「インビジブル・ブロウ」
~~~ギィ~~~
いわく、受けた刀ごと頭を割る。
いわく、馬の胴体ごと斬り下げる。
数多ある自顕流の伝説はこう語る。初太刀を躱せと。
二の太刀を考えぬ特攻剣術だから、初太刀さえ躱せばなんとかなると。
言うだけなら簡単だが、その実至難の業だ。
修練を重ねた自顕流剣士が全生命力を乗せた渾身の一撃。
ただただ積み上げ、練り上げられたものの持つ凄み。
猿叫と呼ばれる、人心を圧する発声。
加えて、その速さだ。
一呼吸を八つに分かち、さらに十に分かつこと四度。
八万分の一にまで圧縮された瞬間を、雲耀と呼ぶ。
雲耀の間に斬ること。それが自顕流の根本理念だ。
来るとわかっていても躱せるものではない。
目が像を捉え得たとしても、理解するのが間に合わない。
それほどの速さだ。
黒髪の小娘との格付けはすでに済んだ。
彼奴がどれだけの復元力を持ったとしても、切り離した腕や足が即座に接着するとしても、頭から斬り下げればそれで終わり。
一度竦んだ者が勝てるほどに、私の技は甘くない。
「……」
どちらかといえば問題は、羽根の生えた小娘のほうだろう。
私を除けば、7人の中でも2番手の強者だったメイシェン。
槍使いの円海とですら、よく打ち合える女だった。若くして達人の域に達していた。
無手で武器と打ち合う、それ自体が馬鹿げたことだ。愚か者の所業だ。だがメイシェンはそれを成し得た。
いかなる武技の中にも、上空に位置する者に攻撃する手段は存在しない。
想定していないのだ。
人は空を飛べぬものだから、考えることすらしなかった。
――メイシェンの敗北は、おそらくそこに起因する。
羽根の生えた小娘の行方を探ったが、黒髪の小娘の復元の煙に紛れていて、姿が見えない。
どこかに隠れてこちらの隙を窺っている。
そう考えた。
トンボに構えたまま、じっと気配を探った。
新堂新の向こう側。白く煙った空気の向こう。
――ドン。
何かが跳び上がった。
爆発的な勢いで、宙高く舞い上がった。
目で追った。
赤いマフラーが風にたなびくのが見えた。一瞬黒髪の小娘かと思ったが違った。羽根の生えたほうが、高く高く空へと飛んだ。
「……偽装⁉」
――ダン。
何かが強く地を蹴った。
それは新堂新の股下からやって来た。
柔軟な体を利した動きだ。地面とほぼ平行になるくらいに身を低くして、黒髪の小娘がくぐり抜けて来た。
「……小細工を弄するか!」
トンボに神経を集中していた私の胴の中心に、不意にそれは迫った。
円海の槍の石突きが、黒髪の小娘の手から矢のように放たれた。
「……!」
払いのければ済む話だが、小娘の動きの速さを考えると、次のトンボを構え直す暇がない。
横へ足を捌き、わずかに体をずらした。
石突きが脇を掠めた。
直撃はしなかった。
出血はあるが、騒ぐほどのものではない。
「……⁉」
小娘がおかしな動きを見せた。
体操競技者のするような動きだ。
2転、3転……倒立前方回転を繰り返した。
間合いぎりぎりのところで、強く強く地面を蹴った。
――上から来るつもりか!
小娘とて武芸者の端くれには違いない。ならばこそ、互いの弱点を知っている。
私は意識を上方に向け、足さばきを意識した。
避けざま、斬って落とす――。
だが小娘は上には跳ばなかった。
超低空で前方に回転した。
そのまま間合いの内に跳びこんで来た。
跳びこまれた。
にやり……、小娘の口元に笑みが浮かんでいる。
――すべてこのための仕掛けだと……⁉
――間合いに入ることさえ出来れば、互いの攻撃の届く範囲なら勝てると……⁉
――貴様ごときが……この私に……!
頭に血が上った。
全身がかっと熱くなった。
――殺す。
持てる全力を刀にこめた。
私は高く叫んだ。
「――ジィェアアアアアアアアアアアアアアア!」
~~~トワコさん~~~
敵からは遠く、自分からは近く。
敵より先に、自分だけが当てて勝つ。
それが間合いの根本理念だ。
刀より槍が強いのも、素手より刀が強いのも同じ理屈だ。
わたしがギィに勝つためには、是が非でも拳の届く位置まで踏み込まなければならなかった。
だけどそれにはいくつもの難関があった。
まず相手の方が間合いが広いこと。攻撃の速度が速いこと。
まっすぐ突撃すれば、踏み込んだ瞬間頭から斬り下げられる。
懸りの威力を考えれば、当然受けることも出来ない。
だから五つ。
わたしは五つ罠を仕掛けた。徹底して揺さぶりをかけた。
桃華を飛ばせて視界を上に誘導した。
新の股下をくぐって視界を下方に引きつけた。
石突きの投擲で体を動かした。
アクロバットによる踏み込みで拍子をずらした。
表情筋の動きにより視線を誘導した。
多重に策を弄して隙を作った。
一歩を踏み込める間を生み出した。
刹那の時間を稼ぎ出した。
そのおかげで、わたしは今こうして生きている。
間合いの内に身を置くことができている。
アクロバットで踏み込んだ直後。ギィの猿叫よりも前に、わたしは突きの動作に入っていた。
拳の形は正拳ではなく縦拳。
――軌道は水月の位置から打点に向かってまっすぐ。決して力まず、捻じりを加えない。
膝を抜き、足の裏全体で持ち上げるように体を前に送り出す。
――足首のバネを使わないので上下動しづらく、左右に振幅しない。
体の後ろの筋肉を意識する。
――後ろ足、背中、腰等、相手には見えない位置の力を推進力に変える。
小さなモーション、ぶれない歩法、悟られづらい力点。
故にその技は起こりが見えない。
それと知った時には当たっている。
見えない一撃として海外でも恐れられているこの拳は、人の思考の隙をつく。
感覚や、心理や反射の関係から錯視を生み出す。
だから躱せない。見切れない。
全格闘技中最速の一撃は、ボクシングのジャブでもジークンドーのリードストレートでもない。古流の砕――。
ギィの刀。
わたしの右拳。
ふたつの軌道が交錯した。
――グシャリ。
わたしの拳が、柄を持つギィの拳を打ち砕いた。
新とふたりで練り上げた技が、ギィの技を打ち砕いた。
「……ぐ……がっ!」
ギィの口から、苦しげな呻きが漏れた。
――六つ目の罠。
――わたしの狙いは胴でも顔面でもない。最も近い位置にある拳そのものにあった。
間を置かず踏み込み、左のバラ打ち(指甲を当てる打ち方)を当てて目つぶしとした。
同時に右の手でギィの手首を捻って刀を落とした。
「……ねえ、知ってる? ギィ」
右下方に引き込むようにぶん投げた。頭から地面に落とした。
体勢を立て直す暇など与えない。即座に顔面を踏みつけた。
柔らかい何かが、足の裏で潰れた。
ぐり……と踏みにじりながら伝える。もう聞こえてはいないかもしれないけれど。
「古流の当て身はね。一撃必殺というよりは、主に逆技や投げ技へと『派生させる』ためのものなのよ。だからなんというか、あなたには申し訳ないことなのだけれど、本番はここから。かてて加えて、もうひとつの大事なこと――」
わたしはにやりと笑い、その言葉をつぶやいた。
「――トワコさんは容赦を知らない」




