「十点鐘」
~~~新堂新~~~
重い静寂があった。
誰も口をきけなかった。
互いの心音と、医療機器の音だけが部屋に響いた。
奏は失われた孝の体を追い求めるように数度、手を宙にさ迷わせた。
それが無駄な行為であることに気が付いて――力なく、萎れたようにうつむいた。
「……奏」
近寄ると、しがみつくように抱き付いてきた。
「センセ……孝が……っ」
「……奏」
俺も泣きたかったけど、涙腺にぐぐっときたけど、なんとか耐えた。
心の奥歯を噛み締めながら、奏のショートカットをくしゃりとかき回した。
「孝はよくやったよ。偉かった。きちんと最後まで笑ってた。絶対涙を見せるんじゃねえって、HBMとの約束を守った。なかなか出来ることじゃない。なあ、あいつは立派な弟だ。なあ、奏。おまえの自慢の弟だ」
「うん……っ!」
奏は大きくうなずくと、俺の胸に顔をうずめてわんわん泣きだした。
「――静かに」
しわがれた声が室内に響いた。
低く抑えつけるような声に驚いて、奏は泣き止んだ。
医者じゃなかった。
看護士でもなかった。
集中治療室の入り口に、誰かいた。
銀髪のオールバックの男性。60、70歳くらいか。日本人じゃなかった。無数の皺を顔に刻んだ、白い肌の西洋人。
黒いスーツに黒いネクタイ。誰かの葬儀にでも出席するような格好をしていた。
その世代の人間にしては、どこか剣呑な雰囲気があった。触れれば切り裂かれそうな、武術家や傭兵のようなたたずまいだった。
「……なんだあ? おめがだは」
HBMが初老の男性の前に立った、強い目でにらみつけた。
「葬儀屋のギィ」
初老の男性――ギィは短く名を告げた。HBMとの圧倒的な体格差にも、まるでたじろぐ気配を見せない。
おめがだ――おまえらの複数形――ギィの後ろには、同じく葬儀にでも出席するような格好をした者たちが控えていた。
ギィの合図で、一斉に室内に侵入してくる。
医師と看護師に応接する者。孝が消えた床や、もう動かないばっちゃを調べる者。カメラなど撮影機器の類を探す者。俺たちが怪しい動きをしないか見張る者。
無駄なく役割分担されてた。軍隊のように統率のとれた動きだった。
「ふざけんでねえど……っ」
「――動くな」
拳を振り上げたHBMの喉元に、太刀の柄が突きつけられた。
刃渡り3尺近い太刀だ。黒漆の鞘に納められている。
「むう……」
さすがのHBMもたじろいでいる。
「……葬儀屋。管理機構子飼いの狗共だ」
マリーさんが隣に立ち、説明してくれる。
「IFとこの世との仲断ちをする」
「仲断ち……?」
「IFは、この世の者たちとは性質を異にする存在じゃ。生きるにしても、死ぬにしても、様々な軋轢を生ぜずにはいられない。とくに問題は死ぬ時じゃな。霧の時のように滞りなくいけば良し。このような……」
集中治療室には、今なお多くの医師や看護師がいる。
「衆目の前で死んだ時には、色々と憚りがある。こ奴らはそれを解決するために存在しておる……」
マリーさんは忌々しげにつぶやく。
「……いけ好かない奴らよ。中でもこのギィは悪名高くてな。なんでもかんでも力ずくで無情に仲断ちするから、ついたあだ名が『鉄血のギィ』」
「説明ご苦労」
ギィは言った。
「わかったら下がれ。たかだか婆ひとりガキひとりの死で、これ以上迷惑をかけるな」
まったくの真顔だった。ひとかけらの愛情もないって顔だった。
「んがぁ……っ」
身を振わせたHBMが、取り返しのつかない一歩を踏み出そうとする。
俺はレフェリーみたいに慌ててギィとの間に入った。
「オッケーオッケー。わかった。わかりましたっ。俺たちはこれで解散しますっ。大人しく家に帰りますっ」
「2号……」
納得いかなそうなHBM。
「やだなあHBM! ほら笑顔笑顔! スマイル・アンド・ピース! ラブ・ジ・アース! 人類皆兄弟だよ!」
わちゃわちゃ精いっぱいのコミカルな動きで、HBMの気を紛らわす。
「2号……んだどもよう……」
「――HBM!」
俺は思い切り大きな声で叫んだ。自身の声で鼓膜がびりびりと震えた。
びっくりしているHBMに、まっすぐに言葉をぶつける。
「……試合終了だよ。今はただ……孝の冥福を祈ろう」
「……っ」
HBMは息を呑んだ。
俺を見て、辺りを見た。
孝が消えた空間と、静かに眠っているばっちゃを見て、冷静さを取り戻した。拳を納めた。
「……んだな。悪がった」
みんなを部屋から引き上げさせた。
一番最後に部屋を出た俺の背中に、ギィが声をかけてきた。
「……意外だな。おまえが一番騒ぎそうに見えたが」
心配そうに俺を見ているトワコさんを手で制し、俺は改めてギィと向き合った。
「経験上、おまえみたいなのは間違いなく憤慨する。感情に任せてがなり立てる。身の程知らずにも暴力を振るおうとしてくる。自覚はないのだが、どうにも私の言い方が気に障るらしくてな」
「自覚ないのかよ……」
たしかに感情の薄そうな顔をしてる。任務以外は何も知らない人造人間って感じ。
「……たしかに、自分自身でも意外なほど落ち着いてるんだ。初対面でここまでムカつくやつなんかそうそういないんだけど、まさにあんたがそうなんだけど。なぜだかどうも、やる気にならない」
「恐怖しているのではないのか?」
「あんたにびびってるって? うーん……ちょっと違うかな。説明しづらいんだけど」
少し離れたところで、みんなが心配そうにこちらを見ていた。
「レスラーだから、なんだと思う」
「レスラーとは、戦う職業だろう? だったらなおさら、戦わずに逃げるのをよしとするのか? 悪しざまに言われたまま背を向けていいのか?」
ギィは純粋な疑問、といった感じで首を傾げる。
「ちょっと違う。戦いを見せる職業だ。戦うことで戦い方を教える職業だ」
「……演劇ということか?」
「そうだな。それに近い。実際俺もそうなんだけど、弱くたって戦えるのがプロレスなんだ。どうやって戦かったのか、どんな風に見せられたのか、そこにこそ価値があるんだ」
「……弱者の詭弁ではないのか?」
……これで煽っているつもりがないってのが逆に凄い。
はっ、俺は鼻で笑った。なるべく悪そうな顔で、ギィの胸元に指を突きつけた。
「強い弱いってのはなんだ? 力の強さか? あるいは財力? 地位? なるほどあんたには力がありそうだ。正面からやり合ったって、俺に勝ち目があるとは思えない。でもたぶん、俺にはあんたに無いものがある。そしてそれは、充分力の源になり得る。イコール強さだ」
「……それはなんだ?」
「愛」
「……」
ギィは訝しげに俺の背後を見た。トワコさんを、マリーさんを、奏を、HBMを順番に見た。
「能面みたいな顔したあんたに、それがあるとは思えない。愛されてるとは思えない。愛の強さなら俺のが上。だからほら――俺の勝ちだ」
にたり、とドヤ顔をして見せる。
「――っ?」
ギィは驚きに目を見開いた。
「私の……負けだと……?」
「そうさ。あんたは弱者。俺が強者」
さすがに口プロレスを挑まれるとは思ってなかっただろう。くだらない詭弁だ。子供の口喧嘩レベル。でも勝ちは勝ち。
「だから言ったろ? 戦い方だってさ。力で負けても、そこ以外で勝てばいい。俺たちはこれで一勝一敗だ」
俺はアメリカンなジェスチャーで肩を竦めた。
――は……っ。
最初、それが何かわからなかった。
――は……っ、は……っ。
ギィの目もとが歪んでた。微かに頬が引きつった。
――は……っ、は……っ、は……っ。
わずかに緩んだ口元から、間延びした呼吸音のようなものが漏れている。
それが連続している。
「あんた……笑ってんのか?」
「は……っ、は……っ。そうだな、新堂新。私は今、笑っているようだ」
「どんだけ不器用なんだよ……俺はまた、気でも触れたのかと思ったぜ」
「は……っ。そうだな、私も不思議に思う。初めてだ。笑ったのは。だからこれがどんな風に見えるのかわからん。そうか、気が触れたように見えるのか。そうかそうか……」
ギィは愉快そうに肩を揺すった。
「よかろう。児戯にも等しい言葉遊びだが、新堂新。おまえと私は一勝一敗のようだ」
「お、おう」
見抜かれてらあ。
「おまえとはまた、どこかで会うことになりそうだ」
「俺はあんたとはもう会いたくないんだがな……」
「は……っ。そうか? そうかもしれんな。私もこれ以上ペースを乱されるのはごめんだ。だけどその時は……また、何かで勝負しよう」
「一勝一敗だからか?」
「そうだ」
俺は肩を竦め、ギィに背を向けた。肩越しに手を振ったが、振り返されたかどうかはわからない。
~~~~~~
5人揃って、病院を後にした。
「いやーしかし、センセも大人になったねー」
うんうん、奏は腕組みしながら感心したようにうなずいている。
「勝てないまでも殴りかかるくらいはするかと思ったけど。まさかの口プロレスとはね。あたしは笑いをこらえるのに必死だったよ。さすがセンセ」
「それ……褒めてんのか?」
「褒めてる褒めてる。あたしもリング外でのケンカは見たくないもん。あれで済むなら上等上等」
「んだな……」
HBMがぽつりとつぶやく。
「……あんなのはぁ、リング内だげで充分だぁ」
「HBMは平和主義者だものね」
トワコさんは訳知り顔でうなずく。
「お、トワコさん詳しいね。そこけっこう仲良し?」
意外そうに奏がつっこむ。
「まあ色々、ね」
ふふ、トワコさんは奏に笑顔を返した。
へえ……。
そういや敵討ちって言いながら乗り込んで来たんだっけ。
……なんかあったのかな、このふたり。
「妬けるのではないか? 新」
マリーさんがにやにや顔で俺をつついてくる。
「う……っ」
心中を見透かされたような気になって、俺は呻いた。
「べ、別に俺はその……」
顔が赤くなってしまい、慌ててそっぽを向いた。
「え? え? ホント? 新、嫉妬したの⁉」
トワコさんが凄い食いつきで俺の腕を掴んでくる。
「わたしが他の男と親しげに話してて嫉妬したの⁉ 悔しかったの⁉ ねえねえ!」
「や……その……俺は……っ」
リングコスチュームのままのトワコさんは、当然だけど薄着だ。弾力のある胸の膨らみが腕に当たる。顔が近いので吐息が頬を撫でる。試合で流れた汗が微かに鼻孔を通り抜けて、俺はどうしようもなく赤面してしまう。
「顔真っ赤よ⁉ 新! ねえ新! ホントなの⁉ ねえねえ!」
「も、もうやめてよトワコさん……っ」
俺はたまらず、覆面を被った。HBM2号と化した。
「ちょっと! ダメよ! そんなことしたって誤魔化されないわよ⁉ こら新!」
「……んだば、覆面剥ぎデスマッチ……だなぁ」
ぼそりとHBM。
「ちょ……こら、HBM! 余計なこと教えないで!」
「いいこと聞いたわ! 逃がさないわよ新!」
トワコさんが両手をわきわきさせて俺に迫る。
「うわわ⁉ ダメダメ! ダメだって!」
「新ー! 待ちなさーい!」
みんなに笑われながら、俺は逃げ出した。
トワコさんが笑いながら追ってくる。
俺は転げるように走った。
走って、走って、走った。
呼吸が苦しかったけど、疲れた体は鉛のように重かったけど、立ち止まらなかった。
――忘れたわけじゃない。
ばっちゃのこと。
孝のこと。
ふたりの不在は重く、切ない。
だけどみんな笑っていた。
奏も、もう涙を見せない。
一生懸命に笑ってた。
最後に孝がそうしたように。
十点鐘のようなものだ。
没したレスラーを弔うための10カウントゴング。
もう試合終了ですよって、もう戦わなくていいんですよって。
そう孝に告げるために、教えるために、俺たちは笑った。
辛さを隠して。悲しみを押し殺して。悔しさすらも肥やしにして。
高く高く、天まで響けと笑い声を上げた。
~~~~~
体育館のシャワー施設を利用して着替えた。
リングコスチュームから私服に着替えると、一気に体が重くなった。
「……」
なんとなく手を見た。
ひょろひょろと細く、弱そうな手。
なんでも出来そうに思えたさっきまでとは全然違う。
あー、戻って来たんだな。そう思うと切なくなった。
「お、センセ。待ってたよ」
廊下の長椅子に座っていた奏が、ひょいと手を挙げた。
「トワコさんも待ってると時間かかりそうだから、せめてセンセにだけは挨拶しとうこうかと思ってさ。もう帰るよ、あたし」
「……もう遅いけど、大丈夫か? 送ろうか?」
「あのねえ、センセ……」
奏は大げさにため息をついた。
「あたしももう子供じゃないんだよ?」
「いや子供だろ。むしろ教え子だろ」
「だぁからさ~、そういう気遣いはトワコさんのためにとっときなよ~」
「……トワコさんのため?」
奏は俺の肩をぽんぽん叩いた。
「そうですよぉ旦那ぁ~」
「……なにそのキャラ」
奏はにやにやと目を細めた。
「もう向こうは完全に意識しちゃってるんですぜ? さっきのリアクション見たでしょうが。センセが嫉妬してるって聞いた時のあの顔。あれはもう完全にメスの顔でしたぜ? 完っ璧に、攻略済みの顔してたでしょうが~」
「ゲスい発言をしないように……ったく、おまえは」
軽く頭を叩くと、奏は「ひひひ」と笑って体を離した。
「ま、くんずほぐれつの18禁展開までいくかどうかは任せるけどさ、今夜は優しくしてあげなよ」
今夜は……か。
「あたしもね。今、桃華に会いたくてしかたがないんだ。走って帰って抱きしめたいんだ。ひとり待たせてごめんねって。寂しくさせてごめんねって。あんたのことが大好きだよって。そう言ってあげたいんだ」
「……」
「じゃあね、センセ。今夜はさ、今夜だけは、センセのセンセとしての役割を忘れてもいいんじゃない? 一個人の新堂新となってさ。三条永遠子さんに接してあげなよ、ね? 新」
男の子みたいに笑って、奏は走り去った。本気で家まで走って帰るつもりなのだろうか。走って帰って抱きしめて、驚く桃華の耳元で――大好きだよ――って囁くのだろうか。
「新? 奏はもう帰ったの?」
振り返ると、トワコさんがいた。
濡れた髪をタオルで拭きながら、清々しい顔で立っていた。
「奏は帰ったよ。……マリーさんは?」
「なんだか先に帰るって言ってたわよ? 観たい時代劇があるんだって。HBMとはさっきすれ違ったけど、『とっちゃどかっちゃのとこに行ってくる』って言ってた。あの男、ファザコンでマザコンだから。ふふ。おかしいわよね。おっきな体して」
「……かもな」
なんとなく笑い合うと、トワコさんは俺を促して歩き出した。
「さっさと帰りましょ。わたし、お腹空いちゃった。んー……今夜は何にしようかしらねー? ね、新は何が食べたい? いつもみたいに『なんでもいい』はダメよ? そういうのが一番困るんだから……」
トワコさんの背を追って歩いた。
細い肩だった。抱きしめれば折れそうなほど華奢に見えた。
でも、彼女は強い。
そういう風に俺が創ったのだ。
細身でいながらレスラーよりも力があり、軽業師もびっくりのアクロバットをこなす。忠犬のように俺の傍に常にいる。自分だって疲れているにも関わらず、俺のお腹の具合を第一に心配してくれる。味の好みまで気にしてくれる。
「そういえばHBMが言ってたわよ? たまに試合に出場しろって。さすらいプロレスの興行は、いつでもわたしたちを待ってるって。けっこう面白いかもね。時々スポット参戦する2号と3号って。ふふ……」
彼女との別れはどうなるのだろうか。
俺が老衰して、彼女は今のままで。いつまでも綺麗なままで。
その時彼女はどんなことを思うのだろうか。
痩せ衰えた俺を見て、どんなことを考えるのだろうか。
孝とばっちゃみたいに、笑って別れられるのだろうか。
人間同士だったら死ねば終わり。
でもIFにはその後がある。
彼女はマリーさんみたいに、俺よりももっとずっと長い時を生きる。
生きたくなくても、生きなければならない。
「――ねえ新。聞いてる?」
「……っ」
何かがこみ上げてきた。
衝き動かされるようにして、後ろから抱きしめた。
「――⁉」
「……三条永遠子さん」
「――――っ⁉」
フルネームで呼んだことで、トワコさんはさらに驚き硬直した。
「ど、どどどどどどどどど……どうしたの新⁉ とつぜ……ふぁああ⁉ 息が……っ⁉ 首にぃ……っ⁉」
顔を真っ赤にして動揺している。
はっとしたように暴れ出した。
「ダメよ、こんなところで! どうせこういうことするなら家に帰ってから……ってそうじゃなくて! なんで……その……っ!」
急速にトーンダウンし、「こんな……っ」と蚊の鳴くような声でつぶやくと、トワコさんは諦めたように大人しくなった。
何もできずにいると、トワコさんのほうから声をかけてきた。
「……どうしたの新? 辛かったの?」
肩越しに回した俺の腕に頬を寄せた。優しく撫でてくれた。
「いいのよ? わたしの前なんだから。他には誰もいないんだから。素のままの新でいて? 強がらなくてもいい。かっこ悪くてもいい。悔しかったら怒ればいい。悲しかったら泣けばいい。大丈夫。わたしは、あなたの全部が好きなんだから――」
じわり……それは唐突にきた。
優しくされたことが、ずしんと響いた。
涙腺が決壊した。
今まで溜まっていたものが、一気に目から溢れた。
「ト……ワコさ……ん……っ」
喉が詰まって、何も喋れなくなった。
言いたいことはたくさんあるのに、どれひとつとして言葉にできなかった。
できないまま、俺はそうしていた。
大人なのに。不器用な子供みたいに。
お腹の音が鳴り響いて、ふたり笑い合うまで。
ずっとずっと、トワコさんを抱きしめていた。




