「あたしたちのフォークロア」
~~~世羅舞子~~~
「……ねえ新くん。トワコさんとふたりきりの時って、まさかいつもあんなことしてるわけじゃないよね?」
「ま、まさかだろ? そんなことあるわけないじゃないか。あそこまでの筋肉痛になったのなんて初めてだから、見かねたトワコさんが気を利かせてくれてさ……」
「……でも上下が逆だったよ?」
「だからそれはさ……さっきも説明したけどさ……」
あくまで疑い深いまなざしを向ける雛さんに、もう何度目になるのかもわからない説明を繰り返すシン兄ぃ。
トワコさんとお風呂場で、裸同然の格好でくんずほぐれつしていたという話だから、恋人である雛さんが疑う気持ちもよくわかる。
普通に考えれば有罪だ。完全にやってる。
でもシン兄ぃだからなあ……というのがあたしの考えだ。
取り立てて人より優秀なところのないシン兄ぃの最大の美点が「倫理観」であることは、
これはもう衆目の一致するところだと思う。
落ちているものは1円だって交番に届ける。
どんなに見晴らしのいい赤信号も渡らない。
傍から見ていて「ちょっとバカ」なんじゃないかと思うくらい、シン兄ぃは律儀にルールを守る。
法律上未成年であるトワコさんに手を出すことは、絶対にあり得ない。
IFに現行の法規制が適用できるかどうかは甚だ疑問ではあるけれど……。
なんとなくため息をついていると。
「――ほ、ほら雛。いい景色だよっ。窓の外っ」
シン兄ぃの言葉でマイクロバス車内がどよめいた。
「おおっ」と声を上げ、みんな一斉に窓際に寄った。
彩南町から2時間ほどの距離にある神蔵温泉郷への九十九折れをひたすら登り、鬱蒼と茂る雑木林をいくつも通り過ぎ、切り立った崖の上に出たかなと思った瞬間、唐突に視界が開けた。
見渡す限り眼下に広がる木々の緑。青空を映して輝く無数の棚田。奥羽山脈の内懐を走るあたしたちは、「日本の夏!」のまっただ中にいた。
神蔵温泉郷に雛さんとこの、つまり小鳥遊家の別荘があって、そこを文芸部の夏合宿に使わせてくれることになったのだ。
文芸部の夏合宿……のはずなのだが……。
「おーっ、すごいね! 見て見て桃華! いい眺めだよ!」
奏が歓声を上げ、
「そうだね~奏ちゃ~ん」
桃華はにこにこと幸せそうに笑顔を返す。
「弟よ! 真剣勝負の最中に採掘作業に没頭するとは何事だ! 早く戦列に復帰しろ!」
「兄者兄者! そんなことより後ろ! ボガガントスが!」
「うおおおあっ⁉ い、いかん! ぴよったぞ⁉ 強攻撃が来る! 衛生兵! 衛生兵ー!」
真田兄弟が、携帯ゲーム機の中の魔獣に各個撃破されている。
「鏡先輩! ほらほら! 外はいい景色っすよ!」
小鳥がプロの漫画家とかいう鏡先輩をぺしぺし叩いている。
「……うっさい。そんな余裕ない……」
当の鏡先輩は車酔いでグロッキーになっていて、
「だ、大丈夫ですか? 鏡さん」
しっかり者の真理が介抱している。
「ひゃーはっは! いい眺めだねー!」
勝さんは缶ビール片手に女の子たちのお尻を眺めて鼻の下を伸ばしている。
その脇に缶ビールが2つ、口を空けたままで浮いているのは、メンターの仕業だろうか。ひとつはマリーさん、もうひとつは名前も知らない鏡先輩のメンターが呑んでいるのか。
どう見ても文芸部のメンバー率が低い。むしろ学生じゃない人までいる。
そりゃもちろん、小鳥遊家にお世話になるわけだから人選に文句を言う筋合いはないのだが、あまりのフリーダム加減がなんだかちょっとひっかかる。
「……世羅、大丈夫か? 車酔いとかしてないか?」
喋らないあたしを心配したのか、運転席のシン兄ぃが、ルームミラー越しに視線を寄越した。
「大丈夫だよ。それより前見て前。危ないよ」
「あ、うん。ごめんごめん……」
別に謝る必要もないのに謝ると、シン兄ぃは運転に集中した。
「……すっかり観光気分だけど、こんなことで合宿になるのかね?」
あたしのぼやきを拾ったトワコさんが、隣の席から声をかけてきた。
「そんなに気張らずにいていいと思うのだけど。せっかくの夏休みなんだし、旅行を楽しむくらいの気持ちでいいんじゃない?」
「……あんたらはそうかもしれないけどね。でも一応言っておくけど、本来の目的は学祭用の原稿作りのためのフィールドワークなんだからね?」
「わかるわよ。これ見たら」
合宿のしおりをぽんと叩く。
「これ、あなたが作ったのよね? なかなか気合入ってるじゃない。素人目にもわかりやすく整理されてて、すごくいいと思う」
「ありがと。でもそんなの、ネットから適当に資料を漁ってコピペしただけだから。大して手間もかかってないわ」
ちょっと謙遜。
本当はものすごく頑張った。目的も、目的地を定めたのもすべてあたしだ。他の人たちの事情を考慮し、日程も組んだ。予算を下ろすのに、学校側と粘り強く交渉した。
――神蔵温泉郷に伝わる歌舞音曲と、ミカグラ様の関連性。
時間的余裕のない中で組んだにしては、なかなかに整った企画だと自負している。
「民俗学っていうのかしら。こういうの、わたしはよくわからないんだけど……」
トワコさんは、「ぱむっ」と手を合わせて微笑んだ。
「すっごくロマンがあるわよね」
「ロマンの塊みたいな人に言われちゃしかたないけど……」
あたしは肩を竦めた。
人にはそれぞれ求めるロマンがあって、たぶんその延長線上にIFはいる。
歴史や民間伝承の中にいる彼ら/彼女らのルーツを探ることが、今回のあたしの目的なのだ。
張本人である彼女には、とてもじゃないが言えないけれど。




