「レインメイカー」
~~~新堂新~~~
突然、その男は現れた。
BGMはなかった。入場時の演出もなかった。気が付いたらそこにいた。
ただのセコンドや介添え人にしては、インパクトがありすぎた。
ゴムまりのように丸々と太った体を白と黒の縦ストライプのスーツに包んでいる。頭には同じ柄の帽子。顔を道化師のような派手派手しいメイクで覆い、持ち手の湾曲した古めかしい杖を携えている。
マット上の選手たちを霞ませるほどの一種異様な風体が、会場中の目を釘付けにした。
「おいあれ……っ」
「雨乞い師だ!」
誰かが叫んだ。
「ザ・ブラッディが来たぞ!」
クルクルと陽気に杖を振り回しながら、その男――レインメイカーはマットの上に上がって来た。
――アイム シーンギ インザ レイン♪
――ジャ シーンギ インザ レイン♪
左右にステップを踏みながら「雨に唄えば」を歌い上げるのを、スポットライトが追いかける。不思議な色気のあるバリトンが、静まり返った場内に響き渡る。
パンフレットによると、雨乞い師と書いてレインメイカー。年齢性別出身すべてが謎。新世紀プロレスのリングマスター――選手たちの統括役で、たびたび試合に乱入しては、まさに血の雨を降らせるが如く暴れまわる。海外のマットに上がった時はザ・ブラッディとも呼ばれ、杖を武器とした残虐ファイトを得意とする。
「おーやおやおやー? さすらいプロレスの皆さん、弱小団体のくせにけっこう頑張ってらっしゃいますねー?」
レインメイカーは、ねっとりと絡みつくような気味の悪い喋り方をした。
「うちの小僧どもが不甲斐ないだけとも言えますがねえ?」
「――IFだ!」
孝が震えるように叫んだ。
『――⁉』
俺と奏は思わず顔を見合わせた。
「孝……いまなんて言ったの……?」
「IFって……言わなかったか?」
「IFだ! IFだよ! あいつはIFだ! ちくしょう! あいつら汚いよ!」
孝は俺らには目もくれず、悔しそうに手すりを叩く。
「HBM! 逃げて! 戦っちゃダメだ!」
孝の悲鳴もむなしく、リング上ではHBMとミッチーが、レインメイカーと向き合っていた。
「おうおうおうおうっ、なんだてめえはあっ⁉」
街のチンピラみたいに肩をいからせ顎をしゃくりながら、ミッチーがすごむ。
「セコンド如きがしゃしゃり出てくるんじゃねえよ! 関係ない奴はすっこんでろ!」
試合のメインはレオ大崎とクロコダイル大久保であり、レインメイカーは選手登録されていない。つまりは介添え人やセコンドと同等の扱いとなる。
ミッチーの抗議は正当だ。
だが、プロレスほどに所在存在の扱いが曖昧な格闘技が存在しないのもまた事実だ。
セコンドは他の格闘技における通常の役割――選手の体調管理や戦術面のアドバイス――だけでなく、場外においては武器を手渡したり、時に直接攻撃を加えたりもする。キャラの立ち方によっては、選手本人よりも目立つ存在となる。試合の決め手にすらなり得る。
その辺の事情をミッチーが知らないわけはない。当然知ってて抗議した──これはショーなのだ。
突然の闖入者に対し、入団したてのレスラーが無謀に突っかけたらどうなるかのかというショー。
レインメイカーというセコンドを、俺は知らない。だけどこの会場の客のざわめきや期待感の高まり方は、尋常ではない。
孝の言葉を信じるなら、あいつはIFだという。
トワコさんや桃華と同じ存在だという。
創造主は誰なんだ? そもそもこんな目立つところに出てきていいのか?
そして孝は――こいつはなんで、IFの存在を知っているんだ……?
様々な思いに胸をざわめかせていると、おもむろにミッチーが腕を伸ばした。
レインメイカーの胸倉を掴もうとしたのだ。
「……ほほほ」
レインメイカーは不気味に笑った。笑いながら杖を閃かせた。
杖の腹でミッチーの腕を弾き、そのままの勢いで額を割った。
パッと血しぶきが舞う。ミッチーはたまらず尻もちをついた。
「――血だ⁉」
奏が悲鳴を上げて孝と抱き合う。
「──⁉」
俺は真っ青になった。
頭蓋骨があるせいで、頭部の血というのは皮下にたまらず外に流れ出る。だから実際の傷の程度はさほどなくても大流血しやすい。
そんなことはわかっている……わかっているんだけど……。
身近な人のピンチは、俺の全身の血を凍りつかせた。
「て……めえっ!」
目に入った血を拭うと、ミッチーはがばりと立ち上がった。
一瞬平衡感覚を失ってぐらついたが、踏ん張って耐えた。
レインメイカーに向かってたたんとステップを踏んで跳び上がり、首元へ向けての蹴りを――至近距離からのレッグラリアートを繰り出した。
「……児戯に等しい」
レインメイカーはこれを杖で受け止めると、回転するように体を回した。着地したばかりで姿勢の低いミッチーの顔面へ、勢いよくバックスピンキックを放った。
「うおっ⁉」
ミッチーはかろうじて腕で受けたが、体勢不十分で、勢いが殺せなかった。
たたらを踏んでよろめいたところへ、レインメイカーの追撃が来た。
ガードの隙間を狙っての、鋭い突き。
「……ぐぶっ⁉」
石突きで容赦なく腹を抉られ、ミッチーが悲鳴を上げる。
痛みに悶絶するミッチーの背中を蹴り飛ばすと、レインメイカーは観客に向かって投げキッスのアピールをした。
「……ほほほ。小僧如きが頭に乗るからですよ! ねえ皆さん! リングの支配者は誰ですか⁉」
――レインメイカー!
観客が答える。
レインメイカーは重々しくうなずく。
「これは慈雨です! 弱く醜き者どもを這いつくばらせ、マットを赤く染める! 故にこそ私はこう呼ばれるのです!」
――ザ・ブラッディー!
レインメイカーは耳に手を添え満足げに微笑んだ。
レインメイカーの後ろに、HBMが立った。
「……ほ?」
振り向く暇はなかった。レインメイカーは飛び込み前転するように前へ避けた。
――バチンッ。
大きな音をたてて、HBMの手が打ち合わされた。
そこに人間の頭があったら血肉のジュースでも作れてしまうんじゃないのか、それほどの恐ろしい威力だった。
「……真打ち登場ってわけですか。ふうん……」
リングの端まで退いたレインメイカーには、ミッチーと戦った時のような余裕は感じられない。
切れ長の目をさらに細め、油断なく身構えている。
杖の持ち手に力をこめ、先端をHBMの喉元に擬した。
「レインメイカー! すっこんでろ! こいつはオレの獲物だ! HBMの相手はオレがするんだ!」
マット下からドタバタとリングインしてきたレオ大崎が、顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
「何を言うか小僧! おまえが手を焼いてそうだから協力してやってるんでしょうに! わざわざ、この私が!」
レインメイカーは突如ヒステリーを起こしたように顔を歪め、石突きで何度もマットを叩いた。
新世紀プロレスの看板同士の意見の衝突――。
「……なになに? 仲間割れ? 異常事態?」
「いや、レインメイカーっていつもあんなだよ」
「んー……いつもとはちょっと違う気がするなあ……レオ大崎があんなに怒ることなんてなかったもん。あれ、ガチギレじゃん」
観客は口々に、この異様な事態について論じ合っている。
「てめえレインメイカー!」
レオ大崎が突進する。矛先はHBMではなくレインメイカー。問答無用でリングから排除しようというのだろうが……。
――バヂリ。
光と音が炸裂した。
杖の石突きに触れたレオ大崎の、120キロはあろうかという巨体が弾けるようにぶっ飛んだ。ごろごろと転がり、コーナーポストに激突してようやく止まり――それきり、ぴくりとも動かない。
シュウウウ……。
煙が上がっている。
腹部に――石突きとの接触面に、黒く焦げ跡がついている。
レオ大崎は白目を剥き、手足をだらりとぶら下げるように意識を失っている。
観客が悲鳴を上げた。
電撃杖……?
頭の中にそんな単語が閃いた。レインメイカーの振り回す杖にはもしかして、そんな機能が搭載されているのだろうか?
だけど、それにしたってここで使うことはないだろう。ワークの域を超えてる。真剣勝負というレベルすら超越してる。
なんでそんなことを……。
「逃げて……逃げて……っ」
孝は目を閉じ、祈るように手を合わせている。
奏が声をかけて落ち着かせようとしているが、効果は見られない。孝はガタガタと震えている。
――わっ。
観客が沸いた。
リング上で動きがあった。
HBMがレインメイカーに対して攻撃を加えていた。
左右のパンチの連打。
それだけだ。スピードのない、単調な打撃だった。
だが威力が違った。
なにせ空手の世界大会で優勝経験もあるHBMの拳だ。硬さも半端ではない。
それが2メートル超の高所から、立て続けに降って来るのだ。いかでたまろうか。
「……ほほほ。なんのこれしき」
うそぶくレインメイカーの表情には、だが微かな焦りがある。
受けに使っている杖がたわむ。
足の踏ん張りが効かず、体が後ろへ流れる。
HBMの打撃の威力が強すぎて、反撃する余地がない。
──わっせっ! わっせっ!
──レインメイカーなんてぶっ飛ばせ!
現金な観客が、今度はHBMの応援に回る。
一撃一撃に思いを乗せるように、掛け声を出す。
「わっせっ! わっせっ!」
奏も一緒になって掛け声を出す。
祈りを捧げるばかりだった孝が、おそるおそる目を開けた。
瞬間、HBMの攻め手が緩んだ。
足が止まっている。汗みずくになり、肩で大きく息をしている。
当然だ。
HBMだって人間だ。万能無敵のヒーローじゃない。
呼吸をしなければならない。乳酸を解消しなくてはならない。エネルギーだって無限ではない。
みんな忘れかけているが、彼はもう、引退していてもおかしくない年齢なのだ。
にたり――レインメイカーが笑った気がした。
笑いながらHBMの拳を躱し、懐へと飛び込んだ。
杖の石突きを、まっすぐに腹へと突き入れた。
再び電光が閃き、会場は悲鳴と怒号に包まれた――




