「ヒーローふたたび」
~~~新堂新~~~
からっと晴れてた。真夏の午後の凶悪な陽ざしが、ちりちりと肌を刺してくる。
風もほとんどなくて、すぐに毛穴から汗が吹き出た。
「外だー!」
奏は両手を突き上げ、全力で叫んだ。
狭霧奏。リスみたいにくりっとした目とショートカットが印象的な、ボーイッシュな女の子。背が高くスレンダーな体型に、ホットパンツと半袖Tシャツというラフな格好が似合っている。
「海だー! みたいに言うのやめようか。ちょっと表に出るくらい、そんな大したことじゃないだろうに」
「あたしにとっては大したことなの! 夏休みに入ってから、実質これが初めてのお出かけなんだから!」
「いやもうちょっと表に出ろよ……」
夏休みに突入してから2週間にはなるぞ? その間ずっと部屋内で過ごしてきたってのか? さすがに心配になるレベルだわ。
「だって桃華が出ないっていうから……」
奏と桃華の関係は、一言でいうなら共依存だ。
奏が必要とした友達成分を桃華が埋め、代わりに桃華は奏の隣の定位置を独占し続ける。
その関係に他者の入る余地はなく、こういった長期休暇ともなると、過ごし方が如実に出る。
桃華が外に出ないと決めたなら、奏も外に出ない。逆もまた然り。
「ひとりで外に出ればいいじゃないか」
「ええー? 無理だよ。寂しいよ」
「……桃華の他に友達はいないのか、おまえには」
「いないよ。そのために桃華を創ったんじゃん。センセにとってのトワコさんみたいなもんじゃん」
「う……」
そう言われるとグウの音も出ない。
あの時の俺がトワコさんを必要としたように、当時の奏も桃華を必要としたのだ。自分にとって都合のいい友達を。いいように扱っても文句を言わない奴隷を。
奏にとっての桃華。俺にとってのトワコさん。
共にIFを持つ俺たちは、いわば同病相憐れむ間柄であり、多少の無理や非常識がきく存在だ。
「……しょうがないな。じゃあふたりでどこかに行こうか」
渋々折れると、奏はいかにも嬉しそうに手を合わせた。
「オッケー! さ、センセ。行こ行こっ」
奏は満面に笑顔を浮かべ、俺の手を引いて歩き出した。周囲の目もあることだし、手つなぎだけは勘弁してほしいと申し出たが、創作活動のことをトワコさんに知らせると脅され、従わざるをえなくなった。
そうして奏が向かったのは、まさかのネカフェだった。無数の本棚と個室型のPC席とドリンクバーのある、ごくごく一般的な全国チェーンのやつだ。
「いやあ……たしかに俺たちはモロに文系だけどさ……」
漫画や小説読んでると、この上なく落ち着くけどさ。
「こういうとこに来るんだったら別に、わざわざ外に出る必要なかったんじゃないか? 家にいたって同じことできるじゃないか。ふたりで本を持ち寄ったりしてさ」
「何言ってんのセンセ! それじゃいつもと変わんないじゃん! ふたりで出掛けることに意義があるんだよ!」
ぴしゃりとはねつける奏。
まあわかるけど……お互いにな。
「世間ではけっこうあるらしいよ? ネカフェデート」
「いやべつに、デートのつもりはないんだけどな……」
抵抗する俺を無視して奏はひとりで盛り上がり、ウキウキと鼻歌交じりに席を決める。
「……おいこれ、カップル席って書いてんじゃねえか」
「んー? あれーそうだったー? 知らなかったー。気づかなかったわー」
「棒読みやめい」
チョップしたが、奏はあくまで愉快そうに俺の背を押した。
「いーじゃんいーじゃん。そんなの名ばかりだよ。2人用にちょっと広めに作ってあって、下にマットが敷いてあるくらいだよ。へーきへーき。人の目はないけど、完全防音ってわけじゃなし、年頃の男女が入ったってちっとも怪しくなんか見られないって」
「……念押しするのが怪しい」
渋面のまま振り返るが、奏はわざとらしく口笛を吹いた。
「桃華とふたりで入ったことがあるから大丈夫。心配しないで。男子と一緒に入るのはセンセがハ・ジ・メ・テ・だから♪」
「そんなこと聞いてないんだよなあ……」
「あっれー? けっこう渾身のキメ顔だったんだけどなあ……」
奏は束の間、ショックを受けたような顔になった。
「ほうほう。これがセンセのおすすめか。意外と面白そうだね。ギャンブル狂いの男が身を持ち崩してタコ部屋にぶちこまれて強制労働させられる話」
「面白いぞー。極限状況に追い込まれた人間たちの、これまた極限の人間関係がいいんだ。昨日の友すら裏切る地獄みたいな状況でも、主人公はきちんと倫理観を保ち続けていてなあ……」
「なかなか堕ちないタフなヒロインをいたぶる話と捉えてもいいよねっ。強制労働を性的な労働に置き換えても捗るなあっ」
「なんで性転換までさせて無理くり官能小説にしちゃうんだよおまえは……」
「えー、あたしってそういうキャラじゃん?」
「ドブにでも捨てちまえよそんなキャラ……」
「ちなみにあたしのおすすめはこれとこれとこれとー……」
「なあ……なんでおまえのおすすめしてくるのは、どれもこれも極端に布地面積の少ない水着みたいな服を着た女の子ばかりが出てくるんだ? しかもなぜか毎回無駄に服脱げるし……。そもそもなんで、この主人公は転びそうな時に女の子のいるほうに向かってダイブするんだ? 明らかにその選択肢はおかしいだろ。女の子のいないほうに転べよ」
「そしたらつまんないじゃーん」
「んー……。そもそもこんなの、女の子が読むもんなのか……? もっとこう、リビドーを持て余した男の子とかがこっそり読んでそうな感じなんだけど……」
「ええー? そんなことないよ? 女の子もけっこう読むって。ここにはさすがに置いてないけど、そういったのの18禁タイプの小説版なんて、女子の間では赤本って呼ばれて有難がられてるらしいよ?」
「真面目に大学受験を頑張ってるひとたちに謝れよおまえは……」
カップル席といったって完全個室ではないし、周りの声や物音もひっきりなしに聞こえてくる。
だから俺たちは小声で話した。時に熱が入りすぎて声が大きくなってしまったり、ふとした拍子に体の一部が接触してしまったりしたが、決して先生と生徒の垣根を超えたものではなかった。そのはずだ。
「やー、けっこう楽しかったね。センセ!」
ネカフェから出ると、あたりは夕焼けに包まれていた。
思い切り伸びをすると、背骨がぼきぼき鳴って気持ちよかった。
奏は夕陽のせいかほんのりと顔を赤らめながら、俺の腕に抱き付くようにしてきた。
「……ふふ。帰ろっか、センセ」
猫がじゃれつくようなその顔を眺めていると、なんだかおかしな気分になりそうだった。
俺は照れ隠しするように時計を見た。
時刻は午後5時を回ってた。
「……さすがに遅くなったかな。桃華が心配してるや。どこまでアイスを買いに行ってるんだって話だよ」
へへへ……、ひとりごちる奏のすぐ後ろを、見慣れぬ少年が走り抜けた。
「わわ……っ」
柔らかそうな茶色の短髪、半袖半ズボン。小学生低学年くらいか、腕を激しく振り、バタバタと懸命に走っていく。
「周り見て走りな。危ないよーっ」
奏が声をかけたが、速度は緩まなかった。少年はただまっしぐらに駆けていく。
「……やー、若人は元気だね。ちょっとあぶないけども」
振り返った奏の目が、大きく見開かれた。黒目がちな目に、驚いたままの俺の顔が映りこんでいる。
「奏……」
低い声でつぶやく。
なにを勘違いしたのか、奏は申し訳なさそうな顔をした。
「あ、ごめん。もうちょっときつく言ったほうがよかった? そうだよね、センセはセンセだもんね。指導とかしなきゃだよね?」
「ああいや、そうじゃなくさ。その……今日のこれさ、もうちょっと……延長してもいいか?」
「へ? あ……そりゃ、いいけど……」
戸惑う奏。
俺は一枚のポスターを指さした。
街頭の掲示板に貼られている市の広報のポスターだ。今日体育館で行われているイベン
トについて記載されている。
「えー? なになに、『新世紀プロレスリングVSさすらいプロレス対抗戦』? プロレス? センセ、プロレス観るの?」
「うん……」
俺はこくりとうなずいた。
「この人さ……俺の……」
心のどこかが硬直していた。突然停止ボタンを押されたように止まっていた。
停止した風景の中にいるのは、ひとりの覆面レスラーだ。
ハイパーバトルマシーン。略してHBM。
彼は俺の――
「ヒーロー……だったんだ……」




