「ハイパーバトルマシーン2号」
~~~新堂新~~~
俺のペンネームのHBM2号というのは、改めて言うまでもないことだがHBMを意識した名前だ。憧れのヒーローみたいになりたかったから、恐れ多くも拝借させてもらったわけだ。
だけど、決して「そのもの」になりたかったわけじゃない。
子供じゃあるまいし、いい歳こいて本気でリングに上がりたかったわけじゃない。
痛いのは嫌だし、怪我すると仕事にも差し支える。そもそも怖い。
だのに……なぜ……どうして……。
身長はかろうじて190あるけれど、体重も肉付きも本家には遠く及ばないどころか一般の成人男性と比較してもかなり劣るほうのこの俺が、リングに上がるハメになるのだ……。
――赤コーナーから現れたのはぁ! なぁんとびっくりHBM2号だぁー! HBMが付きっきりで鍛えた愛弟子がぁー! 師匠のピンチを見かねてのリング初参戦だぁー! 刮目して見よ! これが巨人の後継だぁああああー!
「……マジかよ」
無茶ぶり甚だしいリングアナの煽りに答えて、俺は顔を引きつらせながら片手を挙げた。
――おおおー⁉
――なんか出てきたぞー⁉
物販で売ってるHBMのショートタイツにレプリカの覆面を被っただけの俺を見て、みんなおかしそうに笑っている。
「くそう……なんだってまたこんな……っ」
「新堂。掴みはオッケーだな!」
苦悩する俺の肩を、ワイルド☆ミッチーのコスチュームに身を包んだヒゲさんが楽しそうに抱く。
「オッケーじゃないですよもう……。ほら、向こうさんだって怒ってるじゃないですか……」
先に入場していたレオ大崎・クロコダイル大久保組は、俺のあまりにも貧相な体つきを見て、呆然としてしまっている。
「おいてめえ……なんだこいつは! ただのトーシロじゃねえか! HBMはどうした!」
レオ大崎が血相を変えてヒゲさんに詰め寄ってきた。
新世紀プロレスの看板選手相手に、しかしヒゲさんは数センチの距離で睨み合い、一歩も引かない。
「うるっせえよレオ。元はと言えばてめえんとこが悪いんだろうが。さっきのはなんだありゃ? 電撃杖か? 男の勝負にふざけたもん持ち出しやがって。女子かてめえらは?」
「ぐ……」
言葉に窮するレオ大崎の胸をヒゲさんが小突く。
「おんやー? てめえのほうはぴんぴんしてるみたいだなあ? まあ無理もねえか? HBMを倒すための仕掛けだもんなあ? 真正面からいったって勝てねえから、道具を使ったんだろ? ああ?」
「バカヤロ、オレらがあんなロートルごときに……!」
歯を剥き出しにして怒るレオ大崎を、「さすがにこっちのが分が悪いですよ……」とクロコダイル大久保が引き止める。
「いやー、言ってやった言ってやった!」
赤コーナーに戻って来たヒゲさんは、愉快そうに肩を揺すって笑った。
「ヒゲさん……やっぱり俺なんかじゃ……」
「おいおい、新堂。バカ言え。これからだろうが」
「……これから?」
ヒゲさんは青コーナーのふたりに向かって顎をしゃくった。
「見ろよあいつら。いまので完全にオレらに負い目を作った。こっちのワークにゃある程度応じなきゃならねえ」
「ワークったって……」
「論より証拠、だ」
ゴングと同時に、ヒゲさんは容赦なく俺を蹴飛ばした。
「とお……わわっ!」
手足をばたつかせ、前のめりに転んだ。
尻を上に突き出すような無様な格好が面白かったのか、会場から小さな笑いが起こった。
「ちっ……」
苦り切ったレオ大崎に促され、クロコダイル大久保が前に出た。
アマレス出身のクロコダイル大久保が、「ほんとにいいのかな……」とおっかなびっくり俺に手を伸ばしてきた。分厚いグローブみたいな手だ。
捕まったら殺される……!
タツとトラのチンピラふたり組と対した時の比じゃない。
俺は必死でマット上を転がった。
転がり過ぎてニュートラルコーナーにぶつかった。目測もつけずに転がったので、もろに脇腹を打った。
コーナーポストというのは、簡単に言うと鉄柱だ。基本的にはマットが巻いてあるが、下部の方は巻いてない。当たると当然痛い。
「ぐうおおお……っ!」
あまりの痛みにうずくまっていると、さきほどよりも大きな笑いが起こった。
「え……マジで……? 完全に素人じゃん……」
「おいてめえクロコ! 動け動け!」
手を拡げた格好のまま固まっているクロコダイル大久保に、レオ大崎が発破をかけた。
「は、はい!」
クロコダイル大久保はミサイルみたいに猛烈な勢いで突進してきた。
「ひいいいっ⁉」
ヒグマかダンプカーが突っ込んで来るような、もの凄い圧力だ。
ぎりぎりのところで俺が避けると、タイミングがよかったのか、クロコダイル大久保はコーナーポストに盛大に自爆した。
観客はこれもショーのうちと思ったのか、げらげらと指さして笑っている。
クロコダイル大久保は、屈辱で顔を真っ赤に染め上げた。
「て……てめえ避けんなコラ!」
手を伸ばして追いかけてくるのを、全力で避ける。
「いや全然避けるから! そんなん喰らったらミンチになるから!」
捕まったら即ゲームオーバーなので、俺はリングの中を円を描くように必死に走り回った。
「うるせえこのヤロ! 逃げるんじゃねえ!」
「逃げるなと言われて逃げないバカがいるかよ!」
わあわあ、わあわあ。大の大人ふたりの本気の追いかけっこが滑稽に見えるのか、場内からはさらなる笑いが巻き起こる。
――がんばれー!
――捕まんなよー!
温かい声援みたいなものまで送られてきて、なんだか泣けてくる。
「いったいなにやってんだ俺は……⁉」
ぼやきながら走っていると、業を煮やしたのか、レオ大崎がロープ越しに太い足を伸ばしてきた。
後ろにばかり気をとられていた俺は、それを躱せない。
「おぼぉっ⁉」
変な声を出してすっ転んだ。
「よーうやっと捕まえたぜー……」
へへ、と下卑た笑い浮かべながら、クロコダイル大久保が俺の体を捕えて持ち上げた。
「よっし、捕まえてろクロコ。一発で殺してやる」
リングインしたレオ大崎が、ぶんぶかと腕を回している。
――殺すって言った! いま殺すって言ったよあの人!
必死で逃れようともがくが、クロコダイル大久保の羽交い絞めはびくともしない。
ヒゲさんは口元を緩めながら俺を見ているばかりで、助けに入ろうというそぶりすらみせない。
これくらいのピンチは自分でなんとかしろと言わんばかりだ。
ちくしょう……あの真性どSめ……! こっちは素人だぞ……⁉
「殺す……殺す……殺す……!」
目を血走らせながら腕をぶん回すレオ大崎。
「げげ……それはっ⁉」
その姿とセリフを見て思い出した。
丸太みたいな腕を雄たけびとともに相手の首元にぶつける、レオ大崎の得意技、その名も全力ラリアット。
ダメ。死んじゃう。
「トワ――」
トワコさんを呼ぼうと口を開きかけて――すんでのところで思いとどまった。
たしかにヤバいんだけど、命の危機なんだけど、こんな大勢の観客の前で彼女に大立ち回りさせるわけにはいかない……。
――プロレスってのはな、新堂。弱くたってできるんだ。
――負けたっていい。どんなに無様でもいい。お客さんを楽しませれば勝ち。
――なあ、プロレスは面白えだろうが? 新堂。
生命の危機に際し、走馬灯のように思い出が蘇ってきた。かつてヒゲさんに言われた言葉が脳裏をよぎった。
無理やり上げられた学生プロレスの舞台。俺は緊張と不安でガタガタに震えていた。
ヒゲさんのその言葉は、決して俺を勇気づけてはくれなかったけど、開き直らせてくれた。
勝つとか負けるとか、そんなものは重要じゃないんだって。
リングの上で何をするか、観客に何を見せられたか。
それが大事なんだって、ヒゲさんは教えてくれた。
「……っ」
ぎりっ、と奥歯を噛み締めた。
――そうだ。これはショーなんだ。
腹を括ると、俺はより一層暴れもがいた。ぶるぶると首を振り、哀れっぽくコミカルに命乞いをした。
プロの羽交い絞めを本気でどうこう出来るなんて思っちゃいない。
だけどこれは普通の格闘技じゃない。プロレスだ――ならば、暴れることに意味はある。
「……っ」
はたして、全力ラリアットを繰り出そうとしていたレオ大崎の目に迷いが生じた。
ちらりと観客席を見やった──空気を感じとった。
みんなの目には、いまや明らかな好奇が宿っている。
次に何を見せてくれるのか、どんな面白いことをしてくれるのか。
ただ勢い任せに俺をぶっ飛ばすだけでは、もはや誰も納得しない。
「ち……っ」
レオ大崎が舌打ちをした。
そのしぐさの意味を、クロコダイル大久保も正確に受け止めた。
羽交い絞めが緩む。素人の俺でも抜けられるくらいに。
「死ぃねええええええ!」
大げさな動きで、レオ大崎が迫ってくる。
太い腕を、わかりやすい軌道で振るってくる。
タイミングよく、俺はしゃがんだ。
レオ大崎の全力ラリアットの軌道はそのまま――クロコダイル大久保に命中した。
クロコダイル大久保はその場で1回転して背中からマットに落ちた。
レオ大崎は味方に当ててしまったことで動揺し――そこへヒゲさんがドロップキックをくらわせ、リング下へと転落させた。
「よくやった2号!」
ヒゲさんは激励しながら俺を助け起こしてくれた。
「よくやったじゃないですよもう……」
俺は未だにどきどきする心臓を押さえながら立ち上がった。
「だけどこれで決まりだな。これから先、こいつらはショーにつき合うしかない。その間に本命が復活して駆けつけてくれればいいって寸法だ」
「簡単に言いますよね……」
「実際簡単なんだよ。ほれ、つき合え」
俺は言われるがままに、ヒゲさんのプロレスにつき合った。
後頭部をさすりながら起き上ってきたクロコダイル大久保を捕まえ、ふたりがかりでブレーンバスターをくらわせた。
リング下から這い上がってきたレオ大崎をロープ越しに捕まえ、同じようにツープラトンのブレーンバスターをくらわせた。
もちろん向こうさんもやられっぱなしだったわけじゃない。こっちのウィークポイントは当然俺だから、いちいちそこをついてきた。
ヒゲさんのチョップをくらった時には大げさに効いたフリをしてみせて、俺のをくらった時には「なんだ今の?」って聞いてないリアクションをとり(実際効いちゃいないんだろうけど)、逆に俺にチョップを返してきた。加減されているのにも関わらずそそれは死ぬほど痛くて、俺はリングの上をのたうち回って痛がった。
会場は沸きに沸いた。レインメイカーによる凄惨な虐殺ショーのあとだからか、あからさまなコミックショーが逆にウケた。大人も子供も手を叩いて笑ってくれた。
――頑張れ2号ー!
――いいぞー! 負けんなー!
そうして降りかかって来た声援は、涙が出そうなほど嬉しいものだった。
「――なあ、プロレスは面白えだろうが? 新堂」
あの時みたいに、ヒゲさんが囁いてきた。
「……し……っかた……ない。み、認めますよ……っ」
汗だくだった。息が切れてた。全身打ち身と疲労でいっぱいいっぱいだったけど、心の底から笑えた。
――急に、観客の声が途絶えた。
花道の向こうに誰かいた。
言うまでもないだろう。
やつだ。レインメイカーだ。スポットライトを浴びながら、「雨に唄えば」を口ずさみながらやって来る。
「ち……っ、あいつ……! また試合をぶち壊しにするつもりか……⁉」
レオ大崎がロープ際に駆け寄る。
クロコダイル大久保がその隣に並んだ。
「おーやおや。小僧ども。相手を間違えてるんじゃないかね?」
花道とリング上に別れて、両者は睨み合った。
「うるせえ! 邪魔すんじゃねえよ! これはオレの試合なんだよ!」
レオ大崎が吠える。
「だから言ってるでしょう。小僧に任せておけないから私が来たんだってね」
「うるせえ! 言うこと聞きやがれ! てめえはオレの――」
レオ大崎が何かを言いかけ――やめた。
赤コーナー側の――俺たち側の花道に、誰かが立っていた。
――誰だ?
――HBM……じゃねえな……。
――女……?
――サンダー小塚……?
細いシルエットだった。
黄色地に赤い稲妻の描かれた水着みたいなコスチュームは、新世紀プロレス所属の女子レスラーのものだ。
だけど違った。柔道出身のサンダー小塚は、もっとずんぐりとした体型だった。こんなスレンダーなモデル体型ではなかった。
その女はHBMの覆面を被っていた。
満場の視線を浴びながら、片手を高々と上げた。
指を3本立てている。
――3……?
――え、どういうこと⁉
――HBM3号だってのか……⁉
ざわめきとスポットライトを一身に浴びながら、その女は花道を走り出した。
最初はゆっくりと、徐々に速く。トップスピードに乗ると、体操選手みたいな綺麗なロンダートを見せた。絶妙のタイミングで飛び跳ねると、クルクルと回転してコーナーポストの上に着地した。
――おおー!
サーカスの軽業師を思い起こさせる見事なアクロバットに、観客が沸く。
女はコーナーポストの上からリングの上を見渡し――俺のことを一瞬見ると、かすかに口元を綻ばせた。
「………………トワコさん?」
呆然とつぶやく俺の前で、女は――トワコさんは、レインメイカーとの戦端を開いた。




