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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「さまようミカグラ様」

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57/70

「ボックス!!」

 ~~~タツ~~~




 時刻はすでに夕方だった。

 空は真っ赤で、盛んに虫が鳴いてた。

 流しの大会がすでに始まっているのか、遠くから歌声が聞こえてきた。 

 オレは見る気はねえってのに、トラの野郎がしつこかった。

 ぐいぐいと手を引っ張って、意地でも見せようとしてきやがった。


「トラ! 放せ! ――しつけえぞ! オレは見ねえっつってんだろうが!」

「見ろってんだよ! てめえの娘の晴れ舞台だぞ⁉」

「オレの娘だなんて誰が言ったよ! あいつが勝手に言ったことだろうが!」

「あの写真の男は完全にてめえだったじゃねえか! そのだっせえリーゼントまでまったく一緒だ!」

「だせえだあ⁉ てめえ、今までずっとそんなことを思ってやがったのか⁉」

「ああよ! 何度でも言ってやらあ! だっせえ! かっこ(わり)ぃ! 一緒にいると恥ずかしくって、顔から火が出らあ!」

「ぐ……ぐ……ぐ……っ⁉」

「だがなあ! 本当に恥ずかしいのはてめえ自身だ! てめえの娘の応援もしてやれねえようなケツの穴の小せえ野郎が、一番恥ずかしいんだよ!」

「うっせえ! オレの娘だなんて誰が決めたよ! 他の野郎の子かもしんねえだろうが!」

「てめえタツ――!」


「……っ⁉」

 強烈なのを頬にもらって吹っ飛んだ。

 不意打ちだったせいもあって躱せなかった。

 オレはみっともなくも地面に尻もちをついた。


「何しやがるてめえ!」

 頬をおさえながら見上げると、トラはすげえ目で睨んできた。

「うっせえうっせえうっせえ! 『オレの娘だなんて誰が決めた⁉ 他の野郎の子かもしんねえ⁉』 何言ってやがる! 他のやつならいざ知らずだ! オレとてめえだけはそんなことを言えねえはずだろうが! てめえはそんなんで、茉莉さんに顔向けできんのか⁉ ああ⁉」

「――!」


 オレは一瞬言葉に詰まった。

 昔のことを思い出した。

 お腹の中に子供がいながら、命を絶った茉莉さん。

 オレたちのマドンナだった茉莉さん。

 そのことを考えると、今も昔も、たまらねえ気持ちになる。


 だが、だがよ――


「ああああああああああ! ――うっせえうっせえうっせえ! いちいちうっせえんだよトラ公!」

 唇から滲んだ血を拭いながら立ち上がった。 

「すべてっ、ぜんぶっ、知ったことか! てめえがいちいちぐだぐだ抜かすことじゃねえんだよ!」

「あああっ⁉」

「オレもてめえも同じだろうが! 偉そうに言えた義理か! 同じようになんも言えなかったくせに、出来なかったくせに、てめえだけ喉元過ぎたみてえに抜かしてんじゃねえよ! てめえだけが大上段に座ってんじゃねえよ! 同じ穴のなんとやらだよ! オレも! おまえも! なんにも出来なかったじゃねえか! なんにも知らなかったじゃねえか! ただアホ面下げて見てただけじゃねえか! ただのチンピラが、何をほざいてやがる!」 


「――てめえっ!」

「――あああっ⁉」

 トラの繰り出した拳に、真正面から拳をぶつけた。

 互いに、全力の一撃だった。

 手首の先から、じぃんと震動が伝わって来た。それは肩口まで駆け抜けた。骨や筋肉を這い上がって、全身へと伝わった。

『…………っ!』

 歯を食い縛った。意地でも声は漏らさなかった。

 声を漏らしたら負けだった。

 拳を押さえ、無言でバタバタと地団太を踏んだ。

 トラも似たようなリアクションをしてた。


「ち――」

「く――」

『死ぃねえええええええ!』

 同じようなことを叫びながら、逆の拳で殴り合った。

 防御も何もない。真っ向から互いの頬を捉え合った。


『………………っ!』

 ふたりとも、衝撃でのけぞった。

 口中に血の味が広がる。鼻の頭につんとしたものを感じる。頭に、体に、隠しようのない衝撃が広がっていく。意識を縛る糸が切れそうになる。

 ――だけどもう一撃。

 ――けれどもう一撃。

 同じことを繰り返した。

 交互に殴り合った。

 ボクシングをやってた者同士とは思えねえ打ち合い。パンチングマシーンみてえな殴り合い。

 明らかに見えてるテレフォンパンチを、意地でも躱さなかった。歯を食い縛って受け止めた。

 右の頬を打たれたら、左の頬を打ち返しなさい。

 そんな言葉は、たぶん聖書にだって載ってねえ。

 だけどそうしなければならねえことを知ってた。

 男だから。負けらんねえから。

 互いに手を緩めなかった。

 オレはアウトボクサーで、トラはファイターで。単純な殴り合いなら、有利不利ははっきり見えてた。

 だけどちっとも負ける気がしなかった。

 最後まで立ってられる。

 勝つのはオレだ。


「てめえ豚みたいにぶくぶく太りやがって……っ!」

「てめえこそ、髪のセットにかまけてなまってんじゃねえのか⁉ あああっ⁉」

「うっせえええええええ!」

「だああまれえええええ!」


 ごっ、がっ。頬を打ち骨を叩く、鈍い音が辺りに響いた。


 ――ボックス!


 同時にべっと唾を吐いた。

 どちらの唾にも血が混じってた。折れた歯が、地面に跳ねて転がった。

「…………っ⁉」

 蹴り出そうとした足が震えた。見ればトラのほうも、膝ががくがく震えてた。 

 同時にそれを認識した。

 だけどやめることはできなかった。


 ――ボックス!


 誰かが叫んでた。

 オレたちの中にいる何かが叫んでた。

 打ち合いなさいって。

 負けるんじゃないよって。

 てめえの道を貫きたいんなら、引けねえところがあるだろうって。

 

 ――ボックス!


 誰かが叫んでた。

 男だろうがって。

 てめえで決めた道なんだろうがって。

 いまさら芋を引くんじゃねえよって。

 一歩でも下がったら負けだよって。


「タツうううううううううう!」

「トラああああああああああ!」


 全力で打ち合った。

 渾身で叩き合った。

『………………っ!』

 首の筋肉が引きちぎれそうなほどにのけぞった。

 足の裏が地面から離れて、宇宙遊泳しそうなほどの衝撃があった。 


「が……ぎ……っ!」

「ぐ……あああっ!」

 だけどオレたちは耐えた。

『おああああああああああああっ!』

 耐えて、向き合って、殴り合って、天高く叫んだ――。


 いい加減力尽きた頃に、その声が聞こえた。





 ~~~世羅舞子~~~

 


「――っざけんなああああああああああああ!」

 前世紀の遺物みたいな、リーゼントの男。対するは、スキンヘッドの大男。

 どっちもボロボロだった。血だらけで、顔中を赤く腫れ上がらせてた。

 こんな切羽詰まった状況で、一刻の猶予もないって状況で、好き放題やり合ってた。

「大の大人がこんなとこでなにやってんのよ⁉ あんたら、いったい今がどんな状況かわかってんの⁉」

 まっすぐにタツの前まで歩いて、至近距離で指を突きつけた。

「……なんだてめえ?」

 魚の腐ったような目で、あたしのことを見下ろしてきた。

「うっさい! あたしのことはどうでもいいのよ! あたしはねえ! あんたが! いまどきリーゼントの大馬鹿野郎が! 状況もわきまえずにケンカなんかしてるのに腹が立ってんのよ!」


「おい女ぁ……。男のケンカに口出すもんじゃ……」

 トラがあたしの肩に手を触れた――瞬間、あたしは後ろも見ずに裏拳を飛ばした。

 手の甲に、肉を打つたしかな感触があった。

「ご……っ、て、てめ……っ!」

 振りむきざま、鼻をおさえたトラの横っ面に、超至近距離からのハイキックをくらわした。爪先を思い切り頬肉にめり込ませた。

「――っ⁉」

 トラはたまらず、どうと横倒しに倒れた。


「関係ないやつはすっこんでろ!」

 倒れたトラに吐き捨てると、あたしは再びタツに向き直った。


「と……トラ……っ?」

 突然のことで、タツは言葉を失っていた。

「これはあんたの問題よ! あんたと、鈴ちゃんの問題! そして茉莉さんの問題!」

 タツははっとしたような表情になった。

「て、てめえ……そのことをどこで……」

「シン兄ぃから全部聞いたわ! 手分けして探してたのよ! いい年齢(とし)こいて家族から逃げ回ってるバカ野郎のことをね!」


「ちっ……説教なんざ聞きたくねえ」

 タツは舌打ちしてそっぽを向いた。

「はああ⁉ 拗ねてんじゃないわよ! このバカ! そんなこと言える立場じゃないってことわかってんんでしょ⁉」

「てめえになにが……」

 タツはいら立ちを隠そうともしない。

 歯ぎしりして拳を握りしめているが、そんなのちっとも怖くない。

 この世には、もっと怖いものがいくらでもある。

「――わかるわよ!」

 断言した。

「あたしにはわかるのよ! あたしだからわかるのよ! あんた、知ってんでしょ⁉ 茉莉さんに聞かされたんでしょ⁉ IFがどういうものかって!」

「てめえIFのことまで……」

「IFは愛されなくちゃ生きていけないのよ! 忘れられたら死んじゃうのよ! 茉莉さんは神様で! でも誰も崇めてくれないから弱ってんのよ!」


「死ぬ……だと……?」

 タツはぽかんとした表情になった。

「心が錆びつくのよ! 体がひび割れるのよ! ――やがては塵になって散っちゃうのよ! 彼女はもう……長くないのよ!」

 タツはみっともなくも狼狽えた。

「そ……だって、あいつそんなこと一言も……。オレは……IFは長生きだってだけしか……」


「……知らなかった?」

 そうか、言えなかったんだ。

 こいつはそこまで知らされていなかった。

「──!」

 あたしはぶんぶんとかぶりを振った。萎えそうになる心を叱咤した。

 許す気はなかった。それでもなお、許されることじゃなかった。

 知らなかった? 知ろうとしなかったの間違いだろう。

 一番身近な人のことを。一番大切にしていた人のことを。そうしなければならなかった人のことをさて置いた。向き合わなきゃならなかったのに放っておいた。

 霧ちゃん自身の気持ちを聞かなかった誰かみたいに――。


 あたしは拳を握った。背筋を伸ばし、うつむきかけていた顔を持ち上げた。

「言えるわけないでしょ⁉ IFってだけでびびってるあんたに、その上もうすぐ消えちゃうだなんて言えるわけないでしょ⁉」

「だってよう……」

「――うっさい!」

 あたしは思い切りタツの向う脛を蹴ってやった。

「ぐおお……っ⁉」

 タツは痛みでうずくまった。

「うっさいうっさいうっさい! あんたが知ってようが知ってまいが、そんなこたあどうでもいいのよ! あたしはあんたに伝えるだけ! 立ちなさいって! 向き合いなさいって! 愛してたってほざくんなら、最後に茉莉さんに会ってあげなさい! そして……思いの丈をぶちまけなさい! 好きだって気持ちを! 放っておいてごめんって! 余さず逃がさず伝えなさい! 相手の気持ちを聞いてあげなさい! それがあんたの……男としての役目でしょうが!」

「…………っ!」

 タツは、ショックを受けたような表情をした。


「……おい、タツ」

 いつの間に意識が戻ったのか、トラがタツに声をかけた。

「……なんだ、トラ」

「聞けよ、この声……」


 ――青い月夜の 浜辺には

 ――親を探して 鳴く鳥が

 ――波の国から 生まれでる

 ――濡れたつばさの 銀の色


 流しの大会の会場から、アンプを通して拡大された鈴ちゃんの歌声が聞こえてきた。

 質の悪いアンプを通してすら美しさの伝わる声だった。

 儚く切ない歌が、しっとりと夜の風を湿らせた。


 タツがぽつりとつぶやいた。

「……これは、マツリの歌だ。あいつ……すげえ歌が上手かったから」

 呆けたような表情で座り込み、空を仰いだ。

「職場で嫌なことがあってよう、気分悪ぃってふて腐れてる時とかによう、アイツは膝枕して歌ってくれんだ。ちょうどこんな歌声でさ……聞くたび、ささくれ立った気持ちが和らぐんだ。心が安らぐんだ。辛くっても、苦しくっても、ぐっすり眠れるんだ。オレが寝るまで、アイツはずっと歌ってくれてよう……」


 ――夜鳴く鳥の 悲しさは

 ――親を尋ねて 海こえて

 ――月夜の国へ 消えてゆく

 ――銀のつばさの 浜千鳥


 哀切こもった歌声が、風に乗って流れてくる。

「楽しかっ……しあ……わぜ……だっだ……」

 タツの言葉が濁った。くぐもった。

「オレは……アイツが……好きで……」

 大人のくせに、目に涙を溜めていた。 

「結婚……しようと思ってたんだ……」

 あたしの胸にも、何かがこみ上げた。

 ぐっとこらえたつもりが、タツの独白につられたように、熱いものが頬を流れ落ちた。

「だけどアイツはいうんだよ。ワタシは人間じゃないんですって。IFっていう別個の存在なんですって。本当のワタシはミイラで、しわくちゃのお婆ちゃんで、とっくの昔にバラバラに切り刻まれてるんですって……。そういう目で見たら、本当に別の生き物みてえに見えてきちまって……。オレは怖くて……びびって……逃げちまった……。あれから……もう何年になるんだかわからねえ……」

 タツの声が掠れた。醜くひび割れた。

「タツ……」

「本当はよう……抱きしめられりゃよかったんだ……。そんなのぁどうでもいいって。IFだろうがなんだろうが関係ねえって。オレはおめえが好きなんだって。産まれてくる子供と一緒に、家庭を築こうって。言えばよかった。……なのに……オレは……逃げちまっ

て……!」

 

「なあ、トラよ……」

 消え入りそうな声で、タツは聞いた。

「オレぁまだ……やり直せるんかな……?」






「――ボックス!」



 あたしは叫んだ。涙に負けまいと、全力で声を張り上げた。



「――ボックス!」



 ふたりはなぜか、幽霊にでも出会ったみたいにびっくりした顔をしていた。



「――ボックス!」



 いつかどこかで聞いたことがある。

 ボクサーたちを衝き動かす魔法の言葉。

 どれだけ疲れていても立ち上がり、怖くても前へ出てしまう呪いの言葉。

 競走馬の鞭。ギザギザの拍車(はくしゃ)


「もう充分わかったでしょ⁉ 自分のバカさが身に染みたでしょ⁉ わかったら立ちなさいよ! 今すぐ動きなさいよ! 茉莉さんのとこまであたしが案内してあげる! 言っておくけど、あたしは足が早いわよ⁉ 置いてかれたくなかったら、死にもの狂いでついて来なさい!」

『……っ』

 ふたりは顔を見合わせた。

 見合わせて、なぜだか急に笑い出した。

 肩を波打たせ、賑やかな声を上げた。

「は……はっ。……なあトラよ。なんでこうも、オレらの周りの女ってのは、強いやつばっかりなんだろうな」

「さぁて、な。はっははは……っ」

「ちょっとあんたたち、笑ってる場合じゃ……」

 すっくと、ふたりは立ち上がった。

 膝はがくがく震えてるけど、顔面は醜く腫れ上がってるけど、ふたりは憑き物がとれたような、清々しい顔で微笑み合った。

「――行くぞトラ」

「――おう、タツ」

 タツは盛り上がる会場の方角に顔を向けた。灯りに染まる夜空を見やった。

「やってやる。親子3人、水入らずだ」





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