「トワコさんは涙を拭かない」
~~~新堂新~~~
インターホンが鳴ったのでドアを開けたら、そこに立っていたのは紅子だった。
相変わらず格好に頓着しないというか、中学時代から見覚えのあるピーコート姿で、白い息を吐いていた。
隣に雛はいなかった。後ろにもいなかった。
あるいは遠目からここを見守っているのかと思ったけど、どうやらそういうわけでもないようだ。
「……なによ、あたしがひとりで来ちゃ悪いの?」
紅子はいたく憮然とした表情で言った。
「いや、べつに俺はそんなこと……」
「見りゃわかるっつーの。バカ」
紅子は俺を押しのけると、部屋の中を覗き込んだ。
「……あの女はどこにいるの?」
「──あの女っていうのはわたしのことかしら?」
俺の背中にぴったりと寄り添って隠れていたトワコさんは、ひょいと体を傾けると、いきなり紅子の前に顔を出した。
「──のぅわ⁉」
予想していたよりも間近にいたことに驚いてのけぞる紅子。
「い、いたの⁉」
「そりゃあいたわよ。新のいるところつねにわたしあり。泥棒猫の陰あらば、たとえ地の果てまでもってね」
ずずいと顔面アップで迫るトワコさんに気おされ、改めて距離をとる紅子。
「ふ……、ふん。そんなんじゃないわよ……!」
「へー? ほー? ふーん?」
そうなんだー。無闇に煽り立てるトワコさん。
紅子はふたり分の生活臭がする部屋を、ほけーっとした顔で眺め回した。
「……ほんとに同棲してるんだ。……っじゃなく! そ、それより……!」
紅子は何かを吹っ切るように首を横に振ると、きっとトワコさんをにらみつけた。
「あんたに聞きたいことがあるの!」
トワコさんは面白そうに唇を歪めた。
「へえ? 新じゃなくわたしに用なんだ」
「そうよ!」
紅子はトワコさんをびしっと指さした。
「──あんたたちは何者なの⁉ IFってなんなの⁉」
「……たち?」
「べ、紅子……。いまIFって……?」
俺たちふたりの視線を受けると、紅子は大きなため息をついた。もぞもぞしてるピーコートのポッケを指で拡げると、そこからそいつが飛び出して来た。
「◎▽%&¥¢〆⁉ 三@▽%&¥¢〆≧×⁉」
「こ──⁉」
「な──⁉」
揃って絶句する俺たちの目の前で、そいつは──昨夜居酒屋で描かれてたペーパートワコさんは──とんぼを切って軽やかに床に着地すると、「10点満点!」みたいな得意げな顔をした。
何かを一生懸命喋っているが、何を喋っているのかわからなかった。謎の言語をぴーちくぱーちく高速で喋ってた。
紅子はもう片方のポッケを探ると、トワコさんが持ってるのと同じIDパスを取り出した。
「昨夜、こいつがいきなり動き出したと思ったら、床にこんなのが落ちてたのよ──」
所属:世界IF管理機構日本支部
氏名:三条永遠子
CN:ペーパートワコさん
NO:00303054060
「2000人も増えてるし……」
「まさかの同キャラとはねえ……」
口々につぶやく俺たちに、説明を要求する紅子。
「うちに似たようなのが何ダースもいるのよ! もう騒がしくて困ってるんだから!」
「マジかよ……」
「それは大変ね……」
肩の上で飛び跳ねられたり頬をつんつんつつかれたり──トワコさんはペーパートワコさんに全力で懐かれている。
ころころ表情を変えてけらけら笑って、ペーパートワコさんはトワコさんがいたくお気に入りのようだ。出元が同じだからか? 妹が姉に懐くような感じなんだろうか?
見た目も動きもコミカルで可愛いんだけど、同じようなのが他に何ダースもいて、それぞれが自分の部屋を好き勝手に動き回ってるところを想像するとぞっとする。
「そもそもIFってなんなのよ!」
紅子はしびれを切らしたように語気を荒くする。
想像上の友達の頭文字をとってIF。
人の想像より生まれた存在で、神も悪魔も天使も仏もすべてがIF。
有史以来積み重ねた数がイコールナンバーとなる。
ざっくりした俺の説明に、紅子は「ううむ……」とうなった。
「なぁんか……雲を掴むような話ねえ……」
「……俺もそう思う」
「神様も仏様もIFなんだとすると、世界中にどれだけの数のIFがいるか想像するだに恐ろしいんだけど……」
「だよなあ……」
しみじみつぶやく俺たちの間に漂う何とも言えない連帯感。
「そりゃそうよ。恐ろしいのよ。だから、それを管理するために創設されたのが世界IF管理機構ってわけ」
トワコさんはペーパートワコさんを顔面から引っぺがして投げ捨てた。
「世界政府の機関のひとつよ。全世界に支部が存在し、IFの管理を一手に担っている機関。IFって強い想像によって創造されたものだから数も多いし、けっこう無茶な能力を持ってる連中が多いのよね。ほうっておくと何するかわからないから管理する必要があるのよ。これでOK?」
「むしろそれでOKだと思ったあんたが怖いわ……」
紅子は頭痛をこらえる仕草をする。
「そもそも世界政府ってなによ? フリーメーソンみたいなもの? 300人委員会だったりイルミナティ13血流だったりするわけ? よくあるトンデモ陰謀論にしか聞こえないんだけど」
トワコさんが目を見張る。
「……驚いた。あなた……けっこう詳しいのね」
「職業柄ね」
「じゃ、そんなところでいいわ」
「……は?」
トワコさんは肩を竦める。
「説明しようがないのよ。そういう機関があり、政府があるってだけ。だいたい現代科学の粋を集めたところでこーんなぺらぺらしたのの説明すらつかないでしょ? ハサミで切ってもシュレッダーにかけてもただの紙として裁断されるだけ。組成を調べたって、せいぜい良質なパルプを使ってますねっていわれるのが関の山。居酒屋の大量生産コースターなら紙質は悪いのかしら? 世界政府も世界IF管理機構も同じこと。頑張って調べ回って、無駄な徒労感を覚えるよりは、陰謀論みたいなもんなんだなってざっくり理解してたほうがマシだってこと」
「……な、なに煙に巻こうとしてんのよ⁉ 日本支部なんてのが実在するんなら、そこに連れて行けばいいでしょ⁉ それが何よりの証明じゃない!」
「あるけど連れて行けない」
「なんでよ!」
紅子は噛みつくように言った。
「そこはIFしか行けない場所だから。生身の人間の行ける場所にないから。天国でも地獄でも彼岸でも事象の地平線でもベイビーユニバースでもなんでもいいわ。あなたの行けるような場所ではないのよ。だから連れて行けない。行かないんじゃなくて行けない」
俺たちがそんなやり取りをかわしている間にも、ペーパートワコさんはかしましく叫び続ける。
様々に表情を変えながら、姿勢を変えながら、おそらくは生きてここにある喜びを、同胞に巡り会えた幸せを叫び続けている。
「なによそれ……結局全然解決しないじゃない」
紅子は頭を抱える。
「あんたに聞けばなにかわかると思ったのに……」
「悪魔の証明よ。どだい証明しろってほうが無理なの。わたしがここに生きてることは、IFだってことは、わたし自身にしか証明できないことなんだもの」
トワコさんは緩く笑った。
「……あなたたちが必要としたからわたしたちはいるの。それじゃご不満?」
「必要とした……あたしが?」
思ってもいなかった言葉を聞いたように、紅子はきょとんとした表情になった。
「そうよ。あなた、最近なにか願わなかった? なにか強く望まなかった? ずっと思ってたことを、『そうありたい』と願ってたことを。それをこいつに託さなかった?」
トワコさんはペーパートワコさんをひょいと摘み上げた。
遊んでもらっていると思っているのか、ペーパートワコさんはキャーキャーと喜んでいる。
「ほら、新」
ペーパートワコさんを俺の肩に乗せると、トワコさんは薄く微笑んだ。
見慣れない肩に乗せられて最初は戸惑っていたペーパートワコさんだが、やがて馴染むと、俺の頬をつんつんつついて笑い始めた。
「そんな、別に……」
顎に指を当て考えを巡らせていた紅子だが、ペーパートワコさんが俺の頬にキスしたのを目にすると、いきなりボン、と頭を沸騰させた。
耳まで真っ赤にして、慌ててペーパートワコさんを掴みとると、ぶんぶんぶんぶん首を横に振った。
「──ち、違う……あたしはそんなこと願ってない……! 絶対……絶対違う……!」
「……お、おい紅子。どうしたんだ?」
心配になった俺は、落ち着かせようと紅子の肩に手を触れた。
反応は劇的だった。紅子は俺の手を強く跳ね除け、鋭く叫んだ。
「──バカ! あたしに触んな! あんたには雛がいるでしょ⁉」
きっ、とトワコさんをにらみつける。
「──あんたもよ! さっさとここから出ていきなさい! こいつには雛って彼女がいるんだから! あんたなんかよりもよっぽど長い間、こいつのことを好きだった女なんだから!」
「おい紅子。何をそんなに……」
「うるさいうるさいうるさーい! 黙れ! 喋んな! それ以上口を開くな! あんたらのいうことなんてもう聞きたくない! あたしは……あたしは……もう帰る!」
ガチャドン、バタバタバタ。
紅子は言いたいことだけ言って帰っていった。
突然のことで俺の思考は停止してしまい、閉ざされたドアを呆然と見つめることしかできなかった。
「……知ってた」
「トワコさん……?」
トワコさんの声が震えている。
そっと横顔を窺う。
「──!」
トワコさんはボロボロ泣いていた。
大粒の涙が零れてた。
だけど拭おうとしなかった。
目を見開いたまま、視界が霞むのに任せたまま、拳を強く握りしめて、閉ざされたドアを見つめてた。
「ちょ、な──トワコさん⁉」
尋常でない様子に驚いて肩を掴むと、トワコさんは俺の胸に倒れ込んできて顔を埋めた。
「……気にしないで。ちょっと疲れただけだから。もう少しこのままでいさせて」
「疲れてるって……」
体が震えている。
背中と腕が、硬く強張っている。
「それにほら。なんだかんだ言ったって、連れてってくれたじゃない。あのコを──」
言われて見回せば、ペーパートワコさんの姿がなかった。
紅子が俺の肩から掴み取って、そのままポッケに突っ込んだのだ。
「ほんとに良かったわ……」
──わたしみたいに捨てられなくて。
トワコさんは、たしかにそう言った。