「バトル・メイデン」
~~~トワコさん~~~
IF同士の戦いは、異能という名の大砲の打ち合いになる。
それぞれのご主人が自由奔放に夢想したものだから当然のごとく強力無比で、身体能力や地形地勢の有利不利など粉々に打ち砕いてしまうほどの威力がある。
「気がついたら負けていた」なんて言葉が冗談ではなくなる。
唯一の正解は、有無を言わさぬ速攻。相手の異能を行使させる間もなく倒しきることだ。
そういう意味では、桃華みたいな飛行タイプはやりづらい相手だ。
いったん飛ばれてしまうと飛び道具を持たないわたしには手出し出来ないし、攻撃に関しても終始イニシアチブを握られることになる。
そもそも交点が少ないため、一撃離脱戦法をとられると永遠に相手のターンが続きかねない。
右半身に構えながらじりじりした気持ちで様子を窺っていると、桃華のほうから突っかけてきた。
上空から急降下し、勢いのままにかぎ爪を振って来た。
「――!」
素早く横へ跳んで躱したが、髪の毛を何本か斬られてしまった。
桃華はそのまま低空を旋回すると、再び上空へ舞い上がった。
予想よりは早いが単調な攻撃だ。捕まえられないほどではない──。
「うふふふふ~。なかなか素早いね~」
けらけらと笑いながら、桃華は再度急降下し、わたしの顔面を真正面から蹴り込んできた。
──数少ない交点だ。ここを逃がす手はない。
蹴り足をぎりぎりで見切り、桃華の側面に回り込むようにぐるりと体を捌いた。
ふくらはぎのあたりに、回転の勢いをそのまま乗せた拳をバックブロー気味に叩きつけた。
「――⁉」
ガチン。肉というより金属の棒を殴ったような手ごたえだった。
変形している部分は固く、当て身――突きや蹴りなどの打撃技――ではダメージが与えられない。
攻めるならもっと上。胴体になるべく近い部分を狙わないと……。
「なぁにそれ~。拳法~? ボクシング~? 全然効かないよ~?」
嘲るように桃華。
ボクシングではない。拳法でもない。古流武術だ。
古く戦場で生まれた格闘技で、武器術から投げ技絞め技当て身技と、なんでもござれの総合武術だ。
「あんたみたいなあーぱー女子には説明してもわかんないわよ!」
「へ~そうなんだ。すっご~い」
棒読み口調の桃華が突っ込んでくる。直線的な攻撃を反省したのか、側面から弧を描くような軌道で蹴り込んでくる。狙いはわたしの首もと。
「――!」
身を低くしてこれを躱した。
これは受けられない。
高高度からの落下の勢いに外皮の硬さまで加わっている。下手に受けたら壊されるのはこちらのほうだ。
──やはり表での戦いには利がないか……。
そんなやり取りを数回続けた後、わたしは桃華に向けて突進し――突如首を振って鋭角に曲がり、一気に屋敷へ向かって走った。
「ああああああ~⁉ ダメダメダメ、ダメだよそんなの~! ずるいよ~!」
桃華は慌ててわたしのあとを追ってきた。
私は跳ねるように濡れ縁に上がりこみ、広い板張りの廊下を進み、両脇を柱に囲まれた位置でくるりと振り返った。
この先に行けば新がいる。桃華にとっては奏がいる──つまり互いに、逃げ場はない。
半身に構え、息を整えた。
そこへ、桃華が突っ込んで来た。
「行かせないよ~!」
歩くには広いが羽ばたくには狭い廊下を、小器用に低空飛行で飛んで来た。
さすがに外よりもスピードは落ちている。
同じ目線の高さを飛んでいるし、状況ははっきりとわたしに有利だ。
狭い日本家屋内での戦いを想定して編み上げられた古流武術は、広いスペースを必要としない。
右のかぎ爪で突いてくるのを左前腕でかち上げるように受け、同時に右拳を顔面に打ち込んだ。
「ぶっ……!」
桃華が必死に首を倒したせいで打点がずれた。鼻っ柱を狙ったつもりだが頬に当たった。
「痛い痛い痛い~! ひどいよ~!」
痛みと、ご自慢の顔面を殴られた屈辱で涙目になった桃華は、両手両足のかぎ爪を滅茶苦茶に振り回してくる。
理合もコンビネーションもない駄々っ子のような攻撃を見切って躱すと、左右の手首を「ガシッ、ガシッ」と順番に捕まえた。
「え? ええ~?」
両手を塞がれ、蹴る間合いがないほどの至近距離で見つめ合う。武術の武の字も知らない桃華は文字通り成す術なく、ただ戸惑っている。
構わず顔面に頭突きを入れた。
「──!」
パアッ。
桃華の鼻から血が噴き出た。
2発、3発。鼻骨も砕けよと力をこめて頭突きを繰り返した。
「あぐ……んんう……っ」
手を離し解放すると、桃華はよろめいて顔面をおさえた。
空いた胴に前蹴りを入れた。
上足底で(足の裏の指の付け根で)内臓を貫くイメージ。
「ぐむ……んっ!」
決してJKが発してはいけない声を出しながら、桃華が膝を折った。
びしゃびしゃと、口から吐しゃ物が零れる。
肉のようなもの、野菜のようなもの、アルコールと胃液が入り混じった臭いが廊下に満ちる。
――トワコさんは容赦を知らない。
設定が囁く。わたしの目が赤く輝く。
そうだ、二度と逆らう気が起きなくなるまで追い込こまなくては……。
桃華は片手で腹をおさえ、片手を伸ばして来た。
攻撃じゃない。防御とも違う。「ちょっと待った」だ。
戦い慣れていないJKにはきついダメージなのだろう。
――だが知ったことではない。
差し出された手首を掴んだ。
引っ張って立たせた。
「あ……」
明らかに安堵した様子の桃華。
甘い──
重心の乗った足を払い、同時に体の内側から外側へ、勢いをつけて腕を回転させた。
ぶわり、宙を舞った桃華の体を背中から床板に思い切り叩きつけた。
「い――っ!」
悶絶している桃華を無理やり押さえつけて馬乗りになった。
平手で頬を張った。たわわに実った胸がぶるんぶるんと揺れて存在を主張した――これで新を誘惑したのか。
「──許さない」
ズボンの後ろに差しておいた菜箸を両手に構えた。
「――標本みたいに縫いつけてやるわ」
先端部を下にした。狙いは手首――思い切り突き下ろした。
「か──はあっ⁉」
しかし呻いたのはわたしのほうだった。
突然の衝撃で手元が狂う。思わず菜箸を取り落とした。
異変は体の内からきた。奏と接触している部分から、つまり臀部から、熱い波濤のようなものが流れ込んできた。
ズクン……ズクン……!
打ち寄せる波に似た何かが、毒針のようにわたしの中に打ち込まれた。
痛みではない。快感だ。
震えるような快感だ。今まで味わったことのない悦びの塊が肌を通して浸透し、血液を通して伝播し、体中を駆け巡っていく。
四肢の末端まで行き渡り、ちりちりと全身を焦がし、頭の中を真っ白に染め上げる。
「ふわあああ……っ⁉」
思わず声を漏らした。
飛び退いて、桃華から距離をとった。
足もとがふらつき、尻もちをついた。
尻もちをついた臀部から──立ち上がろうとついた膝から──手の平から──そのつどビクンビクンと強烈な快感が響いてきて身悶えする。淫らな声をあげてしまいそうになる。
全身の皮膚が剥げ、性感帯が剥き出しにでもなったかのようだ。
──おかしくなる……!
これがサキュバスの特殊能力ということなのだろうか。いずれにしても体を遠ざけたほうがいい。このままここにいたら狂ってしまう。堕とされる。
覚束ない足取りで、わたしはなんとか立ち上がった。
よだれを拭きながら、柱を背に体を支えた。
「よくもやったな~……!」
立ち上がった桃華の双眸が、青白い燐光を放っている。
「快楽地獄に漬け込んで、一生飼い殺しにしてやる~!」
恐ろしい台詞を吐きながら、一歩、また一歩とわたしに近づいてくる。当て身技を警戒しているのか、防御をしっかり固めながら手を伸ばしてきた。
反射で受けようとしてしまい──かぎ爪の先端が、ちょんとわたしの指先に触れた。
──ズクン!
「ひっ──⁉」
声が出た。
がくがくと膝が震える。内腿に力が入らない。
力の源である足腰が立たない。
負ける……⁉
恐ろしい想像が頭をよぎった。
新を奪われ、鉄鎖に繋がれ、犬のように飼われる生活。
残飯を皿で食わされ、糞尿を垂れ流しにする生活。
尊厳の欠片もない未来……。
「へっへっへ~だ。いい気味~♪」
桃華が笑っている。
同年代の男子を魅了してやまない綺麗な顔が血だらけだ。
髪の毛もぼさぼさで、至るところ吐しゃ物にまみれて――そうだ、向こうだって満身創痍には違いないのだ。
「お願い……許して……もう降参……」
快楽の波に堪えながら懇願した。うつむきながら舌を出した。
「……やったっ、わたしの勝ちぃ――」
桃華の口元が喜びに歪む――瞬間、わたしは手を伸ばした。
はっとして固まった桃華の手首を掴んだ。
捻りながら引き、体の内側から外側へ、自身の体重を重しにして巻き込むように投げた。
力ではない。タイミングと力学の合わせ技でぶん投げた。
当然、受け身などとらせはしない。これがとどめだ。
頭から叩き落とす──しかし生存本能故か──床に頭を打つ直前、桃華は背中の羽根を羽ばたかせた。
ぶわり、微かに生まれた揚力──絶妙に落下姿勢が崩れ、桃華は肩から落ちた。
ならば頭を踏みつけてやろうと足を上げかけて──たまらず膝をついた。
「──くううううんっ⁉」
桃華に触れたところから、接触毒のように快楽の波が伝わってきた。
全身を蕩け痺れさせるような何かが、血流に乗って心臓に送りこまれる。鼓動によって全身を回流する。
「ひああああ……っ!」
目の前が霞む。自らの体を抱きしめる。
このまま倒れてしまいたい。身を任せてしまいたい。
そうすれば、どんなにか幸せなことだろう。
どんなに気持ちいいことだろう。
――だが、こんなところで負けてられない。
──愛するご主人のために。
同じことを思ったであろう桃華と目が合った。
桃華は脱臼した肩を押さえながら、わたしは渦巻く快楽に震えながら、強く強くにらみ合った。
~~~新堂新~~~
「ざーんねん。トワコさんじゃないよー」
ふすまに背をもたせた奏がにこやかに手を振っている。
「ほらほら、そんな顔してないでー。もうすぐ桃華がここへ連れてきてくれるからー。そしたらふたり揃って、あたしたちが面倒見てあげるからー」
「……なんだよ。面倒見るって」
「わかんない? そっかー。わかんないかー」
奏は笑いながら俺のもとへ近寄ってきた。枕元に置いて行った十手状の何かを手に取り、ベッドの上に上がろうと――したところを引き摺りこんだ。
「――え、えええっ⁉」
狼狽した声を上げる奏。
「センセ……いつ縄抜けなんて高等技能を……⁉」
「……縄抜けじゃねえよ」
ベッドに寝転がったまま、奏を羽交い絞めにする。
「だ、だって……!」
そう、縄抜けではない。
「おまえの縛り方が緩かったんだと思う」
「え……ええぇっ⁉」
団寅吉先生の著書にいわく、緊縛というのはなかなかに高度な技術なのだ。一般の人が想定してるよりも人間の関節というのは柔軟で可動域が広い。傷つけないように血液の流れを阻害しないように、それでいて脱出できないように縛るのは、ちょっと素人には難しい。
もっとはっきり言うならば、心根の優しい人間には向かない。
「暴れてたら自然に腕がほどけた。足を抜く前におまえが戻ってきたから脱出自体は間に合わなかったけど……」
「く……そんなっ! 縛りが緩いだなんて……じいちゃんの孫の名が泣くわ!」
「そんな自負は捨てなさい。おまえも年頃の女の子なんだからもう少しね……」
諭そうと試みるが、奏は悔しがってばかりで聞く耳をもってくれない。
うーん……どうすっかな……。
ため息をついていると、カリカリカリカリとペンが走る音が聞こえてきた。
音のほうに目をやると、ベッドの脇に文机を持ち込んだ総白髪の和服の男性が、メガネを興奮に曇らせながら原稿用紙にペンを走らせている。
「だ……団先生⁉」
「じいちゃん⁉」
驚く俺たちを一瞥してから、原稿に向かう。
「――日本人離れした長身の男はパイプベッドに少女を引き込むと、後ろから首を絞めた。
力強い男の腕が少女の首に食い込む。涙組んで赦しを乞う少女の声がまるで聞こえないもののように、男は容赦なく締め上げる。ぎりぎりぎりぎり。血管がしまり皮膚が引きつれる。酸素が滞り意識が薄れる。しかしどうしたことだろう。少女は薄れゆく意識の中で、たしかに快感を覚えたのだ。ぼうとする視界の中、ちりちりと焦げ付くような悦びが体中を駆け巡るのを意識したのだ。少女のそうした様子を察した男は、一度手を離した。拘束を解くわけではない。首から腕へ移行しただけだ。少女は何度もむせながら、体中に酸素が行き渡っていく感覚を思った。押し寄せて過ぎ去った快楽のことを考えた。信じられないことに、それは甘美なものだった。この世のどんな食い物よりも飲み物よりも、どんな賞賛や栄達よりも、あるいは普通に生きていれば与えられるだろう女としての快楽の、その中のほとんどよりも上だと思えるのだ。するり、男の腕が再び首に巻き付く。ああ、少女は声を漏らした。そこに苦痛はなかった。だから拒否しなかった。男の巧妙な暴力が、あろうことかいたいけな少女の心を虜にしてしまったのだ――」
「ちょ、ちょっと何書いてんのじいちゃん! 孫をモチーフにするのやめて!」
「団先生! やめてください! ペンを動かすのを止めて孫娘を止めてください!」
団先生は俺たちのことを一瞥し、再び原稿に戻った。
「――男は再び腕に力をこめた。それはさきほどよりも圧倒的に弱いものだった。さながら羽毛に撫でられているかのようだった。少女が困惑し、いやいやするように身をよじった。『……お願い。そんなものではもうダメなの』そう言いたいけれど言えなかった。一度発してしまえば、もう二度とは戻れない服従の言葉だった。それだけはできない。なぜなら少女には婚約者がいるから。男は少女のそういった心の動きを敏感に察していた。小馬鹿にするように頬を叩いた――」
「……奏、おまえって婚約者とかいるのか?」
「いるわけないでしょ! 創作よ創作! だいたいセンセだってあんなに女心をわかったような首の締め方できないでしょ⁉」
「出来るわけないだろ! つかそもそも首絞めてないしな! 羽交い絞めにはしてるけど!」
「ちょっと! だからっておかしなこと考えないでよ⁉ あたし、そっちの趣味はないんだから!」
「俺だってねえよ! 首絞めとかニッチすぎだからホント!」
――ズドン!
いきなり団先生の体が蹴り上げられた。軽々と宙を舞い、天井に当たってバウンドし、襖を破りながら畳の上に落っこちた。
「――じいちゃん⁉」
「――団先生⁉ トワコさん……なんてことを!」
トワコさんだった。
髪を乱し頬を汚し、服もぼろぼろになっている。
手にずだ袋のようなものをぶら下げている。
「ふうー……さすがに疲れたわ」
首をこきこき鳴らしている。
「いやいやいやそんなに落ち着いてる場合じゃないよ! 団先生はご老人だぞ⁉ ゆうに80は越えてるはずだぞ⁉ そんな勢いで蹴られたら死んじゃうよ! 早く手当しないと! 救急車呼ばないと! あ、霊柩車のほうが早いか⁉」
興奮してあらぬことを口走っている俺を見下ろし、トワコさんは「ふん」と鼻で笑った。
「まだ気づかないの? あれ、メンターよ? これぐらいで死ぬもんですか」
「え、うそ?」
半信半疑でいると、奏がため息をついた。
「バレたかー。そうなのよ。実際のおじいちゃんはもう死んじゃってるの。これは2代目っつーか、おじいちゃんが現役時代にあまりに忙しさのせいで創り出したコピーなの。けっきょくは創作活動上の意見の食い違いで別れ別れになっちゃったんだけど……」
「……こうしておまえらのメンターになったって?」
こくりとうなずく奏。
トワコさんがずだ袋を床に投げた。
ずだ袋――に見えるほどぼこぼこにされた桃華が「うきゅ~」と可愛らしい声をあげてノビている。
「桃華⁉ ……桃華!」
暴れる奏を放してやると、まっしぐらに桃華に駆けて行った。
「大丈夫桃華⁉ ――っひきゃあああ⁉」
抱き付いた奏の全身に、電流のような何かが流れた。
びりびりびりびり。爪先から頭頂までぶるぶると震え──気絶するように倒れた。
「なあ……どうしたんだあれ?」
訊ねたが、トワコさんは「……言いたくない」と複雑な顔をしてかぶりを振った。
「――上下スウェットの少女と手足をかぎ爪のようにした悪魔のような女が侵入して来た。
ふたりはベッドの上で絡み合う男と少女を一瞥するや――」
団先生は何事もなかったかのように起き上がり、原稿用紙に向かっている。
「……帰ろうか」
「……そうね。帰りましょ」
一心不乱に創作活動を開始した団先生に俺たちは気をそがれ、とにかくその場は退散することとした。
「わあーっ、月だー!」
「……そうだね」
「寒いー!」
「……そうだね」
外へ出ると、空には満月が輝いていた。
五月の初めの仄かに肌寒い夜に、それはよく似合っていた。
寝こけているマリーさんを背負いながら、俺は歩いた。
トワコさんは、やけに陽気に前を歩いた。
履き物がなかったので、奏の家から勝手に借りてきた下駄を履いていた。
かっこかっこ、かっこかっこ……。
軽快な音がアスファルトの上を踊ってた。
月下に舞う妖精……といったらクサすぎるだろうか。でもたしかに、俺にはそんな風に見えてた。
「怒ってる……よね?」
ご機嫌を窺うと、トワコさんは後ろ手に腕を組んでくるりと振り返った。
真面目な顔。
「怒ってないと思う?」
「いやまったく……」
「怒ってるのは当然。でもどっちかと言うと……」
トワコさんは儚げに笑い首を傾げた。
「寂しかった……かな?」
「──!」
どんな叱責よりも罵倒よりも、それはよっぽど胸に堪えた。
「……ごめん」
「……ふふ、キツい一発をもらった、みたいな顔してるわよ? 新」
トワコさんはいたずらっぽく微笑んだ。
「あなたのそういうとこ、昔とちっとも変わってない。子供みたいに素直で、隠しごとが
できないとこ」
「……どうかな。自分ではよくわからない」
なんと返していいのかわからずにいると、トワコさんが寒さに身を震わせた。汗が冷えたのかもしれない。
「あ、トワコさん。上着貸すよ」
マリーさんをいったん下ろして上着を脱いで……などと考えていると、トワコさんは険しい表情で俺をにらんだ。
「──ダメよ新。近寄らないで」
「え、え?」
手のひらを向けてくる。
「それ以上ダメ。一ミリも許さない」
「そ、そんなに怒ってるの? 触れられるのも嫌なくらい?」
さすがに傷ついていると、トワコさんはぼそぼそと弁解するようにつぶやいた。
「……今はダメなの。感じちゃ……感覚が鋭くなってるから……」
ほんのり顔を赤くして目を逸らした。
「でもトワコさん……っ」
「ダメだって言ってるのにもう──」
かこっかこっかこっ……と手の届かないところまでステップを踏んで逃げて、じろりとにらんできた。
「……スケベ」
「――!」
少女のようなしぐさが、俺の胸を射抜いた。真っ正面から貫いた。
そんなこと考えてる場合じゃないのは知ってる。
それどころじゃないなんて最初からわかってる。
家に帰ればきっと雛が待ってる。ぼろぼろのトワコさんと俺を見比べ、あれこれ詮索してくる。たったひとつでも返答を間違えたら……その先は想像もしたくない。
だけど、ああだけど……。
俺はたしかにその時、トワコさんにドキドキしてしまっていたのだ。まるで、普通の
少女に恋するように──




