「緒戦」
~~~新堂新~~~
会場中の声援を一身に浴び、メインイベントの大トリにHBMが現れた。
市の体育館のチャチな照明を浴びながら、なおもその人は輝いていた。
天上から降りてきた戦神のように、あたりを睥睨しながら歩いていた。
花道に無数の観客が列を成す。
スマホのフラッシュが焚かれる。
手を叩く音。床を踏み鳴らす音。
戦神をもてなす楽隊のように、光と音の洪水が出迎えた。
「おおー! けっこうかっこいいね!」
奏が感心したように手を叩く。
「ひさしぶりすぎてなんかもう涙が……っ」
変に感動して涙腺に来てしまった俺。
「ハイパー! バトル! マッシイィイイイイイーン!」
孝はひたすらHBMの名前を連呼している。
会場内もHBM一色に染まっていた。
先に入場していた新世紀プロレスのメインイベンターたるレオ大崎が、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
先に入場しているほうが「格下」扱いというのが、この業界の暗黙の了解だ。にも関わらずさすらいプロレス……というよりHBMが後に入場したのは、腐ってもHBM、のネームバリューに敬意を払った結果だろう。
「……っ」
胸をつかれた。
あれから何年もの年月を経たHBMは、明らかに筋肉が落ちていた。肌には張りがなく、関節の回りは悪くぎこちなく、油の切れたロボットのようにいちいち動きが鈍く、正直見ていられなかった。
だが観客はそんな俺の感想が嘘のように盛り上がっている。わいわいと騒ぎ立て、歓声を送り、はやし立てている。
HBMはのっそりと手を挙げるて観客に応えると、若手レスラーがセカンドロープを押し下げるのを無視して悠々とトップロープを跨ぎ、リングインした。
足が長いアピール。おおお、客席が沸く。
――さぁてお待ちかねー! 遅れて登場したのは赤コォナアー! みなさんお待ちかねのハイパーバトルマシーンだぁ! 2メーター10センチー! 250パウンドォー! まさにリアル進撃の巨人が壁の向こうからやって来たー! 見ろぉ! 人間などひと呑みにしてやるぞといわんばかりのもんの凄い目つきをしているぞぉー!
リングアナに煽られ、会場には歓声と悲鳴がこだました。
HBMはリングの中央でレオ大崎と睨み合った。
赤銅色の肉体にたてがみのような髪型のレオ大崎は、今年で35のレスラー盛りだ。鍛え上げられた頑健な肉体と、ラグビー出身の激しい突進を売りにするパワーファイター。
180半ばという身長はレスラーとしては普通だが、HBMを前にすると頭一つ分違う。大人と子供とまでは言わないが、見た目すさまじい差がある。
しかしもともと負けん気の強い性格であるレオ大崎は、身長差をものともせずに睨み上げている。
試合形式は60分1本勝負のタッグマッチだ。レオ大崎の相方には若手新人のクロコダイル大久保がつく。HBMの相方には黒地にピンクの6連星をあしらったマスクマンがついていた。
あれ……? あの体つき……ぴょんこぴょこ跳ねるようなひょうきんな足の動き……どこかで見たことあるような……。さすらいプロレスの面子なんてわかるわけないんだけど……。
えっと、パンフレットによると……。
冥王星から来た異次元殺法使い。出身は冥王星。得意技はレッグラリアートとムーンサルトプレス。
身長185センチ。体重100キロ。
名前はワイルド☆ミッチー。
「……」
「ミッチーだって。なんだかヒゲさんみたいな名前だねえ」
奏がのんびりと感想を述べる傍ら、俺はだらだらと汗を流していた。
「あれ? どしたのセンセ? 暑いの? 汗だくじゃん」
「あ……んー……。ちょっと興奮しすぎてな……」
俺はぐいと額の汗を拭った。
自称ミッチー。他称ヒゲさん。満島大吾。彩南高校の美術教師だ。学生プロレス出身で、実際若い頃は相当強くて、6大学対抗の学生プロレス頂上決戦で優勝したこともある。
おそらくは顔バレ防止のためにマスクマンなんだろうけど……いやそんな問題じゃなく……。
「マジでなにやってんのあの人……?」
戦慄する俺をよそに、無情にも試合のゴングは打ち鳴らされた。
ゴングと同時に前に出たのは、さすらいプロレス側がミッチー。新世紀プロレス側がクロコダイル大久保だった。まずは緒戦の小手調べ、といったところだ。
身長体重ともにミッチーと同じくらいのクロコダイルは、白タイツも初々しい21歳だ。アマレス出身らしく、筋肉の詰まったいい肉体をしているが、若手ゆえに動きがぎこちない。
手四つ――両手を合わせて行う力比べ――や頬の張り合いなどのお約束を守るのに必死で、持っている能力を充分に出し切れていない。言うなれば、対戦相手に合わせてしまっている。
対するミッチーは、さすが熟練。手四つと見せかけていきなり腕を捕りにいったり、ナックルパートをフェイントにして片足タックルにいったりと、変幻自在な動きでクロコダイル大久保を翻弄し、着実にダメージを与えている。経験が若さを上回っている。
「……ちっ」
レオ大崎は明らかに苦り切って舌打ちをしている。HBMは赤コーナーに寄りかかって余裕の態度だ。
わっ、観客が沸いた。
クロコダイル大久保をボディスラムでマットに叩きつけたミッチーが、首をかき切る仕草をしながらトップロープの上に登ったのだ。
「げえっ……ムーンサルトプレス⁉」
トップロープ上からマットへ月面宙返りをするように跳ぶことからついた技名。ムーンサルトプレス。落下の勢いがつく強烈な技だが、自爆すると一転ピンチに変わる危険な技でもある。
「おいおい大丈夫かよ……」
いい歳なんだからやめとけよ……とハラハラしていると、果たしてその予感は当たった。
立ち上がったクロコダイル大久保が、コーナーに駆け寄りロープを激しく揺すった。ミッチーはバランスを崩してコーナーに尻もちをついた。
「危ない!」
俺は悲鳴を上げた。
クロコダイル大久保がセカンドロープに登り、ミッチーを背後から抱きしめるように捕まえた。そのままバックドロップを決めようとしている。
ミッチーは必死にもがいている――いけない。角度のつく、危険な高さだ。
「HBMだ!」
孝が叫んだ。
大歓声を背にして、HBMがロープを跨いだ。
ミッチーを助けるためにリングインして来たのだ。
「させるかバカやろおっ!」
対抗するように突進してきたレオ大崎を、しかしHBMは顔面への前蹴りでぶっ飛ばした。
さすがは空手出身。首をもがんばかりの凄まじい威力だ。
レオ大崎は転がるようにマット下へ落下した。
「すっごいじゃん!」
肩を抱くようにした奏の言葉に、孝はこくこくと激しくうなずく。
「HBMは凄いんだよ!」
我がことのように喜ぶ。
HBMはもみ合いを続けていたミッチーからクロコダイル大久保を引き剥がし、ハンマースルーでロープにぶん投げると、跳ね返り際の顔面を串刺しにするように、またも前蹴りの一発を叩きこんだ。
クロコダイル大久保はたまらず倒れ、顔面をおさえながらマット下へエスケープした。
一瞬にして、マット上にはHBMとミッチーだけになっていた。
――おおおおおおおっ!
割れんばかりの大歓声が巻き起こった。
たった2発の前蹴りで、場内が沸騰した。
「すごい……! 全っ然現役じゃないか……!」
俺は感動に打ち震えた。
筋肉が落ちたとか、年齢を重ねたとか、この人には全然関係ない。
強い! やっぱりこの人は俺のヒーローだ!
苦り切ってマット上を見つめるレオ大崎とクロコダイル大久保。
HBMはミッチーを助け起こし、割れんばかりのHBMコールに片手を挙げて答えている。
会場は興奮の坩堝と化していた。
――その男が登場するまでは。




