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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「さまようミカグラ様」

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54/70

「タイガー&ドラゴン」

 ~~~タツ~~~




 神蔵の麓の町で生まれ育った。

 お袋は昔ながらの温泉芸者。酔客に呼ばれて座敷にあがり、唄に三味線、芸者特有の遊びを披露するのが生業(なりわい)だ。

 綺麗な人だが、男運がなかった。ゴミみてえな男に騙され捨てられた。


 職に貴賤(きせん)はねえなんてなあ、ありゃ大ウソだ。

 温泉芸者の息子に片親のなんて枕詞(まくらことば)までつけられて、さんざんバカにされた。

 面と向かって言うやつ、陰でにやにやしてるやつ、全員まとめてぶっとばしたけど、すかっとはしなかった。どんどん居場所がなくなってく気持ち悪さだけが残った。気持ち悪さがオレを育てた。

 頭も目つきも悪い。いやなことがあると暴れ出す。腕っぷしだけは一人前。ねじくれてひん曲がった、最低の欠陥品。


 小学校でも中学校でも、友達なんて出来やしなかった。そのうち登校すらしなくなった。

 進学なんて考えちゃいなかったが、お袋に叱られ泣かれ仕方なく、名前さえ書けば合格できるようなバカ高校に入学した。



 そこでトラに出会った。

 オレのリーゼントとトラの長ラン。

 入学当時から目立ってたオレらは、その日のうちに校舎裏で殴り合った。

 どっちも意地っ張りだから、なかなか決着つかなくってなあ……。

 いい加減手数も減って、どっちも肩で息をして。

 見合う時間のほうが長くなってきた頃に、その声は聞こえてきた。


 ――ボックス!


 誰かが叫んだ。


 ――ボックス!


 わけがわからず、オレたちは顔を見合わせた。


「なんだおまえら知らねえの? ボクシングじゃあ、ファイトのことをボックスって言うんだよ」

 綺麗な女だった。校章の色を見たら上級生だった。

 長い髪が腰まで届く美人。ケンカもボクシングもしそうにゃ見えないイイ女――後のオレたちのマドンナ、ボクシング部のマネージャー、茉莉さん。

 茉莉さんは盛んに手を叩いてた。

 笑いながら、口の端から犬歯を覗かせながら煽って来た。

「ボックスだよ! 戦え! 殴り合え! おまえら、まだ出し切ってねえだろうが! そんなんだから中途半端なんだよ! なんだその髪型⁉ なんだその学ラン⁉ 見栄えにばっかかまけてるからダメなんだよ! やるんだったらとことんだ! 死にもの狂いで殴り合え!」

 オレのリーゼントをグシャグシャにかき乱し、トラの長ランを引っ張った。

 普通なら相手が女だろうと構わずぼこぼこにしてるオレたちだったが、茉莉さんには出来なかった。手が出せなかった。 

 なんつうか、あまりにも綺麗すぎたんだよ……。


 流れで入ったボクシング部だったが、これがけっこう楽しかった。

 胸ん中のもやもやをそのまんま取り出して、相手に叩きつける。レフェリーに止められるまで殴りつける。性格にぴったりだった。

 更生ってのとはちょっと違う。暴力や衝動のはけ口が明確になっただけだが、お袋は喜んでた。

 赤飯なんて炊いてよ。バカだぜほんと。


 オレらはやがて、県内では敵無しの存在になった。

 インハイ、そしてプロ。

 人をぶん殴るしか脳のないオレらは、当然のようにそんな未来を夢見てた。 


 茉莉さんは、部内でも校内でもそうだが、他校生徒の間でも有名人だった。

 なんせ口が悪いんだ。

 あの人の応援は、どう聞いても脅しや罵倒にしか聞こえなかった。

 とくに有名なのはボックスの3段活用だな。

ボックス(打て)!」

ボックス(ぶん殴れ)!」

ボックス(ぶち殺せ)!」

 ってよ。段階を踏んで殺気立ってくんだ。本気で、そういう風にしか聞こえねえんだ。

 (まなじり)裂いて、唾飛ばしてさ。

 アイドルみてえな顔してよくやるぜって。いっつも話題の的だった。

 ぽかーんとする客席が面白くってなあ。

 オレたちは毎度毎度、腹を抱えて笑ってた。 

 

 ……だからっつうか、あの人が自殺したって聞いた時はたまげたもんだ。トラなんて、腰を抜かすほど驚いてた。

 恋だ愛だには興味ねえって顔しといてよ。

 女をとっかえひっかえしてた部長と付き合ってたってんだから。

 子供が腹の中にいたってんだから。

 びっくりしたぜ。人間、わかんねえもんだと思ったよ。


 順調に勝ち上がってた2年目のインハイもうっちゃって、高校生活も棒に振って、オレたちは部長を半殺しにした。本気で、死んだ方がマシってぐらいの目にあわせてやった。

 当然だが、すぐに警察を呼ばれた。有無を言わさず御用。そのまま高校を辞めた。

 

 家でゴロゴロしてたらお袋に怒鳴られる。

 かといって、外に出てしたいこともなかった。パチンコも喧嘩もすぐに飽きた。

 たまたま新聞に入って来た求人広告を見て、オレはひとり東京に出ることを決めた。

 夢や希望があったわけじゃねえ。ただ暇だったんだ。

 外国人たちの中に混じって黙々とする工場勤務は、別に面白いもんじゃなかったけどな。

 栄えてる東京の街は、ちょっとだけ魅力的で、ちょっとだけわくわくした。

 そんな時だ。アイツと出会ったのは――



 おかしな女だった。

 ボロ布みてえなの一枚着て、アパートの前に倒れてた。

 風呂にも入ってなかったんだろう、臭くって垢だらけで、髪もぼさぼさでフケがひどかった。長距離を歩いて来たのか、裸足の足が血だらけだった。

 すげえ目をしてた。吸い込まれちまいそうな目でオレを見た。

「ワタシには名前がありません」って。

「あったはずなのに忘れてしまいました」って。

「外の世界を知りたくて来たのです」って。

「……アナタから、懐かしい匂いがします」って

 アイツはそう言った。

 なんだこいつ、病院でも連れてくか?

 そう思ったがやめた。

 きっと頭の病気かなんかだろう。出来損ないのオレが、出来損ないのコイツを手放しちゃどうしようもねえって、なんだかそんなふうに思っちまったんだ。


 とりあえずってんで家に上げて、風呂に入れて、着るものねえからしかたなくオレの物を着せた。

 足の手当をして、明るいところでよく見たら……これがまあ、い~い女でな。

 髪が長くて黒々してて、腰がパツンと張っててよ。濡れた瞳でオレを見てくるんだ。

 一発で惚れちまった。現金なもんだよな。


 おかしな女だった。

 見るもの全部、目新しく見えるみてえだった。

 食ったもの全部、泣くほどうめえと感じるみてえだった。

 この世の全部が新しくって鮮やかで、幸せだと思えるんだってよ。

「アナタ、面白い髪型してますね」って。

「アナタ、歌、下手ですね」って。

「いっつも目細いですけど、目悪いですか?」って。

 にっこり笑って、少したどたどしい口調で、心底楽しそうに言われちまった。


 1年間、ソイツと暮らした。

 女が出来て、女と暮らして。どうやらソイツもオレを気に入ってくれて。

 所帯を持とうと思った。一生かけて幸せにしてやるって、柄にもなくそう思った。

 そう、思ってたんだ――  



   

 ~~~トラ~~~



 タツとオレは、不思議と馬が合った。どっちも家に問題があって、ひねくれて育ったからだ。ねじとねじ山がぴったり合った感じだ。

 将来どうしようとかこうしようとか、そんなことは考えたことがなかった。タツはプロボクサーになるなんて息巻いてたが、正直オレはどうでもよかった。ただぶん殴り合って、ただその日が楽しけりゃいい。バカやって騒いでられりゃあそれで良かった。


 タツが東京行くって言い出した時は、そりゃあびっくりしたもんだ。

 おめえが東京なんて柄かよ、悪い冗談やめろよって言ったんだ。

 でもあいつは聞かなくてなあ……。

 茉莉さんを亡くしてからこっち、ずっと死んだような目ぇしてたから、たまにはそういうのもいいんかと思った。

 オレも一緒に行くかと思ってたんだが、親父の具合が悪くてな……。


 1年か2年ぐらいした頃、タツはふらっと戻って来た。

 前以上に死んだような目ぇしてた。

 何があったかは聞かなかった。

 オレたちの間に言葉なんていらねえ、そう思ってた。

 オレと一緒にいりゃ、また前のタツに戻るだろう、そう思ってた。 

 思ってたんだが……。



「タツ! 止まれぇ!」

 居酒屋を飛び出したタツを追いかけた。

 温泉客を弾き飛ばすように走った。

 タツの逃げ足は速かった。まったくトレーニングしてねえとはいえ、昔取ったなんとやらだ。ライトウエルターの、しかもアウトボクサーのあいつに、ヘビー級ファイターのオレじゃ追いつけねえ。

「ざけんな! 止まれぇ! ――おい、娘ってのはなんだ!」

 声の限りに叫ぶと、タツはようやく足を止めた。

 追いついて、肩に手をかけた。柄でもねえ、小刻みに震えてやがった。

「……かったんだ」

「あ?」

「子供ができてるなんて……あいつ、これっぽっちも言わなかった」

「おまえ……」

 振り向いたタツの顔を見て、オレは絶句した。

 あの時と同じ顔だった。茉莉さんが死んだと知った時の顔。


「……ちっ、なんて顔してやがんだおめえは」

 オレは舌打ちした。

 タツの胸倉を掴み上げた。

「娘のこともそうだが、もひとつ大事なことだ。おめえさっきなんて言った? ――あ? 

マツリの娘? そりゃいったい、どういうことだ?」


「……ったんだ」

「あ?」

「あいつ……自分の名前を忘れたって言うんだ。だからオレは言ったんだ。名無しじゃ呼びづれえからオレが名前つけてやろうかって。そしたらあいつはすげえ喜んでよ……。んでオレは……バカだから……他になんも思いつかなくて……。オレの知ってる中で、一番

綺麗な名前をって……」


 ――マツリって……つけたんだ……。



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