「雛の恋人宣言」
~~~新堂新~~~
「──んじゃあたし、ちょっと花摘みに行ってくるわ」
紅子はしゅたっと手を上げて、逃げるようにその場を去った。
「おい紅子! そりゃない! そりゃないって! マジないって! 俺も連れてけよ! 連れション連れション! 連れションしようぜ⁉」
「サル! うるさい! でかい声で連れション言うな! あたしは女だ! 男と連れションなんかするか!」
「やべーって! マジムリだって! ちょー修羅場じゃん! おい紅子ー!」
怪しい発言をしながらふたりは消え、あとには俺と雛とトワコさんがとり残された。
トワコさんが寝てるのは幸いだった。
『一度寝たらなかなか起きない』設定にしておいて本当に良かった。
この状況で起きていられたら、ますます厄介な事態に陥っているところだった。
この状況──元カノとひさしぶりに体面した元カレの膝を枕にして、女子高生が寝ているなんていう、紛糾必死のエグい状況ではとくに──。
「や……やあ。ひさしぶり」
居酒屋の片隅でテーブルを挟んでふたり、向き合った。なんとなく姿勢を正さなければいけないような気がして、正座していた。
「う、うん。新くんも──」
元気だった……? と、雛は囁くような声で問いかけてきた。
雛は──その名の通り愛らしい雛鳥のようだった少女は、いまや美しい白鳥に成長していた。
長く柔らかな黒髪、白く細いうなじ、体の線は女性らしく丸みを帯び、大人っぽい黄色のドレスワンピースを自然に着こなしていた。裾の花飾りが愛らしかった。メイクも完璧。ピンクの唇がぷるんとしてた。
アンティーク調の白木のカチューシャだけは当時のままで、見てるとなぜだかきゅっと、胸が痛んだ。
「うんまあ……元気にやってる」
「……風邪とか引いてない? ……きちんと食べてる?」
「ご覧のとおり。身長だけはすくすく伸びてまして……」
「そう……よかった」
雛は眉尻を下げてほほ笑んだ。俺のことを心から心配してくれてたみたいだ。
──相変わらず、底抜けにいいやつだ。あんな別れ方をした俺のことを、いまでも心配してくれている。こっちは一発ぶん殴られるぐらいの覚悟はしてきたのに……。
「ほんとに……元気そうだね……」
雛の声のトーンがすっと下がる。据わった目が、俺の膝の上ですやすやと眠るトワコさんに向けられていた。
……ん? あれ? ──あ。
「新くんっていつもそうだよね……女子に対して手が早いというか、見境がないというか……」
「待て雛。これは違う。違うんだ」
「……そのコとはどういう関係なの?」
「その、話せば長くなるんだけどさ……」
「一言で」
「同棲してる」
「ど──⁉」
予想より強力な返答になってしまって、俺は慌てた。
「ち、違うんだ。たしかに一言で言うならそうなんだけど、たしかに一緒に住んでるんだけど、それには事情があって──」
「そんな爛れた事情、聞きたくない……!」
雛は頑なに首を横に振る。
「そりゃあまったく正論だと思うよ⁉ 普通に考えればこれから高校教師になろうって人間が、女子高生と同棲するのは世間的にも倫理的にもどうかと思うよ⁉ でもホント、やむにやまれぬ事情かあるんだって! なんというか、俺はこのコに責任があって──」
「せき……にん……⁉」
雛の顔からザアッと血の気が引いた。元から白い顔が、いまや紙みたいに真っ白だ。
「女子高生……淫交……責任……⁉」
「あ──や、それは違う! たしかにその連想は論理的に正しい感じがするけど、むしろ責めるのが筋違いな気すらするけど、とにかく違うんだ!」
雛の肩がぶるっと震えた。
「──ひさしぶりだったのに……ばって……ャレしてきたのに……!」
泣きそうな顔で何事かをつぶやくと、
「……わたし、もう帰る……!」
ハンドバッグを掴んでがばっと立ち上がった。コート掛けに掛けてた白いコートに袖を通した。
「待てよ雛! 頼むから話を聞いてくれ!」
取るものもとりあえず外に出ると、漫画みたいなリムジンが迎えに来ていた。運転手付きの、小鳥遊家の遣いの車だ。手回しの良さを考えると、路上で待機していたのかもしれない。
雛は運転手に向かって何事か伝え、ゆっくりと俺のほうに向かって歩いてきた。
「まだなにか……あるの?」
最後通牒のように、雛は言う。
「……説明させてくれないか」
精一杯の誠意をこめて伝えると、雛は静かにうなずいた。
「トワコさんなんだ……」
「──トワコさん?」
雛は眉をひそめ、考えるようなしぐさをした。
「小学校の時の……?」
「うん。みんなで回し書きしたトワコさんだ。信じられないかもしれないけど、さっきの女の子がそうなんだ。俺……みんなが止めたあともこっそり日記を描いてた。端から見たら気持ち悪いぐらいたくさん描いた。気持ち悪いこともたくさん描いた。九十九神って知ってるかい? 長年使い込んだ道具に魂が宿るってやつ。彼女がそうなんだ。俺が描いた通りに、長い長い旅からこの町に戻って来た。彼女これ以上行き場がなくて……だから俺のところに……!」
「……」
雛は黙って聞いてた。恐いぐらい黙ってた。1分か2分か。夜の風は強く、冷たかった。
やがて、ぼそりとつぶやいた。
「……新くん。戻って来てよ……」
寂しそうな声だった。
「わたしはね……まだ………………なんだよ?」
「まだ……?」
雛は胸元でぎゅっと拳を握った。
「あの時のままなの! いきなり新くんが東京に行っちゃって! 連絡がつかなくなって! わけもわからないまま大学生になって! 絵を描くしかすることなくて! みんな気を使って他の男性を薦めてきて! お母様なんかお見合い話をもってきて……! でもやだったから断ったの! だってわたしは──」
──新くんの恋人だから! 彼女のままだから!
雛の叫び声が、夜の静寂を切り裂いた。