「ハイパーバトルマシーン」
~~~新堂新~~~
ハイパーバトルマシーン。略してHBM。
青地に白のラインの入ったマスクマン。ショートタイツの色も青。
背は高く、公称2メートル10。筋肉質だけど、身長との対比でひょろ長く見える。
メキシカンという触れ込みだが、話し言葉も振る舞いも完全に日本人。たぶん東北人。
メキシカンという触れ込みだが、跳び技などを多用したいわゆるメキシカンスタイルではない王道スタイル。
スタイル──
簡単に説明すると、プロレスにはいくつかのスタイルがある。
実力によるリアルファイトを標榜したストロングスタイル。
ルチャリブレに代表されるような跳び技主体のメキシカンスタイル。
エンターテイメント性を前面に打ち出した劇場型のアメリカンスタイル。
電流、金網、有刺鉄線などをリングに配したハードコアスタイル。
王道スタイルは、相手の技をすべて受けきり、その上での完全勝利を目指すスタイルだ。
そこには古典的なヒーロー観がある。
どんな技をくらっても立ち上がり、最後には必殺技を決めて確実に勝利をおさめる。子供たちの胸を熱くする無敵のヒーロー。
HBMは王道スタイルの体現者だ。そして、子供の頃の俺にとっては神様みたいな人だった。
「あれから何年だよ……まだ現役だったのか……」
最後に彼を見たのはいつだっかた覚えていない。小学の終わりだったか、中学の始まりだったか、その頃に麻薬関連の事件で逮捕され、それ以来見ていない。
だけど当時ですら40を過ぎてたはずだ。約12年が経過したとして……もう50後半?
指折り数えてぞっとした。
ブームが去り、人心が離れ、月日が流れ――かつてのテレビの向こう側のヒーローは、いまやこんな場末の地方プロレスに出場するほどに落ちぶれている。
しみじみと嘆息していると、奏がポップコーンと飲み物を買ってきてくれた。
「お、ありがとう。……ってこれビールじゃねえか」
「言わなきゃバレない言わなきゃバレない」
止める間もなく自分の分のビールをごくごく呑んでしまう奏。
「ダメダメ。寄こしなさい……ってもうこんなに呑んじゃってんのかよ!」
取り上げた時にはすでに遅く、半分以上が奏の胃袋に消えていた。
「ああーあ、もう……」
「ダメダメ、もう呑んじゃったっ。センセが誘ったんだから、もう同罪だかんね~」
へっへーん、とご機嫌で笑い、脇の下に入り込むようにひっついてくる。
「こら、離れなさいっ。ったく、酒を呑もうなんて誘った覚えは……いいか? これ以上はダメだからな? 余ったのは俺が呑むから」
「あー、間接キスだ。やらしー!」
すでに酔っ払っているのか、けたけた笑いながら俺を指さしてくる。
「子供かっ」
「子供だもーん」
悪びれもしない。
「ああもうっ、おとなしく座ってなさい!」
奏を押しやりながら、俺もビールを煽る。
シュワシュワと泡が喉を流れ落ちていく。爽快。至福。
「犯罪的だ……っ! うますぎる……っ!」と奏。
「おかしなアテレコやめい」
俺がすすめた漫画のワンシーンだ。ギャンブル狂いの主人公が放り込まれたタコ部屋で、身を切るようにして稼いだ金で呑んでいたビールの描写が最高に美味そうなんだよなあ。あれ。
「そうか……あの時点から犯行を計画してたのか……。あんな漫画薦めるんじゃ……。いや、こいつはやってた。こいつならやってた。俺は悪くねえ……」
でもなあ……考えてみりゃこいつや桃華との出会い自体居酒屋でだったしなあ……。普段からもうちょっときつく指導するべきだったのか……ぶつぶつ……。
俺の悩みなどどこ吹く風。奏は物珍しげに会場内を見渡した。
「おっおー。けっこうお客さん入ってるじゃん」
バスケットコート4面分の広さがある市の体育館の中心にリングを特設し、周囲にマットを敷いている。片面150、4面で600のパイプ椅子の客席がほぼ満席、2階席にもかなりの数が陣取っていて、地方の興行としては大入りといえる部類だろう。体育館の外には露店なんかも出ているし、スタッフの数も多い。どうやら市を上げてのイベントとなっているようだ。
「まあ新世紀プロレスとの対抗戦だしな……」
「しんせーきプロレス?」
「大手だよ。……まあ知らなくて当たり前か。プロレス自体がいまやマイナーだからな。
テレビ中継なんかもやってるとこだよ。さすらいプロレス単体じゃ、とてもここまでのお客は無理だろうな」
単体だったら町の体育館が精いっぱいってとこだろう。
「ふうーん? センセのヒーローはどっちのほうなの?」
「……さすらいプロレス」
さすらいプロレスは、東北一円を巡業して回る弱小プロレス団体だ。地元のテレビ局で深夜に時たま放映されるのが関の山の、清く貧しい団体。収益も話題性にも乏しく、そんなとこにHBMが所属してるんだと思うと、改めてため息が出る。
ちなみに俺たちが陣取っているのは一番安い2階席だ。本音を言えば、SRS席――スペシャルリングサイド席をとりかたったが、さすがにどこで誰に見られているかわからないのでここにしたのだ。
たしかに安いけど、リングがあまりに遠すぎて、あんまりよく見えないんだよなあ……。
と思ったが、口には出さなかった。
咄嗟とはいえ、奏を誘ったのは自分だし、ここまで連れて来ておいて帰れというのも酷だろう。
「あ、センセ。あれ、あのコ」
「うん?」
奏の指し示したほうに目をやると、2階席の手すりにかじりつくようにして、男の子がひとり立っていた。
小学生低学年くらいだろうか。目の端の垂れ下がった、おっとりと優しそうな目をした子だ。さっき猛烈な勢いで走ってたけど、そうか、これを観たくて急いでたのか。
「さっきのコだよね。ひとりなのかな?」
周囲には連れと思えるような人は誰もいない。ひとりだけで別行動してるのかとも思ったが、どうもそんな風には見えない。
動き回ること自体はいいとして、ちょっと目を離すと危ないかな……。勢い余って手すりから落っこちたりするかもしれない。
「──おまえ、ひとりか?」
声をかけると、男の子はびっくりした様子でこちらを見上げた。
「ひっ……?」
俺の身長を見てぎょっとして、ついでにちょっと涙ぐんでいる。
……あー、怖がらせちまったか。
「ほらセンセ。デカい図体した大人がいきなり声かけるからびっくりしてるじゃん」
しょうがないなあというように、奏が代わりに声をかけた。しゃがみこんで目線を合わせ、優しく男の子の頭を撫でる。
「あんたひとり? だったらお姉ちゃんたちと一緒に観る? お腹空いてない? ポップコーンもあるよ?」
優しそうなお姉さんの登場に、男の子の警戒が薄れる。
「ポップコーン……?」
男の子は奏の手元を見ると、じー……っと物欲しそうな目をした。
「フランクフルトと焼き鳥でもいいよ?」
「フランクフルト……焼き鳥っ?」
男の子の目の光が強くなった。
「ないものをあるように言うな」
「センセが買ってくればあるじゃん。ほら、怖がらせたお詫びだよ」
奏は事もなげに答えた。
男の子――孝をふたりで挟むようにして座った。
孝は椅子に座ってぱたぱたと足を動かしながら、美味そうにフランクフルトにかじりついている。他にもフライドポテトに焼き鳥にたこ焼きに……。
「うわあ。なんだか凄いことになっちゃったぞ」
俺が薦めたグルメ漫画の主人公気取りでほざく奏に腹が立ったので「うるさい黙れ」とチョップすると、やはり同じ漫画の台詞で「やめて! それ以上いけない」と返してきた。
記憶力いいなこいつ。いちいちよく見てるというか。
「へえー。んで孝は、お婆ちゃんにお金渡されてきたんだ?」
「うん。ばっちゃがせっかくだから見に行けって」
「この規模の興行がくるのなんて珍しいだろうからなあ」
ばっちゃはどこにいるんだろうか。家か?
「プロレス好きなんだねえー、孝は」
「うん!」
孝は奏に向かってにぱっと笑った。
「ちなみに誰のファン?」と俺。
「HBMが好き!」
「渋いな孝……」
てっきり新世紀プロレスのほうの人気選手を観に来たんだと思ってた。向こうならテレビの露出もあるし。
正直、今のHBMの知名度なんて知れたもんだと思うんだけど……。
「うん! 昔っからファンなんだ!」
「昔って……」
おまえは何年前のことを昔と言っているのだ。そんなこと言ったら俺なんかもっともっと大昔からのファンなんだが……。
「新もHBM好きなの⁉ 仲間だね!」
にこにこと素晴らしい笑顔で孝は手を差し出してきた。
「まさかの呼び捨て……?」
くらくらした。対等な友達扱いなのか……。
いやいいんだけどさ……。よそよそしいよりはよっぽどいいんだけどさ……。
「ほらセンセ! 握手だよ握手!」
奏に促され、半ば無理矢理握手させられた。
ともあれ──こうして俺たちは友達となったのだ。
~~~~~
試合が始まった。両団体の選手同士がぶつかり合う形式なので、アンダーカード――前座の試合からして盛り上がりが違う。
「おおー! すごいすごい! 思ったより迫力あるねえ!」
プロレス初観戦の奏も楽しめてるようで喜ばしい。
「うあーっ⁉ いまの角度、けっこうえぐかったねえ⁉」
バックドロップを垂直に落としたのを見て、奏は「ひゃーっ⁉」と悲鳴を上げている。
「技の凶悪化に拍車がかかる傾向は相変わらずだよな……」
俺は思わずため息をついた。
王道プロレスは、「受けの美学」を重視したスタイルだ。
素人が受けたら即死しかねないような危険な技を繰り出す。受けた方は平然とした顔で立ち上がる。その一連の流れが売りであり、肝だ。
乱立する他団体との差別化を図るために、新世紀プロレスのそれは昔よりもはるかに危険な方向へと傾いている。バックドロップの落とす角度ひとつとったって、以前よりも明らかに鋭角になっている。垂直落下式――頭頂部から落とすとか悪い冗談だろ?
危険だなあ……子供には刺激が強すぎるかもしれない。
「……孝。楽しんでるか?」
孝の様子を窺うと、孝は膝の上で拳を握り、キラキラした目でリングを見ている。
……心配無用、か。
考えてみりゃ俺も、子供の頃は無邪気に楽しんでるだけだった。選手の技術力の高さを妄信して。あの人たちは特別なんだって。
リングに目を戻すと、対抗戦は終始新世紀プロレス側の優勢で動いていた。
さすがにメジャー団体だけあって選手個々の質が違う。体格、技のキレ、受け身の技術などひとつひとつのレベルが高い。素人に毛が生えた程度のさすらいプロレスの選手では太刀打ち出来ない。
だけどさすがに一方的な試合ばかりでは観客に飽きられるから、新世紀プロレスの選手たちは、一見接戦に見えるような巧妙な試合運びをしていた。
「ああー、後ろ! 後ろ!」
選手たちのワーク――筋書き通りの試合を素直に受け止めて盛り上がっている奏。
「頑張れ……頑張れ……っ」
倒れた選手が立ち上がるのを祈るようにして見守る孝。
「……」
ふたりみたいな純粋な見方はもう出来ないんだなあと、俺はふと、寂しい気持ちにとらわれた。
だって、最後にHBMがどんな勝ち方をしたとしても、それが作り物だってことを俺は知ってるから。ワークであり、シナリオ通りのものだって知ってるから。
古い洋楽のナンバーが会場に流れる。
どっと観客が沸いた。
「──HBMだ!」
孝が弾けるように立ち上がった。
いよいよメインイベントだ。
新世紀プロレス対さすらいプロレスの看板同士のぶつかり合い。
「おおーあれが孝のお気に入り⁉ さっすが、でっかいねー!」
手すりに掴まる孝の横に立つ奏。背中に手を当てているのは落ちないようにとの配慮だろうか。
……いいコだ。内申書の評価を上げてやろう。飲酒に目をつむった分と合わせてプラマイゼロだ。
「よし、みんなで応援するぞ」
俺も立ち上がり、奏とふたりで孝を挟んだ。
「せーの……」
声を揃える。
『HBMー!』




