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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「さまようミカグラ様」

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56/70

「ミカグラ考」

 ~~~世羅舞子~~~




 寛永・享保・天明・天保。この字面を見てぱっと思いつくことはなんだろうか。

 江戸時代の年号? 半分正解。

 もう半分は、主だった飢饉のあった年号だということだ。俗に江戸の4大飢饉と言われている。

 水害、冷夏、害虫に加え、浅間山の噴火にエルニーニョまで加わった天明の飢饉は、中でも最大級のものだった。

 主な被害のあったのは東北地方だ。

 多くの人が亡くなった。食料の奪い合いや、殺し合いが起きた。生きるために親が子を食うことすらもあった。 


 ミカグラ様は、天明年間に神蔵の大飢饉を治めた人物だ。偉業を称え、神格化された。

 神蔵(かみくら)神蔵(かぐら)とも読む。

 かみくらは神座(かみくら)に通じる。神座は神のおわします所。またそれを預かる所の名だ。


 ミカグラ様がいつどこから来たのかはわかっていない。

 ただ、見目麗しき女性であったと言われている。

 歌が上手く、その綺麗な調べは近隣の住民どころか鳥や蝶すらも呼び寄せたと言われている。

 塗炭の苦しみに喘ぐ人々を見かね、人柱となり、この地を救ったと言われている。


 逆に言うなら、それぐらいしかわかっていない。

 成した偉業のわりには、神様のわりには、驚くほど誰も何も語らない。

 温泉街の外れに資料館があり、山中に小さなお堂があるだけだという。


 山自体が聖域であり、大仰な寺社はいらないということなのだろうかとも考えた。

 だけどそれでも、語らぬことの理由にはならない。  



 狂乱の一夜が明けた翌早朝、あたしはシン兄ぃ他ふたりとともに、山中のお堂を目指していた。歴史的事実をこの目で確かめるためだ。

 石段があったのは途中まで。あとはどう見ても獣道にしか見えない参道があるのみだった。

 行く手を遮る草や枝、倒木を踏み越えるように避けながら、ひたすらに先を進んだ。


「おおーいい、新堂教師! 部長! 部長! こら、聞けおまえら!」

 真田兄が遥か下の方で怒鳴っている。 

「もう無理だ! これ以上は一歩たりともすすめんぞ!」

 情けなくも、その場に座り込んだ。


「はあ……はあ……兄者……もう水が……!」

「うおおーい⁉ 貴様、一口だけと言ったのに、なんで半分以上飲んだ⁉」

「はあ……はあ……一口が大きくてすまん……」

「嘘つけー⁉ 1リットルボトルの半分以上を一口で飲むやつがどこにいる⁉」

 同じくへたりこんでいる真田弟に、兄が食ってかかっている。いつものやり取り。

 だけどどちらも元気がなく、争いは長くは続かなかった。 


「……ふん、だらしないやつら」

 顎に滴る汗を拭いながら吐き捨てたが、あたし自身もかなり辛かった。

 心肺機能にも身体機能にも自信はあるが、なかなかに急こう配の、しんどい道中だ。

 シン兄ぃはと見ると、意外なことに善戦していた。体力なんてからっきしなくせに、重く錆びついたスコップを担いだ上で、一番先を歩いていた。

 汗を拭いながら、息を荒げながら、ひたむきに前だけを見ている。がくがくと揺れる膝を叩き、プロレスラーみたいに頬を叩き、気合を入れている。


 何があったのかは聞いてない。

 きっと何かあったのだろう。

 昨夜、温泉街から戻って来たシン兄ぃは、鈴ちゃんとともに茉莉さんを見舞った。

 すぐにどこからか不思議なアコーディオンの音が流れて来て──屋上から降りてきたシン兄ぃは、ものすごい顔をしてた。

 霧ちゃんと再会した時のような、そして再び失った時のような顔――。 

「……っ」

 あたしは唇を噛んだ。内からこみ上げる衝動と戦いながら、シン兄ぃの後を追った。


 やがてお堂についた。

 切り出した石の塊に、碑銘が刻まれているだけの簡素なものだ。道祖神を祀っているのだと言われれば信じたかもしれない。

 しかも状態が悪い。ひどく苔むして、蜘蛛の巣のカーテンがかかってる。まったく手入れすらされていないように見えた。


「冗談でしょ……?」

 思わず笑ってしまった。

 仮にも一地方の危機を救ったとされる人物が、この扱い?

 女だからかとも考えた。日本には、昔から根強い女性差別があったから。


「だけどなあー……もう少しなんかあるよなあー……」

 腰に手を当てひとりごちた。周囲を眺め渡した。

 木立や藪に囲まれ、昼なお暗いそこが神域にふさわしいとは、とてもじゃないが思えない。


「ふうー……やぁっとお……着いたぞおぉ……っ」

 遅れて、真田兄弟がたどり着いた。

 ふたり仲良く背中を合わせるようにして、息を荒げている。

「あらお疲れ。あんたらにしては頑張ったわね」

「き……貴様! ちょっと歩くわよとか言って騙して我らを連れてきておいて! その言い草はなんだ!」

「ちょっとじゃん」

「朝っぱらから2時間も山道を歩いておいてどこがちょっとか! 貴様だってぜえぜえ息が切れていただろうが!」

「べっつにー」

 ふふんと肩をそびやかしたが、ツインテールも服も、汗で重く湿っている。登山とまでは言わないが、けっこうハードな行程だった。半袖短パンの軽装で来るところじゃない。正直舐めてた。


「まあいいわ。――ねえ、もう降りようよ。シン兄ぃ」

「……は?」

「……え?」

 シン兄ぃはリアクションせず、代わりに兄弟があんぐりと口を開けた。

「部長……いまなんと……?」

「降りようって言ったのよ。とくに何もなかったから降りるって」

「こ――」

 兄が爆発した。

「こ……こここ、ここまで来ておいてすんなり帰れるかぁ! お宝のひとつも出してもらわにゃ割に合わんわ!」

「あるわけないでしょそんなの! 常識的に考えなさいよ!」

「それこそ常識的にあるはずだろうが! 険しいダンジョンを踏破したプレイヤーに、ご褒美のアイテムや財宝が! ただ登るだけとかどんなクソゲーだ!」

「ゲームの常識! リアルの非常識!」

「うっがあああああああああああ!」

「兄者ぁ……もう帰ろう……我は温泉に入って思うさま横になりたい……」

「納得できるかあああああああ!」

 兄は疲れも忘れて暴れ出した。

「きっと何かあるんだろう⁉ どこかに隠してあるんだろう⁉ でなきゃこんなとこに作るわきゃあなかろうが!」

 そう言って、不謹慎にもお堂の周辺を漁り出す。

 蜘蛛の巣をかきわけた。裏へ回った。石畳を叩いた。引っぺがそうと試みた。


「え……シン兄ぃ?」

 意外なことに、シン兄ぃが石碑の裏の地面をスコップで掘り始めた。


「シン兄ぃまでこいつらの言うこと真に受けちゃったの? あのね、お宝なんてあるわけが――」

 あたしは頬をかいた。 

 かいた手を止めた。

 一瞬で汗が冷えた。


 ――心臓が、止まった。


「そうか……隠したんだ」

 つぶやいた声が震えた。

「都合の悪いことだから隠したんだ。ミカグラ様の功績は偉大だけど、それ自体は都合の悪いことだった。なぜなら……なぜなら……」

 あたしは疲れた脳味噌をフル回転させた。


 ――歴史書にも記されている、列記とした事実よ。神蔵近傍においても、その流れは避けられなかった。当時の人は迷信深かったから、加持祈祷によって事を解決しようと試みた。呪文を唱え、手印を結び、護摩を焚き、供物を捧げた。酒、果物、生花、そして人間――


「無理やり……人柱にしたから……」 

 身分制度の厳しかった江戸時代にあって、旅芸人だけは例外だった。手形が無くても芸さえ見せれば、各地の関所を通過出来た。

 ミカグラ様について誰も何も語らないのは、何もよりもまず、彼女のことを知らなかったからだ。ただ綺麗で、旅芸人故に歌が上手かった。それだけを知っていた。

「――嫌がってるのを、無理やりそうしたんだ。普通なら神様として崇め奉るべき相手を……しかし正面切っては出来なかったから……ひっそりと、隠すみたいに拝んだんだ。ありがとう、でも呪わないでくれって。祟らないでくれって……」


 俗に、六部殺(ろくぶごろ)しと言われる民話の類型がある。

 旅の六部、つまり巡礼僧を殺して金品を奪った農家に生まれた子供が六部の記憶を有していて……という筋書きだ。

 多少の差異はあれど、基本の部分は変わらない。

 旅人故に証拠が残らず、旅人故に財産を身につけている。

 殺して奪っても、跡を濁さないから狙われる。

 当時のこの地方は、食物に困っていた。

 そんなところへ、ミカグラ様が現れた。

 彼女は財産じゃない――命を奪われた。


「……!」

 ぞくりと、背筋が震えた。

 鳥が数羽、音を立てて飛び立った。

 

 ――どこからか、歌が聞こえた。


「歌……? え、ほんとに……?」

 微かな風に乗って、歌が聞こえる。

「……そういえば、今日は流しの大会があるとか言っていたな」

「練習でもしてるのかな、兄者」

 うんうんと納得し合う兄弟。

「なんだ、大会の練習……か」

 なんとなくほっとしていると、シン兄ぃが「――これだ」と険しい顔でつぶやいた。


 覗き込むと、そこには大きな石の塊があった。

 土中に埋まった、長方形の石の塊。

「お宝か⁉」

「ほんとか新堂教師⁉ 我らは大金持ちか⁉」

 真田兄弟は手を取り合って喜んでいたが、シン兄ぃは険しい顔を崩さなかった。

「シン兄ぃ……それってまさか……石棺(せっかん)……じゃないよね?」

 おそるおそる、シン兄ぃの肩に手を置いた。

 ちょうど人ひとりが入れるサイズ。

「……その通り。石棺だ。そして中には何もない」

 シン兄ぃは重たげに首を横に振った。

「――当時はひどい飢饉で、彼女は木の実木の皮を食べて餓えを凌いでた。自然と十穀断ちの木食行(もくじきぎょう)が出来ていた。普通のお坊さんが何年もかけてたどり着くような境地に達していた。だからただの人柱じゃなくって、土中入定(どちゅうにゅうじょう)した即身仏(そくしんぶつ)という形になった。世にも珍しい、女性の即身仏の完成だ。そのことに誰かが気づいた。人魚の死体を欲しがるみたいに、皆がその遺体を欲しがった。石棺が暴かれ、体はバラバラに切り売りされた。衣服の切れ端までもが高額で売れた。IFとなった彼女には依代(よりしろ)がなく、だからさ迷うしかなかった――」

 


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