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探偵カナタと白黒館の殺人  作者: 藤宮ハルカ
4/7

暗雲

続きです。出題編終了!

 食堂に集まった全員が沈痛な面持ちをしている。時計をちらりと見やると時刻は八時十五分、事の発覚から二時間程が経過した事になる。あの一瞬、弥勒さんの部屋で見えた光景はどうやら見間違いではなかったらしい。部屋がどの様な惨状なのかを私と三輪さんに簡単に説明したカナタは、私に佐野さんを呼んで来る様に命じた。彼を呼んでくるとカナタと佐野さんは二人で現場検証を始め、私と三輪さんは残りのゲスト達を起こし、食堂に集める作業を手分けして行い、シノさんはアリスを起こしに向かった。まだ眠っていた彼らを起こして状況を説明したが…当然、皆が納得出来るものでは無い。「どういう事だ」「何があった」「誰がやった」。そんな事聞かれても私だって何が起こったのか分からないのだ。しかし「弥勒さんが死んだ」という疑い様の無い事実、それはたった一瞬だが私はこの目で見た。見たんだ。

 ふいにロビーへの扉が開かれた。全員が一斉にそちらを向く。何時もと何ら変わらぬ表情をしたカナタと「面倒な事になった」と表情が物語っている佐野さんが並んで食堂へ入ってきた。カナタはお誕生日席に座り、佐野さんは今野さんの隣に座る。

「さて佐野さん、私から話していいのかしら」

「ええ、お願いします」

 カナタと佐野さんが短い会話を交わす。佐野さんは机に片肘を着き、手で額を覆った。それは疲れてそうした、と言うよりも何か考え事をしている様に見える。

「弥勒氏が殺害されました」

 途端に食堂中がざわめく。頭では分かっていた。でもどこかで認めないでいた、そうでなければいいと。しかしその考えはカナタの一言で無常にも打ち砕かれ、心臓の脈を早める。

「どういう事なんですか」

 今野さんが呟く。そう言いたくなるのも無理は無い。彼の目は虚空を見つめている。

「そのままの意味ですよ」

 あまりにも冷たいカナタの一言。それの所為か否か、御堂さんが叫ぶ。

「そのままって何!?誰がやったの!?この中に犯人がいるって訳!?」

「落ち着いて下さい。誰が殺害したのか、この中に犯人がいるのか、現状ではまだ分かりません」

 やれやれと御堂さんを制すように両手を上げるカナタ。その顔には疲労の色が見える。

「遺体を見つけたとき、死後硬直は全く進んでいなかったわ。血痕の乾き具合から見ても、死亡推定時刻は午前五時から六時の一時間くらいでしょうね。解剖したわけじゃないから大雑把な時間しか分からないわ。死因は肺を刺されての失血死。しばらくは息があったんだろうけど、力尽きてしまったのね。外傷は他には見られなかったから間違い無いでしょう。殺害現場は遺体のあった弥勒さんの部屋…多分ね」

 最後の一言が気に掛かった。とりあえず聞いてみる。

「多分ってどういう事だ」

 カナタは人差し指を顎に当てて目を瞑った。そしてそのままの格好で答える。

「血痕は部屋の入り口から窓際の弥勒さんの遺体まで点々と続いていたわ。弥勒さんはどこか別の場所で殺害され、彼の部屋に運ばれた可能性も無くは無い」

「無くは無いって事は、考え難いのか」

「ええ、部屋の中も外も白黒の絨毯…そんな所に血痕を付着させて、“外の絨毯だけ”綺麗に拭き取るなんて手間をするかしら」

 弥勒さんの扉の前には、血痕の様なものも濡れた様な跡も無かった。

「何かで彼の遺体を包んで、部屋に着いてから包みを解いた、とか」

「ナンセンスね。それならば血痕が付着した何らかの包みが余計に出来てしまう。“それ”がまだこの館の何処かに隠されている可能性もあるけれど…」

「でも客室のテラスの外は断崖絶壁だよ。あそこに捨ててしまえば見つからないんじゃないの?」

 何とか冷静になったのだろう、御堂さんの至極まっとうな意見。確かにあそこに捨ててしまえば――

「だったら遺体ごと捨ててしまえばいいじゃない。弥勒さんは、胸に凶器を残したまま部屋に放置されていた」

 遺体ごと…恐ろしい考えではあるがその通りだ。遺体を包んだ“何か”だけを捨てるのなら、遺体ごと捨ててしまえば発見も遅れる。いや、発見すらされないかもしれない。

「けどね、それはそれで問題があるのよ。弥勒さんのポケットの中には、彼の部屋の鍵が入っていたからね」

 彼の部屋の鍵が彼のポケットに入っていた――当然ではないか。

「どういう事だ?」

「馬鹿。“部屋の鍵は掛かっていて、私達はマスターキーで入った”のよ。そして“鍵の掛かった部屋で彼は殺害されていて、鍵は室内にあった”。それはつまり――」

ああ、何ていう事だ。ようやく分かった。これは不可能犯罪――

「密室殺人、なのか」



「そんな事より、警察に連絡はしたんですか」

 虚空を見つめていた今野さんが、初めてカナタを見て口を開いた。

「それに関しては…アリス、お願い」

 私の隣に座っているアリスの表情は――正直分からない。全くの無表情で口数も少なく、彼女が何を考えているのもさっぱりだ。

「うむ、この屋敷に外界と連絡できる手段は無いのじゃ」

 なんだと、そんな馬鹿な事が…

「ここは私の別荘じゃ。煩わしい仕事なぞに捕らわれる事無く心ゆくまで休息する、その為の場所でな。電話はおろかラジオやテレビの類も一切合切置いておらぬ」

「け…携帯がある!」

 私は鞄に入れたままの携帯の存在を思い出し、椅子を降りて部屋に駆けようとした。

「無駄よハルカ。「私有地」の看板を通り越したあたりから、ずっと圏外だわ」

「なんだって…どうして…」

「言ったじゃろう。「煩わしい仕事なぞに捕らわれる事無く心ゆくまで休息する」と。私は徹底主義じゃ」

 そんな事の為に、この周辺は携帯の電波まで遮断されているのか。それならば――

「車でさっさと外に行こう!早く出て連絡に――」

「それも駄目そうなの」

 アリスの後ろに立っていたシノさんが申し訳無さそうに答える。

「アリス様を起こしに行った後、直ぐに車を出して外に知らせに行こうとしたんだけど…全部の車が、パンクしてた」

 カナタの舌打ちが大きく食堂に響いた。

「もしかしたら、と思ったんだけどやっぱり駄目だったか。これで八方塞ね」

「そうと決まった訳じゃないだろう!歩いて行けば――」

「ならぬ」

 アリスの真紅の眼がまた、私を貫いた。喉まで出ていた言葉が引いていくのが分かる。

「この館の外には熊が出るのでな、車が無ければ危険じゃ。只でさえ車を飛ばして十分以上かかる道のり――お勧めは出来ぬ」

「だからと言ってこのまま此処に居るのは危険だろう!」

カナタが溜息をついて「取り合えず席に戻りなさい」と私を促す。

「ハルカ、危険なのは熊だけじゃないわ。外部犯の可能性だってあるのよ」

「外部犯だって?」

 それを聞いたシノさんが慌ててカナタに向き直る。

「か…カナタ様、お言葉ですがその可能性は無いかと」

「あら、何故?」

「就寝する前に施錠を確認します。昨日は…いえ、昨日も何処にも異常はありませんでした」

「それは可能性の否定にならないわ。私達の知らない外部の人間が内部の人間に何らかしらの合図を送り、犯行に及んだ可能性だってある」

「それこそナンセンスなんじゃないか。熊が出るこの館の周辺にずっと身を潜めていた訳だろう。それに合図と言ったって携帯は使えない」

「トランシーバーみたいな物なら使えるでしょう。まあそれを差し引いても、外部でどんな情報を内部に教えるのかはさっぱりだけど」

「そんな不明瞭な理由じゃ館に残る理由になんかならない!」

「在り得なくは無い。考えうる全ての可能性を疑ってかかるしかない」

 それは私に、と言うよりはカナタ自身に言い聞かせている様に聞こえた。

「ともかく、一度皆で現場を見よう。何かに気付く人もいるかもしれない」

 佐野さんはそう言うと椅子から立ち上がった。アリス、カナタ以外のメンバーは動かない。

「辛いかもしれないけど、皆見てちょうだい。弥勒さんに手も合わせないとね」

 カナタのその一言で、全員が力無く立ち上がった。

 何なんだ一体…何が起こっているんだ。



 正直に言うと、死体と呼ばれるものを見るのは初めてだった。いや、そう言うと御幣がある。葬式などは何度か参加をしたし、御遺体も見たことはある。私が初めて見たのはこの弥勒さんの様な…他殺体だ。

 誰が見ても死んでいるのは明らかだった。仰向けに倒れ、苦悶に歪んだその表情は人のそれとは思えないほどに土気色になっている。口元からはおびただしい量の血が溢れ、首まで真っ赤に染めていた。胸に突き刺さった包丁はかなり深くまで刺さっており、思わず目を背けたくなる。

「アナタは特によく見ておきなさい。助手なんだから」

 悪態をつく事も出来ない。なるべく言われたとおりに目に焼き付けておこうと思うのだが…数秒見ては目を逸らしてしまう。

「カナタさん、何か新しく気付いた事はありますか」

「いえ、特に…そっちは?」

「こちらも、特に」

 佐野さんとカナタだ。この二人だけは弥勒さんの遺体そっちのけで部屋を物色している。

 ふと三輪さんが目に入った。彼女は弥勒さんの遺体を見下ろしながら右側頭部を抑えている。

「三輪さん、大丈夫?」

 彼女の傍に寄って私がそう言うと、彼女は驚いて飛び上がった。

「あ!は…はい…大丈夫です。ちょっと頭が…」

 私達のやりとりに気が付いたのか、カナタが麻の白い手袋を外しながら歩み寄ってくる。あの手袋はカナタが普段から持ち歩いている物だ。お洒落の為ではなく、この様な場面で指紋を残さない為だが。

「アキナちゃん、どうしたの?頭が痛いの?」

 腰に手を当てて三輪さんを覗き込むカナタ。顔が近いぞ。

「ええ…ちょっと偏頭痛が。遺伝なんです」

 それを聞くとカナタは「ふむ」と腰に手を当てたまま背を伸ばした。

「いきなりこんな事があったんだもの、持病が急に出るのもしょうがないわね。食堂で休んでなさいな。薬は?」

「薬は持ち歩かないんです。どこかで必ず置いて行っちゃうから」

力なくくすりと笑う三輪さん。カナタも普段と違う物を持って外に出ると、 家に着く頃には必ず失くしている。が、それは言わないでおいた。

「そうなの。あんまり辛いようならシノちゃんに言いなさい。常備薬くらいはあるでしょう」

「はい、分かりました。それじゃあ、お先に食堂に戻ってます。すいません」

「お大事にね。ハルカ、あんたは居残り」

 黙って三輪さんに付いて行こうとしたがバレた。いくら探偵の助手を名乗っていようと、早くこの場から去りたいのだ。そして三輪さんは静かに部屋を後にした。そこに心配そうな顔をしたシノさんがやって来る。

「あの…三輪様にお薬をお出ししましょうか」

「そうね、お願い。ちなみにシノちゃん、何か気付いた事はあるかしら」

 シノさんは困ったように視線を足元に移す。

「いえ、何も…お力になれずに申し訳御座いません」

 首を振るカナタ。そしてシノさんの頭をポンポンと二度叩いた。

「いいえ、ありがとう。アキナちゃんの所に行ってあげて」

 そう言われれたシノさんは深く一礼をして部屋を去った。カナタは顎に人差し指を当てて佇んでいる。そこへ御堂さんがやって来た。

「カナタさん、私も食堂に行っていいかな」

「ええ、構いませんよ。何か気付いた事はありませんか?」

「うーん…そうだなあ」

「どんなに細かい事でもいいんです」

「そういえば、服が――」

 カナタの目が光る。

「服が?」

「いやね、私ほら、娯楽室で解散して直ぐに部屋に戻ったじゃない?その時と服装が違うような…」

 言われて見れば確かにそうだ、私も今気が付いた。初めて対面してから娯楽室で解散するまでの彼の服装は、ジーンズに灰色の無地のTシャツというラフな服装だった。しかし今、此処で横たわっている彼は黒いYシャツに白地のネクタイ、白のチノパン。随分、以前と変わっている。

「ええ、それには私も気が付きました。佐野さんにも確認済みです。何故、彼の服装が変わったか――理由は分かりますか?」

 腕を組んでうーん、と首を捻る御堂さん。

「ごめんなさい、そこまでは…」

「ええ結構です、ありがとうございました。それでは先に食堂へ」

「大した事言えなくて本当にごめんね」

 そう言い、御堂さんも部屋を去る。カナタは弥勒さんの前で手を合わせている今野さんを呼び寄せた。

「今野さん、弥勒さんの服装が以前とかなり変わっています。それについて何か知っている事はありませんか?」

 食堂ではかなり参っていた様子の今野さんだったが、今は大分持ち直した様だ。彼は唸りながら天井を見上げる。しばらくそうした後、カナタに首を向けた。

「すいませんが、ちいと分かりませんなあ。でも彼はお洒落さんだったから、気まぐれで着替えたんじゃあないでしょうか」

「ふん、気まぐれか…ちなみに前回は?」

「前回は確か…一泊だけの予定だったんですが、彼は三着も着替えを持ってきてましたのう。まあそんなに使う事はもちろん無かったんですが」

「なるほどね…ありがとうございました。今野さんもよろしければ、先に食堂へどうぞ」

「はあ、お役に立てたんでしょうかのう。それではお言葉に甘えさせて頂きます」

 のしのしと部屋を後にする今野さん。彼の言うとおり、今の話は何か役に立つのだろうか。カナタはまた顎に人差し指を置く。そのカナタの下に、遺体をまじまじと眺めていたアリスがやって来た。

「どうじゃカナタよ。何か分かったか。」

 カナタは振り向きもせず、ポーズも変えない。さっぱりね、と一言だけ発したのを聞き届けたアリスは私に近寄ってくる。

「ハルカ、主はどうじゃ」

「ごめん、カナタと同じ。さっぱりだ」

「ふむ、やはりそうか。私も考えてはいるのじゃが…まずどこから考えてよいものか、それすら分からぬよ」

 悔しいがその通りだ。犯人は誰か、というのは勿論だが…それにはまず何処から考え始めればいいのか。まるで何重にも絡まった紐を見ているかの様である。目的ははっきりしているのに、どこから取り掛かれば良いのかが分からない。

「カナタさん、やはり新しい発見はありません。私も先に食堂で待っています」

 佐野さんは忙しく体を動かして何か証拠や犯人に繋がる手がかりを探していたのだろうが、どうやら徒労に終わってしまったらしい。がっくりと頭をうな垂れている。

「ええ構いません、お疲れ様でした。アリスも食堂に行ったら?それともまだ一緒に捜査する?」

「いや、佐野と一緒に下がらせてもらおう。これ以上いても邪魔になるだけじゃろうて」

 そう言うと佐野さんとアリスは共に部屋を出て行った。その後姿はまるで親子のようだ。その姿を見届けて、カナタに話しかける。

「さて、次は何処を調べようか」

 返事は無い。

「カナタ?」

 ハッとした表情でようやくこちらを向く。まるで私の存在を忘れていたかの様だ。

「ああ、アンタまだいたの?」

 忘れていたらしい。

「ひどいな。次は何処を調べようかって言ったんだ」

「そうね、部屋には何もなさそうだし、部屋の外を調べてみようかしら」

言うや否やさっさと外に出て行ってしまった。どこまでもひどい姉である。



「何も無いな…そっちはどうだカナタ」

「特に変わった物は無いわ。このドア、全く隙間が無いのね。これじゃ外から室内に鍵を入れるのは不可能だわ」

 カナタは扉の周辺、私はその正面の吹き抜け周辺を探している。やはり血痕の跡や濡れた跡なども見当たらない。

「まだ弱いのよ…まだ足りないの」

 ぶつぶつ言いながら扉を舐めるようにチェックしているカナタを尻目に、何も無いんじゃないかと思い始めたその時だった。

「何だこれ…」

 “それ”は白黒の塗装が施された手すりにあった。階下に落下しないように設置された手すりの、無数にある支柱の内の一本。そこに僅かだが、赤い何かが付着している。

「おいカナタ…これ、何だ」

 どれどれとこちらにやってきたカナタが私の指し示す先に思いっきり顔を近付けた。

「んー…?」

 しばらく沈黙した後、グルリと物凄い勢いで私に顔を向ける。カナタのその顔には驚きが張り付いていた。そのままの表情を凍らせたカナタと驚きで息も出来ない私はしばらく見つめ合い――途端、奴はにっこりと微笑んだ。訳が分からない。

「よくやった。よくやったわハルカ。徒歩で帰宅の罰ゲームは無しにしてあげましょう」

 そう言うと私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。よほど興奮しているのか、もしくはわざとなのかは分からないが少し痛い。

「此処はもういいわ。食堂に行くわよ」

 私を置いてさっさと階下に歩き出すカナタ。本当に訳の分からない奴である。



「さて…遅れてしまって申し訳ありません」

 お誕生日席に座ったカナタはそう切り出した。

 カナタの右手に私で、私の正面が佐野さん。私の右手に三輪さん、その正面にはアリスが座っていて、後ろにはシノさんが立っている。三輪さんの右手には今野さんで、その正面には御堂さんが座っている。

「さて、こうしてもう一度この食堂に集まって貰ったのは理由があります。 私達が娯楽室で解散してからの行動を確認する為です」

「アリバイ改めって所かの」

 何が楽しいのか、アリスは微笑んでいる。

「そう言うと嫌な顔をされるでしょうけど、その通りね」

 皆の顔はまだ暗いが、先程よりは随分と良いようだ。お互いがお互いの顔を確認し合い、全員がカナタを見て頷いた。

「ありがとう。じゃあ…私から行きましょうか。娯楽室で皆と別れてから直ぐに部屋に向かったわ、時間は二十三時頃ね。カナタ、三輪さんと私の三人で一緒に話し込んで、解散したのは二十四時ちょうど。それからシャワーを浴びて直ぐに寝たわ。時間は一時三十分くらいだったかしら。そして扉を叩く音で眼が覚めて…あれは六時くらいだったかしら。」

 最後は私に向けた質問だ。私は黙って頷く。

「そんなところね。ちなみに一回も部屋から出てないわ、証拠は無いけど。質問がある方はどうぞ」

 そう言い、椅子にもたれ掛かって煙草に火を点けた。

「最初にも言ったけど、死亡推定時刻は午前の五時から六時の間だ。カナタさん、アナタのその時間のアリバイを証明する人、事柄は?」

 佐野さんがカナタに問いかける。カナタはしれっとした表情で「無いわね」と短く答えた。彼は溜息を落として「それも仕方なしでしょうね」と続け、また溜息。

「次は…ハルカ、アンタよ」

 思わず背筋が伸びる。コホンと咳払いなぞをし、話す。

「俺は…娯楽室で解散して、カナタの部屋に集まって…カナタと殆ど同じです。部屋に戻ってからも、ざっとシャワーを浴びてすぐ眠ってしまいました。朝に扉を叩く音で眼が覚めて、時間を確認したら六時七分でした」

「アンタも犯行時刻周辺のアリバイは無いのね?」

「ああ、無い」

「一度も部屋から出なかった?」

「出なかったな。もちろん証拠は無い」

「分かったわ、ありがとう。次は佐野さん、お願いできるかしら」

 緊張したが、ともかくこれでお役御免だ。佐野さんも私と同じ様に背筋を伸ばす。

「私は娯楽室で解散した後、弥勒さん、今野さんと三人で私の部屋で集まりました」

 今野さんが大きく頷いている。

「そこではずっと三人で酒を飲みながら話をしていて…解散したのはカナタさんグループが解散したちょっと後でしょうか。時間はちょっと覚えてないんですが…今野さん、あれは何時くらいでしたかね」

 急に名前を出された今野さんは臆する事も無く答える。

「カナタさん達の「おやすみなさい」と言う声が聞こえたから「我々も解散しようか」という話になったので、十二時十分くらいかと」

「ああ、そうでした。そしてシャワーを浴びてすぐ寝てしまいました。犯行時刻のアリバイはありません」

 やはりアリバイは無い。繰り返す様だが、それが当然なのだ。

「その時の弥勒さんの服装は?」

「もちろん、終始あの服のままでしたよ。ジーンズに灰色の。途中で着替える事もありませんでした」

「ありがとうございます。順番が飛ぶようだけど、今野さんも同じでよろしいかしら」

「ええ、構いませんです。私もアリバイはありませんのう」

 正直ここまでは分かっていた事だ。私達はほとんど同じ行動をしていたのだから。問題は次から――

「アキナちゃん、頭痛はどう?」

カナタの問いかけに三輪さんはびくりと身を震わせる。まだ目の前の「殺人事件」というものにショックを受けているのだろう。

「はい、シノさんから薬を貰ったので、大分楽になりました」

「それは良かったわ。辛いだろうけど、アナタが私達と別れた後の事を教えて」

 はい、と答えた後に彼女は大きく深呼吸をした。か細い糸を手繰り寄せる様な真剣な眼差しで話し始める。

「カナタさん達と別れた後にすぐシャワーに入って眠りました。でも目が覚めてしまって…起きたのは五時丁度くらいだったと思います。七時に皆さんとダーツをする約束があったし、もう一度眠ると寝過ごしそうだから、と娯楽室に向かう事にしました。部屋を出ると弥勒さんが階段から上がって来たので「おやすみなさい」とお互い挨拶しました。その時の彼の顔色が酷く悪くて…気にはなったけど、そのまま娯楽室に行って、ダーツの練習をしてました。でもやっぱり心配で…一時間くらいダーツをした後、弥勒さんの部屋に向かったんです。時間は六時くらいでしょうか。それで…」

「今朝に至る、というわけね」

 小さく頷く三輪さん。

「いくつか質問があるわ。目が覚めて外に出たときに弥勒さんに会ったのよね。その時の弥勒さんの服装は?」

「今の弥勒さんと同じ、Yシャツ姿でした」

「アナタのアリバイを証明する人物なんかは?」

「弥勒さん以外とは会いませんでしたので…」

「そう、分かったわ」

 グシャリと灰皿に煙草を押し付けたカナタは腕を組み、低く唸る。

「つまり五時ごろ、弥勒さんはまだ生きていたと言う事になるわ」

 そうだ、死人が動くなんて事は無い。三輪さんと会ったその後に殺害されたと言う事になる。

「次はアリス、お願い」

 ふむ、と微笑むアリス。さっきからずっとこの調子だ。まるで今の状況を楽しんでいる様にも見える。

「すまぬが、娯楽室で解散してからは自室に戻ってずっと眠っておった。誰とも会っておらぬし、部屋から出てもない。もちろん、アリバイも証拠もない」

 食堂が静まり返った。空気が重い。それでもアリスは微笑んでいる。

「分かった。次はシノちゃん、お願い」

 かしこまりました、とシノさんは一歩出て話し始める。

「皆さんと娯楽室で解散してから直ぐに片付けに参りました。片付けが終わったのが一時三十分頃で、そこから朝食の仕込をし、それが終わったのが二時三十五分ちょうどでした。そして館内の施錠の確認に行き、自室に戻ったのが三時五分程です。アリバイは…ありません」

 最後の最後でしょぼんとしてしまった。不謹慎だがその落差に笑ってしまいそうになる。

「マスターキーはあの一本だけ?」

「はい、私の部屋で管理しています」

「普段、部屋に鍵は掛けてる?」

「寝る時以外は基本的に部屋に戻らないので、常に掛かっています」

「起きている間、何か変わったことは?」

 彼女は少し思案してから困った顔で「申し訳ありません」と頭を下げた。

「分かったわ。最後は…御堂さん、お願いします」

 御堂さんは黙って机を見つめていた。猫の様な大きな眼は疲労感の為か、半分ほどしか開いていない。

「ごめんなさい、私もアリスちゃんと同じなの。結構お酒が入ってたから部屋に戻ってすぐ寝ちゃって…ハルカくんが起こしに来るまでぐっすりでさ」

「アリバイも何も無いって感じかしらね」

「うん、そうなんだ」

 目を閉じて大きく溜息をつく御堂さん。あれだけ酔っ払って顔を真っ赤にしていたんだ、当然と言えば当然である。

 待ち侘びた様なタイミングで十一時を告げる鐘が鳴った。



 私はカナタの部屋で、紫煙生産器となっているカナタと向かい合って座っている。

 十一時の鐘が鳴るとカナタは「三時にもう一度、食堂に全員お集まり下さい。そしてもし犯人がこの中にいるのなら、自首する事を強く勧めます」と言い放った。そして一旦解散となったが、今野さんの提案で家宅捜査が行われた。今野さん、佐野さん、シノさんが三人がかりで館中をひっくり返し、何か証拠が残っていないかとやっきになったが――全員の手荷物も、倉庫も全て調べ上げたのにも関わらず成果は無しとの報告が入った。現在は全員が自室に戻っている。

「ハルカ、何を考えているのかしら」

 急に話し掛けられた。カナタは私を真っ直ぐ見つめている。

「考える事が多すぎて、何から考えていいか」

 これは本心である。先程から様々な考えを巡らせている事は確かだ。しかし一つの考えが壁にぶつかると次の考えに移って、そしてその考えが壁にぶつかると次の考えに…それを永遠と繰り返し、結局は何一つ進まないでいる。壁に囲まれているのだ。

「そうね、横浜夫妻の時は遺体にブルーシートが掛かっていたし、私がほとんど一人で行動したから。アナタは他殺体を見るのも初めてだもんね」

てっきり怒られるかと思っていたが、想像に反して優しい言葉を掛けられた。それはそれで調子が狂ってしまうのだが。

「全体を見ることはもちろん大事よ。けどね、手元を見ないとジグソーパズルは絶対に完成しないわ」

「うん、分かってる。けど…」

「どこが手元かすら、まだ分からない」

「…そうなんだ」

 そう、ある程度完成しているパズルなら良い。しかし今私がやっているパズルはまだ一つのピースもはまっていない。真っ白な状態に他ならない。

「一緒に手伝うわ。だからハルカ、推理という名のジグソーパズルの解き方、しっかりと覚えなさい」

 カナタは私に「推理の仕方」を教えようとしている。今までこんな事は無かった。普段ならば「どういう風の吹き回しだ」と茶化す所だが――私の目を見るカナタの眼差しは、見た事もない程に真剣だ。

「まず今回の事件、パズルの完成形は「犯人の名前」よね」

「ああ、そうだな」

「しかしいきなり答えが分かる訳が無い。まずは「はめやすいピース」を探してみましょう」

「分かりやすい謎って事か?」

「その通り。まずこの事件で思いつく限りの「謎」を挙げてみて」

 目を瞑って考えを巡らす。

「まず弥勒さんが「どうして殺されたのか」ってのがそうだろう」

「そうね、それは「動機」だわ」

「そして弥勒さんを「どうやって殺害したか」も、もちろんそうだ」

「良いわよ。「殺害方法」――今回は密室ね」

「それに弥勒さんを「何時、殺害したか」もか?」

「よく気が付いたわね。「アリバイ」だわ」

 ざっと思いつくのはその三つくらいか?いや、まだ何か頭の片隅に残っている。カナタはそんな私の思考が分かっているのだろう。口を挟むことなく、じっと私を見ている。

「そうだ!手すりに付いていた「赤い何か」!」

 カナタは満足げに笑って頷いた。

「素晴らしいわ。「証拠品」ね。思いつくのはこれくらいかしら。さてこの中でアンタが解き易い、と思った謎はどれかしら」

 弥勒さんを殺害しようとした理由、犯人の動機。どの様にして密室を作ったのか、殺害方法。どのタイミングで殺害したのか、アリバイ崩し。そして手すりに残された、赤い何か。

 どれも一癖も二癖もありそうな「謎」だ。しかし弱音を吐く事は出来ない。目の前には初めて見る「師」の顔があるのだから。

「謎ばかりに惑わされては駄目。全員の発言、仕草…全てがヒントに繋がる可能性もあるのよ」

 何か怪しい挙動をした者がいただろうか。犯人しか知りえない発言をした者がいただろうか。思い出せ。考えろ。

 新しく煙草に火を点けるカナタの顔は、少し微笑んでいるようにも見えた。

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