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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「蘇る」

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27/70

「サムバディズ・グレイブ」

 ~~~鏡紅子かがみべにこ~~~




 梅雨の始まりの時期だった。

 気温が高く湿度も高く、セミが泣き喚き蚊が翅を震わす、何かにつけ鬱陶しい時期だった。


 山裾の共同墓地に来ていた。

 あたしは目的の墓から少し離れた石垣の上に座り、墓前にしゃがみ込んで手を合わすひなを遠目に眺めていた。


 日焼けを知らぬ白い肌に、シルクが波打ったような黒髪がよく似合ってた。

 襟だけが白い紺色の清楚なワンピースに身を包んで一心に死者の冥福を祈る姿は、清廉せいれんで侵しがたい美しさを湛えていた。


 綺麗だ、素直にそう思える。

 女としての嫉妬を抱く余地すらない。戦う前から負けている。


「あーあ。やってらんね……」


 手が自然に、スケッチブックに雛の姿を書きつけている。

 格の差を自分自身で確かめてるみたいで本当に嫌なんだけど、残念、これは職業病なのだ。


「ねーねーねー、紅子ちゃん。なんでボインちゃんと一緒じゃないの?」


「……死ねよおまえ」


 わたしは3B鉛筆を動かす手を止め、丙子黒子へいしくろこをにらみつけた。

 印象派の傑作、みたいな雛の姿を見て出てくる呼び名がそれか、恥を知れ。


「ひゅう♪ きっついねー」


 黒子は罵られても頓着とんちゃくせず、軽薄に口笛を吹いた。


 がちがちに固めた銀髪。革のシャツにズボン。ごついブーツ。

 シルバーのアクセをじゃらじゃらぶら下げた昔のビジュアル系みたいなファッションのこの男は、IF持ちであるあたしの指導者メンターだ。


 指導といっても最初の頃に2、3の注意点を示しただけ。

 それ以後は特段何もせず、日がな一日ぶらぶらしては、時折こうして不愉快なタイミングで茶々を入れにくる。

 まったく姿を見かけない日すらあるし、本気で存在意義の不明な仕事だ。


「……おまえってマジでいらねえよな」


 あたしの意見に同調したのか、トートバッグの口からペーパートワコさんが顔を出し、「がるる……!」と威嚇している。


「まーまーまーまー、そんなこと言わないでよ。オレがいないとけっこう困ると思うぜ?」


「これまでもこれからも、あんたは永遠に不要品よ」


「いやいやいやいや、紅子ちゃんわかってないんだって。紅子ちゃんとこの『未来視』はさ、たしかにすげえ能力なんだけど、戦闘力としては皆無なわけじゃん」


「……戦闘力ぅ?」


 いきなり出てきた少年マンガみたいな言葉。

 なんだ、目につけて計測器で数字でも測って競い合うのか。


「オレたちはさ、強い力を持つ者を管理すると同時に、保護してもいるわけ」


「なにからよ。あたしがヒットマンに狙われてるとでもいうわけ?」


 じと……っとにらみつけるが、黒子には動じた気配もない。


「逆に聞くけどさ。もし紅子ちゃんが悪者に捕まって、悪者のために未来視をしろっていわれたらどうするよ?」


「──舌噛んで死ぬわ」 


 即答した。

 恥辱にまみれてまで生きたくはない。


「おーおーおー、クールだね。かっこいいね~」 


 煽るように、黒子は拍手する。


「でもさでもさ、猿ぐつわ噛まされてたら? 歯を全部抜かれてたりしたらどうすんの?」


「……」


「四肢は当然拘束な? 縄か手錠か結束バンドで。あるいはダルマ状態にしちまってもいいな。そんな状態に追い込まれたらさ、いくらクールな紅子ちゃんでも、たぶんこう思うんじゃない? ──舌噛んで死ねる自由があるなんて、それ自体が幸せなことなんだってさ。だったらこのまますべてこいつの言うことを聞いて従って……楽になろうってさ」


「……!」


 そこまで言われると、さすがに鼻白はなじろむ。


「誰がそんなことするっていうのよ……」 


 どこの無法地帯を想定してるんだ。ここは日本だぞ。法治国家だぞ。


「誰がっつうかさ、たぶん勘違いしてると思うんだけど──」


 一瞬、セミの音がやんだ。 

 黒子の顔に、微かな陰がさした。秘密の打ち明け話をするように声をひそめた。


 あたしは引き寄せられるように顔を近づけた。


「……IFってのはさ、もともとそんな可愛いものじゃねえんだ。紅子ちゃんらみたいなのはレアケースなの。本来はもっと衝動的で本能的なもんなんだ。奪いたい犯したい殺したい……無法をするための力の具現化。それがIFの本質だ。だからIF持ちなんてのはどいつもこいつも、頭のネジのとれたおかしな奴ばかりさ。好き嫌いやその日の気分だけで、どんな凶悪犯罪でも行えるように出来てる。ニュースになってないって? 新聞に載ってないって? 見えないだけさ。他の事件や雑事に紛れて気づかないだけ。案外と近いところに──地獄はあるんだぜ?」 


 例えばここにも……とでも言うかのように、黒子はにたりと薄ら笑いを浮かべた。


「……!?」


 ぞっとした。

 慌てて数歩、距離をとった。

 ぶるぶると震えるペーパートワコさんを懐に抱きながら、いつでも逃げられるように身構えた。


 考えてみれば、あたしはこいつのことを知らない。想像以上になんの情報もない。

 どうして前の持ち主に切られたのか、前の持ち主がどんな気持ちで創造したのか。

 それこそ今まさにこいつの言ったような、猟奇的な成り立ちの男なのかもしれない。


 だとしたらどうなる?

 この墓地にあたしと雛以外の人はいない。

 トワコさんもマリーさんも、新に付きっきりだ。

 逃げる準備を整えたところで、女の足で逃げ切れるとは思えない。


 あたしたちの運命は今――こいつの掌中にある。


「──あーらら、怖がらせちった? メンゴメンゴ! いやー、怪談話してるみたいな気分になってさ、ついつい盛り上がっちまった。てへぺろー!」


 リセットボタンを押したように雰囲気を和らげ、頭をかきながら冗談めかして「てへぺろ」する黒子。


「……メンターのチェンジって出来ないの?」


 じっとりと、背中に汗をかいている。心臓が激しく脈を打っている。

 表に出すのは悔しいので、つとめて平静を装った。

 いつも以上にぶっきらぼうに受け答えした。


「出来ないよー。オレが悪いことしなかったら出っ来ませーん」


「……悪いことしたかどうかはどこで判別すんのよ? メンターのメンターでもいるってわけ?」


「これ」


 黒子がズボンのポッケから取り出したのは、シルバーのナックルダスターだ。カイザーナックル、メリケンサックともいう。手のひらで保持し、金属で打面を保護してパンチの威力を上げるための武器。

 それがふたつ。


「メンターによって形は違うんだけどさ、もっとも魂の宿りやすいものが選ばれるんだ。マリーさんだったら日傘。オレだったらこいつ。悪いことするたび黒ずんでいって、最終的には壊れる。そしたら即これ、さ」


 首をかっ切るしぐさをする黒子。


「ほーら、な? オレのなんか綺麗なもんでしょー。ね? ね?」


 たしかに黒子のナックルダスターは鏡のように綺麗に磨き上げられている。

 ……真偽のほどは今のところ定かじゃないが、あとでマリーさんにでも確かめれば裏はとれるか……。


「納得した? 納得した? オッケー。じゃあ座って、座って!」


 ぺちぺちと石垣を叩く黒子の手から少し離れたところに、あたしはドシンと勢いよく座った。

 何が嬉しいのか、黒子はへらへらと相好を崩した。


「んでさ。『メンターとして』もっかい聞くけど、何があったのよ? なんでボインちゃんと離れてんの? ケンカしたわけでもないんでしょ?」


「……資格がないからよ」


「なにそれ? 資格ぅ? わっけわかんねえ。たかだか石ころにもうでるだけでしょ? 資格も距離も、気にすることねーじゃんよ?」


 あたしは憤然として言った。


「──たかが石ころ、じゃない。霧ちゃんのお墓よ。新の妹の霧ちゃん」


「妹ぉ? そんなのいたんだ? 可愛いかった? ボイン?」


「あんたの頭にゃそれしかないのかよ……ったく。亡くなった時は小学6年生だったんだ。そんなもんあるわけないでしょうが」


 最近の小学生は発育がいいから一概には言えないが、少なくとも霧ちゃんにはなかった。

 背高せいたかのっぽの新堂家にあって、彼女だけは唯一発育不良で、体が弱かった。

 枯れ木のように体が細く、学校も休みがちで、常に誰かしらのサポートを必要とした。


 新は面倒見のいいやつだから、当然のごとく霧ちゃんの世話をよくした。

 要求には出来うるかぎり応え、具合の悪いときにはつきっきりで看病してあげた。


 兄妹仲は良かった──良すぎたんだ。


 新があまりになんでもしてくれるので、霧ちゃんは極度の甘えん坊に育った。

 依存しすぎて、本気で「将来はお兄ちゃんのお嫁さんになる」と言ってた。

 周りは笑っていたけれど、本人はいたって真面目だった。


 新に好意を持って近づく女の子に、だから彼女は容赦なかった。

 お兄ちゃんに近づくな──あっち行け──時にそれ以上の罵詈雑言を浴びせた。読書家の血筋でもあったせいか、他人をこき下ろす語彙は豊富だった。


 力がないので直接暴力に訴えることはなかったが、その分陰湿だった。

 玄関口に置かれた新の女友達の靴の中に、画鋲やカエルや虫の死骸……様々なものを詰め込んだ。

 間違ったフリしてバケツの中の泥水を顔にぶっかけたこともある。


 新が注意しても彼女のいやがらせは止められず、結果的に誰ひとり、新の女友達は家に近寄らなくなった。


 ──雛を除いては。


 雛だけは別だった。

 霧ちゃんのいやがらせを受け入れた。あらがうのでなく受け入れた。


 靴を捨てられても、間違ったふりをして花瓶の水をかけられても、一度たりとも激することなく、無抵抗主義を貫いた。

 何をされても胸を張って、正面から彼女の目を見た。


 そんな聖者のようなたたずまいに呑まれたのか、霧ちゃんも雛にだけは心を開くようになった。

 やがてふたりで談笑するまでの間柄になった。


「……だけど死んだ」


 あたしは追憶に身を震わせた。


「ちょうど林間学校の夜だった。新がいない時に火事が起きた。全焼。全員死亡。新はひとりになった……」


 雛は未だ、墓前に手を合わせている。

 口もとがもにょもにょ動いているのは、きっと話をしてるのだろう。

 自分のこと、新のこと。霧ちゃんが知りたがるだろうすべてを。


「……だから、あの墓に手を合わせる資格があるのはあのコだけなのよ」


「新自身はよ? 命日なんでしょ?」


 それは当然の疑問だ。


「覚えてないのよ……」


 あたしはかぶりを振った。


「覚えて……ない?」


「事件直後の新は、そりゃあひどい落ち込みようでね。何も喉を通らないし、寝ようとしないし……このまま即身仏そくしんぶつになって家族の後を追うんじゃないかとすら思えた。雛も辛抱強く面倒を見てはいたけど……それが慰めになってるようには見えなかった」


「……」


「だけどある時ね? あいつ、別人みたいに明るくなったの。元気よく挨拶して、もりもり食べて、遊んで……。失ったものを取り戻すみたいに溌剌と活動してた。みんなはね、わざと明るく振る舞おうとしてるんだと思ってた。気丈に生きようとしてるんだって──だけど違った。忘れてたの。家が焼けたことは覚えてるのに、家族がいたことも覚えてるのに、肝心のディティールを覚えてない。父がどんな顔だったか、母がどんな顔だったか、妹がいたのかいないのか──。大切に想っていたすべてを忘れることで、あいつは危うい均衡を保ってた……」  


 解離性健忘かいりせいけんぼう。専門的にはそういうらしい。

 極度のストレスを与えられた人間が起こす防衛反応のひとつなんだとか。


「卒業する前に、あいつはふらりといなくなった。ホテル暮らしをやめて東京の親戚のもとに身を寄せた。あたしたちはいきなり、その事実だけを先生から教えられた──」






 ~~~小鳥遊雛たかなしひな~~~




「久しぶりだね、霧ちゃん。ごめんね? ひとりにして。寂しかったよね?」


 墓石を洗い、花をお供えし、線香に火を灯した。


「えっへへへー。お詫びのしるしに、徳太郎とくたろうのモナカを持って来ました~。霧ちゃん好きだったよね? みっしり餡子あんこが詰まってて美味しいの! ね? 嬉しい? 嬉しい? ホントはわたしの手作りで持ってこようと思ったんだけど、紅子に全力で止められちゃったんだ~。なんでだろうね?」


 モナカをお供えし、手を合わせた。


「今日はね、ご報告があります。なんとなんと、新くんが戻って来たの! ね、驚いた!? 驚いたよね!? わたしもびっくりしたの! なんせ6年ぶりだから、どれだけ変わってるかと思ったら、これが全っ然変わってないの! あ、成長してないってわけじゃないよ!? 背はもっと大きくなってたし、髭も濃くなってカイゼル髭みたいになってたし……って伸びすぎだろっ」

 

 びしぃっ、と自分にツッコミ。


「ひひひ……。それはさすがに盛りすぎでしたっ。とにかくね、新くん、大人の男になってたよ? すっごいかっこよくなってた。それでいて、中身はあの時の優しい新くんのままだった。わたしたちが大好きな、あの温かい目をしてた」


 わたしはスマホを取り出して画像を開いた。

 寝てるとこ、ご飯食べてるとこ、持ち帰り仕事を頑張ってるとこ。

 たくさんの新くんがそこにいた。


「ほら、見て見て! 秘蔵の新くんギャラリー! メイドバイわたし! ね? ね? 可愛いでしょー!? わたしが思うに新くんはさ、きりっと仕事をしてる時より、ぼんやり寝起きの状態のほうが素敵なの! 爆発したみたいに髪の毛が逆立ってて、直したつもりでも端っこがピンと立ってたりする抜けた感じがキュートなの! ね? ね? みんなわかってくれないけど、霧ちゃんならわかるよね!?」


 ……寂しさが、胸元を通り過ぎた。

 昔もこんな風に霧ちゃんとよく話をした。

 わたしと彼女とはお互いの新くん観をぶつけ合えるライバル関係であり、親友だった。


「……世羅ちゃんがさ、文芸部の部長やってるんだって。……また、新くんの前に現れたんだって。……彼女は変わったのかな? ……まだ、新くんを恨んでたりするのかな?」 


 あの時の世羅ちゃんの顔を思い出すと胸が痛む。


 まだ小さかった世羅ちゃんが、新くんを殴った。

 身長差がありすぎて顔までは拳が届かなかったから、太腿を殴った。

 あたりもはばからず、泣きながら責め立てた――


「……ね、おかしいよね。彼女は霧ちゃんと仲良しで、新くんとも仲良しだったのに。シンぃシン兄ぃってじゃれついて遊んでたのに。なのになんで……」


 ――どうして、いがみ合わなきゃいけないんだろう……。





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