「インスタントヒーロー」
~~~新堂新~~~
リングの上は、大混乱のさ中にあった。
ワイルド☆ミッチーの衣装に身を包んだヒゲさんと、HBM2号を名乗った俺、HBM3号に扮したトワコさん。
前歯をことごとく折られ、すごい顔つきになっているレオ大崎。悲壮な顔をしているクロコダイル大久保。杖を失い足を引き摺っているレインメイカー。
3対3の混戦に、HBM本人が乗り込んできた。
コーナーポストからのミサイルキックでレオ大崎を蹴り飛ばし、俺を救ってくれた。
脇を差しにいったクロコダイル大久保の髪の毛を掴むと、凄まじく痛そうな頭突きをかました。
足を負傷しているレインメイカーは他にやりようがなく、HBMの足に必死の片足タックルを敢行した――ところを捕まえられ、ブレーンバスターで場外までぶん投げられた。
人って空を飛べるんだなあ……、トップロープを超えて描かれた放物線を、俺は呆然と見送った。
――つ……!
――強ええええええええっ!
――さすが真打ち!
――やっぱ1号だわ!
会場のボルテージは最高潮に達していた。
戦いは終局にあった。
「……最後は任すぜ」
ひひ、とヒゲさんは笑いながら、頭を押さえてのたうち回っているクロコダイル大久保を捕えてグラウンドに持ち込んだ。正対しながら胴に足を回し、首を脇の下に挟み込んでチョークスリーパーに絞め上げた。
あとには俺とトワコさんとHBM、そしてレオ大崎だけが残された。
「任すって言われちゃったけど……」
トワコさんは俺の体を後ろから抱きしめたままだ。
「ダメよ新……絶対……。もう……危ないことは……」
ぶつぶつぶつぶつ。呪文のようにつぶやいている。ちょっと怖い。
「ぶっ殺せー! 絞め落せー!」
物騒な応援は古屋先生だ。
「せーのっ」「せーのっ」
『がんばれHBMー!』
奏と孝がいつの間にかリングサイドにいて、姉弟みたいに仲良く声を揃えていた。
――ミッチー! 絞め落せー!
――1号とどめだー!
――レオー! 立ってよー!
――クロコなにやってんだよー!
会場が一体となっていた。一丸となって、試合を盛り上げていた。
いろんな人がいた。
ひたすら声を張る若者たち。
太鼓などの鳴り物を叩いている応援団。
選手名の書かれたタオルを広げている女性。
ビール片手に寝ているお爺さんもいた。
とにかくいろんな人がいて、それぞれのやり方で試合を楽しんでいた。
――2号! 動けよー! 3号といちゃいちゃしてんなよー!
――またさっきみたいの見せてくれよー!
――オレはあんたの動き好きだぞー!
――2号! 2号! 2号おぉー!
「……っ」
俺は自分の掌を見た。
微かに震えてた。
怖いわけじゃない。
たぶんこれは喜びだ。
自分が創った試合。
みんなで創った試合。
俺が観られている。俺が認められている。
「――っ!」
何かがこみ上げてきた。
嬉しくってしかたがない。
楽しくってしかたがない。
「お……あ、あ、ああ――!」
感情が噴き出す。
叫びたくてたまらない。
レオ大崎がそうであったように。
トワコさんですらもそうしたように。
リングの上では、きっと誰もが素直になってしまう。
そうありたいって自分を、そう見てほしいって自分を、むき身のままの願望を、ぶつけずにはいられない。
「――ねえ、トワコさん」
呼びかけながらトワコさんの腕を撫でた。
「……ダメよ」
トワコさんは頑なに首を横に振る。後ろから俺の胴に回した手は力強くクラッチされていて、とてもじゃないが外せそうにない。
俺は小さく息を吐いた。
「今ここにいるみんなはさ、どんな気持ちでこの会場に足を運んだんだと思う?」
「……知らない」
トワコさんはぷいとそっぽを向いた。
俺は会場を見渡した。
「ここって何人くらい入るんだろう。少なくとも1000人以上は入ってるよな。今日日純粋なプロレスファンだけだったらこんなには埋まらないよな。だからいろんな人がいると思うんだよ。興味本位で観に来ただけのカップルや、会社で嫌なことがあってむしゃくしゃしてたOLや、塾をさぼった受験生や、筋肉好きな主婦や、同僚が戦ってる姿を観に来た人や……ってそれは古屋先生のことだけど」
「……」
「楽しんで欲しいよな?」
俺は気持ちをこめて囁いた。
「せっかく観に来てくれたんだ。少なくないお金と時間を消費させて。汗だくで血みどろで、電撃まで飛び交うような激しい肉弾戦を観てもらったんだ。最後をきちっと終わらせて、気分よく帰って欲しいじゃない。家に帰って今日観た試合のことを語って欲しいじゃない。明日クラスメイト相手に盛り上がって欲しいじゃない。嫌な上司に技をかける妄想で、日々を強く生きて欲しいじゃない」
「……」
「……俺はさ、ヒーローになりたかったんだ。プロレスが好きだからレスラーになりたかった。でもこの通り、ビビリで運動神経も皆無だから諦めた。次に描いた夢は小説家だ。でもそいつもご存知の通りでさ。まったくつまらねえ。箸にも棒にもかからねえ。奏にも笑われちまった」
目を細めながら、高いところにあるスポットライトを眺めた。それは熱く光を放っている。室内に現出した太陽のように、すべてを照らしている。
「……この先も、たぶん俺には何もない。きっとずっとどこまでも平坦で、起伏のない人生を送っていくんだと思う。べつにそれが嫌ってわけじゃないんだ。悔しいってわけじゃないんだ。ただ……たださ……」
いつの間にか、トワコさんのクラッチが緩んでいた。
「いまはさ、俺は誰かのヒーローなんだ。いまだけならさ、誰かのヒーローでいられるんだ。全然強くないし、コミカルな動きしかできないし、そもそもHBMの名前を借りてるだけなんだけど……でも、応援してくれる人がたしかにいるんだ。おまえ面白いよって。おまえの試合を観たいって、そう言ってくれるんだ。……こんなの、初めてなんだ。これで……最後なんだっ。――ねえ、トワコさん」
俺は振り向いた。トワコさんの目を覗き込んだ。
まっすぐにこちらを見ていた。黒い瞳の中に、2号の姿が映り込んでた。
HBM2号。背が高くてひょろいだけのコミックレスラー。今夜だけのインスタントヒーロー。
「決着をつけよう。この試合を創ったのは俺たちだ。だから最後までやり切ろう。レスラーなんだから。レスラーは戦わなきゃ。――ね? 3号」
「……っ」
トワコさんの瞳が揺らいだ。肩が揺れた。
しばしの逡巡の後、不承不承というようにうなずいた。
「……でもダメよ? 絶対。危ないことしちゃ……」
ぷうと膨れるトワコさんは、覆面の下からでもそれとわかるくらいに可愛かった。
「行っくぞおおおおおおおおおおおおおーっ!」
俺は片手を高く上げた。指を2本立てている。もちろんブイサインじゃない。
トワコさんが俺の隣に立ち、倣うように3本指を立てた。
「……はっ」
俺たちを見て、HBMは笑った。笑いながら指を1本立てた。
――おおおおおおおおおおっ!
――1号2号3号揃い踏みだああああっ!
声援を背に受けながら、俺たちは動き出した。
レオ大崎が両腕をぶんぶん回し、くの字に曲げて「ダァブルゥッ! ぜんりょくうううっ!」とかやっているところへトワコさんが素早く接近し、腹に膝蹴りを入れて動きを止めた。
俺と左右に分かれて、片方ずつレオ大崎の腕を捕まえた。
がら空きの顔面へ、HBMが前蹴りを突き刺した。
のけぞったレオ大崎を、俺とトワコさんがぐるりと回して頭頂部から勢いよく落とした。
グロッキーになったレオ大崎を、3人、丸め込むように抑え込んだ。
HBM1号2号3号による、スリープラトン攻撃からのエビ固め。
大歓声の中、3カウントを聞いた。
ピンフォール勝ち。完全勝利だ。試合は俺たちの――
「――たああああがしぃいいいいいいいいいいいっ!」
突如、HBMが大声を上げた。
試合終了のゴングを聞くなり、がばりと跳ね起きた。リングから飛び降りた。
孝を引っ掴んで背に負うと、奏と一緒に走り出した。
困惑する観客の間をまっしぐらに駆け抜けた。
「――HBM⁉ 奏! どこへ行くんだ⁉」
慌てて後を追い、選手用の通路に入ったところで覆面を脱いで隣に並んだ。
奏は泣きそうな顔で俺を見た。
「ごめんねセンセ。言う暇なくて……孝は……孝はさ……」
――IFなんだ……。




