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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「愛の花たち」

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22/70

「愛の花たち」

 ~~~トワコさん~~~




 かなでの家での戦いから一夜明けた翌日、ふたりは何事もなかったかのように普通に登校して来た。


 桃華とうかの顔面の傷は、さすがIFの回復力というべきか、ちょっと鼻の頭に絆創膏を貼るぐらいで隠すことが出来ていた。身のこなしにもとくに不自然さはなく、腹部や背中へのダメージも残っているようには見えなかった。

 奏に関してはもともと傷のきの字もないため、ふたりは表面上、何事もなかったかのように授業を受けていた。


「しかしよかったよ。あれなら傷跡も残らなそう」


「残るわけないじゃない。相手はIFよ? タフさに関しては折り紙つき。自然にご主人の望む形に再生するわ」


 昼休みの屋上で新とふたり、食事をとっていた。

 金網を背にして並んでいた。


 新は購買で買った惣菜パン。

 わたしは自分の分だけの手作りお弁当。

 本当は新の分も作ってあげたいのだけど、「さすがに人目が……」と拒否された。残念。


「そうは言うけどさ。女の子だろ? 一生もんの傷が残ったらと思うとどうしても、ね?」


「ふうん……」


 じと目で顔を覗き込むと、新はぎょっとしてパンを喉につまらせむせ返った。


「……わたしも女の子のつもりなんだけどねえ? 切り傷に打撲に引っかき傷と、けっこう傷物になったつもりだったんだけど。桃華のことは心配して、わたしのことはしてくれないの?」


「え、ほ、ホント⁉」


 ほら、と腕をまくったりセーラー服の胸元を開いて見せたりした。

 でも傷あとはない。

 真っ白すべすべ。綺麗なものだ。磨きに磨いた自慢の肌だ。


 じっくりまじまじと見つめて──ようやくからかわれていると気づいた新は顔を真っ赤にして目を逸らした。


「やめてよトワコさん……心配するじゃないか」


「そういうことは品行方正な大人がいう台詞だと思うんだけれど」


 昨晩の件を当てこすると、新は呻いた。  


「逆にわたしのほうから、心配させないでと言わせてもらいたいわね」


「……面目次第もございません」


 ぺこりと素直に頭を下げる新の頭を撫でる。


「うむ、許そう」


「ははー」


「よーきーにーはーかーらーえー」


ぺちぺちぺちぺち、愛をこめて新の頭を叩く。 


 ……ああ、楽しい。


 口もとがにやける。

 じんわりと幸せがこみ上げてくる。


 こういうなんでもないやり取りが好きだ。

 ただ一緒にいて、益体やくたいもないことを喋って、体を触れ合う。


 それだけのことに、たまらない充足感を覚える。

 そよ風に吹かれながらお日様に当たりながら、いつまでもこうしていたいと願う。


「おーおーおー。見せつけてくれるねえ、おふたりさん」


 呼んでもいないのに、余計なやつらがやって来た。

 奏と桃華だ。手に手に弁当を持っている。


「……なによ。邪魔しに来たわけ?」


 新との時間を邪魔され不機嫌な気分で立ち上がると、桃華が慌てて奏の後ろに隠れた。

 鼻の絆創膏すらも見えないような位置まで引っ込んで、目だけをこちらに向けてくる。


 目にあるのは明らかな怯えの色だ。

 いかにタフなIFといえども、痛みの記憶は消せない。

 顔を打った拳が、腹を蹴った足が、ぶん投げた手が、鼻を潰した頭が、鋭い凶器のイメージとして桃華の脳裏にフラッシュバックしているはずだ。


「……それとも、もっかいやる気?」


「しゃー!」と猫のように威嚇すると、桃華は「ひっ」と怯んだ声を上げ、完全に奏の背に隠れた。


「ちょっと、トワコさん――」


 不穏な空気を察した新が、わたしたちの間に割って入ってくる。


「で、どうするつもりなのよあなたたちとしては?」


 腕組みして、じっと奏をにらみつける。


「えー? 別に、どうもしないよー?」


 奏はあっさりと答える。まったくなんのしこりも残っていないような、晴れ晴れとした表情だ。


「……なんの謝罪もなしって?」


「と、トワコさんっ。昨夜のことはもともと俺が悪かったんだから、ここはどうか穏便に……」  


「お、センセってば優しー」 


 奏は嬉しげに目を輝かせた。


「それとも、本気で緊縛に目覚めちゃった? なんならあたしと、今度は本格的にやってみる?」 


「やらねーよ! あれのどこに目覚める余地があるんだよ! あーもう! おまえには一度きちんと指導してやる必要があるな! こっち来てここに座れ!」


「な……⁉ こ、こんなところであたしを調教しようっての⁉ センセ、さすがにそれはマニアックすぎるよ! いくらなんでも……せめてもっと人目のないところで……!」


 わざとらしく恐れおののく奏。


「ひとっことも調教なんて口にしてねえよ! 指導だよ、し・ど・う!」


「まあ指導自体にも淫靡いんびな響きはあるけどね! 生徒指導員とか生徒指導室なんてエロさの塊だよね!」 


 ぐぐうっと拳を握る奏。


「一切ねえよ! おまえは全国の指導者各位に謝れよ!」


「ごめんねセンセ! 反抗的なあたしを生徒指導して! 二度と逆らう気が起きないように厳しくしつけて!」


「おまえの言い方には他意しか感じないんだよ!」


 うがー、と頭をかきむしる新。茶化して遊ぶ奏。

 ふたりのあまりの勢いに、わたしと桃華は口を挟めない。


「……結局なし崩し的に一緒にお昼をとることになっちゃったか。……まったく、新ったら女の子には甘いんだから」


 指導……のはずが、団先生の著作について熱い議論を交わし始めた新と奏を遠巻きに見つめ、わたしと桃華は並んで座った。

 といって、ぴったり寄り添っているわけではない。桃華には接触型の異能があるし、わたしには磨き抜かれた古流武術がある。

 一見仲良さそうに見えるかもしれないが、水面下では腹の読み合いを続けているのだ。


「──昨夜の件、奏はともかく、あなたはどうするつもりなの?」


 わたしの質問に、桃華は答えなかった。

 体育座りしたまま、まったく違うことをつぶやいた。


「……先生って変な人だね~。わたし~、エロトークで奏ちゃんと対等に話せる人初めて見た~」


「エロトークっていうか、奏の祖父のエロ小説家・団寅吉だんとらきちの著作を勉強したことがあるのよ。新は」


「エロ小説の、勉強~?」


 うろんげな顔。


「なんて言ってたかな。人の業とか、情とか、身ごなしとか、表現技法を学ぶためなんだって。新って文学青年崩れだから」


「へえ~……」


「しかも純文志望なの。今は書いてないみたいだけど……だからわたしの日記なんてひどいものよ? たかが髪をかき上げるしぐさだけに1ページ丸ごと使っちゃうんだから。『トワコさんは髪をかき上げる時、必ず首から動かす。ゆっくりと時計回りに回転させ、空いたうなじから指を差し入れる。漆黒の川面かわもに真白きさおを突き立てるような、それは神秘的な光景だ――』って。笑っちゃうわよね」


「ふう~ん……」


 桃華は抱えこんだ膝に顔を埋めるようにして、ぼんやりとわたしの話を聞いている。

 その目線の先には新と奏がいる。

 喧々諤々(けんけんがくがく)と自論を戦わせている。

 自主規制の境目とか、言葉狩りとか、ぱっと聞いた限りでは学術的で文化的な会話なのだけれど、エロ小説のことについての熱弁なのだと考えると力が抜ける。


 自分の趣味を真っ向からぶつけることが出来る。

 クラスメイト相手とは違って、隠す必要がない。

 だからだろうか、新と話す奏は楽しそうだ。目をきらきらと輝かせ、リスが戯れるようにじゃれついている。


「……ねえあなた。もしかして、嫉妬してたりするの?」


「べっつに~……」


 桃華はわかりやすく口を尖らせた。


「奏ちゃんが楽しければわたしは楽しいんだもん。嫉妬なんかしてないもん……」


 ずっとふたりでいた彼女たち/わたしたち。

 誰ひとり立ち入れなかったふたりの間にすぽっと入りこんだ新/奏。


 気持ちは手に取るようにわかる。

 だってわたしと桃華は、ご主人の愛情を失ったIFの末路を知っているのだから――。


 新と奏の会話に割り込む者がいた。

 小鳥ことりだ。

 エロトークにたびたび口を挟んでは、休まずスケッチブックに鉛筆を走らせている。


「いつの間にかふたりも増えてるしぃ~」


 桃華がぶうたれる。

 やたら騒がしい小鳥の陰に隠れて目立たないが、委員長の真理の顔もある。


「そこ! そこをもっと詳しくお願いするっす! 鞭打たれた幸子はそのあとどうしたんすか⁉」


「痛みを快感に感じるようになってたから、恍惚とした目で信彦のことを見上げたんだよね?」


「いや違うだろ。その時点ではまだ快感と呼べるものじゃなかったはずだ。『痛みと屈辱の中に萌芽する、痒さにも似た感覚』に戸惑っていたんだ」


「ええー、そうだっけー?」


「ふぉおおおお、来た来たー! 来たっすよ! 創作イメージがバリバリ来たっす! 夏の新刊はこれで決まりっす! 教師新堂と生徒奏の道ならぬ恋! 緊縛というニッチなジャンルに新風を巻き起こすっすよー!」


「ちょ、やめてよね! あたしらをネタにすんのは! 素直に幸子と信彦の二次創作でいいじゃない! わざわざ身近な人をモデルにしないでよ!」


「えー⁉ だってそのほうがイメージしやすいじゃないっすかー!」


「やめてってば! センセはいいけどあたしをモチーフにしないで!」


「俺だってよくねえよ! 小鳥……マジでやめてくれ……この前も似たような目にあいかけたんだから……」


「ちょ、センセ⁉ その話は……!」


「お? お? お? なんすかなんすか⁉ スキャンダルの匂いすか⁉ 是非詳しく! 詳細につまびらかに! 桃色の脳細胞に電流が走るっすよー!」


「ぴよちゃ~ん……もうやめようよ~……」

 

「……あのふたりはなんなの~?」


 賑わいが増すにつれ、桃華のいら立ちも増す。


「色々あって、わたしたちの事情を知ってるの。その一件以来仲がいいというか、ああしてすり寄ってくるのよ」


 ある種の連帯感のようなものが、わたしたちと小鳥たちとの間にはある。同じ痛みを共有したという感慨がある。

 だからか、こうして話に混ざってくる機会が多い。 

 

「むうぅ~ん……!」


 ぜんっぜん納得できない、って表情で拳を握りしめた桃華が立ち上がった。


「ダメダメダメだよ~! 奏ちゃんはわたしのなんだから~!」と騒ぎながら、輪の中心にいる奏に後ろから抱きついていった。


 わたしを見て。わたしだけを愛して。

 彼女の主張はわかりやすい。 

 わかりやすく嫉妬して、ストレートに口に出来る。

 その素直さがまぶしい。うらやましい。

 それは今のわたしにはないものだから。

 今のわたしは……なぜだろう、すごく臆病になっている。



「……」


 騒ぎの輪を外から眺める。

 わいわいきゃーきゃー。あっちへ押されこっちへ引っ張られ、色とりどりの花たちにもみくちゃにされている新は、困った顔をしているけれど、どことなく幸せそうだ。

 それはそうだろう。綺麗どころのうら若き乙女たちに懐かれてもて囃されて、成人男性として気持ちが華やがないわけがない。

 家に帰れば雛がいる。紅子や勝らとの旧交も心強い。仕事もまあまあ上手くいっている。


 新は今、幸せなのだ。

 たぶんわたしがいなくても──。


「──⁉」


 こみ上げてきた吐き気に、わたしは震えた。

 そんな想像を自分がしたことに怯えた。

 新がいればそれでいいと思っていたのに。

 それ以外は何もいらないと思っていたのに。

 新の幸せを願えば願うほどに、自分の存在の矛盾を思い知らされて、打ちのめされて──。  


 ……どうしたらいいのか、わからなくなる。



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