「姉妹たち」
~~~トワコさん~~~
世羅が話しかけると、影の体は徐々に色づき、そのディティールを明確にした。
白セーラーに臙脂のタイ。足元は茶色のローファーと臙脂のソックス。
足が長く腰が高いモデル体型で、肌は白くなめらかで、黒髪ロングがつややかで……。
「嘘だろ……?」
新が震えるような吐息を漏らした。
「……っ」
わたしも一瞬、言葉を失った。
誰かに似ている。
……いや、はっきり言おう。
わたしにそっくりだ。
わたしの黒セーラーを白にして、マフラーを取っただけ。
「なんで……なんでだよ……?」
新は汚れた水溜りに膝をついた。
「なんで……トワコさんが……?」
「……知りたい?」
冷たい目で、世羅が笑った。
水溜りにカードを投げ捨てた。
新はそれを、四つん這いで拾いにいった。
泥まみれになりながら、食い入るように表記を見た。
所属:世界IF管理機構日本支部
氏名:新堂霧
CN:霧ちゃん
NO:00303053025
「これが……霧……?」
「……ねえ、覚えてない? シン兄ぃ。霧ちゃんがいつから髪を伸ばし始めたか。いつからあそこまでシン兄ぃに執着し始めたのか……」
「いつから……?」
「……そうね、鈍感なシン兄ぃにはわからないよね。けっこうね……けっこう昔からなんだよ? 昔から霧ちゃんは日記の存在に気づいてて……だからこいつがシン兄ぃの好みの存在だと気が付いてた。同化して、いつか乗り越えようと思ってた……」
「……」
その時わたしの脳裏をよぎったのは、真理のことを語った時の新の台詞だ。
──とあるキャラに自分を重ねてた。そういう風になりたいと思ってた。共に語らいながら、同化する作業を続けてた──
真理がマリーさんになるために踏んだ手順。あれと似ている。
霧ちゃんは、新の日記に描かれていたわたしを真似ていた。
わたしみたいになれば、新が愛してくれると思ったから。
長い髪、白い肌。頭が良くて、運動神経だって抜群で。世話焼きでやきもち焼き。
時に度が過ぎるほど新のことが好きで、邪魔者は敵と見なす。
世羅の手を経て生まれた相似形の物語。
言うなればそう、霧ちゃんはもうひとりのわたしなのだ。
「霧……? 霧なんだな……?」
新は立ち上がった。
「おまえ……ずっと……俺を……?」
ふらふらと夢遊病者のような足取りで、前に進み出た。
「ひさしぶりだねっ、お兄ちゃんっ」
霧ちゃんは、ぱあっと花の綻ぶような笑顔を浮かべた。
新に向かって走り寄る。
まっすぐに、頭を低くして──
「──新! 危ない!」
新を引っ張り、投げ飛ばすようにして間に入った。
ドンッ。
霧ちゃんは強く踏み込みながらさらに頭を下げ、右のストレート……と思いきや、上から振りかぶるようなロングフックを飛ばしてきた。
──ロシアンフック!?
ロシアンフックは一般的な横回転のフックとは違う、肩を回して上から打つ縦回転のフックだ。
モーションの大きな見た目から受ける印象とは異なり、軌道や出元が予測しづらい。なおかつ霧ちゃんという少女の持つイメージともかけ離れた技だった。
わたしは二重にも三重にも幻惑され、新を突き飛ばした姿勢のままだったことも伴い、対処が遅れた。充分な受けの体勢が作れなかった。
頭を庇うだけの雑なガードの上から、スピードと体重の乗ったフックが炸裂した。
「──っつう!」
重い一撃だった。膝の踏ん張りがきかず、地面に叩きつけられた。
「く……っ」
続く顔面への踏みつけを、ごろごろと横へ転がって躱した。
霧ちゃんはなおも追い足を緩めず、立ち上がりかけていたわたしの顔面に、斧でぶった切るようなローキックを叩きこんできた。
「お……も……っ!」
両腕でガードしたが、受けきれないことがわかっていたので、今度は勢いに逆らわず自分から後ろへ跳んだ。
二転、三転、地面を転がり、勢いをつけて立ち上がった。
「もーっ、なーんで邪魔するのー? せっかくの感動の再会だったのにー」
霧ちゃんはぷんすか怒った。
「お兄ちゃんを寝かせて、お姫様の霧のキスで目覚めさせてあげるつもりだったのにー」
「自分で殴って気絶させておいて、キスで目覚めさせる? どんなマッチポンプよ、それ……」
わたしのつっこみには構わず、霧ちゃんは新に向けて笑ってみせた。
「ね、お兄ちゃん。今度こそ、霧と一緒に遊ぼうね? 今度こそ、兄妹水入らずだからね? ……あれれー? なんでそんな顔してるのー? 可愛い妹がじゃれてるだけだよー? ね、わかった? だからもっと笑ってよー。もっと喜んでよー」
「き……り……?」
新の顔から血の気が引く。
「だーかーらー、なんでそんな顔してるのー? お兄ちゃーん。霧が来たんだよー? お兄ちゃんの妹の、可愛い霧が帰って来たんだよー?」
笑顔のまま、霧ちゃんは語気だけを強める。
「他に言うべき言葉があるでしょー? 他にするべきことがあるでしょー? 久しぶりだね、霧って言ってよ。撫でてハグして、いいこいいこしてよー」
「ねえあなた、もうそのへんに……」
「なによー!」
わたしが口を挟むと、霧ちゃんは怒り顔で振り向いた。
「もうお姉ちゃんは充分楽しんだでしょー!? 今度は霧の番でしょー!? 順番守ってよー!」
「……お姉ちゃん? わたしのこと?」
突拍子もない単語に、わたしは思わず聞き返した。
「んんー?」
なにか変なことを言ったかなー? といった感じで。霧ちゃんは可愛らしく首をかしげた。
「そうだよー? だってー、お姉ちゃんがいなければ霧は生まれなかったんだもーん。だからお姉ちゃんって呼ぶんだよー」
「………………ふうん? そっか、そうなんだ……?」
それは不思議な感覚だった。
誰の腹も痛めてない。
誰の血も引いてない。
そのわたしが、お姉ちゃんと呼ばれる。
血縁関係を強要される。
「はは……あはは……っ」
たまらずに、わたしは笑った。
「ホント……気持ち悪い……っ」
体の内から、笑いがこみ上げた。
「なにこいつ……?」
「お姉ちゃーん……?」
「トワコさん……?」
みんながおかしな顔をしてわたしを見ていた。
世羅も、霧ちゃんも、新ですらも。
怪訝な顔で、わたしの行く末を窺っていた。
「ねえあなた、それ本気で言ってるの?」
笑いが収まるのを待って、わたしは霧ちゃんに正対した。
「IFのくせに、虚ろな存在にすぎないくせに、本気で新の妹になろうって言うの? 撫でてハグしていいこいいこしてもらって? 愛してもらおうって思ってるの?」
「なによぅ……ダメだって言うのぉ……?」
「本気で上手くいくと思ってるの? あなたみたいな女の子を、新が愛してくれると思ってるの?」
「お兄ちゃんは愛してくれるもん……」
わたしの口撃に、霧ちゃんは口をとがらせて不満を露わにした。
「まあたしかにね? 新は優しい人だからね? 愛してるフリぐらいはしてくれるかもしれないわ。あなたを可哀想に思って。顔を引きつらせながら撫でたりぐらいはしてくれるかもね」
「やめてよう……変な言い方しないでよぉ……」
「でもそれは本気じゃないのよ。だって、当たり前でしょ? 新は人間なんだもの。人として、社会のしがらみの中で生きてる。あなたとは違うのよ。全然全部、根底から。上手くいくわけないじゃない」
「やめてってばぁ……」
「やめるのはあなたのほうよ、ねえ人間モドキ。気持ち悪いのよ、化け物」
「や……め……っ」
ぶるっと、霧ちゃんの唇が震えた。
瞬時に双眸が、鮮紅色に染まった。
「やめてよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
霧ちゃんは吼えた。
「やめてって言ってるのになんでやめてくれないのおおおおお!? なんでそんな意地悪ばっかりするのおお!?」
長い髪をかきむしった。
「あんたなんか嫌いよ! 大っ嫌い! お姉ちゃんでもなんでもない!」
瞳の色を赤く染めた。
戦闘態勢を、整えた。
「そうよ、それでいい。そんな歪な姉妹関係なんてまっぴらごめんよ」
わたしは両足を肩幅に開いた。
握った拳を眼前で交叉させた。
「……ふうううぅーっ」
丹田まで入れるようなイメージで、深く深く息を吸った。
そのままぴたりと止めた。
「……こっ!」
鋭く気合を入れ、両拳を腰まで引いた。
同時に息を吐き切った。
肺の中の濁った空気がなくなった。
代わりに、新鮮な空気が入り込んできた。
じっと、霧ちゃんを見据えた。
「恨んでもいいわ。呪ってもいい。わたしはIFだから。新のためだけに存在する女の子だから。新を不幸せにするだろうあらゆるものを、力ずくで排除する。ただそれだけ」
右足を半歩前に出し、左足を一歩後ろに引いた。膝を軽く曲げた。
右手は軽く握って前に出した。
左手は腰元、開手のまま──右半身に構えた。
「──それがわたしのすべて」
瞬間。
溶岩のように熱いものが、胸の奥よりやってきた。
分厚い鋼鉄の扉を融かし、堅牢な錠を破壊して。
奔流のように、全身を満たした。
双眸に、灯り宿った──




