「トワコさんの恋人宣言」
~~~新堂新~~~
甘酢っぱく切ない思い出とともにやって来たトワコさんに乞われるがまま、俺たちは同棲生活を始めた。
といって、何か特別なことがあるわけじゃない。
3食を手作りしてくれる。
時折手ずから食べさせてくれる。
内装を好みのものに整える。
お揃いのものを並べて同時に使う。
決して広くない部屋で布団を並べて眠り、寝言のように愛の言葉を囁いてくる。
可愛いものだ。
ぎゅっと抱き付いてくる。
息を吹きかけてくる。
意味なく手を繋いでくる。
成人男性としての理性を試すようなスキンシップも時折あって……まあ、それらに耐えるにはかなりの忍耐を必要としたけれど……。
理性と倫理観をフル稼働して耐えきって乗りきって──
いつの間にか3月が過ぎ、4月に入っていた。瞬く間に入学式が終わりクラス分けがされ、俺は副担任として一年一組の担当を任された。
8割方の生徒がエスカレーター式に上がってくる彩南高校では、見知った顔が多い分、他の高校に比べるとみんなのんびりしている。
となると気になるのは直接触れ合う大人である俺や、正担任の古屋先生だろう。みんなちらちらとこちらを窺っては、品定めのような囁きを交わし合っている。きっといろんな噂をしているのだろう。
担任怖くない? とか。
副担任弱そうじゃない? とか。
トワコさんは試験も受けずに彩南高校に入学し、なおかつ俺の担当するクラスに配属された。
IF管理機構の強制権限に基づいて一方的に受理させたという説明だったが、正直自分で言ってても何がなんだかわけがわからない。
まあ、今さら考えるだけ無駄な話ではあるんだろうけど……。
トワコさんは俺の視線に気づいたのか、胸の前でひらひらと手を振って見せた。
「……っ」
まさか振り返すわけにもいかず、俺は目のやり場に困って出欠簿に目を落とした。
「おう新米。とっとと仕切れ、とっとと」
窓際のパイプ椅子で偉そうにふんぞり返っているのが古屋先生。
29歳の女性……教師だ。思わず言葉を濁してしまうくらいの男勝りだ。
目つきが悪く眉毛が薄く、髪型はあろうことかソフトモヒカン。入学式なのにも関わらず服装はジャージにサンダル。元ヤンが先生になったような、そういうイメージ。
「ええ。じゃあまずは自己紹介を……名前と出身と、趣味。あとは一言なにかお願いします──」
先生以外は素直な生徒ばかりで、自己紹介もまずは順調に進んだ。お手本として俺から先に初め、男子が終わり、女子の番が始まった。近藤、佐伯、佐々木……三条。
「三条永遠子です」
トワコさんが立ち上がると、ざわめきが広がった。
「やっべ……超美人……」
「……いい!」
「俺、このクラスで良かった……」
「友達になりたーい」
「これ終わったら速攻メアド交換しよ」
トワコさんはちょっと類を見ないレベルの美人だから、このクラスメイトの反応は想像通りだ。
「この春までは東京にいました。今はこちらの親類の家にお世話になっています」
ちら、といたずらっぽく俺に視線を向けてくるが、気づかないフリをした。同棲してることだけは絶対にバレてはいけない。
「趣味はクラシック音楽を聴くことです」
「彼氏はいるんですかー?」
勇気ある男子が質問した。
「僕なんかどうですかー?」
さらに勇気あるアピールが飛んだ。
「わたしも立候補しちゃおうかなー」
なぜか女子の間からも声が飛んで、クラスは和やかな笑いに包まれた。
「……」
一瞬だけ、トワコさんはいらっとした顔をした。誰も気づかなかっただろうが、微かに舌打ちすらしていた。
おいおいやめてくれよ……。入学初日で問題なんて起こさないでくれよ……。
心中でつぶやく。テレパシーよ届けと念ずる。
俺の願いが届いたのか、トワコさんはニコリと笑顔を浮かべた。
銀幕の中の清楚なヒロインを思わせる、一度見たら忘れられないような笑顔だった。
誰もが一瞬、言葉を失って見惚れた。
「さきほどの質問にお答えします。わたしには彼氏がいますので、他の方の求愛は受けられません」
ええー、マジかよー。方々で悲鳴が上がる。
こんな美人にいないわけないよな、と納得した雰囲気もあった。
これで質問攻めは終わるかなと思いきや終わらなかった。
「どんな人なんですかー?」
果敢な男子の質問に、トワコさんは肩を怒りで震わせた。
「この……有象無象ども……っ」
そのつぶやきを、近くにいた何人かの生徒が聞いた。
「え? いまなんて……」
「うぞむぞ……?」
顔を見合わせる生徒たちの様子に不安を感じた俺は、手を叩いて場を収めようとした。
──わたしの彼氏は、新堂先生です。
ざわっ。
空気が凍った。手を叩く寸前の恰好で、俺は固まった。
直後、爆発のような衝撃がクラス中に広がった。
男子からは悲鳴。女子からは歓声が上がった。古屋先生は座っていたパイプ椅子からずり落ちた。
「──ちょ、え、マジで⁉」
「三条さんだいたーん!」
「ショックだわーありえないわー」
「つか生徒と教師ってヤバくね⁉ ヤバくね⁉」
生徒たちは面白がって騒いでいたが、俺は真っ青になっていた。笑えなかった。こんな初日にありえないカミングアウトをされ、目の前が真っ暗になった。
「先生! ほんとですかー⁉」
「いつから⁉ いつから⁉」
矛先が俺に向かってきた。騒ぎの中心であるトワコさんは、素知らぬ顔で椅子に座っている。そっと目を閉じて膝に手を置いて、他に言うことはありませんって態度だ。
「──新堂」
衝撃から立ち直った古屋先生が、鋭い目で俺を睨んだ。
「いまの三条の話はマジか?」
「や……」
追い詰められた犯人みたいな気持ちになって、俺は声の震えを必死に押し殺した。
「三条さんのジョーク……です」
「……ジョークぅ?」
「……あー、なるほど」
しばらくの間を挟み、誰かがつぶやいた。
「まあたしかにありえないわな。副担地味だし」
「ちょ、おまっ、容赦なさすぎ」
「背は高いけど小動物系だよねー」
「あー、犬みたいな」
好意的な解釈の輪が拡がっていくのに、心の底から安堵した。
古屋先生は、「ジョークねぇ……?」と不審げな顔をしたが、すぐに興味を失ったように次の生徒の自己紹介を促した。