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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「さまようミカグラ様」

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53/70

「浜千鳥」

~~~新堂新~~~



 

 古来より、温泉地には遊郭や私娼街がつき物だった。

 戦後においては特殊飲食街、通称赤線街と呼ばれる政府公認の区画として整理された。赤線の灯はすぐに消えたが、形を変え品を変え、業態としては生き残った。

 平成のこの世においても、風俗営業は様々な法規制を受けている。区分けされている。 

 だが根本が男女の関係にある以上、はっきりとした線引きなんか出来るもんじゃない。

 実年齢、本番の有り無し、労働ビザの有り無し。合法なのかそうでないのか――確実なことは誰にもわからない。

 ただひとつ、これだけは言える。

 ピンクネオンの先では、様々な男の欲求を満たすことができる。


 神蔵温泉卿においても似たような区画がある。カミクラふれあい通り。大都市のそれほどに規模は大きくなく、温泉自体の衰退とともに色あせてきてはいるものの、今もなお、その輝きは誘蛾灯のように妖しく、男どもを引きつける。

「しっかしお兄ちゃんよう……」

「よくあんなまぶい女がいんのにこんなところに来るよな……」

 タツとトラ。

 トワコさんと出会うきっかけにもなったチンピラふたりと、カミクラふれあい通りの入り口でばったり出くわした。

「や、別に俺は……こいつに無理やり連れてこられただけで……」

「え? え? 何この人たち⁉ なんでおまえこんなヤバ……貫録のありそうな方々と知り合いなの⁉」

 明らかに動揺する勝。

 なんとなく興を削がれた(繰り返しになるが、そもそも俺は行く気はなかった)俺たちは、4人で近くの居酒屋に入った。

 地場産の山菜や川魚をつつきながら、日本酒をちびちびやった。

 冷酒と悩み、けっきょく冷やを頼んだ。日本酒において冷やといえば、常温の酒ということになる。飲み物を冷やすということの難しかった昔の名残りだ。昔ながらの温泉街の、浴衣姿のお客の目立つ中では、冷やのほうが感じが出ると思ったからだ。


「なあ新……マジでおまえ、こんな危ない人らと知り合いなの?」 

 勝がテーブルの下でこそこそと、俺の肘をつついてきた。

「知り合いっつうか……まあ色々な……」

 俺がこのふたりに絡まれてたところをトワコさんが助けてくれた。

 例の調子で、かなり問答無用にぶちのめした。

 それだけなら恨みを買ったりしそうなものなのだが、あまりにも見事なやられっぷりだったせいか、以来ふたりはすっかりトワコさんに心酔している。町中で会うと、親しげに声をかけてきたりする。まさかこんなところでまで会うとは思ってなかったけど……。


「お兄ちゃんがここにいるってことは、トワコ(ねえ)さんもこっちにいるんだろ?」

「ひさしぶりに会いてえなあ。姐さんのあの見事な体捌きったらなかったもんなぁ」

 と懐かしそうに語る。

「ばぁかトラ。そしたらぶっとばされんのはまたオレらだぞ? あの後、3日も動けなかったこと忘れたんか」

「そりゃおめえタツ。おめえが弱かったんだろうが。言っとくが、オレぁ2日目には起きてたぜ? 競馬(おうまさん)やりに行ったもんよ」

「行ったって、タクシー呼びつけて無理やり行ったんじゃねえか。首にギプスしといて、運ちゃんに『くれぐれも安全運転でな』って念押ししてやがったくせに」

「段差のたんびに死ぬほど痛えんだよ、しょうがねえだろうが」

 呵々と笑い合うふたり。

 年齢を聞いたことはないが、見たところどちらも30くらいだろうか。

 ふたりとも温泉宿の屋号の入った浴衣を着ているが、全然観光客っぽく見えない。もちろんだが、外見のせいだ。

 三白眼の眼光がやたらと鋭いタツはリーゼントにこだわりがあるらしく、ちょいちょい形を気にしている。

 スキンヘッドのトラは実はけっこう優しい目をしており、それを気にしてか色付きメガネをかけている。

 図体も態度も大きく威圧的なふたりだから、暴力耐性のない俺としてはいつも接し方に戸惑うのだが、今日はかなり余裕があった。落ち着いて細部まで観察できた。

 たぶん経験のせいだ。ここんとことにかく色々なことが立て続けに起こってたから、怖さの感覚が麻痺してるんだと思う。なんにしろレオ大崎やらクロコダイル大久保に比べれば、このふたりなんて可愛いもんだ。


 それが向こうにも伝わったのか、ふたりして意外な顔をした。

「……兄ちゃん、なんか変わったか?」

「……だな。前と違ってびくびくしてねえ」

「いや……別にそういうわけじゃないんですけど……」

 さすがに人を脅すのに慣れてるせいか、こういう人たちは相手をよく見てる。


「……………………ヤッたろ」

 低く低く、床を這うような声で勝がつぶやく。お猪口を持つ手が震え、水面にさざ波がたっている。

「は?」

 よく聞き取れなかったので聞き返すと、勝はドンとお猪口を叩きつけ、血相を変えて掴みかかって来た。

「おまえトワコさんとヤッたろ! だから変に余裕があんだな⁉ 風俗にも行きたがらねえし! オレには女がいるから行きませーんってか⁉ けっ! この裏切り者め! なぁにがその気はないだ! しっかりヤルことヤッてえんじゃねえか! この淫行教師! 生徒とヤリやがって! 死ね! 社会的に死ね!」

「そんなこと言ってねえしヤッてもねえよ! だいたいこんなとこで話す内容じゃないだろ! もっと声を低く! さすがに洒落にならねえよ!」

 掌を下に押し下げるジェスチャーで声を低くしろと訴えるが、勝は構わず大きな声で騒ぎ立てる。

「おおー。とうとう男になったんか。お兄ちゃん」

「こりゃめでたい。トワコ姐さんには幸せになってもらいてえからなあ」

「まずはよかった」

「だな。ほれお兄ちゃん、祝杯祝杯」

 ふたりは勝手にお祝いしてくれて、勝はどこまでもうるさくて――。

 はてさせ、どうやってこの事態と誤解を解消したもんかと頭を悩ませている俺の耳に、唐突にその音が聞こえた。


「楽器の生演奏……生声……?」

 店内のBGMじゃなかった。それは温泉街を吹き抜ける涼やかな夜の風に乗って流れてきた。

「ああ、どっかの店で歌ってんだろ。なんでも最近、流しがブームらしいからよ」

 タツが店内のポスターを指さす。

「流し……」

 トラが笑う。

「温故知新っつうんかね。ほれ、最近はなんでもかんでも昔のもんがブームだろ? 町興しの一環でよ。全国各地の温泉地が一緒になって盛り上げてるらしい」

 流し――ギターやアコーディオンなんかの楽器と歌詞本を携え、酒場を渡り歩く人たちのことだ。彼ら/彼女らは客のリクエストに応えて曲を演奏し、あるいは自身が歌い上げることで何百円かのお代を貰う。カラオケが普及する前に流行った芸能のスタイルだ。

 ポスターには流しの大会の開催日時、場所、出演者が描かれていた。

 日時は明日夜5時から。場所は町の広場。優勝者には賞金と、東京で行われる本大会のへの出場権が与えられる。

 そしてそして、色艶やかな着物や衣装を着た女性の流したちの写真の中に、明らかに見覚えのある人物がひとりいた。


「鈴……ちゃん?」

 俺がつぶやくのと同時だった。

 カラリと居酒屋の戸を開け、鈴ちゃんが姿を現した。

 紺地に花火柄の着物を着飾った彼女は骨董品みたいな古びたアコーディオンを携え、女将に元気よくあいさつした。

「女将さん、今日はいいですか⁉」

「ああ、いいよいいよ。やっとくれ」

 でっぷり太った貫録のある女将は笑顔で腕組みし、さあどうぞと顎をしゃくった。

 鈴ちゃんは丁寧にお辞儀すると、椅子をひとつ拝借してその上にアコーディオンを載せた。


 おへその前で腕を組むと、小さな体からは想像もつかない、朗々たる声を発した。

「さあさあ、今宵皆様のお目にかけますは、世にも不思議な自動演奏する手風琴でございます。遥かな昔のその昔、ヨーロッパの錬金術師が創り上げた自動人形(オートマトン)の傑作にございます。触れずとも浮き、触れずとも囀り、世にも妙なる調べを奏ます――」

 いまどき自動演奏する楽器ぐらいなら珍しいものではない。見た目はレトロ調だけど、きっと内部に仕掛けが施されているのだろう。

 でも誰も、そんな無粋なツッコミはしなかった。子供のする牧歌的な芸だからと、寛容に目を細めている。


「……っ」

 たくさんの中で俺だけが、胸をざわつかせていた。

 アコーディオンの傍に人がいた。

 白いシャツに茜色のチョッキを着た、外国の……おそらくはスラブ系の白人。年の頃なら80くらいか、口ヒゲも髪の毛も真っ白な老人。小柄で肥っていて赤ら顔で、目もとに暖かみがある。暖炉の傍でパイプをくゆらせたら似合いそう。

 老人は鈴ちゃんに目くばせすると、アコーディオンに手を触れた。持ち上げ、代わりに自分が椅子に座った。

 鍵盤を押し、蛇腹を伸縮させる。リズムをとるように左右に揺する――演奏が始まった。

「……なんだ? 浮いてる……?」

「ひとりでに動いてる……?」

 お客がざわついた。

 そりゃそうだ。あの老人はおそらくメンター。普通の人の目には見えない。それこそ自分で演奏する魔法のアコーディオンのように見えるはずだ。


 意外な事態に客が動揺する中、鈴ちゃんがそっと歌い出した。

 低く入った。底から浮上し波打つように、オクターブを上下させた。

 

 ――青い月夜の 浜辺には

 ――親を探して 鳴く鳥が

 ――波の国から 生まれでる

 ――濡れたつばさの 銀の色

 

 浜千鳥。

 日本の伝統曲を、10かそこらの少女が情感豊かに歌い上げていく。

 一枚の布を織るように、丁寧に丹念に編み上げる。

 

 ――夜鳴く鳥の 悲しさは

 ――親を尋ねて 海こえて

 ――月夜の国へ 消えてゆく

 ――銀のつばさの 浜千鳥

 

 幻想的な月明かりの中、親を探して囀る千鳥――。

 それは儚く、切ない歌だ。

 親を思う子の、子を思う親の歌だ。

 最初はアコーディオンの動きにばかり注目していた大人たちが、いつの間にか鈴ちゃんから目を離せなくなった。

 その清廉な口元に、憂いを含んだ目つきに、愛を求め天にかざすような手の動きに魅入られた。

 天然の歌い手だった。

 幼くして彼女は、人を魅了するものをその身に備えていた。


 ――やがて曲は終わった。

 鈴ちゃんがぺこりと頭を下げると、万雷の拍手が巻き起こった。


 勝が「ブラボー! おお……ブラボー!」と感極まったように歓声を上げている。

 タツが目を真っ赤にして鼻を啜り、トラは色付きメガネをとって涙を拭っている。

 

 メンターは俺のほうを見て微かに笑った。

 気づかれていることに気づいているようだ。

 俺は思わずぺこりと頭を下げた。


 ――鈴ちゃんは……創造主かIFだってのか?


 考え込んでいると、やがて鈴ちゃんはこちらに気がつき、ぱたぱたと小走りに寄って来た。

「お兄ちゃんたちここにいたんだ?」

「おう。いやあ鈴ちゃん良かったよ。オレ、思わず感動しちまった」

 勝が涙ながらに鈴ちゃんの手をとっている。

 鈴ちゃんは「えへへ、ありがとう」とはにかみながら、俺たちの顔を順番に眺め渡し――唐突に固まった。


「………………お父ちゃん?」

 しばらく凝視した後、タツに向かってそう聞いた。

 慌てて懐を探ると、古めかしいロケットに納められた一枚の写真を取り出した。

「ほら、これっ。この写真の通りだ……! お父ちゃん! お父ちゃんなんでしょ⁉」

 何度も何度も、写真と実物を見比べた。

 男女の写真。髪の長い幸薄そうな美人と、リーゼントの若い男……。


 タツはぎょっとした。

 ぎょっとして、絶句して、震える手で鈴ちゃんを指さした。

「お……おまえまさか……!」

 そしてたしかにこう言った。


「――マツリの……娘か……⁉」



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