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探偵カナタと白黒館の殺人  作者: 藤宮ハルカ
2/7

邂逅

続きです。

 「野性馬」という意味を持つこの高級車は、アメリカを代表するスポーツカーとして継続的にモデルチェンジを重ね、現行モデルに至るまで様々なバージョンが製造されている。この車には大まかに分けて六世代のモデルが存在し、カナタが所有するコイツは四代目のモデルで普通ならば高級車だ。 そう、普通なら。

「このポンコツマスタングで行くのか…」

「アンタの脳みそよりはマシよ。この赤くシックなボディーはいつでも街の人間の視線を集めているじゃない」

 街行く人がこの車を見るのは、高級車でありながらボコボコにひしゃげたボディのせいだ。何でもこの車、カナタの大学時代の友人が事故にあった物をタダ同然で譲り受けた物らしい。このポンコツをカナタが我が家に持ってきた日「まったくどんな事故をしたらこんなにベコベコになるのかしらね」と悪態をつきながらも、微笑みながらボディを磨き上げる素直でないカナタに少し愛嬌を感じたものだ。

「しかし白黒館に着くまでに壊れたりしないだろうな。長距離運転なんて今回が初めてだろ」

「そんな事は分かりゃしないわ。壊れたらJAFでもタクシーでも何でも呼べばいいのよ」

「俺らだけならそれでもいいがな、今回はゲストを乗せるんだ。頼むぜ本当に」

 ちらりと後ろを振り返る。三輪さんが驚いた様な顔でポンコツマスタングを見ていた。なんだか凄く恥ずかしい。

「さぁ、さっさと乗った乗った。高速ぶっ飛ばして行くって言っても時間がかかるんだからね」

 高速をぶっ飛ばしている最中に、車ごとぶっ飛ばされなければよいが。ともあれ距離があるのは事実なので、私と三輪さんはおっかなびっくりと乗り込んだ。

 あの真っ黒な封筒に意味不明な手紙(招待状?)を受け、カナタは「行きましょう」と言った。手紙にはかなり詳細な地図が描かれていて、白黒館とやらの場所は分かるのだが…何にせよ不安である。カナタは「せっかくの招待状なんだから」と早々に支度を始め、その場にいた三輪さんまで誘った。三輪さんはしばし思案したが「せっかくなので!」と走って一度帰宅し、支度を整えてこの事務所へと戻った。中々に好奇心の強い子なのかもしれない。私も鞄に二日分の着替えを詰め込み、今に至るというわけである。

 藤宮探偵事務所(我が家)は神奈川県鎌倉市にある。鎌倉市とは言っても徒歩数分で横浜市に入る、なんとも微妙な場所だ。駅からは徒歩五分、最寄のJR大船駅は様々な場所に行くのにとても便利で周りには商店街、デパート、コンビニ、電気屋、更には観音様と生活には事欠かない。しかしこの事務所に人は来ない。

 カナタに見せてもらった地図によると白黒館とやらは静岡県の某所にあるらしい。ここからならば藤沢ICに入り、茅ヶ崎ICを出てから厚木ICに向かい、静岡ICを出てから一時間といった所だろうか。真っ直ぐに行けば4時間程の行程である。


「意外と快適ですね」

 三輪さんは後部座席でニコニコと窓の外を見ながら誰となしに言った。

「“意外と”ねぇ」

 ハンドルを握るカナタがぼそりと零した。

「あ、違うんですそういう意味じゃなくて! あのー…」

「オンボロのくせになかなかどうしてちゃんと走るじゃないか、だってよ」

 助手席に座った私は三輪さんの心の内を代弁してあげる。三輪さんの違うんです、違うんですと叫びながら身振り手振りでカナタに釈明する姿がおかしくて声を出して笑ってしまった。そして左側頭部に鈍い衝撃。どうやらカナタに殴られたらしい。

「アンタの気持ちはよーく分かったわ」

「痛いな、殴る事ないじゃないか。せっかく三輪さんの心を代弁して――」

「こんな子がそんなアンタみたいな事言うわけが無いじゃない。ねぇ?」

「いいえ! あ、はい! 思ってません!」

「あ、きたねぇ! 俺を売ったな!」

 高速を飛ばす狭い車の中に、三人の笑い声が響いた。

「まぁ確かに私自身もちょっと不安ではあるけどね。この()がちゃんと最後まで動いてくれるか」

「不安な事言わないでくれよ」

 思わず眉をひそめる。杞憂(きゆう)ならばいいのだが。

「そいうえばこの車ってどこで買ったんですか?」

 三輪さんはそう言うとカナタの座席を掴んで身を乗り出し小首を傾げた。

「んー? こいつは大学時代の友達から買ったのよ。三万で」

 安っ。そんな値段で譲り受けたのは初めて聞いたぞ。

「や…安いですね。カナタさんは大学はどちらの出身なんですか?」

「あー私、大学は中退してるのよ」

「そうなんですか。それはまたどうして…」

 煙草に火を点けたカナタはコキリと首を鳴らした。

「思ったよりつまんなくてね。やりたい事もあったし」

こ れは私がカナタに退学した理由を聞いた時にも言われた言葉だ。「やりたい事」とは何かと聞いてもはぐらかされるだけで、未だに何かは分からない。分からないが――探偵事務所を開きたい、という事でないことは分かる。三輪さんも察したのか、それについて触れる事はなかった。

「そうなんですか…カナタさんって頭良さそうだから、何だかもったいない気がします」

「そんな事ないわ。それにアルトリアなんて噂が一人歩きして実態は大した事なかったし」

 三輪さんが固まってしまった。まぁ無理もないか。

「アルトリアって…まさか聖アルトリア女学院ですか!?」

「あれ?言わなかったかしら?そう、そのアルトリア。平日はもちろん土日も寮に監禁、長期休暇だけは出る事を許されるけど、面倒な手続きはあるし…成人してても煙草を吸ってる所なんか見られたら停学だし。なにより挨拶は「御機嫌よう」よ。笑っちゃうわ」

 笑いながらカナタは火の点いた煙草を自分の目の前にかざす。危ないから煙草じゃなくて前を見てくれ。

「あ…アルトリア女学園って言えば国内で一番有名な大学じゃないですか!小学校から大学までエレベーターで、全国のあらゆる所から天才が集まってるっていう!」

「あぁうん、世間ではそう言われてるわね。でも私は大学から入ったしエレベーターってわけじゃ」

「そっちのほうが凄いですよ!だってあの高校から以外の大学の入学って…確か全国から何千人って集まって三十人しか受からないって言うじゃないですか!」

「えーっと…そう…ね」

 図らずして自身の頭脳明晰さを自慢する形になってしまい、カナタは少しバツが悪そうだ。

 聖アルトリア女学院――東京都にある超お嬢様学校だ。三輪さんが言ったように小学校からのエレベーター学校で、学園の中には全国の天才児達が集う。中学からは全寮制になり、大学卒業まで長期休暇以外の外出は基本的に認められていない。特異なのは大学受験から学院に入ってくる「ハナビト」と呼ばれる人達である(この呼び方は正式なものでなく、内部、外部から勝手にそう名付けられて呼ばれているに過ぎない)。この「ハナビト」達は全国から集まった数千人の中から毎年三十人だけが選ばれる。「ハナビト」となった人は入学費、授業料等、諸々の費用が全額免除。更には他の学生よりも豪華な寮に住まう事が許され、授業は只でさえレベルの高い学院のものより更にレベルがあがる。まぁ一言で言ってしまえば天才の中の天才達だ。「ハナビト」に限らずこの女学院の卒業生は当然将来も明るく、様々な優良企業がこぞって彼女達を採用したがる。最近では「アルトリア女学院卒業生の証明が出来れば、どんな企業も面接をすっ飛ばして就職できる」とまで噂されている。恐ろしいのはそれが事実の様な気がする所だ。まぁそんな女学院だから全国の女性達から人気があり、憧れの的でもある。カナタはそんな女学院の生徒――更には「ハナビト」だった。

「いいなぁ…「ハナビト」かぁ…憧れちゃうなぁ…」

 三輪さんはうっとりと目を細めて運転しているカナタの後姿を見つめている。カナタは居心地の悪そうな顔で苦笑いしていた。珍しい表情なのでしっかりと見ておく事にする。

「まぁそう言っても中退したハンパ者よ。誇れる事じゃないわ」

 もはやそれは自虐風の自慢にしか聞こえないのではないか。

 カナタが中退したのが四年前、二十歳の時だった。突然荷物をまとめて帰って来たと思ったら「探偵事務所を開く」だ。それからあれよあれよと言う間に事が運び、藤宮探偵事務所が開設されたのはカナタが実家に帰ってきてからたったの二日後だった。依頼の方はまぁ、お察しである。

「この車は「ハナビト」の友達から買った物なんですか?」

「そうよ、ムカつく奴でね。長期休暇で免許を取ったら親がプレゼントしてくれたんですって。でもまだ不慣れだから色んな所にぶつけてボコボコになって…「見栄えが悪いから新しいのをまた親から買って貰うんだ」って。最初はタダでくれるって言ってたんだけど…」

「それはまたムカつくから三万で買ったわけですね?」

「あらアナタ、ハルカより人間観察が出来て頭が回るわ。コイツの代わりに助手にならない?給料は出ないけど」

「スクランブルと掛け持ちでいいのなら是非!」

 これはまずい。三輪さんの目は本気だ。カナタはケラケラと愉快そうに笑っている。

「さて新しい助手が入った事だし、祝杯でもしましょうか」

そう言うと車はパーキングエリアに入って行く。既に二時間半が経っていたが、予定通りに行程は進んでいた。新しく助手として入った三輪さんを祝福するという体で缶ジュースで乾杯をしたが、ジュース代は何故か私の奢りだった。

 しばらく休憩した後、また白黒館へ向かって走り出す。本来ならば四時間で着く予定ではあったが、静岡ICを出てから二時間程迷子になったので、結局それらしき場所に着いたのは十五時を回った時だった。



 「私有地」と大きく書かれた看板が立った道を入り、すでに十分以上は走り続けているが目的地が見えない。周りは深い木々に囲まれている。この道ではないのではないか、とにわかに思い始めたとき“それ”は急に姿を現した。車はゆっくりと速度を落とし、“それ”の前で止まる。私達は車から降りて“それ”を見上げた。

「これは…」

 私は上手く“それ”を言葉に言い表せなかった。

 妙な建物だ。シルエットだけなら恐らく二階建ての洋館。おかしいのはその色調で、目に見える壁の全面が二メートル四方程の白と黒の市松模様で塗られている。きっと裏側も同じなのだろう。

「センスの無い館だこと」

 そう言うとカナタは吸っていた煙草を地面に落とし、踏み潰した。

「大きい…」

 三輪さんはこの館を見上げてぼそりと呟いた。確かに二階建てにしては妙に大きい。こんな大きさなのに離れた所から見えなかったのは、周りに鬱蒼と茂る木々達とこの白黒の市松模様の所為だろう。しばらく三人無言で並んで館を見上げていると、正面の扉が開いた。

「ようこそ白黒館へ。お待ちしておりました」

 少し高めの女性の声。身長は百六十センチ程。歳は私とそう変わらないか、少し下かもしれない。茶色掛かった腰まで伸びるストレートのロングヘアーには白いフリルの付いたカチューシャ。ゴシック調に仕立てられた白と黒の服(メイド服?)に、これも白いフリルがふんだんにあしらわれた白いエプロン。腰には大きな白いリボン。黒いロングスカートの裾部分からはこれもまた白いフリルが見え隠れしている。

「招待された藤宮カナタです」

 そう言うとカナタは扉の前に歩いて行き、招待状をメイド服の彼女に渡した。

「はい、間違い無く。(わたくし)、この館にいらっしゃる皆様のお世話をさせて頂きます「春木シノ(はるきしの)」と申します。どうぞよろしく御願い申し上げます」

 深くお辞儀をする彼女の一連の動きは何ともソツが無い。恐らくただのアルバイトなどではないのだろう。

「あー春木さん、二人程連れがいるんだけど…大丈夫かしら」

「恐らく大丈夫ではないかと。是非、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ。それではお部屋にご案内致します」

 実は追い返されるのでないかと少し不安だったのだ。ホッと胸を撫で下ろし、彼女の後ろに付いて白黒館に入る。

 扉を潜るとそこは大きなロビーだった。天井の高さは五メートルはあるだろうか。しかし驚かされたのはその大きさでなく、色だった。館の中も白黒の市松模様…一メートル四方程の石のブロックで作られている。下に引かれた絨毯も毛皮の白黒。“この館には色が無い”のだ。ロビー中央まで進んだ春木さんがくるりと振り返る。

「驚かれたかと存じます。この館を作った主は相当に変わり者でして、この様な装飾に。すぐに慣れますのでそれまではどうかご辛抱を」

 そう言うとまた深くお辞儀をする。

「そしてどうか、私の事は「シノ」とお呼び下さいませ」

 顔を上げて笑った彼女はお世辞を抜きに可愛い。「完璧なメイド」というイメージが定着しつつあった私の頭は、その評価を改めた。

 彼女に連れられ、ロビーにある階段を上る。二階も天井が高く、壁も同じく白黒の石で作られていた。少し進むと長い廊下と幾つかの扉が見える。

「この二階にあります部屋は全て客室となっています。どうぞお好きな部屋をお使い下さい。しかし奥から三つの部屋は物置となっております。お客様はここから七つ目の部屋までをご自由にお使い下さい。部屋の内装は全て同じですので」

 彼女は右手をかざしてそう言った。

「じゃあ私は一番手前にさせてもらおうかしら」

 そう言うや否やカナタはさっさと部屋に入って行ってしまった。集団行動が取れない奴である。

「一番手前の部屋が藤宮カナタ様ですね」

 春木…いや、シノさんはエプロンのポケットから長方形の白紙とボールペンを取り出すと、カナタの名前を書いてドアに付けた。よくみるとドアには紙を入れるスペースがある。なるほど最初から客室として作られた部屋なのか。少し丸み掛かった可愛らしい文字で「藤宮カナタ様」と書かれている。

「じゃあ俺はカナタの隣にするかな。シノさん、俺はここで」

不躾(ぶしつけ)で申し訳ありませんが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 おっとそうだ。そう言えば私と三輪さんは招待状を貰ったわけでもないし名乗ってもいない。

「これは失礼しました。アレの弟で藤宮ハルカと申します」

「素敵なお名前ですね。お姉さまと合わせて「遥か彼方」――とても綺麗」

 女性みたいな名前で普段はあまり好きな名前ではないが、こう言われるとなんだか照れてしまう。「ありがとうございます」と頭を下げて、にやついた顔を隠す。

「それじゃあ私はハルカさんの隣にします。三輪アキナといいます」

「三輪アキナ様ですね、かしこまりました。食事は十八時からを予定しております。その時間までに一階の食堂までお集まり下さい。この館の見取り図は各部屋にございます」

 そう言うと彼女はまた深くお辞儀をし、くるりと踵を返して歩き始めた。私はその背中に慌てて話しかける。

「あっとシノさん、この集まりって何の集まりなんでしょう」

 ピタリと彼女が止まり、振り返る。

「主から話す事は禁じられております。申し訳ございません」

 と、またお辞儀。そうピシャリと言われたら私も言葉を紡ぐ事が出来ない。諦めて部屋に入ることにした。

 やはり、と言うべきだろう。部屋の中も一面が白黒模様で統一されている。驚いた事にベッドのシーツ、枕、布団までもが白黒だ。とりあえず私は部屋の右手に見えるクローゼットに上着を掛け、部屋を周ってみる。

 まず正面の北に見えるのは楕円形をした木製のテーブルが一つと木製の椅子が二脚、机を挟むように置かれている。東側にはダブルのベッド。一人で寝るには勿体無いほどの大きさだ。部屋に入って西の扉を開くとそこは脱衣所だった。その先の扉を開くと風呂場。これも一人で使うには少々、寂しさを感じる程の大きさだ。言うまでもないだろうがこれも全てが白黒。バスタブも脚を十分にのばせる程の広さがある。バスタブの先に大きな両開きのガラスドアが見えたので近付いてみると、その先はどうやらウッドデッキらしい。その扉を開いて出てみると、正面には深く生い茂った森林が見える。足元の木製の足場は無骨な茶色とはいえ、この館に来て始めての“色”なので何か愛おしい。風呂場からデッキに出てすぐ右手に、同じ様なガラス製の両開きのドアが見える。楕円形のテーブルが見える事から、最初の部屋と此処は繋がっているらしい。デッキの手すりから体を乗り出して景色を見てみる。日が落ちかけたこの時間の風にざわめく木々たちはあまりに不気味だ。ひょいと下を見てみると、情けない事に私は腰を抜かしかけた。高さは三十メートルはあるだろうか、テラスの下に足場は無かった。奈落の底には轟々と音を立てて川(濁流?)が流れているようだ。こんな所から落ちたら遺体も上がらないだろう。このテラスは浮いているのだ。肝を冷やした私は早々とテラスを後にし、部屋へと戻った。

 テーブルの上には先程シノさんが言っていた白黒館の見取り図と灰皿があった。テラスが浮いているわけではない。なるほど“この館の三分の一が浮いている”らしい。つまり客室となっている側が全て崖から乗り出している。なんと恐ろしい作りをしているんだこの館は。シノさんが「この館を作った主は相当に変わり者でして」と言っていたがこれはあまりにも――いや、本来ならば私は招かれざる客。せっかく好意で泊めてもらっているのにこれ以上言うのは憚られる。現在時刻は十五時半。私はとりあえずカナタの部屋へと向かった。

 藤宮カナタ様と書かれた紙が刺さったドアをノックすると「うぁい」という気の抜ける返事が返ってきた。ドアを開けると既に部屋はセブンスターの匂いで充満している。カナタは椅子に座り、館の見取り図とにらめっこしていた。

「おい、この客室浮いてるぜ」

 私はそう言いながらテーブルを挟んでカナタの正面に座った。

「見たわ。まぁいきなり客室がポロっと崖下に落ちる事はないでしょう」

 当たり前だ。話だけ聞けば面白いが当事者は笑えた物ではない。

「食事までまだ時間があるわね。この館の主様は食事の時に出て来るみたいだし、この娯楽室って所にでも行ってみましょうか」

「おぉいいな、俺も気になってたんだ。その後はこの書斎にも行ってみたい」

 二人で見取り図を指差しながら今後の行動を決めた。いい歳をして心が躍っている自分が何だか滑稽に思えるが、たまにはいいだろう。



 ビリヤードにはナインボールという最もポピュラーなゲームがある。簡単に説明すると、九つのボールを一番から順番に落としていき、最終的に九番のボールを落とした人の勝ち、というものだ。私とカナタと三輪さんで五回プレイし、五回ともカナタの勝利という何とも面白くない結果に終わっている。そして九番がポケットに入る小気味の良い音を鳴らして、六回目のプレイがまたカナタの勝利で終わった。

「カナタさん上手いんですね」

 三輪さんは素直にカナタに言った。私もこいつがこんなにビリヤードが上手いとは思わなかった。

「学院のサロンにあったからね。よくやってたのよ」

「へぇ、それなら上手いはずだな」

「アナタ、トータルで何球ポケットしたかしら」

「…六球」

「五球よ」

 うるさい。こういう繊細さが求められるスポーツは苦手なのだ。

 現在の時刻は十七時半。食事まであと三十分ある。ボケッと時計を見上げていると娯楽室の扉が重々しく開いた。

「やあやあ、先客がいらっしゃいましたか」

 現れたのは三十代前半くらいのスーツ姿の男性だった。短髪で少し白髪の混じった髪だけ見ると年配に見えるが、二重瞼の細めの目は鋭く、尖り気味な顎も手伝ってその顔はかなり凛々しい印象がある。

「皆さんお若そうでいらっしゃる。今回も楽しめそうだ」

「藤宮カナタです。アナタは?」

 男はハッとした表情をした後にネクタイを締め直すと、深々と頭を下げた。

「これは失礼致しました。私、東京より参りました「佐野ユウジ」と申します」

 続いて私と三輪さんが簡単な自己紹介をする。佐野と名乗った男は私達――特に私とカナタに興味を持ったようだ。

「ほう、姉弟で探偵をしていらっしゃると。何と言うかまぁ、お若いのに難儀な商売をしていらっしゃる。しかしはて、藤宮…どこかで」

 この男は私達を知っているのだろうか。少なくとも私は彼の事を知らない。しばらく彼は思案する様子を見せ、手を打った。

「思い出しましたよ!一ヶ月程前に横浜の夫妻バラバラ殺人事件を解決した通りすがりの女探偵――それが確か藤宮カナタ!」

 そういえばそんな事があったなと思う。私とカナタが横浜に買い物に出かけて、住宅街で迷子になった時に出会った人だかり。それが横浜夫妻バラバラ殺人事件だった。

 被害者は年老いた老夫婦で、自宅でバラバラにされて殺害されているのが発見された。通報した第一発見者は老夫婦の息子の長男で、事前に時間を指定されて呼ばれたのにも関わらず、家のチャイムを鳴らしても出ない事を不審に思ったらしい。ドアには鍵が掛かっておらず、嫌な予感がして慌てて家に入ってみると、リビングでバラバラに惨殺された自身の両親がそこにはいた。通報されて駆けつけた警官によると老夫婦は鈍器の様な物で撲殺された後に、庭の納屋にあったノコギリでバラバラに切断されたらしい。死後硬直の具合から死後三時間から五時間が経っており、金庫が破られて中身が全て持ち去られていた事から、当局は強盗殺人として捜査を進めようとしていた。しかしこの老夫婦が遺産相続の話をする為に息子達を当日に呼ぶ予定だった、という情報を入手してから事件は複雑化する。

 この日に呼ばれる予定だった息子達は、「大事な話があるから今日の十五時に実家に帰って来い」という話を一週間前に父から電話で言われたらしい。どうやらそれが遺産相続の話であるらしいと察した長男は、弟と妹にも話がいっているのかどうかの連絡をした。やはり電話は来ていたようで、二人とも同じ時刻に実家に呼ばれているらしい。現場の警察は強盗殺人と遺産を巡っての殺人――とりわけ後者に重点を置き、捜査を進めた。

 警察は現場に呼ばれた次男と長女、そして第一発見者の長男のアリバイを検証したが三人とも完璧なアリバイがあった。証人も裏も取れて晴れて釈放、となるはずだったのだが…両親を殺害する動機が全員にあった。三人とも三千万を超えた借金をしていたのだ。両親が残した遺産は五千万、三人で均等に分けても借金返済には程遠い。しかし前記した通り、三人には完璧なアリバイがあり、犯行は不可能。この三人をどうしようかと決めあぐねていた現場の警察の元に表れたのが――私達だった。

 カナタはしれっと犯行現場に乗り込み、身分を明かすと警察に事情を聞いた。普通ならば探偵と言えど一般人なので犯行現場の立ち入りは許されない。しかしその場にいた捜査一課の婦警に「面白そうだ」という理由だけで立ち入りを許され、独自に捜査を進めた。

 結果だけ言うのならば、カナタが現場に乗り込んでから三時間後に事件は解決した。犯人は次男で予定の時刻の四時間前に自宅に行き、遺産と金の工面の相談をしに行ったのだが破談。カッとなった彼は傍にあった花瓶で両親を撲殺。それだけに飽きたらずまだ怒りの収まらない犯人は納屋からノコギリを持ち出し、バラバラに刻んでから逃亡したという。しかし今日これからこの家に来る兄妹達に見つかってしまっては、自分が犯人だとすぐにバレてしまう。そこで彼は電車とタクシーを使い、ショットバーを“ある方法”で巧みに渡り歩き、アリバイを偽装した。所謂アリバイトリックだ。しかしその苦労はカナタの推理と尋問の前で脆くも崩れ去ってしまった。この一連の事件の流れを見ていた婦警――先程の婦警だ。はカナタをいたく気に入り、事件を解いた功労者として非公式にカナタに金一封を渡した。と、これが一ヶ月前の事件の大まかな流れである。しかし…

 しかしこれはあくまで非公式。探偵を名乗っていたとは言えども一般人が乗り込んで事件を解決してしまった、などと警察が公表できるはずが無い。知る手段が無いのだ。この男は一体何者だ?カナタは胸ポケットからセブンスターを引っ張り出して一本咥え、火を着けた。最後の一本だったのだろう、ソフトボックスを捻り潰して傍のゴミ箱に投げ入れ、大きく息を吐く。

「そっか…アナタ、刑事(デカ)なのね」

「仰る通りです。捜査一課の刑事でしてね、横浜の方から話を聞いていたんですよ」

 なるほどそういうことか。言われてみればこの男の風貌、刑事といえば納得出来る。捜査一課といえば警察の中でも特に危険な犯罪――殺人、強盗、暴行、傷害などだ。を専門に捜査する所謂エリート。しかもこの男は東京から来たと言っていたのでもしかしたら警視庁本庁の人間なのかもしれない。

「後でよろしければゆっくりとあの事件の詳細を聞きたいものですな」

「構いませんよ、退屈なものでしょうがね。ところで――先程「今回も楽しめそうだ」と仰いましたね。以前にも此処に来た事が?」

「よく覚えていらっしゃる。その通り、今回が二回目でしてね」

 この会合は今回が初めてという訳ではないらしい。

「これはどういった集まりなんでしょうか」

 堪らず私は口を挟んだ。ジトッとした目でカナタが私を見ている。今にも「私が今聞こうとしてたのに」とお小言が聞こえてきそうだ。

「ハルカさんでしたね。是非、後でアナタにもお姉さんのお話を伺いたい。と…この集まりについてでしたね。」

 思わず佇まいを正す。三輪さんをちらりと見ると、私と同じ様に背筋を伸ばしていた。しかし彼は手を広げてこう言う。

「無粋な真似はやめましょう。どの道、あと三十分で全ては明らかになるのです。楽しみを後にとっておくのも悪くは無いでしょう」

 そう言うと彼は悪戯っぽく笑った。確かにそれもそうだ、急ぐ必要は無い。あと三十分で全てが明らかになるのだから。

「そんな事よりどうです、一勝負といきませんか?」

彼は壁に掛けてあるキューを持つと、そそくさとビリヤード台でボールを組み始めた。

「そうね、四人でならあと一回はできそうだわ。負けた人は徒歩で帰りなさいね」

 娯楽室に阿鼻叫喚と笑い声が響き、十八時を告げる鐘が鳴った。

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