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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「トワコさんはもういない」

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69/70

「トワコさんはもういない」

 ~~~新堂新~~~




 ギィを見送った直後の下り電車に、トワコさんは乗っていた。

 俺たちは乗降口を挟んで、束の間向き合った。

「……」

 1週間も経ってないのになんだかひさしぶりのような気がして、俺はまじまじとトワコさんを見た。

 トレードマークのセーラー服姿ではない。赤いマフラーも巻いていない。学生鞄だって持っていない。

 出かけた時の格好とも微妙に違っていた。空をそのまま映したような色のワンピースに白いミュール。肩には大きなトートバッグをかけている。


 発車ベルの音に後押しされるようにして、彼女はホームに降りた。

 俺たちは頭ひとつぶん身長が違うので、彼女は下から俺を見上げるようにしてきた。

 黒々と深みのある双眸。上向きにカールしたまつ毛。

 いつもより綺麗に見えるのは俺のひいき目だろうか。ほんのり薄化粧のせいだろうか。鼻先をくすぐる香水の香りのせいだろうか。

 いや違う。

 俺は気づいた。

 俺はいままでなんだかんだあっても、トワコさんのことをそういう対象として見ていなかった。

 IFと創造主の関係であり、子供と親の関係であり、生徒と先生の関係であった。

 そこにはいつだって何がしかの付加価値がくっついていた。

 一切合切すべてをとっぱらい、至近距離から男女の関係で見つめてみると、なんというかもう、このコは……。



 すごく……可愛い。 



 ごくりと唾を呑んだ。 

「………………っ」   

 異性として意識してしまって、頬が急速に熱くなった。


 ホームを行き交う男どもがこちらを見ている。

 お母さんに手を引かれた少年ですらこちらを見ている。

 女の子たちは羨望の眼差しをおくっている。

 彼女の美しさ――たとえば長い黒髪の艶やかさに、スレンダーなボディラインに、繊細で優美な顔の造りに。


 俺なんかでいいんだろうか。心の底からそう思う。

 こんな地味な俺が、彼女の前に立つ資格があるんだろうかって、気おくれする。


「あ、あのね……?」

 トワコさんが先に口を開いた。

「う、うん……」

「その……」

 トワコさんはもじもじと切り出しにくそうにしていた。

「な、なんでしょう」

 促してみると、

「……元気してた?」

 後ろ手に手を組み、ちろりと上目遣いに聞いてきた。

「ごらんの通りで」

「……じゃあ、やっぱりあんまり食べてないんじゃない? 顔色悪いし」

「あ……いや違うんだ。ごらんの通り元気だよって言いたかったんだ。たしかにここのとこ夏バテ気味で、見た目具合悪そうに見えるかもしれないけど、まったく全然大丈夫。いたって元気なもんでさ――」

「………………わたしがいなくても?」 

 ぼそりとつぶやいたトワコさんの、ちょっと恨めしげな言い方に膝が震えた。

 思わず緩みそうになった口元を手で押さえた。



 なにこれ……可愛いっ。



 いつのもトワコさんと違う。

 すごく女の子っぽい、計算し尽くされた所作だ。

 なんというかあざとい。あざといけど可愛い。

 

「い、い、いやっ、そうじゃなくてっ」

 慌てて否定しようとした俺の唇に、トワコさんはぴとりと指をあてた。

「いいの……別にわたしは……新が幸せなら……」

 くるりと寂しげに背を見せる。

 肩越しに俺を見る。

 儚げな視線を寄こす。

「わたしのことは気にしないで、誰か他の人を見つけて? わたしは遠くから新の幸せを願ってるから……」



 かはあっ……。



 とてつもないいじましさに、吐血しそうになった。

 後ろにちょっとよろめいた。


「――っ」

 トワコさんが、はっとしたような表情になった。

「新! 大丈夫⁉」

 別にそれほどピンチだったわけではないが、ぐいと手を掴んで俺を引き戻してくれた。


「あ、ありがとう……」

 至近距離で、ほとんどくっつような体勢になった。

 頭一つ分背の低いトワコさんは、俺の顔を見上げ、不意に「あ」みたいな表情になった。

 例えるなら、台詞が飛んだ役者みたいな表情だった。


「ちょ……ちょっと待っててね……っ」

 トワコさんは慌てて俺から身を離すと、後ろを向いてしゃがみこんで、トートバッグの中を漁り出した。

 やがて目当てのメモ帳を見つけると、パラパラとめくり出した。

「えっと……こ、こういう時はどうするんだっけ……」

 ぶつぶつとつぶやきながらページを繰る。

「体と体が急に触れ合った時……えっと……顔を赤らめて口元を抑える……。もしくはいきなり睨みつけて頬を叩く……」

「トワコさん……?」

「どう使い分けるのかも書いておいてよっ。ああもう……っ、これだけじゃよくわかんないじゃない……っ。せっかくここまでいい感じだったのに……っ」

「……ね、ねえ、トワコさん?」

「ちぇ……仕方ないわね。絶好のタイミングを逃した感じだし……あ、これにしようかしら。えっと……ハンカチを落として拾ってもらう。受け渡す時に指と指が触れ合って『きゃっ』と顔を赤らめる。これね、これがいいわ」

「トワコさんってば」

 ぽんぽんと肩を叩くと、トワコさんはうるさげに肩を揺すった。

「なによ。ちょっと待っててよ新。いまいいのを探してるところなんだから」

「それさ、たぶん俺の目の前でやっちゃダメなやつじゃない?」

「………………え?」

 振り向いたトワコさんは、再び「あ」って顔になった。


 どこからか声が聞こえた。

 声のほうに目を向けると、ホームの柱の陰から女の子の一団がこちらを見ていた。

「しまった! バレた⁉ せっかくいい雰囲気だったのに! もうちょっとで完オチだったのに!」

「ぐぬぬぬぬ……! せっかくここまできておきながら……! ええい! 最後は白兵戦っす! こうなりゃガンガン切り込むっす! 敵はもう陥落寸前っすよ⁉」

 奏に桃華に小鳥に真理。

 クラスメイトたちが押し合いへし合いしながら、トワコさんを応援している。


「これはこれで熱い友情……なのかな……」

 ため息をつきながら、トワコさんの手を引いて立たせた。

「ちょっと旅に出ようか。トワコさん」

「え? うん? 新?」

 ちょうど目の前にあった下りの急行に乗り込んだ。

 唖然とする女の子らの目の前で、ドアが閉まった。




「もう……どうするのよ。こんなとこまで来ちゃって」

 急行の終点は海水浴場だった。盆を過ぎ、いまやクラゲの出る季節、純粋な海水浴客の姿はあまりない。

 温泉客や、BBQを目的とする若者たち、海辺を歩くことを目的とする恋人たちの姿が目立った。


「いいじゃないか。ちょっと歩こうよ。デートだよデート」

 ふたりして、強い日差しの中に歩み出た。

「で……デート……ッ?」

 慌ててメモ帳をめくろうとするトワコさん。

「これはもういいから」

 トワコさんの手から、俺はメモ帳を取り上げた。

「ダメよ! それがないとわたし……っ」

 ぴょんぴょん跳ねて必死に取り返そうとするトワコさんだが、

「こんなのないほうが、きみは魅力的だよ」

「――⁉」

 俺がそう言うと、心臓を打たれたように、彼女はたたらを踏んでよろめいた。


 無防備な彼女の手を引いて、俺は浜辺へと向かった。

 彼女は他にどうしようもなく、ただ俺のあとをついて来た。

 俺は熱くなった顔を見られないように、しばらく後ろを振り返らなかった。


「やー、熱いね。ビーサンでも買ってくればよかったかな」

 夏の浜辺は焦げ付くように熱を帯びて、素足になった俺たちを容赦なく責めた。

 トワコさんは靴を脱いで手に持って、やっぱり熱そうに足をぴょんぴょんさせている。


「ね、ねえ新。さ……さっきのってどういう……」

 海風に髪をなびかせながら、トワコさんは聞いてきた。

「わかんない?」

「わからなくはないけど……どうしたらいいかはわからないの」

 砂に反射する光の眩しさに、トワコさんは目をすがめた。

「俺にもわからないんだ」 

「……へ?」

 トワコさんはぽかんとした顔になった。

「俺にも正直、どうしていいかはわからないんだ。ベストな答えを探していろいろあがいてみたけど、それでもやっぱりわからなかった。……これもたぶん、そういうものなんだろう?」

 メモ帳を返すと、トワコさんはそれが何かのお守りみたいに胸に抱いた。 


「……うん」

 トワコさんは神妙な顔でうなずいた。

「みんなが心配してくれたの。みんなが親身になってくれたの。わたしの想いが成就するようにって。わたしの恋が実りますようにって……」

 決して暑さのせいではなく、トワコさんの頬が赤くなった。

「一緒になって考えてくれたの。こういう時はこうすればいい。こうするべき。こうすればイチコロ。新が好みそうなのを選んでくれたの」


「俺が?」

 トワコさんは語気を強めた。

「うん。だ、だって……わたしにはわかんないんだもんっ。いまの新は、あの時の新じゃないからっ。子供の頃の、学生の頃の、無邪気でまっすぐわたしだけを見ててくれた新じゃないから……っ」


「そんなに変わったかな……俺?」

 たしかに昔より背は伸びて、声も太くなった。出来ることは増えたし、行けるところもやれることも増えた。

 でも果たして、俺はそんなに変わったのだろうか。他から見てそれとわかるほどに、俺は変われたのだろうか。


「……変わったわよ」

 トワコさんはぽつりとつぶやいた。

「新は変わったわ。マリーさんと真理の仲を取り持って。奏と桃華を落ち着かせて。霧ちゃんを成仏させてあげて。世羅の居場所を作ってあげて。HBMと一緒に戦って。孝を泣かずに見送って。ミカグラ様の新たな相を作って。ギィの前からも逃げないで。わたしを……守ってくれて――」

 トワコさんはメモ帳を指し示した。

「嬉しいけど不安なの。好きだけどどうしていいかわからないの。だから教えて? この中から選んで? あなたの好きな女の子を。わたしはそれになるから。あなたに好かれるような女の子になるから。もう一度、わたしを創って? あの時みたいに。かつてあなたがそうしたように――」


「……っ」

 しばらく口が利けなかった。

 自分の創り出した女の子の重篤な病に気が遠くなった。


 一瞬どうしていいかわからなくなった。

 一瞬くじけて泣きそうになった。


「……っ?」


 ――誰かが俺を呼んでいた。

 心臓を内側から、どんどん強く叩いてた。

 俺は目を閉じた。

 誰かの声に耳を澄ませた。


 紅子がアホくさそうに肩を竦めていた。

 小鳥とペーパートワコさんが、俺とトワコさんの絡み合う何かを描いてた。

 真理がマリーさんと一緒の衣装ではにかんでいた。

 孝の肩に奏が手を置き、姉弟のように声援をおくっていた。桃華はうらめしそうにそれを見ていた。

 服部老人が優しげな目でこちらを見ていた。

 世羅と霧が、ふたり仲良く手を振っていた。

 真田兄弟がギャアギャアと騒いでた。

 HBMがレスラー勢揃いでポージングしていた。

 ヒゲさんと古屋先生が、まるでカップルみたいに手を繋いでいた。

 黒子とギィは、関係ねえって顔をしてた。

 タツとトラがファイティングポーズをしてた。

 鈴ちゃんを抱っこしたミカグラ様がニコニコと歌を歌い、鈴ちゃんがそれに唱和し、ヴィクトールさんがアコーディオンを弾いていた。

 勝が配達のバイクに乗って、ビールのケースを運んできた。


 パーティが始まった。

 平和な光景だった。

 誰もがみんな、幸せそうな顔をしていた。

 歌を歌い、踊りを踊った。料理を口にし、酒を酌み交わした。

 真田兄が急に倒れた。大鍋からすくったポトフ……雛のあれか……。

 だけどギャグマンガみたいにすぐに復活した。

 みんながそれを見て笑った。

 面識のある者もそうでない者も、一様に笑ってた。


 パーティの輪の中から、世羅がひとり出て来た。

 左足を前に、右足を後ろに構えた。顎の高さまで拳を上げた。


 ――ボックス!


 次に出て来たのは雛だ。

 あの春の夜と同じドレスワンピースを着ていた。

 片手に真鍮製のゴングを持ち、片手に木槌を握っていた。

 口元にはなぜか白いつけヒゲ。ふもふもと何かのキャラクターみたいに喋ってた。

 目をキラーンと輝かせると、音高くゴングを鳴らした。


 いつの間にか、ふたりの周りに全員が集まっていた。

 口笛を鳴らす、足を踏み鳴らす――叫ぶ。

 思い思いの方法で、俺の背中を押してくれた。


 新、頑張れよって。

 絶対逃げんじゃねーぞって。


 ――その間、実に0.5秒。

 ――最初から最後まで、俺の妄想劇場。


「はは……」

 こんな時に何をしてんだ、俺は。

 バカバカしくて、思わず笑ってしまった。

「……新?」

 トワコさんが不思議そうな顔をした。

 束の間トリップしていた俺を、心配そうに見上げてた。


 あいつらは大事なことを教えてくれた。

 戦うこと。

 逃げないこと。

 俺が変わったというなら、それはたぶんみんなのおかげだ。


 ふらつきかけていた足を踏ん張った。

 ぎり、と奥歯を噛み締めた。

 ひたむきなトワコさんの目を見据え、俺は言葉を紡いだ。

「きみはそのままでいい。そのままのきみでいい。そのままのきみが好きだ。そのまま変わるなってことじゃない。過去のきみも、現在のきみも、未来のきみも、全部好きだ。この気持ちは揺らがない。変わらない。だからきみはきみとして生きていけばいい」

「……っ」

 トワコさんは目を大きく見開き絶句した。

「きみはまだ子供なんだ。すべてが白紙の女の子なんだ。それが悪いってことじゃない。同年代の子はだいたいそうだ。自分の進路に悩み、将来に悩み、過去や現在の人間関係に縛られてる。特別なことじゃない。みんなけっこうそんなもんだ。なるべき自分を想定できてる子なんて滅多にいない」


「……わからないのが普通ってこと?」

 半信半疑、といったようにトワコさんは聞いてきた。

「そうさ。きみは普通の女の子なんだ。普通の女の子と同じく悩み、苦しみながら成長していくんだ。もう絵日記なんて必要ない。メモ帳だっていらない。きみを規定するものはすべて失われた」


 トワコさんは真っ青になった。

「……もうわたしなんていらないってこと?」

「そ――」

 そっちのほうにいっちゃったか。

「そうじゃない! そうじゃないよ!」

 俺はちょっと声を荒げた。


「きみがいないと俺が困る! きみがいないと俺が悲しむ! さっきも言ったろ⁉ 俺はきみが好きなんだ! きみにずっと傍にいて欲しいんだ! きみがいない間、俺が何を考えてたと思う⁉ きみが戻った時の将来設計だ! きみが卒業するのを待って結婚! 進学や就職したいならそっちを優先! でもって結婚! 新居を構え! 子供をもうけ! 末永く幸せに暮らす!」 

「……っ」

「根暗だろ⁉ ほんっとに気持ち悪いだろ⁉ でもそれが正直なとこなんだ! 絵日記を失って! 家族も記憶も失って! 最後に残ったのがきみなんだ! きみへの想いだけなんだ! トワコさん……いや、三条永遠子さんじょうとわこさん!」

 ガシリ、永遠子さんの手を掴んだ。

「は、はいぃっ⁉」

 突然のことに、永遠子さんは声を上擦らせた。

「好きだ!」

「……⁉」

「絶対に後悔はさせない! 絶対に幸せにする! 食べきれない食べ物に困ってる時は俺が全部食べてやる! 拭えない涙に困ってる時は俺が全部拭ってやる! きみがピンチの時には俺が必ず駆けつける! すべての設定を補完する! きみのためにすべてを捧げる! この体も、魂も! 望むなら命だってくれてやる! だから永遠子さん! 俺と……これから先もずっと……」



「ずっと、一緒にいてください!」



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