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トワコさんはもういない  作者: 呑竜
「リライト・スタート」
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プロローグ

 ~~~新堂新(しんどうあらた)~~~




 イマジナリーフレンドという言葉を聞いたことがあるだろうか。


 想像上の友達。心理学用語で、不安定な幼少期の子供の中に生み出される、架空の友達のことだ。

 成長と共に見えなくなり、話せなくなり、いつしかどこかへ消えていってしまう。期間限定の友達のことだ。


 イマジナリーフレンドを創るのが流行っていたことが、ちょっとの期間あった。それは俺が小学生の頃だ。クラスの仲良し同士で4人集まり、自分たちの友達を創作した。


 彼女の名前は三条永遠子(さんじょうとわこ)。呼び名はトワコさん。

 クラシカルなセーラー服とクラシカルな学生鞄、首もとの赤いマフラーがトレードマーク。

 足が長く腰が高いモデル体型で、肌は白くなめらかで、黒髪ロングがつややかで。

とにかくとびきりの美少女だ。

 全校生徒の憧れの(まと)だが、話しかけづらい雰囲気らしく、学校では孤立している。

 実際の彼女は、ちょっとした孤独にも耐えられないほど寂しがり屋で、車に轢かれた動物を見たら抱きしめて泣いてしまうくらい心根が優しい。

 クールな雰囲気は、彼女の不器用さの表れにすぎない。


 当時のトワコさんは中学3年で、小学3年だった俺たちとはちょうど6年離れてた。


「今日、トワコさんと山へ遊びに行った」

「今日、トワコさんが料理を教えてくれた」

「今日、トワコさんが悪者を退治した」


 絵日記の形式をとった俺たちの創作ごっこは1年間続いた。トワコさんが中学を卒業し、東京の高校へ進学して行くのがラストとなった。


 表向きは。

 俺はトワコさんと離れがたくて、忘れがたくて、みんなが止めたあともひとりこっそりと創作を続けていた。絵日記を引き取り、ラストからの続きを書き始めた。


 東京で遭遇した事故がもとで成長の止まったトワコさんは、時間が経っても見た目が変わらない。永遠の若さを、しかし彼女は喜ばなかった。周囲の人間に気味悪がられるのが嫌で、日本各地の高校を転々とする転校生生活を開始した。


 彼女の日常を知るすべは、遠隔地からの手紙だけ。それを絵日記に書き綴っていくというスタイルをとった。

 なぜそんな回りくどい設定にしたかというと、書き手が俺ひとりになってしまったからだ。他の3人が登場しない不自然さを隠すため、ない頭を振り絞った結果がそれだった。


 トワコさんの旅は、絵日記100冊分続いた。1冊40日だから、実に4000日。1日で2ページ以上書くこともあったから厳密な数字ではないけれど、とにかく膨大な数だ。


 やめたのは、俺が高校を卒業する年に家が火事にあったからだ。100冊の絵日記はすべて焼け、書く気力とともに消え失せた。

 日本全国を渡り歩いたトワコさんが街に帰って来る。その話が最後だったはずだが、詳しくは覚えていない。

 記憶は、重ねた年月の向こう側に消えてしまった。


 だからこうして彼女を思い出すのは、実に実に久しぶりのことなのだ。

 

 じゃあどうして思い出したのかって?

 それはこういった理由からだ……。 



「おうおうおう、痛えじゃねえか、兄ちゃんよう!」


「おーだよ。タツの野郎が骨ぇ折っちまったじゃねえかっ。慰謝料よこしな慰謝料!」 


 リーゼントに革ジャンがタツ。

 スキンヘッドにアルマーニがトラ。

 酒に酔い、千鳥足で帰路についたところをチンピラふたりに絡まれた。

 軽く肩を掠めただけのはずなのに大げさに騒ぎ立てられ、気づいた時には路地裏に連れ込まれていた。

 嬉しくない壁ドンをされ、仁王様みたいな顔ですごまれて──俺は生まれて初めて、走馬灯というものを見た。


 懐かしい記憶が脳裏に蘇る──

 イノセントな小学生時代。

 中二病を患わせた中学時代。

 初めて彼女の出来た高校時代。

 灰色の浪人時代。

 大学入学、卒業、就職。

 故郷の母校に新任教師として配属されることの決まった今年3月──つまり今に至るまで。


 鮮明なものもあったし、そうでないものもあった。とにかくたくさんの、暴力的なほどに無数の、奔流のような記憶たち──その中に、ほのかに光を放つものがある。


 それは彼女にまつわる物語だ。

 日々積み重なるガキの妄想によって形作られた、無敵のヒロイン。


 ──トワコさんは、ピンチに必ず駆けつける。


 そんなフレーズを思い出した。

 俺が創った設定。

 ピンチの時に助けを呼べば、彼女はどこにいたって駆けつけてくれる。

 ダンプカーに轢かれそうになっていれば抱えて飛んでくれるし、悪漢に殺されそうな時は武術で蹴散らしてくれる。寂しくしてたら抱き締めてくれる。


「……はは」


 あまりにもくだらなすぎて、思わず笑ってしまった。

 だけど他にやりようがなかった。

 高身長以外に取り柄のない俺には、他にすがれるものが何もなかった。

 だから俺はつぶやいたんだ。詮ないことだと知りながら。


「トワコさーん。たぁすけてー……」


 なんて。

 魔法の言葉をつぶやいたんだ。


「……何言ってんだ兄ちゃん?」


「……怖くて気が触れたか?」


 タツとトラが訝しげに顔を見合わせる中──。


 ──突如として、それは起こった。


 何かが空から降って来た。

 至近距離に隕石でも落ちたかのような衝撃があった。

 耳を(つんざ)くような爆音が轟いた。

 震動が足を震わせた。前髪を浮き上がらせた。小石や砂礫を吹き飛ばした。居酒屋の室外機をビリビリ震わせた。


「な、な、な、なんじゃーこりゃー⁉」


「い、隕石か⁉ 落ちて来たんか⁉」


 タツとトラは、抱き合うように互いを庇い合っている。


 バチバチと空気が帯電している。金氣くさい臭いが鼻をつく。

 地面が丸く陥没し、小さなクレーターが出来ていた。未来から訪れたサイボーグのように、クレーターの中心に女の子が膝をついていた。

 

 衝撃の余波で路地裏に風が渦巻く。クラシカルなセーラー服が、つややかな黒髪が、赤いマフラーが激しくたなびいた。 


「ト……」


 女の子はゆっくりと身を起こした。セーラー服の乱れを整え、髪の毛を手で梳き、マフラーを巻き直した。


「…………………トワコさん?」


 女の子──トワコさんは切れ長の目で俺を見ると、クールな表情をわずかに緩めた。


「女……か?」


「……宇宙人の間違いじゃないのか?」


 タツとトラが、揃って眉をひそめる。


「……っ」


 紛れもない。トワコさんだ。

 子供の頃に何度となく夢想した、トワコさんその人だ。

 どうしてかはわからないけど、どういった原理でかはわからないけど、いまたしかに、彼女はここにいる。

 紙面から現実へ、過去から現在へ──膨大な距離を踏破して、俺の手の届く距離に現れた。


「………………やっと、見つけたわっ」


 トワコさんはふるりと口もとを震わせた。目を細め、目元をほんのり赤く染めた。

 美しかった。天使か女神か妖精か、そういった、人間とは別種の生き物のように美しかった。


 羽根でも生えてるような軽い足取りで、彼女は俺に向かって走ってきた。

 タツとトラが、思わずといった感じで脇へどけた。


「──新!」


 全身で、全体重を乗せて、彼女は俺に抱き付いてきた。

 体重の総量で言ったらさほど重くはない。スレンダーなモデル体型。俺の設定通りなら45キロ。

 だけど重く感じた。みっちりずっしり重かった。

 俺が彼女のことを書き綴った日々の重さ。今ここにいる事実の重さ。


 ──うなじから香水の香りが立ち上る。

 (ひな)の母親がつけていた香水の香りだ。


 ──赤いマフラーの繊維が頬を刺す。

 紅子(べにこ)が「アクセントに」と付け加えたワンポイントアイテム。


 ──頬を頬にぐりぐり擦りつけるようにしてくる。

 マセガキ真っ盛りの(まさる)のエロ妄想。


「どうしてこんな……夢じゃないよな? 俺、けっこう呑んでるから……酔っ払ってんのかな?」


 とにかく距離を置こうと思って、肩を手で押しやった。


 トワコさんは潤んだ瞳で俺を見上げた。


「バカ。夢じゃないわ。夢なんかなもんですか」


 ぎゅっと、(とが)めるように強く、俺の二の腕を掴んだ。


「ずっと探してたのよ? あなた、いきなり行方をくらまして……」


「ああ……そうか……」 


 日記が焼けて以来だから、もう6年ぶりになるのだ。


「どこへ行ったかわからなくなって……すごく心配……したのに……」


 ぼろぼろと、トワコさんの目から涙が零れた。

 それはあとからあとから湧いて来て、白い頬を伝って落ちた。

 俺はどうしていいのかわからずに、ただ立ち尽くしていた。


 戸惑う俺に、横合いから声がかけられた。


「兄ちゃんよう……ちょっとこっち、放置しすぎじゃねえか?」


「おーだよ。オレらのこと無視すんじゃねえよ。さっきから声かけてんのに、ふたりの世界に入りびたりやがって」


「女子高生泣かせちゃってよう。抱きしめちゃってよう。い~いご身分じゃねえか。派手な登場の仕方にはびっくりしたがな。よっく見りゃただの人間じゃねえか。さっきのはなんだありゃ、電気事故か何かか?」


「まあどっちでもいいやな。それよりなかなかハクい(スケ)じゃねえか。せっかくだからオレたちにもおこぼれにあずからしてくれよ。そしたら少しは慰謝料まけてやるからよ」


「な……っ」


 反射的に、トワコさんを後ろに庇った。

 ひとりきりの時は竦んでるだけだったのに、なぜだか今は、すんなり盾になれた。


 自分自身でも驚いていると、泣き止んだトワコさんが俺の腕を引いた。

 優美な孤を描く眉を、きりりと跳ね上げた。


「……大丈夫よ新。あなたに仇なす者は、わたしの敵。全部、すべて、綺麗に片付けてあげるから」 


 少し背伸びして、口づけするように耳元で囁いてきた。


「……でもありがと、庇ってくれて。新、大好きよ」


「……っ!」


 ぞくりと鳥肌が立った。

 それは嬉しさじゃなかった。晴れがましさでもなかった。

 まざまざと思い出した。


 ──トワコさんは、新堂新を愛している。


 俺が創った設定だ。

 彼女は、あの時の妄想のままに形を成している──。



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