逆立信号
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
氷山の一角。
ごくごく一部のことを指すのに対し、端的な表現といえるだろうな。海から出ている氷の部分は、氷山全体の1~3割程度に過ぎないのだという。
世の中、残りの7~9割にかかわるのは、多くが専門の知識や技術を持つか、そこを生業としている者くらいだろう。一般人は明るみに出ている部分の存在のみを知り、それだけで生きるのに支障がないことがほとんどだ。
でも、いつその海に沈んで隠れた部分に出会ってしまうかもわからない。たとえ普段から慣れ親しんでいるものであろうと、気を抜いているのはまずいかもね。
以前に友達から聞いた、レアケースの話を耳に入れてみないかい?
「歩行者信号には青と赤以外に、白色が見えるときがあるぜ」
友達のクラスメートがそう言いだしたのは、今から数年前のこと。
最初に聞いたときは、信号機の経年劣化が起きているんじゃないかと思った。青信号の部分の色が表面の傷などのために、白色の光に見えているんじゃないかってね。
しかし、白色の信号を見たという人はじょじょに増え始める。どうも通学路のそこかしこで同じような状態の信号が見られるらしい。
友達の使うルートからは、いずれも外れているもの。
クラスメートに案内してもらって、その白い信号とやらを見てみることにしたんだ。
学校から一番近いところでも700メートルほど離れているところだった。大通りを外れたやや狭めの道で、交通量が少ないから観察には適しているだろうと。
ここの赤信号はいやに長く、青信号は短い。その調整こそ、大通り向けにするものだろと、友達は思う。
待つこと数十秒。歩行者側の青信号が光る、はずだった。
なるほど、これは白い。
ぱっとついたそれは、よそで見るライトグリーンに近い青色とは、確実に違った。
中心に浮かぶ歩く人のマークと、ほぼ同化してしまうホワイトぶり。目を凝らしてどうにか判別がつくといったところだ。
少なくとも2日前にはこの状態であったという。かといって、自分の持ち物ではない信号のことを気にかけ、報せるところに報せる人はあまりいないかもしれない。その後に待つ説明など、考えただけで気がめいってくる。
ならばこの場を我慢し、いつも通りの交通ルールに従って平穏無事であるかのように振る舞うのが賢いかもしれない。
友達もまた、報せる人ではなかった。が、ただここへ足を運んだわけでもない。
他の人が見ていないことを確かめると、足元の小石を拾って青信号、いや白信号を灯す枠の中へ投げつけたんだ。
表面を割ると危ないし、余計な面倒を背負い込む。相当な加減をして、なおかつ投擲の精度を求められるスローを、友達は一発で成功させた。
すると、どうだろう。
枠の縁あたりの「白」が、接着力を失ったポスターのように、こちら側へはがれていくじゃないか。
やはり、誰かのいたずらかと思う友達とクラスメートの前で、本来の青信号の光があらわになる。そして枠の隅へ丸まった粘土のようになった白い個体は、ぽんと軽々と空を跳んだ。
風も吹いていないにもかかわらず、二人の頭上を大きく越えて、脇にある一軒家の屋根。そこに立つアンテナへ着地する。
白い塊は、おのずと青色と白色の点滅を繰り返す。その青は信号機の放つそれと、うり二つの彩りだ。
最初は早かったその点滅が、やがて寿命のきれかけた蛍光灯のごとくスピードを落としていき、ほどなく青色と白色がそれぞれ数秒ほどは長引くようになる。
その青色の状態のときだけ。空に不可解なものが映ったと友達は語った。
それは逆さまになった、この町だったらしい。厳密には友達とクラスメートが居る、この近辺だった。
二人しかいない地上に対し、逆さまの空中には無数の人がひしめいていた。
いずれも影のように真っ黒い姿で顔や服装などは読み取れない。けれども、彼らは都会であるかのようにひっきりなしに往来を続けていた。
例の塊が白くなると、彼らは逆さまの町ごとぱっと消え、青になるとまた現れる。
その現象自体も、5回ほど見られただけで、友達ら以外にどれだけの人が見たかは分からない。
でも、あの逆さまの町とそこに住む人々は、こちらのルールを学んでいるところなのでは……と感じたそうだ。ひょっとしたら、他の白信号たちも同じようにして。
その意図は分からないけれどね。




