「鏡紅子は気苦労が絶えない」
~~~鏡紅子~~~
公園のベンチに腰掛けたあたしの隣に、その男は立った。
「やーやーやー。んでどーなのよ紅子ちゃん? 最近の調子はさー」
「……あんたにちゃんづけされるいわれはないっての。……ふん、調子でいうなら最悪よ。他ならぬあんたが目の前にいるからね」
「はっ、言ってくれるねえ。ま、オレぁあんたのそーゆーところ、キライじゃないけど」
「そりゃ残念ね。あたしはあんたのことが大嫌いなのに。世の中ままならないもんね」
「──はっ」
その男は、丙子黒子は実に愉快そうに笑った。
がちがちに固めた銀髪とブルーのカラコン。黒一色の服装とごついブーツ。シルバーアクセをじゃらじゃらとぶら下げた、ちょっと昔のビジュアル系みたいな格好をしている。
糸のように細い目に、軽薄な振る舞い。顔立ち自体は整っているし、実際、この手の男が好きな女は週末のライブハウスの裏口辺りにゃごまんといるだろう。
でもあたしはこいつが嫌いだ。生理的に受け付けない。
「いやー、紅子ちゃんの指導者に選ばれてよかったぜ。男相手なんてまっぴらごめんだし、女だって没個性のオリジナリティのないやつばかりで辟易してたんだ」
「……前から聞こうと思ってたんだけどさ、そのメンターとかってーのはなんなのよ」
「あっれー? 説明しなかったっけ? IFが変なことしないか見張ったり指導したりする役の人のことよ」
「管理機構とやらのお目付け役ってこと?」
「そうそれ! ごめーとー!」
ゲッツ、みたいな両手指さししてくるのがムカつく。
「IFってのはさー。超常能力を持ったやつらの集まりで、しかも極めてニッチでデンジャラスな志向の持ち主の集まりなわけ。だからちゃーんと見張ってないとなにするかわかんないっしょ?」
「……うちのは無害よ」
ペーパートワコさんがピーコートの裾から顔だけ出して、がるがると黒子を威嚇している。
飼い主のあたしが嫌いな相手は、やっぱりこいつも嫌いになるというわけだ。
「んーんーんー。だったらいいんだけどさー。紅子ちゃんのとこの能力って『未来視』でしょ? 危ねーじゃん。ハイパー危険な能力じゃん」
「別に、こいつらのはあたしがらみの身近な事象をランダムに予言するだけだもん……」
「重要なことを予言するかもしれないってだけでもうアウトっしょ」
黒子は肩を竦める。
「それに紅子ちゃん。ランダムってーけどさ、それ本気で言ってる?」
「……は? なにが言いたいのよ」
「だってさー。そいつらIFだぜ? ご主人様の理想の具現化だぜ? てこたー紅子ちゃんが望めばなんでも見えるのよ。一ヶ月先の株価だって、ロトの当たり番号だって。ただ紅子ちゃんが見たがってないだけ」
「……別に興味ないし」
「でも今のでさあ、紅子ちゃん知っちゃったじゃない? 自分が望めばなんでも見えるって。これから考え方が変わっちゃうんじゃない? 見たいと思っちゃうんじゃない?」
イラッ。
「あんた、なにがしたいのよ! 管理しに来たくせに唆すような真似して! わざわざ管理しづらくしてどうしたいのよ⁉」
「公平に管理するのがオレらの仕事なのよ。力の使い方を知らないと逆に危なかったりするし」
なーんてね。
と、黒子は自らの額をぴしゃりと叩いた。
「本当は楽しみたいだけ。オレ、快楽主義者だから」
「……死ねよおまえ」
「かーっ、いいねいいね! そのクールな表情たまらんね!」
「でもさー、そんなこと、IF相手に言っちゃダメだぜ?」
「あ? 言うわけないでしょ。だいたい自分の理想を嫌うやつなんかいるわけないし」
「それがそうでもねーんだなー! オレらがその証拠!」
「あ?」
「メンターはさ。元IFから選ばれるの」
「元……?」
「ご主人が死んだりとか、ご主人に捨てられたりとかさ」
「……死んだりはわかるけど、捨てられるってのはなによ」
「紅子ちゃんさー。そいつらが沸いて出てきた時どう思った? 最初からすげー嬉しかった? ハイパーラッキーって思えた? だとしたら優良飼い主なんだけどさー。世の中そんな飼い主ばかりでもないわけよ。中には面倒で邪険に扱ったりしちゃうのもいるわけ。そりゃそうだよな? 自分の理想って言やあかっこいいけど、はっきり言えば妄想だもん。ぎっとぎっとに煮詰まった恥部の塊だもん。中にはいんのよ。『こんなのいらない、あたしはこんなの望んでない』って撥ねつけて嫌っちゃうの。なんせ好かれる求められるが力の源なわけじゃん? 愛情ってー燃料断たれたら一発よ」
黒子は首を絞められたようなしぐさをした。
「……あんたも捨てられた口ってこと?」
「さあどうかね。そいつぁ秘密だよん♪」
陽気に口笛を吹く黒子。
あたしは自分の身に照らし合わせて考えた。
あたしだって最初から、ペーパートワコさんの存在を諸手をあげて喜べていたわけじゃない。
うるさいし落ち着かないし、むしろいなくなってくれることを望んでた。
そのまま勢いで捨てなかったのは、ただのめぐり合わせだ。
もし捨てていたら……。
そしたらこいつはどうなってたんだろうか。
会話もろくに出来ないくせに、メンターなんか出来たんだろうか。
「……メンターが務まらなかったやつはどうなんのよ」
「さてね」
黒子は肩を竦める。
「オレもそんなに暦長いわけじゃねーからさ」
「……」
視線を落とすと、ペーパートワコさんと目があった。
にぱっとお気楽な調子で笑っている。
漫画を描く以外にはひたすら騒ぎ立てるぐらいしか能のないこいつらが路頭に迷う姿を想像すると、いささか胸が痛む。
………………おかしなことを考えてしまった。
ペーパートワコさんが描き出す未来の中に、見たくないような、見てはいけないような場面が描かれていたらどうしよう。
具体的に何ってわけじゃない。
例えば親が、例えば友達が、病気や事故や事件に巻き込まれるといったような……。
謎の動悸に戸惑っていると、ペーパートワコさんが鼻を動かした。
くんくんくんくん。
何かを匂っている。
「……なに? どうしたのよ」
問いかけるとペーパートワコさんはポッケから飛び出し、ショルダーバッグをつんつんつついた。
3B鉛筆を持たせてスケッチブックを開くと、ペーパートワコさんはしゃっしゃか絵を描き始めた。
登場人物は新、雛、トワコさん。背景は新のアパートだろうか。
新が床にうつ伏せている。
雛は座り込んで笑いこけている。
トワコさんは部屋の隅で体育座りして大泣きしている──って、な……なんだこれ⁉
「ちょっとちょっと、どーしたの紅子ちゃん?」
黒子はいきなり走り始めたあたしに楽しそうに並走してくる。
「うっさい! 黙ってろ! ついてくんな!」
「やーだよ。なんかもめ事でしょ? 楽しそーじゃん」
「……おまえマジで死ねよ」
本気でいらっとしたが、正直かまってる暇はなかった。
「あー、ちなみにさ。外にいる時にオレにあんま話しかけないほうがいいぜ?」
「……はあっ?」
「オレってさあ、見える人にしか見えないから。聞こえる人にしか聞こえないから。IF自身とかIFの飼い主とかね。気づかなかっただろうけどさあ、さっきの公園でも紅子ちゃんけっこー目立ってたぜ? ひとりで喋る不思議ちゃんに見えたんじゃない?」
「そういうことはさっさと言えよバカ! そして死ね! 速やかに死ね!」
蹴っ飛ばそうとしたが躱された。
追撃しようとしたがやめた。
それどころではないのだ。
今さっきペーパートワコさんが予言した未来は、さすがに看過できるものではなかった。
情緒不安定なふたりと倒れ伏す新──それはまるで、最悪の未来を指し示しているように見えたから……。
「なんだこれ……なんだこれ……」
新の部屋にはカオスが広がっていた。
「あー紅子だー。紅子紅子紅子紅子紅子だー」
壊れたラジオのように「紅子」を連呼しながらしがみついてくる雛。
けたけたけたけたけたけたけたけた。
タガが外れたように笑いこける姿が怖い。
「紅子大好き~」
「あーうっさい。もういいかげんにしろっての」
抱き付いてくるのを手で押しのける。
「……なんなのよあんたら。こんな真昼間から酔っぱらってんの?」
顔を赤くして目をぐるぐると回してる姿は、ほとんど酔っ払いのそれだ。
「ええ~? なあにぃ~?」
けたけたけたけたけたけたけたけた。
雛は笑い続けている。
「お酒なんか呑んでないですよお~だっ」
けたけたけたけたけたけたけたけた。
雛の呼気からたしかにアルコール臭はしない。
だけどなにか変な匂いがする。
濃密な果物の香りに混じって……なんだろうこれは、まるでせき止めシロップを煮詰めたような……。
「おーい新。新、起きろ。起きて説明なさい」
うつ伏せている新を足の裏でぐりぐり踏みつけるが、微動だにしない。
死んでる?
いや呼吸はしてるな。寝てるというか気絶してるというか……。
「だめだこりゃ……」
起こすのをあきらめると、そのあとを雛が継いだ。
「新く~ん。新くう~ん。紅子が起きろだってさ~。ねーねーねーねーねー。新くんってば~」
新の脇にしゃがみこんでぺしぺし叩いているが、やはり新はぴくりともしない。
やがてその行為自体が楽しくなってきたのか、雛は新をぺしぺししては笑い転げるマシーンと化した。
「トワコさん……?」
部屋の隅で体育座りしているトワコさんは、がくがくがくがく震えている。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
ひたすら何かに対して謝り続けている。
泣き腫らした目の焦点が合っていない。
「もう食べられません食べたくありません。これ以上はダメです死んじゃいます致死量です……」
その口元には白みがかった紫色の、粘性を帯びた物質がこびりついている。
足元にはレンゲが転がっている。
ペーパートワコさんが飛び降り、心配そうに顔をのぞき込んだりぺしぺししたりするが、正気には返らない。
「なんなのこれは……誰か説明しなさいよ……」
誰一人説明できる人がいない。
「……?」
ふと気づくと、テーブルの上に鍋があった。
そこからなんともいえない臭気が漂ってきている。
「うえ……なんだこれ……」
のぞきこんで顔をしかめた。
そこには白みがかった紫色の何かが入っていた。トワコさんの口元の汚れと同じ色だ。
縁にこびりついた色から類推すると、残り3割くらいか。
てことは7割食べたのか。これを……。
「これが諸悪の根源ってわけ……?」
マジックマッシュルーム。あるいは一部薬品に入っている麻薬成分を煮詰めたものだろうか。
面子的に、狙ってやるとは考えにくい。
面子的に、やりそうなのは雛だろうか。
こいつけっこうアホだからな……。
「ほらねー紅子ちゃん。見張ってないと危ないっしょ」
戸口で腕組みしている黒子は思いっきりドヤ顔しているが。
「別にトワコさんのせいじゃないと思うわ」
頭が痛い話だけど。
「……たぶん不肖の友人の仕業」
鍋に残った内容物を流しに捨てると、わたしはため息をついた。
いつものことだが、雛の相手をしてると気苦労が絶えない。
……ふと気づく。
「そういやトワコさんのメンターってどんなの? あんた知ってる? こんな状況だったら出てきてもいいと思うんだけど」
話を振ると、黒子はこともなげに部屋の隅を指さした。
「さっきからそこにいるじゃんよ」
「……ん? え?」
よっく見ると、部屋の隅に詰まれた座布団の上に、人形然とした幼女が座っていた。
歳の頃なら8歳? 9歳? とにかく小学校低学年くらい。
陶器のように白い肌。輝くように豪奢な縦巻きロール。きらきら透き通る碧眼。
服装はひらひらフリルの多いゴスロリ風。ビスクドールみたいに綺麗な幼女だ。
人形みたいに可愛い。いっそ人形っぽすぎて生きていることに気が付かないほどだ。
「……そなた、わらわの姿が見えるのかの?」
がん見しているあたしに気づいて、幼女は口を開いた。
尊大な口調だった。
「いちおーね」
あたしが答えを返すと、幼女は深いため息をついた。
「まったく、めんどうなIFに当たると大変じゃな。あまりのことに呆けておったところよ。わらわの名はマリー・テントワール・ド・リジャン。フランス革命の最中、暴徒に弑された不運の姫君じゃ──」




