「ハイパーバトルマシーン3号」
~~~トワコさん~~~
体育館の医務室にHBMが担架で運ばれたと聞いて、わたしはとるものもとりあえず駆けつけた。
医務室の外にはさすらいプロレスのレスラーがずらりと並び、医者と言い合っていた。
「試合⁉ 冗談じゃない! バカも休み休み言いたまえ!」
試合に出られるかとのレスラーたちの問いに、医者は激怒した。
「後遺症が残るほどのダメージだぞ⁉ 絶対安静だ! 絶対安静!」
「だけど今夜の試合は大事な……!」
「うるさい黙れ! 関係者以外はお引き取り願おう!」
揉み合う両者の脇をすり抜けるように中に入った。高さ厚さのあるレスラーたちが、上手く視界を塞いでくれた。
中には老夫婦だけがいた。
デカすぎるHBMは、医療ベッドをふたつ合わせたところに寝かされていた。
治療はすでに終わっていた。
電撃を受けたことによる火傷とショック。杖で滅多打ちにされた無数の打撲。
とりわけ、電撃によるダメージが大きかった。表面の黒ずみや水ぶくれはもちろん、体の奥深いところまで焼かれていた。内臓、神経系が混乱をきたし、今もまだ、四肢がびくびくと痙攣を起こしている。
老夫婦は肩を抱き合い、HBMを見下ろしていた。
「悪ぃなあ……とっちゃ、かっちゃぁ……」
HBMは老夫婦を見上げ、弱々しい声を出した。
「もうちっと待ってけろ。なんとしてでも、試合には出るがらよう」
「正樹ぃ……」
奥さんが目元をおさえた。
「ばがこぐでねえ。そんたら状態で、出られるわけねえべぇ」
旦那さんは断固とした口調で否定した。
「ばがでねぇ。電流爆破なんて慣れたもんだもの。おらあHBMだぞ? HBMは無敵なんだぁ」
ふたりを安心させるように、HBMは――正樹はほほ笑む。
マスクは外されていた。岩の塊のような無骨な面相だが、目だけがすごく優しかった。
その姿の痛々しさに耐えられなくて、わたしは逃げるように医務室をあとにした。
「──トワコさん! どこまで行くんじゃ!」
マリーさんの声に気づいて立ち止まるまでに、しばらくかかった。
気が付くと、わたしは手に何も持っていなかった。番重はどこかに置いて来た。エプロンもつけていなかった。
「探さなくちゃ……」
ふらりと踵を返したわたしの目の前に、マリーさんが両手を広げて立ちはだかった。
「落ち着け。とにかく落ち着け」
「……落ち着いてるわよ」
喉がカラカラだった。異様に唇が乾いていた。
「どこがじゃ! 目の焦点すら合っていないではないか!」
「だって……わたしのせいじゃない。わけもわからず人を焚きつけておいて……。立ちなさい、戦いなさい? ちゃんちゃらおかしいわ」
階段下で泣いていたHBMの姿――力なく医療ベッドに横たわる息子を見守る老夫婦――
「……っ!」
ぞくりと背筋が震えた。
わたしが追い込んだ。わたしがあの人たちを泣かせた。
──いや、違う。
わたしがけしかけなくても、HBMは試合に出ただろう。
レインメイカーに電撃をくらい、杖でめった打ちにされただろう。
過程は違えど、待ってる結果は同じだ。
わたしが気に病む必要は何もない。
そんなことはわかっている。
理屈じゃなかった。
激烈な、熱の塊が腹にあった。
そうか──これは怒りだ。
わたしは怒っているのだ。
人間相手に力を振るったレインメイカーに。
同胞が痛めつけられたことに。
同胞を戦場に送り出した自分に。
わたしはすべてのものに、怒っていた。
「……トワコさんっ?」
マリーさんの手を振り払い、わたしは駆け出した。
たどり着いたのは入り口の物販コーナーだ。
両団体の所属選手のグッズがワゴンの上に並べられている。
中には、リングコスチュームやシューズ、覆面もあった。
やはり――ひと通りそろう。
「そなた……どうする気じゃ?」
試合開始まであと5分、のアナウンスが流れる。
「どうしてそんなものを……まさか……っ⁉」
驚きに目を見開くマリーさんをよそに、わたしは手近の化粧室に駆け込んだ。
手早く着替えを済ませると、わき目も振らずに会場へとダッシュする。
走った。走って、走って、走って――
気が付けば、そいつを眼下に見下ろしていた。
「――おやおや。珍しいこともあるもんだ。こんなところでご同業にお会いできるとはねえ」
レインメイカーは杖を肩に担ぐと、こきこきと余裕たっぷりに首を鳴らした。
「んで、どうするんです? その衣装を見る限りは、私とやり合おうって感じですか? 生憎とあなたのことを知らないんですが、どこかでお会いしましたかね?」
わたしはHBMの覆面を指し示した。
「1号の敵討ちよ」
ストン、コーナーポストからリング上に降り立った。
「てめえなんだこのヤロー!」
レオ大崎が接近してきた。
足幅は左右にバラバラで、街のチンピラみたいに肩を揺すっている。
両手は腰の位置、すぐに受けに回せるようには思えない。
女だと思って甘く見ているのか。あまりにも不用意な接近だった。
「誰だか知らねえが、女の出る幕じゃねえんだよ! さっさとこのリングから――」
伸ばしてきた手を外側へ弾き、同時に裏拳を顔面に打ち込んだ。
ぶぱっ。鼻血が出た。
「な……ひぇめ……っ」
ダメージに耐性があるせいか、素人みたいに顔面を押さえるようなことはしない。手を伸ばし、こちらを捕まえようとして来る。
常人ならまず間違いなく顔面を押さえ、身を縮こめる。そうしないだけでも大したものだが――甘い。まだまだ状況が呑みこめていない。
「わたしはレスラーじゃないのよ」
「……あ?」
伸ばして来た手の外側に回り込んだ。同時に手首を掴み、巻き込むようにぶん投げた。
「じゅ――」
バアン、マットの上に背中から落とした。
「柔術だと――⁉」
跳ね起きる暇など与えない。
わたしは容赦なく、顔面を踏みつけた。
ゴチャ、鈍い音とともにレオ大崎の体から力が抜けた。
「こいつ……⁉」
クロコダイル大久保は、先輩のやられ方を見て冷静になったのか、重心を低く落として身構えた。
わたしの技を警戒してか、横へ回り込むようにしながら接近して来た。
そういえばアマレス出身だったかしら……。
組み技あり、足へのタックルやスピアタックル(頭突きから入るタックル)などの突進技あり。先輩に比べれば気が利いている。
わたしは半身になり、脱力して待ち構えた。
「おとなしくしやがれ!」
両足を狙ってのタックル。女ひとり、捕まえてしまえばどうとでもなると思ったのだろう。
「――甘いわよ」
両足タックルを、前傾するようにして受け止めた。自身の両足を後ろへ放り出すようにしているので、クロコダイル大久保の手は届かない。
「がぶっただと……⁉」
クロコダイル大久保が驚愕の声を上げる。
がぶり、もしくはスプロウル。レスリングなどの基本的な防御術だ。
タックルを制しながら相手の背面を下方に捉えることで、コントロールを容易くする技術であり――いままさに、わたしの目の前にはクロコダイル大久保の背中がある。
スルリ……わたしは両腕を首横から差し入れてクラッチした。
素早く、鋭く絞め上げる。
「な……がはあっ!」
クロコダイル大久保が苦しげに呻きをあげる。
――何あれ……首絞まってる……⁉
――フロントチョークだ!
静まり切っていた会場が、にわかにヒートアップする。
――あの女ガチだぞ!
――総合かよ!
――つか今、クロコダイル大久保の本気のタックルを切ったぞ⁉
――あいつってアマレスエリートだっただろ⁉
――待て待て、その前のレオ大崎を文字通り一蹴した件に関してだな……!
――グラウンド状態での頭部への蹴りって反則じゃなかったっけ?
満場の視線の中、クロコダイル大久保の手からくたりと力が抜けた。失神したのだ。
――強え! 3号はガチだ!
――3号! 3号!
コミックショーから真剣勝負への一気の変転に、観客は驚愕した。
女だてらにプロレスラーふたりを瞬殺したわたしを褒め称えた。
――3号! 3号!
満場の3号コールに応え、片手を挙げて立ち上がった。
「トワコさんなんだろ……?」
HBM2号が――いや、新が気づかわしげに声をかけてくる。
「なんでこんなことろに……」
わたしはじっと新の顔を見た。HBMの覆面の奥の目が、そわそわと落ち着かなげな色を湛えている。
「……知らない」
わたしはプイと顔を反らした。
「……へ?」
「誰のことかしら。教え子の女の子と遊びに来て? 現地で男の子と仲良くなって? 楽しそうにしちゃってまあ。――ふんだ。そんな人知らないわ。わたしはHBM3号。レインメイカーを倒すためにここに来ただけ。あなたなんか関係ないわ」
ぺろりと舌を出して、新とヒゲさんをリング外へと促した。邪魔だったので、クロコダイル大久保とレオ大崎も担ぎ出させた。
リングに上がって来たレインメイカーと、真正面から向き合った。
レインメイカーは──やつもまた、仲間をやられたことで怒りに身を震わせている。
ぎりぎりと歯を噛みしめ、指先が白くなるほど杖を強く握り締めている。
「これで邪魔はなし。すっきりしたでしょ」
「ほほほ……面白いことを言うお嬢さんだ。たしかに敵討ちをしようなんて言うだけありますね……」
「わかっていただけて何よりだわ」
わたしが煽るように肩を竦めると、レインメイカーはますますいきり立った。
「さて、と――」
わたしはスイッチを切り替えた。
ここから先は未知の領域だ。
電撃杖? 短杖術?
そんな相手と戦ったことはない。戦法も戦術も、ちょっと想像がつかない。
だけどまあ――
わたしは深く深く、息を吸い込んだ。
関係ない。わたしには新がいる。新が応援してくれる限り、愛してくれる限り、わたしは無敵だ。




