日付の一致。
──あたしが締め切りを破るなんてことは、それまで一度もないことだった。
誓っていうが、それらはすべて、現実との符合が起こる以前に描かれたものだ。
「これ……。アタシ……すか?」
新とトワコさんのべたべたぶりを余さずスケッチしているのは間違いなく小鳥だ。
いかにもオタ女っぽい飾り気のなさ。べっこうぶちのメガネまで含めた細かな特徴が、完全に一致している。
「どうしても説明がつかなかった。あたしとこいつの行動範囲があんたとかぶったことはなかったから。こいつがあんたを知ってるわけがない」
ぴっ。あたしは指を一本立てた。
「結論──ペーパートワコさんには未来が見える」