「愛を叫ぶ」
~~~新堂新~~~
流しの大会は、鈴ちゃんの圧勝だった。
地元の有力候補が何人かいたが、お話にならなかった。
ヴィクトールさんのアコーディオンに後押しされた、鈴ちゃんのイノセントな歌声。
親を思う子供の歌。子供を思う親の歌。
IFの子である鈴ちゃんには、ぴったりの歌だった。
有力候補も司会者も、最後には一緒になって泣いていた。
会場中が、涙に満たされた。
優勝が確定し、万雷の拍手の中、表彰台に登って表彰された。
その直後にかっさらった。
みんなが驚愕する中、有無を言わさなかった。
「え? え? え?」
驚いて言葉も継げない鈴ちゃんを、一言で黙らせた。
「あとは任せろ。俺が、お父ちゃんに会わせてやる」
「――!」
鈴ちゃんは息を呑んだ。
聡い子だ。その一言ですべてを察したみたいだった。
「……あい! お父ちゃんのところに連れてってください!」
ふたり、軽トラックに跳び乗った。
「新くん! あとは任せて!」
会場に残った雛が手を振ってくる。
小鳥が、真理が、奏が、真田兄弟が、やつれた顔で手を振っている。
「新! 負けんじゃねえぞ!」
紅子が、ペーパートワコさんが、手をメガホンのようにして叫んでる。
「任せろ!」
俺は拳をぐっと突き出した。
みんな頑張ってくれた。朝からずっと、休憩なしで全力を尽くしてくれた。
鈴ちゃんのために。茉莉さんのために。
今度は俺の番だ。
「シン兄ぃ!」
坂道の途中で世羅を拾った。
「あいつら……全然早いよ! くそ……どっちもロートルのくせに!」
悔しそうにしながらも、世羅はどこか嬉しそうだった。
「飛ばせ! シン兄ぃ!」
「おうともよ!」
鈴ちゃんを挟んで3人、別荘を目指した。
タイヤを軋ませながら、九十九折れを駆け上った。
「ちょ……シン兄ぃ! 擦れてる擦れてる! ガードレールから火花出てるよ!」
「鈴ちゃん! しっかり掴まってろよ⁉」
「きゃー⁉」
3人、騒ぎに騒いだ。
玄関前で、ふたりに追い付いた。
タツとトラ。汗だくだった。全身で息をしてた。
「――お父ちゃん! 来てくれたんだね⁉」
鈴ちゃんがタツに飛びつく。
「……!」
タツは動揺しながらも受け入れた。ぎこちなく抱擁した。小さな小さな生命を抱きしめた。
「す……ず……?」
とぎれとぎれに名を呼ぶタツの目を、もう逃がさないとでもいうように、鈴ちゃんはまっすぐ見つめ返した。
「お母ちゃんに会おう!」
「……お……あ……」
「お母ちゃんもお父ちゃんに会いたがってる!」
「お……おう……」
「ボックス!」
世羅が鬼の形相でタツの尻を蹴飛ばした。
見てるほうが縮み上がるような一撃だった。
怒るかと思ったタツはしかし、逆に気合が入ったようだった。
鈴ちゃんを背負い、別荘の中に突入した。
行き先は鈴ちゃんが教えた。
右、左、また右、そこをまっすぐ、突き当り――。
親子だからか、ふたりの息はぴったり合っていた。
奥の間。家政婦の控室。茉莉さんはそこにいるはずだった。
今や生きている人間とは思えぬミイラのような姿で。
タツが心底惚れぬいていた頃とは、おそらく全然異なる姿で。
「お母ちゃん!」
タツの背から降りた鈴ちゃんが、ドアにとりついた。
普段はかかっていない鍵がかかっていることに、鈴ちゃんは驚いていた。
「あれ……? ――お母ちゃん⁉ 鈴だよ! お父ちゃんを連れて来たよ! ここ、開けて⁉」
「だ……め……」
しわがれた老婆のような声が聞こえて来た。
「なんでダメなの⁉」
「こんな姿……見せられない……。もう……嫌われたくない……」
「――マツリ!」
今度はタツだった。
拳を握り締め、大声を出した。
「オレだ! 頼む! 開けてくれ!」
「……アン……タ?」
「そうだ! オレだ! 遅く……なった!」
「ア……ア……」
一瞬喜びに彩られた茉莉さんの――いや、マツリさんの声は、だがしかし、すぐに暗いものになった。
「………………でも……ダメ」
「……ダメ?」
「ワタシは……アンタに会えない……。もう……褒めてもらえない。体も、声も……醜いから……。アンタに好いてもらえない……。でも……いいんだ。また……こうしてアンタの声……聞けたから……。昔……みたいに……」
「……っ」
「このままで……いい。アンタの中でだけは……ワタシは……!」
タツは何かに耐えるように、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
深く深く息を吸い込んだ。叫んだ。
「――悪かった! オレが悪かった! おまえを捨てた! 怖くて! びびって、逃げちまった! この世の半端者同士、一生添い遂げようって思ってたのに!」
「……」
「もう一度おまえに会えたら言いたいことがあったんだ! たくさんあったんだ! オレが悪かったって! 許してくれって! もう一度やり直してくれって! オレがバカだったって!」
「お父ちゃん……」
鈴ちゃんがタツのズボンをぎゅっと掴む。
「……子供……出来てたんだな。鈴ってのはあれだよな。もし子供が出来たらそうつけようって決めてた名前だったな。女だったら鈴。男だったら鈴って」
タツは鈴ちゃんの頭を撫でた。ごしごしと不器用なしぐさで。
「……苦労かけたな。ほんと、おまえには……」
ぶわり、タツの目に涙があふれた。
「あんなに……不器用だったのに……」
タツは涙を拭わなかった。
まっすぐにドアを見つめた。
その向こうにいるであろうマツリさんを見つめた。
「――頼む、マツリ! オレに顔を見せてくれ! 直に声を聞かせてくれ! オレはもう逃げない! すべてっ、全部っ、受け入れる! 死ねっていうなら死んでやる! 腹を切れってんなら切ってやる! ――なあマツリ! オレは……っ、今でもおまえのことが……!」
「アンタァ……」
ボトリ。
何かが落ちる音が聞こえた。
「…………!」
背筋が凍った。
その音に聞き覚えがあった。
孝が死んだ時の音。存在することの重さに耐えきれず、手首から先が落ちた時の音。
「時間がない!」
俺はタツを押しのけるようにしてドアを叩いた。
「ここを開けるんだ! 開けてくれないなら構わない、ぶち破るんだ! 彼女にはもう……時間がない!」
俺の意図をくみ取ったタツとトラは、どちらからともなくうなずき合った。
「行くぞトラ!」
「おうタツ!」
ふたり同時に突っ込んだ。肩から先に、全力で体をぶち当てた。
一発では壊れなかった。
何度も何度も体当たりを続けた。蹴り飛ばした。殴り飛ばした。
「マツリ! 頼む! 生きろ! 生きててくれ! ――マツリ!」
「お母ちゃん! お母ちゃん!」
「マツリさん!」
「おまえがなんだってかまわねえ! IFだって! ミイラだってかまわねえ! 頬ずりしてやる! キスしてやる! 死ぬまで一緒にいてやる!」
少しずつ、蝶番が緩み始めた。ドアの結合部が軋み始めた。
1ミリ、2ミリ……わずかに綻び、それはやがて大きく傾いた。
「――愛してるんだ!」
特大の大声で、喉を引き裂くようにタツは叫んだ。
叫びながら、全員、ひと塊になってドアに体当たりした。
雪崩れ込むように倒れ込んだ。
ドアの内側へ。
控室の中へ。
「マツリ……! どこだマツリ! ――なんだこりゃ⁉ ちくしょう!」
「……お母ちゃん⁉ お母ちゃんどこ⁉」
タツと鈴ちゃんが辺りを見回す。
室内は、白い煙で満たされていた。
濃密な霧のような煙。一寸先も見えない。互いの顔どころか、位置すら掴めない。
「これは……」
つぶやいた俺の肘を、誰かが掴んだ。
「……シン兄ぃ?」
「……世羅か? なあ、これって……」
すぐ近くまで顔を近づけて、世羅は頷いて見せた。
「うん……復元の……」
IFは愛によって出来ている。傷つけられれば元の形に戻ろうと復元力が働く。
その時に出るのがこの煙だ。
「……ほら、見て」
世羅がスマートフォンを取り出した。
テレビ中継の画像が映っている。
受賞者がいなくなった流しの会場の光景。
第一回、ミスミカグラ様の受賞者がいなくなったってニュース。
「上手くいった……んだね」
「ああ……間に合ったんだ」
ふたりして、その動画に見入った。
小鳥遊家の肝煎りで急きょ実現したミスミカグラ様コンテスト。流しの大会の優勝者が受賞し、当代のミカグラ様として、有形無形様々なバックアップのもと芸能活動を行うことが出来る。
大会会場にはいたるところにミカグラ様をイメージしたポスターが貼り付けられてた。
ポップにキャラクター化されたミカグラ様グッズの販売、配布が行われていた。
夏コミに向け用意していた紅子たちの商材――コースターや団扇ははたった1日で書き換えられた。紅子、雛、小鳥、真理、奏、真田兄弟。ペーパートワコさんズに朝からフル回転してもらった。
今までのミカグラ様が忌避されるなら、みんなの中に新たなミカグラ様像を創ればいい。
かつてこの地の危機を救った女の子。これからも存在し続ける生き神としての相をも併せ持つ歌姫。
愛は、あとから一緒について来る。愛さえあれば、滅びてさえいなければ、IFはいくらでも復元できる。
咄嗟の思いつきだったが、どうやら上手く運んだ。滅びの予言は回避された。
ミカグラ様は、いまやみんなに愛されている。
「マツ……リ?」
「アンタ……」
まだうっすらと残る煙の中、ふたりは呆然と向き合っている。
リーゼントをグシャグシャにしたタツと、まるで少女のように美しいマツリさん。
ふたりして、ぺたんと床に座り込んでいた。
ふたりに抱き付こうとした鈴ちゃんが、ぐっと我慢したのが見えた。
ふたりはゆっくりと互いを確かめ合い、ぺたぺたと頬を触り合い――10年ぶりに抱き合った。
「わああああああああああんっ」
鈴ちゃんが声を上げて泣き出した。
「ぐう……うぐ……っ。くそ、なんだこれ……っ。なんだこれ……っ」
トラが拭いきれぬ涙に戸惑っている。
「――シン兄ぃ!」
世羅が鋭い声を発した。
「世羅! あとは任せた!」
返事も待たずに、俺は駆け出した。
廊下を走った。
玄関を飛び出た。
夜闇の中へ踏み込んだ。
斜面を転がり落ちるように走り出した。
「――トワコさん!」
心臓が激しく脈打っていた。
呼吸が荒い。体が壊れそうだった。
でも止まらなかった。
立ち止まるわけにはいかなかった。
何度か転んだ。
いろんなものにつまずいた。
いろんなもので体を打った。切った。
「トワコさん!」
叫んだ。
今もなお、決死の戦いに身を置いているはずの女の子の名を呼んだ。
「トワコさん!」
強く強く、どうか聞こえていてくれと願いながら。
大好きな女の子の名を、俺は叫んだ。




