「トワコさんは、最後にこの町に帰って来る」
~~~新堂新~~~
銀髪のオールバックの男性。歳の頃なら60、70歳くらいか。
日本人じゃなかった。無数の皺を顔に刻んだ、白い肌の西洋人。
黒いスーツに黒いネクタイ。誰かの葬儀にでも出席するような格好をしていた。
その世代の人間にしては、どこか剣呑な雰囲気があった。触れれば切り裂かれそうな、武術家や傭兵のようなたたずまいがある。
「マジかよ……」
他人のそら似などではない。
絶対に本人だった。
最寄り駅のホーム。ターミナル駅への乗り換え電車を待つ人々の中にギィがいた。
IF殺しの葬儀屋が電車待ちをしてる姿なんて、これはもう悪い冗談としか思えない。
目まいがした。本気で自分の頭を疑った。
「……よ、よう」
おそるおそる話かけた。
「……小僧か」
ギィはチラリとこちらに一瞥をくれた。
本物だよおい……。
内心の動揺をなんとか押し殺した。
「もう傷のほうはいいのかよ? 歩いても平気なのか?」
合宿の夜にトワコさんと激突して打ち負かされたギィは、「容赦を知らない」彼女の手によって、本気で「生きているのが不思議」なくらいにまで傷めつけられた。
「……あんなもの、傷のうちにも入らん」
さすがの復元力、と言いたいところだが、まだ軽く足を引き摺っているのを俺は見逃さなかった。
「ふっふっふっ……。なるほどね、もうぴんぴんしてるのか。そいつぁーよかった」
煽り笑いをすると、ギィはあからさまに不機嫌になった。
「で、あんたはどこ行くんだよ? たったひとりでお供も連れず。引き摺るほどの足の怪我を治療しに、のんびり湯治にでも行くつもりか?」
「……八つ裂きにしてくれようか。小僧」
ギン、と凄まじい目つきでにらみつけてくるギィ。
俺はおどけて飛びのいた。
「おお、怖い怖い。……ま、あんたはそうじゃねえと張り合いがねえや」
ギィは舌打ちすると、忌々しげに口を開いた。
「……東京へ行く」
「東京?」
意外な返答に驚く。
「何しに? まさか観光ってんでもあるまいし。あれか? 葬儀屋の本部とかがあんのか?」
ギィは大きく息を吐いた。
「……あの娘。……鈴の身を守れと命ぜられた」
「……はあ?」
流しの大会の優勝者には、東京の本大会への出場権が与えられるんだったか。だから鈴ちゃんは今東京へ向かっているはずで……まあそれはいいんだけど……。
「鈴ちゃんを守る? どういうことだよ。なんであんたが……あんたは鈴ちゃんの母親を滅ぼそうとしてた側じゃんか」
どこをどう捻ったらそういう発想が出てくる?
「……母親は新たな相を得た。もう滅ぼす必要はない」
「知ってるよ。でもそれがどうして守ることに繋がる。そもそも何から守るってんだよ」
「……葬儀屋には、守護者としての役割もある。あの娘は、IFと人の間に産まれた子だ。希少価値があり、つけ狙う者も多い」
「なんだよそれ……」
ギィは皮肉に口元を歪めた。
「……誰かが言っていた。IFの子は奇跡のような存在なのだと。何を大げさなとは思うが、実際に希少ではある。普通の人間の子とは明らかに違う。その存在の特異性に興味を持つ者は多い」
「だから狙われるって? それをあんたが……」
ギィは再び、大きく息を吐いた。
「……本来なら下人どもの役回りよ。だが今回のことで、私は恥を受けた。主上はそれを看過しなかった。それだけの話だ」
つまり、罰を与えられたってことか。攻め手から守り手に配置換えされたと。
「……」
そうか……IFの子供は狙われるのか……。
重い事実が腹に響いた。
鈴ちゃんの天真爛漫な笑顔が脳裏で歪んだ。
だけどギィがいるなら安心だとも思えた。
敵にすれば厄介この上ない男だが、味方として見るなら、これほど頼りになる男もいない。
ギィの双眸に、冷え冷えとした光が宿った。
「……勘違いするなよ? 小僧。貴様らとの決着は、まだついたわけではない」
「うええ……まぁだやる気なのかよ。この人……」
「……当たり前だ。次は、娘の守護の任を後進に受け渡した後となるがな」
「それ、何年先の話なの……」
寿命がないやつとの次の約束とか、本気でぞっとするわ。
「……主上の定めることだ。私にはわからん」
「とりあえず、俺が生きてるうちにしてくれよ?」
鈴ちゃんが人生終えてからだったりしたら、さすがに生きてる自信がない。
ギィは、答える代りに鼻を鳴らした。
改めて気が付いたように周囲を見渡した。
「……今日は、あの娘はいないのか」
俺は肩を竦めた。
「……待ってるんだよ。愛しのあのコが旅から帰って来るのをさ」
「……旅?」
ギィは首を傾げる。
「可愛い子供には旅をさせよって言うだろ?」
ここから電車で一時間半ほどの距離にある真理の家。旅というには近すぎる気もするけれど。
──でもきっと、彼女にとっては長い距離だったに違いない。
──でもきっと、彼女にとっては長い時間だったに違いない。
IFだから、俺の設定以外の世界を知らない。
IFだから、俺が見せた以外の未来を知らない。
枷を外されたら、どうしていいかわからない。
ちょっとのことだって不安になる。
答え探しに迷ってうろついたこの数日を、彼女はどうやって過ごしていたのか。
想像するだけで痩せる思いだ。
──それはたぶん、お互いに。
「……ようやく今日、帰って来るんだ。だから俺は、彼女を待ってるんだ」
「……」
ギィは、おまえの言うことはよくわからぬというように首を傾げた後、ちょうど来た上り電車に乗り込んだ。
「じゃあな。ギィ」
背中に声をかけたが、ギィはこちらを振り向かなかった。
もうおまえと語ることはないとでもいうかのように。
次に会うときは決着をつける時だとでもいうかのように。
「……なあ、ギィ。もしさ――」
それは唐突な思いつきだった。
なんの打算も駆け引きもない、純粋な一言だった。
「……俺とトワコさんとの間に子供が出来たとしたらさ。んで、誰かに狙われるようなことがあったらさ。──そん時は……あんたが守ってくれるかな?」
「……っ」
ギィの肩がぴくりと震えた。
――は……っ。
最初、それが何かわからなかった。
――は……っ、は……っ。
ギィの肩が小刻みに震えていた。
――は……っ、は……っ、は……っ。
口元から、間延びした呼吸音のようなものが漏れている。
それが連続している。
しばらくしてから、笑ってるんだと気がついた。
「……あの娘に助けなど必要あるまい。なんとなれば、私をも退けた娘だ。だがまあ……」
背中越しに短く告げた。
「……主上の命とあらば」
同時に、電車のドアが閉まった。
遠ざかる電車を見送った。
手を振ったりはしなかった。別れを惜しんだりもしなかった。
唐突に出会って、唐突に別れる。
俺たちの関係ってのは、きっとこれからもそんなもんだ。
そんなもんなんだけど──
「……相変わらず、下手な笑い方だよ」
今日はちょっと、愉快な別れ方ができた。
鈴ちゃんのことを考えた。あの年齢にしては出来過ぎた女の子。IFと人の機微を知る女の子。あのコと一緒なら、あるいはギィも、いずれ自然に笑える日が来るのだろうか。
そんな、楽しいことを夢想した。
夢想しながら待っていた。
あの日記の最後のページのように。
トワコさんが、俺の住む町へ帰って来るのを。




