「戦化粧」
~~~トワコさん~~~
浴衣を脱ぎ捨てた。
持参していた冬セーラーを着こんだ。ローファーを履き、赤いマフラーを巻いた。
特別硬い繊維を編み込んでいるわけではない。鉄板を仕込んでいるわけでも、耐火性能があるわけでもない。どこにでもある普通の服、普通の靴。
でもこれは、わたしの戦装束だ。
もっとも気合の入る、もっとも動きやすい、わたし自身の魂の形だ。
夜になっていた。
あたりはすでに暗く、遠く下方に望む流しの会場だけが、大会用に特設された灯りで夢の浮島のように明るかった。
微かに下生えの生える斜面を下りながら、わたしは一瞬、別荘を振り仰いだ。
2階の奥の開いた窓から、美しい歌声が聞こえてきた。
――いや、人によってはそう聞こえないかもしれない。
金属板をかきむしるような、ただの不快な音にしか聞こえないかもしれない。
しわがれた、呪いのような響きにしか聞こえないかもしれない。
だけどわたしには聞こえるのだ。
世界最高の歌姫が織り成す絶唱よりも、よっぽど強く、遥かに愛おしく、深みを持ってその声は響くのだ。
会いたいって。
愛してるって。
むき出しの、狂おしいまでの感情がこめられている。
何百年の中の、たった1年。されど1年――。
そんな想いを聞かされてしまったら……。
「――戦わないわけには、いかないじゃない」
自嘲するように笑いながら、わたしは斜面の半ばに立った。
ちょうど眼下に、黒服の男たちが現れたところだった。
人数は7人。先頭にあの男がいた。
鉄血のギィ。
西洋の血を引く刀剣使いの老人。
滅びゆくIFと、この世とのしがらみを断ち切ることを生業とする葬儀屋。メンターとはまた異なる、IFの未来の姿。
彼らはミカグラ様とこの世の仲断ちをするために訪れた。
衰えたりとはいえ神格化までされたIFが、今わの際に祟り神となることを恐れ、滅ぼしに来た。
新からも世羅からも、まだ連絡が来ない。
――どちらもきっと苦戦している。
それはしかたのないことだ。
わたしたちは今、運命と戦っている。
奇跡を起こすために、全力を尽くそうとしている。
「……こんなにも早く、あなたに会う日が来ようとはね」
「……小娘。わざわざ首を差し出しに来るとはな」
わたしたちの感想は食い違った。
「どうかしら。逆の結果にならなければいいけれど」
わたしは半身に構え、すとんと両手を下ろした。
自然体の構え。相手の動きに合わせ、どうとでも動ける備え。
逃げると思っていたであろうわたしが戦う姿勢を見せたことに、ギィは一瞬だけ驚きを見せた。
だがすぐに口元に皺を寄せると、嘲るように笑った。
「……小娘。身の程を知らぬか」
ギィの言葉を契機に、他の黒服が散開した。
槍、大鎌、ナイフ……手に手にそれぞれの魂の形を引っ提げ、わたしを取り囲もうと動いた。
「……ギィ」
「……ここは我らに」
「……さ迷う神が、祟り成す前に。どうか」
口々に宣言した。
包囲網の完成する前に、わたしは全力で走り出した──後ろへ。
「逃げたぞ! 追え!」
誰かの放った一言に、黒服たちは動き出した。
まっすぐに、わたしを追って。
その選択が間違いだとは言えない。
だけどわたしにとっては好都合だった。
足の速い者と遅い者とに分断出来た。衆がばらけた。
下生えを強く踏み、方向転換した。
衆に向き合いながら、低くつぶやく。
「……我は風なり。地の底にありて、天へ駆け上がるものなり――」
内なる自分に言い聞かせる。シャーマンのように言葉を紡ぐ。
「その姿は龍に似ている。爪があり、牙がある。雲を睨み、ひとたび体を巡らせば、すべてを切り裂き吹き飛ばす――」
戦化粧。
心を鎧い、身体能力を極限まで引き上げるための魔法の言葉。
ひとつの鋼であれ、ひとつの剣であれ、我が拳に砕けぬ物なし――多くの人がさまざまに語る。戦いの中、自分をどう置くべきか。どうイメージすべきか。
わたしだったら風になる。どのような戦場にでも適応し、戦形によって形を変える。荒々しく吹きすさぶ。
「触れれば砕くぞ。触れれば裂くぞ。我は風なり。天地駆ける嵐の具象なり――」
荒ぶる力を肺から吸い込んだ。血流に取り入れ、全身へ行き渡らせた。
耳元で風がゴウと唸りを上げる。マフラーがバタバタとたなびく。
力が、戦意が、四肢に満ちゆく──。
「たったひとりで、何が出来る!」
先頭を走るのは女だった。黒髪をポニーテールに結った、拳法使いの若い女。
疾走の勢いそのままに鋭く踏み込み、全身で右拳を打ち込んできた。
左掌で外側に押しやるように受けた。そのまま手首を掴み、ぐるりと回しながら下方に引き込んだ。
拳法使いの体が宙を舞った。
「――ライダーキーック!」
次は上から来た。
ジャンプシューズのようなものを履いた少年。
高く高く跳んで、特撮の変身ヒーローのような跳び蹴りを繰り出してきた。
わたしは無視して速度を速めた。
跳び蹴りの下をかいくぐった。
そこへナイフが2本、飛来した。
2本ともキャッチした。
1本を逆手で真後ろへ放った。
着地したジャンプシューズの少年の首元に突き刺さった。
「ひょひょ……後ろも見ずにようやるわい」
3人目は大鎌使いの老婆だ。
「美しい女子よの。ほれ、婆に体の中を見せてみい」
皺だらけの顔に薄笑みを貼り付けながら薙ぎ払ってきた。
刃は内側部分にしかついていないが、刃渡り1メートルはあろうかという代物だ。
内側は死地。
普通なら退くところだろう。
退いて躱して、間合いを取り直す。
だけどわたしは下がらなかった。構わず前に出た。さらにスピードを上げた。
その選択は、老婆の意表をついた。
「く……っ⁉ 小娘っ、頭と胴と、泣き別れになるが望みか!」
懐へ飛び込んだ。
ナイフで大鎌を受けた。接触面から火花が散った。
ナイフはすぐに折れたが、充分な時間を稼いでくれた。
全力で踏み込んで拳を打ち込むと、老婆の体はくの字に折れた。
地に落ちた大鎌を拾うと、ハンマースルーの要領で前方へ思い切りぶん投げた。
衆が左右に散った。
ナイフを投擲しようとしていた男だけが躱せず、両足を薙ぎ払われ切断された。
――残り3人。
男の手からナイフを3本奪うと、すぐに2本を投げた。
左右に散った黒服たちの足元。
容易く躱されたが構わない。しょせんはけん制が目的だ。
投げたと同時にわたしは走っていた。
走りながらマフラーをほどいた。先端にナイフを巻き付けた。
目標は正面の大男。槍を隆々としごいて待ち構えている。
槍の長さは4メートル半ほどもあるだろうか。一気に飛び込むには遠すぎる。
「……やるな小娘。これだけの数を相手にまったく物怖じせぬか」
戦国時代の僧兵を思わせるようないかめしい面の大男は、槍を構えながら瞠目した。
「……歳に似合わぬ意志の強さと手練の業に敬意を表して、名を聞いておこう。儂か? 儂はなあ――」
なおもぐだぐだと言い募ろうとした大男の槍の間合いに踏み込んだ。
「――名乗りの最中に打ちかかるとは無粋な!」
穂先がブレた……と思った瞬間突き込んで来た。
狙いはわたしの胴。まっすぐ、力強い一撃。
「……っくう!」
避けた。かろうじて体をずらした。わずかに脇腹に痛みが走るが、構うものか。
引こうとする槍の穂先を片手で掴み、体重をかけて押し下げた。
「小癪な……っ」
大男は忌々しげに吼えた。
「槍を奪おうなどと、百年早いわっ」
大男は足を踏ん張ると、ぶるぅんと円を描くように穂先を回転させた。
――意識が離れた。体が居着いた。
わたしは槍の奪い合いに拘泥せずに、あっさりと離した。
半歩踏み込み、後ろ足を継ぎ足し、さらにもう半歩を踏み込んだ。同時にもう片方の手をぶんと振り回した。
その手にはマフラーを握っていた。先端にナイフを括り付けたマフラー。
即席のブラックジャックで、足りなかったリーチを埋めた。
「ぐああ……っ?」
勢いのついたナイフが、片目を斜めに切り裂いた。
大男が怯んだ。握力が緩んだ。
隙を逃がさず、両手で槍を掴み直した。足のスタンスを大きく広げた。踏ん張り、櫂を漕ぐように振り回した。
大男の手から槍が離れた。
体勢を整える暇を与えず、石突きで大男の顔面をぶっ叩いた。
「小娘! 好き勝手やりおって!」
「これ以上はやらせんぞ!」
両側面から黒服がふたり、同時に打ちかかってきた。
――直後、ひとりの体が燃え上がった。体中から青白い炎を上げ、もがき苦しみ出した。
――直後、ひとりの腹から日傘の先端が現れた。背中からまっすぐ貫かれ、崩れるように地面に倒れた。
「やあやあ、いーい戦いっぷりだねえトワコさん」
相変わらずのへらへら顔で丙子黒子。
「……ふん、いいとこをとられた感じじゃのう」
自分がやりたかったのに、と不満そうなマリーさん。
「……仲間がふたり、か」
今やただひとりとなったギィが、突如現れたわたしの援軍を忌々しげに睨みつける。
わたしはマフラーを首に巻き直した。
「あら、そう見える?」
「……なに?」
遠くで悲鳴が聞こえた。
若い女の悲鳴。
「……メイシェン?」
ギィが眉をひそめた。
一番最初に投げ飛ばしたポニーテールの拳法使いの姿がなかった。
目を凝らすと、人型の何かを引き摺ったような跡があった。それは木立の向こうの暗闇へと続いていた。
「――ひ……⁉ いや、いや――なんだこれは⁉ 私は……私はこんなの知らない……っ」
メイシェンと思われる女の叫びが聞こえてくる。
カチンカチン、桃華が鉤爪を打ち合わせる硬い音が響いた。
「あちゃー。なんだっけ? あのJKの能力?」
まったく「あちゃー」とは思ってないへらへら顔で、黒子が聞いてきた。
「性感を……無理やり極限まで開発する能力……」
以前に桃華と戦った時のことを思い出して、わたしは怖気を振るった。
あの時はぎりぎり勝つこと出来たが、もしそうでなかったらと思うとぞっとする。快楽漬けにされ、懇願しても許してくれず、延々と法悦をその身に刻み込まれ続けたとしたら……たぶん、どんなに意志の強い人間であれ、狂わずにはいられない。
「た、た、助けてくれ! お願いだっ、もうやめてくれ! そんなの入らない! ――バカバカ、入るわけないだろう! 絶対無理……――ひぎぃいいいっ⁉ が……は……っ⁉ は……あ……あああっ⁉ あ、ああああああっ⁉ ──やだ……やだ……っ! やだってば! お願い助けて……もう無理……無理だから! 壊れちゃうからああああ!」
「……」
わたしは瞑目し、マリーさんは頭痛をこらえるしぐさをし、黒子は形ばかりの十字を切った。
「さあて……」
黒子はガチガチとカイザーナックルを打ち合わせた。その都度、打面から青白い炎が噴き上がる。
「ここまではだいたい予言通りだぜ? トワコさん」
「そうね」
「てことは、この後オレらはあっちのボスキャラっぽいじいさんに打ちかかると」
「そうみたいね」
「ありゃあ相当強えぜ? 化け物だ。正直洒落にならん。ここまではお義理でつき合ったけどさ。オレ、やっぱり逃げようかなーと思ってんだけど。どうしたらいーい? ねえ? ねえ?」
「逃げたければ逃げれば?」
わたしの顔を覗き込むようにしてくる黒子を、裏拳で追い払った。
「……予言通り、と言ったか」
ギィは刀の柄に手を添えた。
両と足を肩幅に開き、ぐぐっと背を丸めた。
「さて、そんなこと言ったかしら?」
抜く手元を見せないようにしたあの構え……居合いだろうか?
ペーパートワコさんの「未来視」は、万能なものではない。
だいたいこんなことがあるだろうとかたぶんそんなことが起こるだろうといったような、大雑把なものに過ぎない。
曖昧な絵図だけを手掛かりに、わたしたちはここへ来た。
靄の向こうにあるヒントを手掛かりに、危険な戦いへと身を投じた。
――未来を知るがゆえに。未来を変えるために。
「……なるほど、待ち構えていたのも、後ろに目のついているような運びも、そのためか」
納得したように、ギィはひとりごちる。
「そうよ。納得した? あなたに勝ち目がないってこと」
少しでも技を上擦らせようと煽るが、ギィは微動だにしない。
「予言を知っているから勝てないと? 予言は予言に過ぎぬ。それそのものに力はない。それにそもそも、貴様らの見た予言は、本当に『勝てる予言』だったか?」
ギィはじりじりと間合いを詰めてくる。
わたしは槍を構えながら、脇の下に冷たい汗をかいていた。
ご明察。
「……自信家ね」
「事実だ。私は強い」
すがすがしいほどにきっぱりと、ギィは断言した。
「……っ」
胸が詰まった。
プレッシャーで吐きそうになった。
未来視通りなら、わたしたちはこの戦いに負ける。
――怖い。
心の底からそう思った。
鉄血のギィ。
容赦を知らぬ葬儀屋。
命乞い出来ぬように舌を飛ばし、逃げられぬよう手足を飛ばす。
最悪のサディスト。
どんな性悪なIFですら、その名を聞けば震えあがるという。
IFは無敵ではない。
許容限度を超えたダメージを受ければ復元できない。
死にも滅びもする。
もう二度と、新に会えないかもしれない。
もう二度と、わたしの名を呼ぶあの声を聞くことが出来ないかもしれない。
だけどわたしは……。
わたしは耳を澄ました。
別荘から漏れ聞こえる悲痛な歌声に耳を傾けた。
滅びゆくIF。
彼女のために。
彼女の子供のためにも――。
「……新」
わたしはそっと、化粧するように愛する人の名を呼んだ。




