「マリーさんが見てた」
~~~新堂新~~~
……見られてる。
金髪ゴスロリ幼女に見られてる。
じっとりと粘性のある視線だ。
悪いことをしてるわけでもないのに、責められてるような気になる。
ひょっとしたら俺を見てるわけではなく、ただ前を見てるだけなのではないかと思って立ち位置を変えても、やはりじっと見つめてくる。
右へ行っても左へ行っても、どこまでも視線が追いかけてくる。
トイレへ行って時間を潰しても、戻って来た瞬間目があった。
「あの……俺になにか不満でもあるんですかね?」
「別にない。今のところはな」
「今のところって……」
「不満がないか探すために見ておるのじゃから気にするな。そなたはいつもどおりの生活をいつもどおりにおくればよい」
幼女は、マリー(略)さんは、さすが(自称)フランス革命の際に落命した薄倖の姫君だけあって、時代がかった尊大な口調が板についている。ほんのちょっとの会話なのに、ものすごい上からくるのがわかった。
「いつもどおりって言ったって……」
「見られてると気になるか?」
「そりゃまあ……」
「いやか?」
「できればやめていただきたいですね」
「そうであろうな」
マリーさんはさもありなんとばかりにうんうんうなずく。
「家人がいないのをいいことに全裸で過ごしたり、家人の下着をかぶってあらぬ妄想に耽ったり、劣情を催して秘蔵の円盤を引っ張り出して、とても活字には出来ぬ行為に及んだりは出来んものなあ?」
「いなくてもしませんよそんなこと!」
「そうか? 先ほど花を摘みにいった折り、かけらも考えなかったと断言できるか?」
「できます!」
「……ちと食い気味なあたりが逆に怪しい」
うろんげにマリーさん。
「どうすりゃいいんですか!」
マリーさんは肩を竦めた。
「冗談じゃよ。合格じゃ。そなたは信頼に値する飼い主じゃ」
「し、信頼……?」
マリーさんはうむと鷹揚にうなずいた。
「なにせあれほど押しの強くてエロい女とひと月も同じ屋根の下で共に寝起きしておきながら、まったく手をつけようともしない男なのじゃから、よっぽど性欲が無いというかタマ無しというか、そういった意味で信頼できる。大した男じゃ」
「まったく褒められてる気がしない⁉」
「言い間違えた。大したことない男じゃ」
「やっぱり貶されてた⁉」
マリーさんはふんと鼻を鳴らした。
「よくいるんじゃよ。自分の妄想の具現化なのじゃから何をしてもいいじゃろうナニをしてもいいじゃろうと勘違いする輩が」
「その外見で下ネタは……」
「お、興奮するか?」
「しないですよ! あのですね、こちとら仮にも聖職についてるんですよ⁉ 教師なんですよ⁉」
「あー、あれじゃったっけ。反面教師」
「それ職業じゃないですからね⁉ ただのろくでもない人のことだから!」
「ろくでもない? 何を言うか。自ら体を張って、こうなってはいけない人間の見本を示してくれてるんじゃぞ? 崇高な意志を持った立派な方々ではないか」
「そう言われてる人たちの大半が意識してないから問題なんでしょ⁉」
話が逸れた。
うぉほん、マリーさんは大仰に咳払いをした。
「まあともかく、そういった輩に天誅を下すのもお役目のひとつでな。気分を害したのなら謝る」
「や……まあそういうことなら……」
素直に謝られるとこっちも困る。
なにせマリーさんは、見た目は俺より遥かに年下の幼女なのだから。
大の大人が金髪ゴスロリ幼女に謝罪されてる図とか、ビジュアル的にえげつない。
「マリーさんは」
「マリー・テントワール・ド・リジャン」
「マリーさんは」
「……意外と押しの強い男じゃの」
当たり前だ。今後長いつき合いになるのなら、そこだけは譲れない。
マリーなんちゃらさんなんて、会話のたびいちいちつけてられない。
「確認しますが、トワコさんのメンターで、IFとしてのトワコさんの活動をフォローするお役目だということでいいんですね?」
マリーさんはうむと偉そうにうなずいた。
「ならトワコさんについていなくていいんですか? 彼女、買い物に行っちゃいましたけど」
「べつにべったり張り付く必要はないわい。暇な時間はパチンコでもやっとる」
「パチンコ⁉」
けっこう気楽だなお目付け役!
「というかそもそも、普通の人には見えないくせにパチンコなんて出来るんですか⁉ そんなのただの透明人間じゃないですか! 怪奇現象じゃないですか!」
「見える人を椅子にすればいいじゃろ。わらわ自身は膝の上に乗ってな」
「……で、できなくはないでしょうけど!」
どんだけシュールな光景だよそれ!
マリーさんはうるさそうに耳に手を当てた。
「しかしそなたはいちいち叫ばんと会話ができんのか? このアパートの壁の薄さを考えると、いちいち端から筒抜けだと思うぞ?」
「いちいち端からあんたのせいだよ!」
このシュールな会話を他人に盗み聞かれるというのも精神衛生上悪い気がしたので、俺は外に出ることにした。
マリーさんはおとなしくついて来た。
「ふんふんふーん♪ んで、どこへ行くのじゃ? パチンコか?」
後ろ手に手を組んで、ウキウキスキップをしてる。
「何が悲しゅうて休日の昼間からパチンコ屋に行かなきゃならないんですか!」
「えー」
「えーじゃない!」
「じゃあ明日は朝から並んで……」
「ガチ勢みたいなことしない! 平日朝とか普通に仕事ですから!」
「ぶー」
「ぶーでもないです!」
「俺はもっとあんたのことを知りたいんですよ! ――いや違う! 変な意味じゃないからドン引きしないで! すぐにもダッシュで逃げ出せる体勢を整えないで!」
「そりゃあ、これから殺す相手に今からおまえを殺すぞとは言わんじゃろうからな……」
「ほら怖くない! 怖くないよー!」
「そうやって両手を拡げて『ほーら何も持ってないですよー害がないですよー』ってポーズはこの状況にはもっとも不適切なポーズだと思うんじゃがのう……」
公園のベンチに腰を落ち着けた俺とマリーさんの心の距離は、ちょうど端から端の長さ
分だけ開いていた。
「……んーで。知りたいことというのはなんじゃ? 言っておくが、わらわの3サイ――」
「あ、そういうのいいです」
「それはそれで微妙に傷つくのう……」
足をぶらぶらさせてぶーたれるマリーさん。
「かつてIFだった者がメンターになる。メンターを見ることが出来るのは、IF本人か飼い主……相方だけ」
「なぜ言い直した? フェミニスト気取りか?」
目を細めてにやにや笑うマリーさん。
「茶化さないでくださいよ。そりゃーあんたらにとっては自分のことだし、自虐で言ってるんでしょうけど。俺からすると乱暴で無神経な括りなんです。それじゃまるでペットと飼い主みたいじゃないですか」
「奴隷と主人と言い替えてもいいがな」
「だからやめてくださいって。少なくとも俺は、トワコさんのことをそんな風に見てませんから」
「……どうかのう」
マリーさんはベンチの背もたれに腕をかけて空を見上げた。ゴールデンウィークを間近に控えた空は青く晴れ渡っていた。
開花の遅れた桜はまだ3分咲きといったところか、気の早い花見客の人出がそれなりにあるが、公園の中でもさみしい一角であるここまでは誰も来ない。
「言うだけならタダじゃからの。どれだけ愛を語ってみても、謳ってみても、体で示さねば伝わらん。長い間持続させなければ意味がない。何年も、何十年も……それでも、ほんのちょっとしたボタンの掛け違えで破綻するのがIFと飼い主の関係じゃ」
「……」
「それほどに脆いものなのじゃ。だって、生殺与奪の権利は全面的にそっちにあるんじゃもの。『おまえなんか嫌いだ。いなくなれ』。その一言で簡単に終わらせることができるんじゃもの。なあ、自分の自爆スイッチを握った人間と、そなただったら公平な関係性を維持できる自信があるか? おもねり、へりくだらない自信があるか?」
マリーさんが俺のほうに寄ってきた。
俺の膝に手を置き、下から見上げてきた。わざとらしく媚びるような目をしてた。
――ふと思う。
だったらマリーさん自身はどうだったのだろうかと。
彼女を生み出した人間との関係性。
おそらくは別れ、破綻した関係性。
それはいったい、どんなものだったのだろう。
だけどそれを聞くほどに、俺たちの関係は深くなかった。
彼女の大事な部分に踏み入れるのを許されるほどに、俺たちの関係は進展していなかった。
「やめてくださいよ」
どうしようもなくて目を逸らすと、マリーさんが微かに笑った気がした。
人ひとり分の距離を離して座り直した。
「俺が聞きたかったのは、その……条件ですよ。どうしたら俺とトワコさんの関係は破綻してしまうのか。しないようにするにはどうしたらいいのか」
「……自爆スイッチを握るために?」
「押さないためですよ。……もう、いじめないでくださいよ。俺はトワコさんとの今の関係を……なんていうか、台無しにしたくないんです」
「ふぅん……」
マリーさんは面白そうに目を細めた。
俺が濁した言葉の意味を察したのだろうか。なんとも聡い幼女だ。
「まあよかろう。そういうことにしておいてやろう」
マリーさんは手を空に向けて伸びをした。
「簡単じゃ。『嫌い』と言わないこと。『いなくなれ』と言わないこと。死ね去れ邪魔だ、その他あらゆる負の表現を叩きつけないこと。直接的な暴力行為は当然ご法度――」
「……思う分には?」
「思う分にはタダじゃ」
マリーさんはクスリと笑った。
「小心者じゃの。それほどに自信がないのかの?」
「ある……といったら嘘になります。俺は一度……別件で壊れてますんで……」
「別件で壊れた……?」
「ええ……あれ──? なんでだっけ……」
――お兄ちゃん……! 助けて……!
「……!」
鳴りやまぬ誰かの悲鳴が、唐突に心臓を掴んだ。
思い出せない記憶。救いを求める声。
好きだった。愛してた。
でも、俺には救えなかった……。
絶望感と喪失感が全身を覆う。
力が抜ける。視界が狭くなる。目の前が暗くなる――
「――どうした? 具合でも悪いのか?」
ふと気が付くと、心臓を押さえて脂汗を流していた。ベンチに腰掛けた自分の膝が、視界いっぱいに映っていた。
「あ……いや……」
目を閉じて、時間をかけて呼吸を整える。
楽になるまで待って、背もたれに背をもたせた。
大きく息をついて、あらためてマリーさんのほうに向く。
「……俺は、誰よりも自分自身を一番信用していません。だからこそ、災厄の芽は完璧に潰しておきたい。それだけなんです」
「最悪な災厄の芽、か……。そりゃたしかに摘んでおきたいところじゃな」
それ以上茶化しもせず、小馬鹿にしようともしなかった。
なぜだかマリーさんは、俺という存在を認めてくれたようだった。
家に帰ると、トワコさんと雛が台所に立っていた。
「お帰り、新くん!」
いつも花丸元気印の雛は「にぱっ」と明るく迎えてくれて、
「……お帰り、新」
トワコさんは俺とマリーさんの姿を等分に見つめると、ほんのりむっとした顔をした。
「やあ、ただいま。雛、トワコさん」
「……おいあの女。またぞろ料理を作っておるぞ。大丈夫か?」
マリーさんが警戒を囁く。
昨日の出来事を思い出すと無理もないが……。
「今度からはすべてトワコさんが監修するらしいんで大丈夫だと思いますよ?」
「ならいいんじゃがな……」
声に不安を滲ませているマリーさん。
たしかにあれはひどかった……う、思い出すと頭痛が……!
「あれー? 新くん、いま誰かと喋ってた?」
台所から雛が首だけこちらに向ける。
「あー。見えないだろうけど、ここにマリーさんっていう元IFの女性がいるんだ」
「なんという説明……」
あまりにもざっくりした説明にびびるマリーさん。
「大丈夫だよ。雛なら」
「女性ー?」
雛は目をぱちくりさせている。
「女の子だよ。小学生ぐらいの」
「ああ。それなら――」
ほっと安心した様子で、雛は作業に戻った。
「ええー⁉ いいのか、あれで⁉」
俺に対してツッコんでくる。
「雛って基本嫉妬深いけど、『大丈夫』だと判断したらあっさり認めてくれるんだ」
雛の脳内大法廷は、有罪無罪の判決がわかりやすく決められている。大丈夫か大丈夫じ
ゃないかの2択。
マリーさんは小学生で、年齢的に大丈夫ってわけ。
「はいっ! お待たせー! 晩御飯を召し上がれー!」
アボカドとはんぺんのサラダに豚の生姜焼き、常備菜のレンコンのきんぴらといった、シンプルな料理が食卓に並ぶ。トワコさんの簡単クッキングといったところだろうか。
これからも雛にきちんと料理を教え込んで、オリジナリティあふれる食材を使わせないように教育していってくれると嬉しい。
健康と生命のためにも……。
「わらわの分もある……のか……」
驚いた声でマリーさん。
食卓は4人で囲んだ。俺と雛とトワコさんとマリーさん。
マリーさんは雛には見えないはずだけど、雛はなんの迷いもなく4人分を並べて座布団も敷いた。
「お客さん用の食器セットがあったから、今回はそれで勘弁してね。小学生ならもっと小さいのがいいよね。明日買ってくるからね? マリーさん」
「うん……? あ、ああ……」
半信半疑のまま返事を返したマリーさんは、自分を見つめる雛の視線にびっくりした。
目には見えない。声だって聞こえないはずだ。
だけど雛は、マリーさんがそこにいることを疑わない。
自分の声が届いていることを疑わない。
全幅の信頼。それはたぶん、マリーさんには縁遠いことだったはずで……。
「あり……がとう……」
顔をうつむけて真っ赤にしながら、マリーさんははにかむように箸を噛む。




