「あの日から、彼女は待ち続けている」
~~~新堂新~~~
意識の戻ったマリーさんを、トワコさんがおぶって運んだ。
黒子の足はなんとかくっつきはしたものの、とても歩ける状態ではなかったので、俺が肩を貸して別荘まで運んだ。
先に流しの大会会場から戻って来ていた面子は死屍累々というか、そこかしこで死んだように眠りこけていた。
無理もない。
1日目は夜中まで遊び倒していたし、2日目はミカグラ様のグッズ作りや急な企画の実行のために、みんな朝から走り回ってくれたのだから。
行き倒れるような格好で寝てる姿が散見されるのもむべなるかな。
奏は廊下で座り込むようにして。
真田兄弟は積み上げた座布団の山にふたり揃って背をもたせて。
小鳥は畳の上を匍匐前進するような格好で。
真理は小鳥を抱き起こそうとして力尽きたような格好で。
勝とトラは畳の上で大の字。酒の膳が目の前にあるところを見ると、ふたりで酒でも酌み交わしていたのだろうか。
マリーさんと黒子の面倒をトワコさんに任せると、俺は屋上へ目指して廊下を歩いた。
途中、うろうろしているタツに出くわした。
「お、おう……兄ちゃんか……」
ぽりぽり頭をかいて照れたような表情なのは、色々とみんなに迷惑かけたからか。
「今日は……いろいろあんがとな。その……オレ、マツリとよりを戻すことになった。鈴も認知して、明日は3人でお袋んとこに挨拶しに行こうと思ってんだ……」
「そりゃあ、お母さんも喜ぶでしょう」
「よせやい……そんなの……。なんだ……わかってらぁ……」
タツは急に膝から力が抜けたようにしゃがみこんだ。
「そりゃあおめえ……」
子供がそうするように膝を抱えた。
「そうだろうよ。親なんだから……」
それきり二の句が継げなくなったように、タツは黙り込んだ。
携帯を握る手が微かに震えている。
「あの……まだ連絡を……?」
もしかしてと思って聞いてみると、タツは泣きそうな顔で俺を見た。
「だっておめえ……なんて言うんだよ……。何年間も音沙汰なしでぶらついてたバカ息子がいきなり電話してきてよう……。そんでおめえ、妻と子供までいるだなんてよう……」
「そのまま言えばいいじゃないですか」
「簡単に言うんじゃねえよっ」
タツは狼狽したように声を荒げた。
「そんなことしたらおめえ、だって……」
しばらく逡巡してから、タツはさも恐ろしいことを告げでもするかのように、ぽつりと口を開いた。
「……泣いちまうじゃねえか」
「泣くでしょうね」
「だから簡単に言うんじゃねえよっ」
再びタツは声を荒げる。
「簡単じゃ……ないですよ」
何かがちくりと胸を刺す。
「あ?」
「俺も同じですから――」
ふうっと軽く息を吐く。
ずうっと昔のことを思い出す。
「……俺、けっこう放蕩歴が長いんですよ。18の時からだから、もう6年になるかな。タツさんにはかなわないですけど、まあ……かなり長い間留守にしてた」
「……おめえも?」
「ええ」
「そんな風には見えねえがなあ……」
タツは立ち上がると、顎を撫でながらしげしげと俺を見た。
「……取り繕うのが上手いんです。世間体とか社会的立場とかの鎧を着て誤魔化してた。まっとうな、普通の人間に見えるように。でも実際はそうじゃなかった。俺はまだ、あの日のままで……」
「……難しい言い方されてもオレにゃわかんねえよ。だがまあ……なんだ? ようはおめえもオレと同じバカ野郎ってことか?」
大雑把にまとめられ、思わず頬が緩んだ。
「ええ、大バカです」
「そうか。じゃあしかたねえ」
タツは破顔した。
「バカ野郎同士、下手な小細工してもしかたねえ。まっすぐバチンとぶち当たるだけだ」
「そうですね」
「……」
「……」
「行くか」
「はい、行きましょう」
「兄ちゃんも頑張れよ」
「タツさんも、お互いに」
拳を打ち合わせ、俺たちは別れた。
「世羅。起きてたのか」
廊下のどんつきに、世羅はいた。
「……シン兄ぃか」
疲れ切った顔だった。今にも眠ってしまいそうなのを、無理やり気力で支えているみたいな顔だった。
「おまえも、眠いんだったら寝ちゃえよ? いくら若いからったって、限界があるだろう」
ある意味、今回の騒動で一番疲労しているのは世羅のはずだ。合宿を計画し、ミカグラ様の謎に迫り、タツの心を動かした。みんなを衝き動かし走らせる原動力にもなった。
「おまえは頑張ったよ。だからもう寝ろ……」
肩を叩こうとした俺の手を、世羅は躱した。
「まだだよ。まだもうひとつ、役目が残ってる」
自ら光を放つような強い目で、俺を見た。
「役目?」
「妹として、バカ兄貴の背中を叩く役目――」
「……っ」
思わず息を呑んだ。
霧。俺の妹。俺のことが大好きで、いつも俺のことばかり見てて、考えてて、そして死んじまった妹。
世羅は霧の親友だった。いつも傍にいて、いつも同じものを見てた。
その目には、いつだって情けない俺の姿が映っていたに違いない。
「霧ちゃんがもし生きていたら、きっと同じことをしてたと思う。泣いてわめいて暴れて……でも、最後には送り出したと思う。迷ってるようだったらどやしつけたと思う。ね、シン兄ぃ。後ろ向いて」
言われた通りにすると、背後で世羅が思い切り息を吸い込む音が聞こえた。
「魔法の言葉を、教えてあげる――」
直後、背中にもみじ型の衝撃が走った。
「……うるさいのよあんたら。こんな夜更けにギャアギャアと」
襖の開いた部屋の前を通りがかると、中から紅子が声をかけてきた。
「紅子か。おまえもまだ起きてたのか」
まだ痛む背中をさすりながら立ち止まった。
「これぐらいの修羅場には慣れてるもんでね」
事もなげに答える。
漫画の原稿用紙に向かって、紅子は一心不乱にペンを走らせていた。何ペンというのかは知らない。とにかく先の尖ったやつだ。
いつもだったらわちゃわちゃうるさいペーパートワコさんズは、和卓の上や下や部屋のほうぼうで、力尽きたように眠りこけている。
「……IFよりバイタリティあるとか何もんなんだよおまえは」
尊崇の念すら抱いて呻くと、紅子はペンを止めずに、
「創造主が創造物に負けてどうすんのよ」
簡単に言った。
「……いや負けるだろ。普通に考えて」
たとえば俺がトワコさんに勝てる絵面なんて、まったく想像できない。
「ふん」
紅子は鼻で笑った。
「相変わらず弱いやつね。扇風機の微風だってあんたよりゃ強いわよ」
「おまえは相変わらず手厳しいね。コメントに容赦がねえよ」
「なぁに、お優しくしてほしい? 新くん新くん、いい子でちゅね~って頭撫でてほしい?」
「冗談。紅子にそんなことされたら、逆に怖くてびびっちまうよ」
「……だぁーれが怖いってー?」
紅子はペンを止め、俺を睨みつけてきた。
分厚いメガネのレンズの奥から、昔と変わらぬ鋭い眼光を向けてきた。
そのまましばし見つめ合い――すっ……と、紅子は微かに目を細めた。
「……覚悟、決まったみたいね」
「おう。決まった」
間髪入れず、俺は答えた。
「……へえ」
意外そうに紅子は眉を開いた。
「あんたみたいなもんでもそれなりに成長はすんのね。高校の時からずっと変わらないと思ってたけど……。そうね、いまなら弱風くらいはあるかもね」
「それでも弱風かよ」
口では言いながら、内心じぃんときてた。大いに照れてた。
なにせ紅子に褒められるなんて、知り合ってから初めてのことだ。俺たちの関係はいつだって、弱さ甘さをバカにされ、罵られるのがデフォだった。
「……紅子。俺さ……おまえには感謝してるんだ」
「……はあ?」
何言ってんだこいつって顔されたけど、構わず続けた。
「いつも叱ってくれてありがとな。俺は自分に甘いから、おまえみたいな遠慮のない評価を下してくれるやつがいるとピリッとできるんだ。頑張ろうって思えるんだ。強くなんなきゃ、しっかりしなきゃってさ」
「……っ」
紅子は一瞬息を呑み、盛んに目をしばたたいたあと――
「……知らねえよ」
ふいと顔を背けた。
「あんたがどう思おうが知らねえよ。どんな風に感謝されようが、あたしは何とも思わねえよ。勝手にしろって言うだけさ。――ほら、新」
わずかに顔を赤らめ、早口で告げた。
「こんなとこで油売ってる暇ないだろ。とっとと行きな。あいつが待ってる――」
「……ああ、わかってる」
そうさ、わかってた。
高校3年、林間学校の終わり。
霧を失った日。
家族を失った日。
辛い現実、ぬくもり、しがらみ。
すべてを投げ打って逃げた日。
あの日から、彼女はまだ――俺のことを待ち続けているんだ。




