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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「愛の花たち」

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19/70

「奏と桃華」

 ~~新堂新しんどうあらた~~




「カンパーイ!」


「……もう何度目だよ。いちいちいいよカンパイしなくても、普通に呑もうぜ」


 駅前の居酒屋のテーブル席だった。仕事帰りにまさるとふたり、待ち合わせした。


「いいんだよ! 何回やったって、気持ちいいものは気持ちいいじゃん! ほれカンパーイ!」 


「はあ……めんどくさ。ほれ、カンパーイ」


 適当にジョッキを打ち合わせてやると、勝は美味そうにビールを呑んだ。

 ぷはーっ、と大きく息を吐き、口の周りについた泡を拭いながら訊ねてきた。


「何回ヤッても気持ちいいといえばさー、どう? そろそろトワコさんとやった?」


「下ネタかよ……やってねーっつの。時候の挨拶みたいに会うたび確認して来るのやめろよめんどくさい」


「ええー、なんでだよ! 言っとくけどなー、オレがおまえの立場だったらなー!」


 俺を待ってる間に先に一杯やっていた勝はすでにほろ酔いを通り越して絡み酒に入っていて、非常に面倒くさい。

 しかもこいつの場合やたら下ネタが多いので、どこにいても気を遣う。完全個室居酒屋を選べればよかったのだが、残念、こんな田舎にそんな気の利いたお店はないのだ。


「はいはい、いいよその話はもう。おまえは俺じゃないし、俺もおまえじゃない。俺はトワコさんを大切にしたいんだ」 


「けっ、つまんねーやつ。出家でもしてんのかおまえは」


 吠える勝を黙らせると、俺はフライドポテトを摘んだ。


「ほらそれ! それだよ!」


 びしいっと指さしてくる。


「……あ?」


「フライドポテトみたいなもんだってことよ! チープだけど美味くてビールに合って病みつきになって、気が付けば食べつくしてる! 塩と油と炭水化物! 体に悪いとわかってるのにやめられない罪の味!」


「だからなんだって……」


「人間は悪いことしたくなる生き物なんだよ! そうできてんの! そしてそういうものほど死ぬほど美味い! だからトワコさんも――」


「あーもううるさい! ほんっとうるさい! トワコさんをジャンクフードみたいに言うな!」


「じゃあ高級中華?」


「どっちにしろ食べ物じゃねえか!」


「肉汁(したた)るステーキ?」


「変わんねえよ! むしろじゃっかん生々しさが増してるよ!」


「あー言えばこう言うねおまえは!」


「おまえが聞き捨てならないことばっかり言うからだろうが!」


「そうでもしなきゃいらんないっての! 新任早々ハーレム生活おくりやがって!」


「おまえ人の話聞いてた⁉ どこをどうとったらそう思えるの⁉」


「そうとしか思えないだろうが! トワコさんプラス金髪ゴスロリ幼女と同棲して、隣の部屋には雛

まで越して来て! クラスの女生徒ふたりといきなりプライベートで親密になって!」


「お昼のワイドショーばりのゴシップだそれは! トワコさんや雛とはその後もとくに何もないし、マリーさんはそもそもそういった対象じゃないし、小鳥や真理はただの教え子! それ以上でも以下でもないの! 私服登校日の立案からこっち、悪目立ちしないようにフォローはしてたけどそれだけだよ!」


 勝はうろんげな目になり、「おまえが言うならそうなんだろうな。おまえの中ではな」と吐き捨てた。


「どうすりゃいいんだよ!」


「とにかく羨ましいって言ってんの! ひとりでいいからこっちに回せよ!」


「おっまえ……! その本音は醜すぎるだろ! どうなのよ社会人として!」


「うっせえよ! おまえみたいに恵まれた人間にはわかんねえよ! オレは彼女が欲しいの! きゃっきゃっウフフな青春おくりたいの!」


「……じゃあ、うちの古屋先生なんかどうだ? 独身だぞ?」


「全力で余りもの押し付けて来てんじゃねえよ! 古屋倫子ふるやりんことか、彩南町さいなんちょうの恐怖の大王じゃねえかよ! 口にするだけでもおっかねえよ!」


「え……なにあの人、そんなやばい人なの……?」


 常時ジャージにサンダルだし、他人のいうことも聞かないし、この人に教師やらせて大丈夫なんだろうかとハラハラしながら見てたけど……。


「おまえその手の情報知らなすぎだよ! あの人はなあ、かつて東北一円に勢力を広げた蛇狩ジャッカルの特攻だぞ⁉ シャバで生活出来てんのが奇跡みたいな人なんだぞ⁉」


「……そんな人がなんで教師なんかに……。そしてじゃっかん目をつけられつつある俺はどうしたら……」 


 考えたら怖くなってきた。


「はあ⁉ なにおまえ⁉ 古屋倫子に目ぇつけられてんの⁉ ひゃーはっは! 死んだ! そら死んだわ! そのうち事故に見せかけられて殺されるわ! ざっまぁあああ!」


 勝はさもおかしそうに手を叩いた。


「お、おい待てよ……なんかアドバイスとかないのかよ……」


「知るか! 速やかに死ね!」


「いやいやいや、おまえもうちょっとなんかあるだろ。幼なじみだろ? 友達だろ? 人としてなんかあるだろ?」


 勝は目を細めると、慈愛に満ちた声を出した。


「知ってるか? 人という字は人を人が支えてるんだぜ? ……オレはな、新。支えられる側の人間になりたい」


「いい顔して言うことじゃねえよ! たまには人を支えろよ!」


「うるせえ黙れ! クソして寝ろ! トワコさんと雛の面倒はオレが見てやるから気にせず死ね!」 



「ううう……ちくしょう……呑んでやる!」


 追加したばかりのジョッキを手にとると、ヤケになって一気に飲み干した。 

 ゴッゴッゴッ……ドン!


「お兄さんもう一丁追加ー!」


「おおー? なんだなんだ、勢い増してきたじゃねえか!」


「うっせえ! 今日は呑むんだ! 全部忘れるんだ!」


「ひゃーはっは! いいじゃねえか! とことんつき合うぜ! よっしゃ兄ちゃん! こっちも生追加だ! じゃんっじゃん持って来い!」


 ……つまり俺は、酔っていたのだ。


 古屋先生の当たりの強さと新任教師としてのプレッシャー。 

 トワコさんと雛との日々の暮らしの中でたまりゆくストレス。 


 それはアルコールと混ざると容易にリビドーに変換されうるもので……。

 だから俺は、はけ口を必要としてた。


「よっしゃ新! ナンパだ! 姉ちゃん捕まえてもう一軒行くぞ!」


 勝のアホな誘いに乗ったのも、だから事故みたいなものだった。

 初犯だし、情状酌量の余地はあるだろうぐらいの軽い気持ちだった。


「おっし行くか! や、でもどうなんだ⁉ こんなとこ教え子に見られたら……」


「居酒屋に女子高生がいるわけねえだろうが!」


「それもそうかー」


「ひゃーはっは。当たりまえだろうが!」


「あーはっは!」


「ひゃーはっは!」






 アホなふたりのアホな計画は、しかし予想外の障害にぶち当たった。


 狭霧奏さぎりかなで。うちのクラスの女生徒。 

 リスみたいにくりっとした目とショートカットが印象的な、ボーイッシュな女の子。背が高くスレンダーな体型で、運動全般が得意。白いタートルネックにレザーのベスト、ぴったりした黒いパンツがよく似合っている。


 輿水桃華こしみずとうか。やっぱり俺のクラスの女生徒。

 ふわふわ綿菓子のような髪型が特徴の、ゆるふわ愛され系女子。超高校級の豊満な肉体を包むのは、薄いピンクのセーターにグレーのスカート。絶対領域との境を成すのは黒いパンスト。むちむちで弾力に富んでそうで、ついつい感触を想像してしまう。


 クラス内でもとくに目立つふたりだ。

 仲が良く、どこにいても一緒で、どこに行くにも一緒。


「でもまさか……居酒屋にもふたりで来るとはなあ~……」 


 テーブルに突っ伏した俺を、桃華が笑う。


「うふふ~。わたしも、先生にナンパされるとは思わなかった~」


「だよねー。つかセンセ、最低じゃね? 教え子ナンパするとか」


 奏にジト目で見られ、改めて罪悪感に打ちのめされる。


「うう……だけどおまえらっ、おまえらだって高校生のくせに……」


「……しっ、センセ、声でかいよ」


 奏が声をひそめる。


「ぐううっ……?」 


 教え子に諭された。


「お、おまえらだって高校生のくせに……」


「あのなセンセ。わかってる? あたしらは謹慎停学で済むかもしんないけど、センセの場合はどーなると思う?」


「うう……うううっ?」


 俺は頭を抱えた。


「居酒屋で教え子をナンパした淫行教師。ワイドショーで取り上げられて話題になって、田舎特有の排他的な人々に責め立てられて、減給懲戒……最悪解雇までありうるんじゃない?」


「あああああっ……?」


 クビになり、急には再就職先も見つからず、貧困に喘ぐ自分の姿を想像した。

 想像の中で、寒風吹き込むアパートの中、セーラー服に接ぎを当てたトワコさんが傘張り(江戸時代かっ)の内職を始めてた。


「うふふふ~。新任早々クビだって。先生大変だね~」


 けらけらと楽しげに笑う桃華。酔ってても酔ってなくても、桃華はいつも笑ってる。箸が倒れてもおかしいお年頃。


「それがヤだったら、今夜のことは黙ってること。わかった?」


 ほんのり目元を赤くした奏に強い目で見つめられ、俺はがっくりとうなだれた。魂が抜けたような気分になった。


「わかり……ました」


「センセは今夜あたしたちに?」


「会わな……かった」


「奏と桃華は?」


「品行方正な……良い生徒です」


「ふたりが呑んでるものは?」


「ジンジャエールとオレンジジュース……です」


「よーしよしよし」


 奏がペットの犬でも可愛がるように俺の頭を撫でてくる。


「よ~しよしよし」


 桃華が真似して撫でてくる。


「あー、ずりいぞ新!」


 勝が騒ぐ。


「……センセ。さっきからなんなの、このチャラいおっさんは」


 うろんげな目で奏は勝を見る。


「お、おっさ……」


 何気に傷つく勝。


「腐れ縁の友達だよ」


 答えると、奏は意外そうに目を丸くした。


「……センセの? ふ~ん。……じゃあ、ちょうど2対2だね」


「そうだね~。奏ちゃ~ん」


 面白いことを閃いた、という風に笑い合うふたり。


「ん? ん?」


 よくわからずにふたりを交互に見ていると、奏がにやりと笑いながら宣言した。


「ナンパされてやるよ。センセ」


「は? え?」


「にっぶいなー。一緒に呑もうぜって言ってんの。おわかり?」


「うふふ~。よろしくね~。先生~」


「マジで? オッケー? やった! JKと合コンだ!」


「おっさんうっさい! 声を小さく!」


「ハウス、ハウス~!」


 桃華は自分で言って自分で笑っている。

 え……マジで? 俺と勝が……ふたりと……ええー?

 戸惑っていると、奏がダメを押してきた。


「――センセ。言っとくけどさ。今夜はあたしたちに逆らえる立場じゃないんだかんね?」 


「うふふ~。奴隷だね~」


「そーそー。オレたちはふたりの奴隷だよ~ん」


「おまえは黙ってろ! なんでむしろ嬉しそうなんだよ!」


 勝につっこむが、たしかに俺に、他に選択肢はないのだ。強制なのだ。


 ――だからこれは、決して浮気なんかじゃないのだ。


 俺のビールジョッキに勝手にストローを差してずるずる啜っているマリーさんは、手をひらひらさせて中立をアピールした。


「……いいんじゃないのかの? たまにはこんな経験も」


「そ、そうかなあ……」


「だいたいおまえには男としての面白味がない。危険を感じない。そんなんでは、いつかトワコさんにも雛にも飽きられるぞ?」


「そ、そうかなあ……」


 マリーさん美味そうにビールを呑み干すと、「ほれ、そんなことはどうでもいいから次じゃ、次」とお代わりを要求してきた。




 4人プラスひとりでの呑み会は、意外にも楽しいものだった。

 前述の通り俺は日々の生活でストレスを溜めていたし、みんなで秘密を共有している一体感や悪いことをしているという背徳感が、酒や食事を普段よりも何倍も美味しくした。


「おー。センセ……じゃなかった新。よく呑むねー」


「ご~ご~新。わ~」


 勢いよくジョッキを空にした俺に拍手と声援が起こる。人前だということを意識してか、ふたりは俺のことを名前で呼び捨てするようになった。


「っしゃー! オレもいいとこ見せるぜー!」


 負けじと勝も気炎を上げるが、


「あ、おっさんも頑張れよ」


「負けるなおっさん~」


「なんでオレだけ……ちくしょうぐれてやる!」


 勝はおっさん呼ばわりのままだった。


 おっさんふたりプラスマリーさんはビールだが、女子ふたりのほうはカクテル……もとい、ジュースだった。モスコミュールに似た何かや、ソルティドッグに似た何かを好んで呑んでいた。

 ふたりきりで居酒屋に来るだけあって呑み慣れていた。頬をほんのりと赤らめたり、普段より声が大きくなったりはしていたが、まだまだどんどん行けそうな雰囲気があった。


 一時間ほどが経過し、程よくもりあがったところで、みんなで店を出た。


「さ、次は我が家で呑み直そー!」


「じぇ……JK宅か! 燃えるぜ!」


「お、おい奏……」


 すたすた歩を進める奏を呼び止めた。


「ん? なに? センセ」


「いやさすがにお宅にまでお邪魔するわけには……」


「えー? なんだよ新ー! ここまで盛り上がっておいて今さらそれはねえだろうよ!」


『そうだそうだ~』


 勝と桃華が肩を組んで抗議してくる。

 奏は肩を竦めた。


「大丈夫。うち両親いないから」


「いない……?」


 そんな複雑な家庭事情だったっけ。


「あ、それとも。教師だからとか気にしてる? あはは、新はカタいねー。だけどまあ、たぶんそこがあんたのいいとこなんだろうけどね」 


 笑いながら奏は俺の腕に抱き付き、耳元で囁いてくる。


「……でもだーめ。今夜は奴隷でしょ?」


 ふわりと香水の香りが漂った。トワコさんとも雛とも違う胸の弾力を腕に感じた。


 ドキリとしていると、いつの間にか奏は俺から離れ、3人で騒ぎながら先を歩いていた。


「ふう~ん……なるほどのう」


 マリーさんが下から宝石みたいな目を光らせ見上げてくる。


「こうやってバカな男をはめるわけじゃな? ……なるほどなるほど。参考になるわい」


「な……なんだよはめるって? どういうこと?」


「い~や別に?」


 意味ありげにほくそ笑む。


「さっきも言ったじゃろ? 良い経験じゃと。いずれにしろ、おまえにとっては忘れられぬ夜になることじゃろうよ。それがいいか悪いかは別として」


 言うだけ言うと先を歩き、首をそびやかして俺を促した。


「ほれ。行くのじゃろ? 奴隷よ。な~に、わらわがついておるのじゃ、安心せい。真理との件に関しては恩もある。どんなことになっても守ってやる」 


「守る……? なに……?」


 言い知れぬ不安を抱えながら、俺はみんなの後を追っかけた。




 そして一時間後──


 俺はどでかい日本家屋のひと部屋に監禁されていた。

 繰り返す、監禁されていた。

 20畳はあろうかというだだっ広い和室の真ん中に持ち込まれたパイプベッドの支柱の四隅に、両手両足を縄で縛られていた。

 何を言ってるかわからないと思うし、俺自身もさっぱりなのだが、そんな目にあっていた。


 スキップする桃華の背中を追って長い廊下を歩いていたのが最後の記憶だ。

 後ろから二番目を歩いていた俺は、クロロホルムのようなものを嗅がされ、意識を失った。


「全然守られてねえじゃねえかちくしょう!」


 ひとりむなしく叫んでいると、ガラリと襖が開き奏が現れた。腕組みし、にやにや薄ら笑いを浮かべながら俺を見下ろしている。


「――か、奏! ひとりか⁉ 気をつけろ! この家に何者かが侵入して来てるぞ! 俺をこんな風にした猟奇的な変態だ! おまえも気をつけろ! 出来ればどこかに隠れて助けを呼ぶんだ! 絶対にひとりでどうにかしようなんて考えるなよ⁉ こういうのは下手に相手を刺激するとやばいんだ!」


「あっははは! センセ、ウケる! サイコーだわ!」


 奏はなぜか腹を抱えて笑い出した。


「鈍いっつーかなんつーか、あたしがその猟奇的な変態だよ。わっかんないかな?」


「な、なんだと……⁉」


 体から一気に血の気が引いた。

 そういえば、最後尾を歩いてたのが奏だっけ。

 ということは俺を眠らせたのも、ひいてはここへ連れ込んだのも計算通りってわけなのか?


「いったいどういうことなんだ⁉ 本当におまえがこんなことをしたのか⁉ なあ頼む、これをほどいてくれ! 理由はわからないが、きっとやむにやまれぬ事情があったんだろう⁉ 話せばわかる! 先生と話し合おう!」


 俺の懇願を、しかし奏は鼻で笑った。


「あっははは! センセ、ほんっとーにおめでたいねえ。やむにやまれぬだって。話せばわかるって? まったく笑っちゃうよ。ちゃんちゃらおかしいよ」


 つかつかと歩み寄り、どんと腰を下ろした──俺の腹に。


「ぶふぉっ……! な、なんで⁉」


「さあーて、何故でしょう。じゃあヒントをいくつか──」


 開け放たれたままの襖の向こうから、「あんぎゃあああー!」という勝の悲鳴が聞こえてきた。


「──ま、勝⁉ 勝に何が⁉」


 どうでもいいから気にしていなかったが、そういえばあいつも姿が見えない。


「あのおっさんには眠っててもらうことにした」


「いやさすがに嘘だろ! めちゃくちゃ力いっぱい叫んでたじゃねえか! ……はっ、まさか永遠に眠る的なニュアンスの⁉」


 奏はポリポリと頭をかいた。


「やだなあ。あたしらだってそこまで鬼じゃないよ。最初はちょっと痛いってだけさ。じきに良くなってきて、最後には眠るんだ。目が覚めた時には別人みたいになってるけども」


「いやいろいろおかしいだろ! それ完全に洗脳完成してるじゃねえか! しかもけっこう無理くりな洗脳だろ! 気絶するほど痛めつけてるじゃねえか!」


 あっははは。奏は手を叩いて笑うと、身軽な動作で俺の腹から降りた。


「何がおかしい⁉」


「何がおかしいだって? 全部だよ全部。だってさ──」


 笑い続ける奏の背後に、いつの間にかニコニコ笑顔の桃華が立っている。


「桃華……おまえ……そ、それは──⁉」


 桃華は肘に古風な日傘を下げていた。


「そ、それはマリーさんの⁉ おまえら、マリーさんにまで⁉」


「へえー。マリーさんって言うんだあのコ。可愛かったねえ。金髪ゴスロリなんてあざとい格好して、さすがはメンターってとこかな。製作者の趣味全開」


「メンターを知ってる……? 見えるし触れる……? おまえらいったい……⁉」


「ふふふ。ようやく正体を明かす時がきたね桃華」


「そうだね~奏ちゃん」


 決めポーズでもとるかのように両足を広げて立ち、手をババッと振り回した奏の肩に、桃華が後ろからそっと手を置いた。


「やあやあ遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 悪しき大人を裁くため、今日も夜な夜な練り歩く! 狭霧奏と輿水桃華――人呼んで、愛の花たち(フルー・ダムール)!」


 ものっすごいどや顔のふたりだが……。

 

「いやもうちょっとひねれよ!」


「え⁉ 驚かないの⁉」


 奏の表情に初めて動揺が走る。 


「あまりにストレートな隠語にびっくりしてんだよ! それってフランス語だろ⁉ 現地人だって恥ずかしくて言わないようなストレートな言葉だよ! 外国語コンプレックスを抱えた子供が考えた感満点だよ!」


「なっ……!」


 奏の顔が瞬時に真っ赤に染まる。


「い、いいじゃないか! 名前なんかどうでも! とりあえず名乗れてればいいんだから! 意味が伝わればいいんだから!」


「いやいやいや、けっこう満足してただろ⁉ フランス語の名前つけたあたしかっこいーみたいな顔してたじゃん!」


「ぐぐぐ……うるさいよ! そんな格好してよく言うよ! 手足縛られて上から目線なん

てよく出来るよね⁉ 普通恥ずかしくて出来ないよ⁉」


「終始一貫しておまえらのせいだろうが! 俺はひとかけらも悪くねえよ! いいからさっさと縄をほどけよ!」


「ぐぐぐぅ……⁉」


「──奏ちゃ~ん。だめよ~、ノセられちゃ~。何をどう言い繕おうと、この男が教え子をナンパするようなクズ淫行教師には違いないんだから~」


「グウの音も出ない正論⁉」


 ひとりマイペースな桃華は俺のつっこみに惑わされることなく、過酷な現実だけを突きつけてきた。


「だからね~先生。わたしたちはあなたに天誅を下します」


「て、天誅だって⁉ 何をするつもりだ⁉」


「では改めて自己紹介~。奏ちゃんがご主人さまで~。わたしはIF~。象る姿は~……」


 めきめきめき。桃華の体が変形する。手足の肘膝から先が黒い剛毛に覆われ、先端は長くかぎ爪のように伸びた。

 めりめりめり。背中から皮膜のついたコウモリの羽根のようなものが生えてきた。

 にょきにょきにょき。スカートの下からぴょこんと飛び出てきたのは、あれは尻尾だろうか? 先端がハート型の、まるで悪魔みたいな……。


「パンパカパ~ン。淫魔サキュバスなのでした~♪」


 クラスの男子連中をとろけさせてやまない笑顔で、桃華――淫魔サキュバスはにこやかに宣言した。



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