「その治療法は、確実に間違っている」
~~~新堂新~~~
あれから2日経っていた。
あれからってのは、プロレスの夜からってことだ。
普段使わない筋肉を使って、打たないようなとこを打って、だから俺は極度の筋肉痛に陥っていた。
それは2日経っても治らない。歳のせいか、むしろ今日が本番みたいに感じる。
体を動かそうとすると激痛が走る。無理をすれば声が出る。
「ううむ……ぐうう~……」
「あ……ああぁ~っ」
「ちょ……たす………無理っ」
悲鳴を上げながら居間で横になっていた。
ふと気が付くと、外から戻って来たトワコさんがにこやかに見下ろしてきた。
「筋肉痛のいい治療方法を聞いてきたの」
言うなり、戸惑う俺をお風呂場に連れて行った。
「え? え? なになに?」
有無を言わさず服を脱がされた。パンツだけは死守したが、力の強いトワコさんに、無理やりマットにうつぶせにさせられた。
「……へ? ……え?」
ぺたんと脇に座ったトワコさんは、いつの間にか上下白の水着に着替えていた。縁取りが紫のビキニタイプだ。
「なになに? なにすんの?」
トワコさんはガラスのボトルから透明な液体を手にすくうと、両手を揉み合わせるようにした。
粘性のある液体が糸を引く。
なんだろう……どこかで見覚えのある……。
「筋肉痛にはローションを使ったリンパマッサージがいいんだって」
「誰に聞いたのそれ⁉」
「奏」
「ダメだー! それは絶対違うやつだ! 絶対違う用途に使うやつだ! どうせあいつのお宝ボックスに入ってるやつだろ⁉」
「もう! 暴れないで! ご近所迷惑だから騒がないで! 奏が太鼓判押してたのよ! 医学的に保証された完璧な治療法だって! だいたい何なのよ違う用途って!」
詳しくは言えません!
「とにかく奏だからダメなんだっての! その太鼓判は18禁マークみたいなもんだから! 押されてたらダメなもんだから!」
「はいはいおじさん、めんどくさいこと言わない。動かな~い」
「誰がおじさんか⁉ って……ぐううぅ……⁉」
トワコさんの手が背に触れた。
ローションはきちんと人肌に温められていた。
くそ……っ、気が利いてやがる!
そしてちくしょう……これはたしかに気持ちいい!
トワコさんのしなやかな手指が水溶性の滑らかな液体でコーティングされ、極限まで摩擦抵抗をなくしている。それが優しく柔らかく肌を撫でることで、えも言われぬ快感を生み出している。
体の中心から末端へ、血流がよくなり、どんどんと体が温まっていく。
そもそもリンパマッサージとは、血液やリンパ液の流れを促進させるために行うものだ。
だからというか、全身を触れ合わせる目的で行う、いわゆるマットプレイとは相性がいい。
理屈としてはわかる……わかるんだけど……!
ほくそ笑む奏の顔が脳裏に浮かんで、なぜだかすごく悔しい!
「うああああ……っ⁉」
俺の心中の葛藤をよそに、トワコさんの手指は動きを続ける。
臀部から太腿へ、腿裏へ。肩甲骨から二の腕へ、手の先へ。
筋肉痛が、押し流されるように消えていく。
「はぐぅううう……っ⁉」
自然と体が密着する機会が増える。すべすべした膝小僧や、柔らかな双丘が俺の体の裏側に触れる。女の子の体は柔らかくて丸みを帯びてるんだってことを、いやってほど理解させてくれる。
そのつど変な声が出てしまい恥ずかしくなって、顔が火照る。
神経が集中し、感覚はますます鋭敏になっていく。
「ふーっ、ふーっ、ふー……っ」
荒い息を吐きながら、俺は懸命に理性にすがった。
いかんいかんいかん。情欲に押し流されてはいけない。
俺は大人だ。俺は教師だ。彼女の創造者だ。父親みたいなもんなんだ。
父親が娘に邪な感情を抱いてはいけない。
これはあくまでマッサージなのだ。性的ではない、合法的なマッサージなのだと言い聞かせる。
「さ、次は前ね~」
トワコさんが体を裏返そうとしてくるのに、俺は全力で抗った。
「……なによ。どうしていやがるの?」
トワコさんが怪訝な声を出す。
「――ごめん、これ以上は無理だ」
「なにがよ?」
「いやその……男の子としていろいろありまして……。今は動けないというか……」
上を向けないというか……。
「わけわかんないこと言ってないで。さっさと動いてよ。ほら、もう」
俺は必死の抵抗もむなしく裏返されてしまった。
「あ……」
思わず直視してしまった。
初めて見る水着姿。白い布地がローションを吸っていた。肌がほんのりピンクに染まり、ぬめぬめと光を放っていた。
すっきりとへこんだお腹、程よく盛り上がった双丘、なだらかな鎖骨のライン、ほっそりした首筋――すべてがいやらしく、性的な色味を帯びていた。
「あ……」
トワコさんのほうでも、俺を直視していた。
俺の体の下の方に視線がいった。
直後、かーっと顔を赤らめた。
沸騰したように湯気が上がった。
「あの……新……これって……」
「ち……違うんだこれは……!」
「ちょっと……新……もうっ」
トワコさんは唇を噛み――初めて自分の状態に気が付いたように、慌てて胸を隠した。
「あ……新のバカ! スケベ! 人が真剣にマッサージしてあげてるのに、いったいなに考えてたの⁉」
「ち……ちが……違うんだ! とにかく色々違うんだ! これはその……男には色々あってさ……! 生理的に! 本能的に! 理性とは関係ない領域の話なんだ!」
「根性でなんとかしてよ!」
「なんともならない話なんだってば!」
むなしい言い合いをしながら、はたと気づく。
「――と、とにかくそこをどいて! もうすぐ雛が来ることになってるから!」
「あ……? ああ……うんっ。そうか、そうだったわね!」
雛の名を聞いて冷静さを取り戻したのか、トワコさんが身を起そうとして――ローションにつるりと足を滑らせた。
俺はそれを支えようと上体を起こして――やっぱり滑って、転げるようにトワコさんとの上下が入れ替わった。
トワコさんが下で、俺が上で。互いにあられもない姿で。まるで、俺が風呂場でトワコさんを組み敷いているみたいに。
「新くーん。トワコさーん。いないの~? さっきから呼んでるのに~」
タイミング悪く、がちゃりとガラス戸を開けて雛が顔を覗かせた。
前述のような格好になっている俺たちと目を合わせた。
「げ……っ」
「え……?」
「ち……違うの雛! これは……!」
トワコさんがかぶりを振って否定する。
「マッサージをしてたんだ! 筋肉痛がひどかったから!」
「そうよ! そうなの! 徹頭徹尾、それだけの話なの!」
「……あ、うん。そうだよね。大丈夫、わかってる。わたし、わかってる」
雛は青い顔をしてガラス戸を閉じた。
「ふたりとも、お腹減ってるのよね? だからわけわかんないこと言ってるのよね? 大丈夫。わたし、わかってるから。だから今から……朝ごはん作るから……」
一瞬だけガラス戸を開け、目だけ覗かせた。
「……すぐに持って来るからね。……残さず食べてね?」
『…………っ!』
俺たちは顔を見合わせた。
「ちょっと新! あいつ完っ全に自分の料理を武器として認識してるじゃない! どういうことなのよ!」
「よしわかった! すぐ逃げよう! 今すぐだ! 脱兎のごとく!」
身を起こしたトワコさんがガラス戸に向かう。
「――ダメよ新! 鍵がかかってるわ!」
絶望的な顔でこちらを見た。
「バカな⁉ お風呂場だぞ⁉ 外から鍵なんてかかるわけが……」
「これ……把手に何か差してあるわ! 怖い怖い怖い! あの女、本気でわたしたちを殺す気よ⁉」
「雛ー! 俺が悪かった! 許してくれー!」
俺の絶叫はむなしく風呂場に響き、やがて食卓に響いた。
アパート前に迎えのマイクロバスが来た時には、俺とトワコさんはすでに吐きそうになっていた。
かくして文芸部の夏合宿は、波乱含みの幕開けとなったのだ……。




