異能力テロ ②
その言葉が、僕の心を少し落ち着かせてくれた。
でも、戦いはまだ終わっていなかった。
「ヴォルフ、状況はどうだ?」
オラクルの声が無線から聞こえる。背景には激しい戦闘音と、何かが崩れる音が混じっていた。
「イフリートを制圧した。だが奴の炎で1階の避難経路が塞がれている。消火に時間がかかる」
ヴォルフの声にも疲労が滲んでいた。炎使いとの戦いは想像以上に激しかったようだ。
「了解。サイの状況は?」
「グラビティと交戦中!建物の支柱への負荷が限界に近づいています!」
サイさんの声には明らかに疲労の色が滲んでいた。重力操作者との戦いが長引いているようだ。無線越しでも、彼女の息遣いの荒さが伝わってくる。
「くそっ…この野郎、建物全体を潰す気か!」
サイさんの怒りの声が聞こえた。彼女の念動力で建物を支えているが、重力操作者の攻撃は容赦がない。
「ファントム、3階の避難状況は?」
「住民の避難は8割完了。だがマインドの精神攻撃で一部の人がパニック状態になっている。時間がかかりそうだ」
ファントムの声も緊迫していた。精神操作者との戦いは、物理的な戦闘とは別の難しさがあるようだった。
僕は窓の外を見つめた。ミッドタウン・プラザから黒煙が立ち上っている。建物は不自然に傾き始めていて、今にも崩れそうだった。避難する人々の姿も見える。子供を抱いた母親、お年寄りを支える若者、皆必死に建物から離れようとしていた。
でも建物の中には、まだ多くの人が取り残されている。もし建物が崩壊すれば——
「蓮君」
ミスティーさんが僕を見つめた。
「何か他に視えることはありませんか?この状況を打開する手がかりが」
僕は目を閉じ、集中しようとした。でも頭の中は混乱していて、明確な映像が浮かんでこない。戦闘の音、人々の悲鳴、仲間たちの苦しそうな声——全てが僕の集中を妨げていた。
「僕には…戦闘のことはよくわからないんです」
僕は自分の無力さを痛感していた。みんなが命をかけて戦っているのに、僕は安全な場所で見ているだけ。何の役にも立てない。
その時だった。
僕の脳裏に新たな映像が浮かんだ。それは現在進行中の戦闘ではなく、これから起きる可能性のある光景だった。
地下のボマーが、最後の切り札として巨大な爆弾を起爆させようとしている。それは建物全体を破壊するほどの威力を持った爆弾で、半径500メートル以内の全てを吹き飛ばすほどの破壊力があった。
映像の中で、爆発の瞬間が鮮明に視えた。建物が粉々に砕け、周囲のビルも巻き込まれて崩壊していく。避難している人々も、その爆風に巻き込まれて——
「みんな!ボマーが建物全体を吹き飛ばそうとしています!」
僕は慌てて無線に向かって叫んだ。
「あと3分で巨大な爆弾が爆発します!威力は建物だけじゃなく、周囲一帯を巻き込むほどです!」
無線が一瞬静寂に包まれた。僕の言葉の重大さを、全員が理解したのだろう。
「…3分だと?」
ヴォルフの声に緊張が走る。
「建物内の避難が完了していない。周囲の避難も間に合わない」
「地下への経路は?」
オラクルが確認する。
「爆発で塞がれている。ボマーまでたどり着けない」
絶望的な状況だった。このままでは建物にいる全ての人が——いや、周囲にいる避難民も含めて、数千人の命が危険に晒される。
「待てよ」ファントムの声が聞こえた。「俺が地下に瞬間移動して、直接ボマーを止める」
「危険すぎる」
ヴォルフが反対する。
「相手の能力がわからない状況での単独行動は自殺行為だ。それに地下は構造が複雑で、瞬間移動の座標を間違える可能性もある」
「でも他に方法が——」
その時、僕の予知能力が再び反応した。ファントムがボマーのもとに瞬間移動するが、地下には罠が仕掛けられていて、彼が動きを封じられてしまう光景が視えた。そして逆に人質にされ、仲間たちが手を出せなくなってしまう。
「ダメです!ファントムさんが一人で行っても捕まってしまいます!」
「何だって?」
「ボマーには仲間がいます。影を操る能力者が隠れているんです。その人がファントムさんを待ち伏せしています」
僕の予知で視た映像を詳しく説明した。地下駐車場の構造、隠れている敵の位置、そして彼らの作戦——
僕の言葉に、全員が沈黙した。状況はさらに絶望的になった。
残り時間は2分を切っていた。
「蓮君」
ミスティーさんが僕を見つめた。その紫色の瞳には、深い心配の色が宿っていた。
「他に何か手がかりは視えませんか?この状況を打開する方法が」
僕は必死に集中した。でも焦れば焦るほど、映像がぼやけてしまう。時計の針が容赦なく進んでいく音だけが、やけに大きく聞こえた。
1分30秒。
「くそっ!」
ヴォルフの苛立ちが無線から聞こえる。
「このままでは全員死ぬぞ!何か手はないのか!」
「避難を急がせても、もう間に合わない」オラクルの冷静な声が状況の深刻さを物語っていた。
「建物の住民だけで300人以上、周囲の避難民を含めると——」
その時だった。
僕の頭の中に、一つの可能性が浮かんだ。それは非常に危険で、成功の保証もない方法だったが——
「みんな、聞いてください」
僕は震え声で言った。
「僕が…僕が地下に行きます」
無線が再び静寂に包まれた。今度はさっきより長い沈黙だった。
「何を言っているんだ!」
ヴォルフが叫んだ。
「君は非戦闘員だ!戦闘訓練も受けていない素人が、そんな危険な場所に行けるわけがない!」
「でも僕なら、敵の能力を予知で回避できるかもしれません」
僕の声は震えていたが、決意は固まっていた。
「蓮君、それは危険すぎます」
ミスティーさんが僕の腕を強く掴んだ。
「あなたが死んでしまったら、元も子もありません」
「でも他に方法がないんです!」
僕は立ち上がった。足は震えていたが、もう迷いはなかった。
「僕の予知能力なら、相手の攻撃を事前に察知できます。罠の位置も、敵の動きも、全部視ることができるんです。そしてファントムさんが僕と一緒に移動してくれれば——」
「蓮君」
ヴォルフの声が割り込む。その声には、今まで聞いたことがないほどの真剣さがあった。
「本気で言っているのか?命がけの任務だぞ」
「はい」
僕の声は意外にもしっかりしていた。自分でも驚くほど、冷静だった。
「今まで僕は、視ることしかできませんでした。いつも安全な場所から、みんなが戦っているのを見ているだけでした。でも今度は、視たものを使って直接行動したいんです」
1分15秒。
時間がどんどん減っていく。もう躊躇している時間はない。
「僕がいれば、罠を回避できます。敵の攻撃パターンも予知できます。ファントムさんの瞬間移動と組み合わせれば、必ず成功させられます」
長い沈黙の後、ヴォルフが口を開いた。
「…わかった。だが条件がある」
「はい」
「絶対にファントムと一緒に行動すること。一人では絶対に動くな。そして少しでも危険を感じたら、すぐに撤退すること。任務の成功より、君の命の方が大切だ。約束できるか?」
「約束します」
「ファントム、頼む。蓮君を絶対に死なせるな」
「…了解した。蓮、俺を信じろ。俺が必ず君を守る」
ファントムの声には、普段の軽い調子とは違う、重い責任感が込められていた。
僕はミスティーさんに向かって頷いた。
「行ってきます」
「必ず生きて帰ってきてください」
彼女の紫色の瞳に、大粒の涙が浮かんでいるのが見えた。僕のことを、本当に心配してくれているのだ。
「大丈夫です。必ず戻ってきます」
僕はそう言って、喫茶店を出た。
外は混乱状態だった。ミッドタウン・プラザから避難してきた人々が、慌てふためいて走り回っている。子供の泣き声、大人の怒鳴り声、救急車のサイレン——全てが入り混じって、まさに地獄絵図のようだった。
僕はその混乱を縫って、ミッドタウン・プラザに向かって走った。
残り45秒。
建物の入り口でファントムさんが待っていた。彼の表情は、いつもの余裕のある顔つきとは全く違っていた。真剣そのものだった。
「準備はいいか?」
「はい」
「地下駐車場に移動する。途中で敵に発見される可能性がある。しっかり掴まっていろ」
ファントムさんが僕の肩を掴んだ瞬間、世界が歪んだ。
瞬間移動の感覚は、言葉では表現できないほど奇妙だった。まるで自分が液体になったような、そんな感覚。時間と空間がねじ曲がって、現実と非現実の境界が曖昧になる。
次の瞬間、僕たちは地下駐車場にいた。
薄暗い駐車場の中は、不気味なほど静かだった。蛍光灯がチカチカと点滅していて、その光が床に奇怪な影を作っている。空気は重く、爆薬の匂いが微かに漂っていた。
駐車場の奥で、一人の男が巨大な爆弾の前に立っていた。ボマーだ。
彼は中年の男性で、痩せた体に汚れた作業着を着ている。手には起爆装置が握られていて、その表情は狂気に満ちていた。
「よく来たな」
ボマーが振り返る。その目は血走っていて、まるで薬物中毒者のようだった。
「だが遅すぎる。あと10秒でこの建物は吹き飛ぶ。そして周囲一帯も道連れだ」
彼は狂ったように笑った。
「『瀾』の新世界のために、必要な犠牲だ」
その時、僕の予知が発動した。
ボマーが起爆装置のボタンを押そうとした瞬間、僕の脳裏に鮮明な映像が浮かんだ。
彼の背後の影から、もう一人の人影が現れる光景が——
「ファントムさん!ボマーの後ろ!もう一人います!」
「何だって?」
その瞬間、ボマーの影から黒いフードを被った人物が姿を現した。まるで影の中から這い出てきたような、不気味な登場の仕方だった。
「シャドウ……まさか、お前も来ていたのか」
ボマーが振り返る。
影と呼ばれた人物は、全身を黒い服で包んでいた。顔は深いフードに隠されていて表情が見えないが、その存在感だけで周囲の温度が下がったような気がした。その名の通り、影を操る能力者のようだった。
「計画変更だ」
シャドウが低い声で言う。
「この程度の爆発では『彼ら』の怒りを買う。もっと大きな破壊が必要だ」
「何を言っている?これでも十分——」
「黙れ」
シャドウが手を伸ばすと、ボマーの影が不自然に動き始めた。まるで生きているかのように、黒い触手のようにボマーの体に絡みついていく。
「うっ…何をする!」
シャドウの影がボマーを包み込み、彼の体が黒く変色し始めた。影に侵食されているのだ。
「くそっ…体が勝手に…」
ボマーの意思に反して、彼の手が起爆装置に向かっていく。影に操られているのだ。しかもシャドウの操作により、爆弾の威力がさらに増幅されようとしていた。
「ファントムさん!ボマーは操られています!本当の敵はシャドウです!」
「了解した!」
ファントムさんがシャドウに向かって瞬間移動しようとしたが——
「甘いな」
シャドウが手をかざすと、周囲の影が一斉に立ち上がった。駐車場の柱の影、車の影、天井の影——全てが意思を持ったかのように動き出し、黒い壁のようにファントムさんの前に立ちはだかった。
「影の中では、空間移動は無効だ。お前の能力など、我が影の前では無力に等しい」
ファントムさんが瞬間移動を試みるが、影の壁に阻まれて移動できない。まるで空間そのものが歪められているかのようだった。
「くそっ!動けない!」
残り5秒。
このままでは本当に爆発してしまう。数千人の命が——
その時、僕の予知に新たな映像が浮かんだ。シャドウの能力の弱点が——
影を操る能力は確かに強力だが、特定の波長の光に弱い。そして地下駐車場には、非常時に作動する特殊な照明設備があった。
「ファントムさん!彼の影は光に弱いです!上の電灯を破壊してください!」
「電灯を?なぜだ?」
「電灯が消えれば、非常灯が点きます!非常灯の赤い光は、彼の影を操る能力を弱めます!」
僕の予知で視た光景を、必死に説明した。
ファントムさんが上を見上げると、確かに天井に蛍光灯があった。彼は近くに落ちていた小石を拾い、正確に電灯に向けて投げつけた。
パリンッ!
蛍光灯が割れ、辺りが一瞬暗くなった。
その瞬間、自動的に赤い非常灯が点灯した。地下駐車場が血のような赤い光に包まれる。
「なに?!」
シャドウの影の壁が激しく揺らめき始めた。赤い光が彼の能力を阻害しているのだ。影が形を保てなくなり、徐々に薄くなっていく。
「今です!」
ファントムさんが瞬間移動でシャドウに接近し、渾身の一撃を放った。
しかし——
「甘い!」
シャドウは攻撃を予期していたかのように、最後の瞬間で身を翻した。ファントムさんの拳は空を切り、シャドウは壁際まで後退する。
「確かに赤い光は厄介だが…この程度では私を完全に無力化することはできん」
シャドウが不敵に笑った。能力は弱まったものの、まだ完全には封じられていないようだった。
同時に、ボマーへの影の操作も一時的に解除された。
「はっ…何が起きて…」
混乱したボマーが起爆装置を見つめている。あと1秒で爆発してしまう。
僕は反射的に飛び出した。
「危ない!」
ボマーから起爆装置を奪い取ろうと手を伸ばす。
でも間に合わない——
その瞬間、ファントムさんが瞬間移動で僕の前に現れ、同時に起爆装置を叩き落とした。
装置は地面に落ち、大きな音を立てて壊れた。
起爆のタイミングを逃した爆弾は、そのまま停止した。
「ちっ…」
シャドウが舌打ちした。
「計画が狂ったか。だが、これで終わりではない」
彼が何かを呟くと、周囲の影が再び蠢き始めた。
「次に会う時は、お前たちに勝利は渡さん。特に…予知能力者よ」
シャドウの視線が僕に向けられた。その瞬間、背筋が凍るような恐怖を感じた。
「覚えておくがいい。我が『瀾』は、お前たちが思っているより遥かに巨大で強力だ」
シャドウが手をかざすと、彼の足元に黒い穴のようなものが現れた。
「待て!」
ファントムさんが追おうとしたが、シャドウはその穴に身を沈めて姿を消してしまった。まるで影の中に溶け込むように。
「逃げられた…」
ファントムさんが悔しそうに呟いた。
「やったぞ…とは言えないな」
彼は複雑な表情を浮かべた。
「蓮、よくやった。お前の判断がなければ、俺たちは全員死んでいた。だが、シャドウを取り逃したのは痛い」
僕は膝から崩れ落ちた。緊張の糸が切れて、全身の力が抜けてしまった。心臓が激しく鼓動していて、手が震えて止まらない。
爆破は阻止できた。でも新たな脅威が姿を現し、そして逃げられてしまった。
「本部、こちらファントム。ボマーを制圧、爆弾の起爆も阻止した。だが…シャドウという新たな敵が現れ、取り逃がした」
「シャドウだと?」ヴォルフの声に緊張が走る。「詳細を報告しろ」
「影を操る能力者だ。非常に危険な相手で、組織的な背景がありそうだ。蓮君の予知がなければ、我々では太刀打ちできなかった」
無線からヴォルフたちの深刻な声が聞こえた。
「蓮君、無事か?」
「はい…なんとか」
僕の声はかすれていたが、確かに生きていた。
「よくやった。君の勇気がなければ、今頃この街は廃墟になっていた」
「全員、作戦一部完了だ。ボマーの確保と爆弾の処理を急げ。そして…シャドウに関する情報収集を開始する」
30分後、全ての敵が制圧され、建物内の民間人も無事に避難を完了した。しかし、シャドウの逃亡により、事件は完全な解決とは言えない状況だった。
消防車と救急車が現場に到着し、負傷者の手当てが始まった。幸い重傷者は少なく、死者は一人も出なかった。
僕は喫茶店に戻り、ミスティーさんと合流した。
「お疲れさまでした」
彼女が僕に温かいココアを差し出してくれた。その手が微かに震えているのに気づいた。きっと僕のことを、本当に心配してくれていたのだろう。
「ありがとうございます」
僕は震える手でカップを受け取った。温かいココアが、冷え切った体を温めてくれた。
ヴォルフさんたちも合流し、簡単な報告会が行われた。
「今回の作戦は…成功と言えるだろう」
ヴォルフさんが言った。
「死者ゼロ、重軽傷者も最小限に抑えることができた。だが、シャドウという新たな脅威が現れた。これは我々にとって大きな問題だ」
「それでも蓮君のおかげで最悪の事態は回避できた」オラクルさんが頭を下げた。「君の予知能力がなければ、間違いなく数百人の犠牲者が出ていただろう」
「僕一人では何もできませんでした」僕は答えた。「みなさんがいたからこそです。でも…シャドウを逃してしまって」
「それは仕方がない」
サイさんが疲れた顔で微笑んだ。
「相手は我々が今まで遭遇したことのない新型の能力者だった。情報不足の中で、よくあそこまで対処できたと思います」
ファントムさんも頷いたが、その表情は複雑だった。
「あの時の蓮の判断力は見事だった。シャドウの弱点を見抜けなければ、我々は全滅していただろう。だが…奴は確実に戻ってくる。今度はもっと用意周到に」
「特に蓮君を狙ってくる可能性が高い」
オラクルさんが深刻な表情で言った。
「予知能力は、彼らにとって最も脅威となる力だからな」
僕は身震いした。シャドウの最後の視線を思い出す。あの冷たく、計算高い眼差し。
僕は仲間たちを見回した。一人一人が傷を負いながらも、僕を守ろうとする意志を感じた。
ヴォルフさんは額に包帯を巻いていた。イフリートとの戦いで負傷したのだろう。
サイさんは疲労困憊で、椅子にもたれかかっている。長時間の念動力使用で、相当な体力を消耗したようだ。
ファントムさんも服が破れていて、所々に擦り傷がある。
みんな、僕のために、多くの人のために、体を張って戦ってくれた。
「本当に…ありがとうございました」
僕は深く頭を下げた。
「これからもよろしくお願いします。シャドウが戻ってきても、みんなと一緒なら大丈夫です」
「こちらこそ」ヴォルフさんが手を差し出した。「君は立派な特対機関のメンバーだ。今日の働きで、それは十分に証明された。そして我々も、君を守る決意を新たにした」
僕はその手を握り返した。その手は温かくて、とても力強かった。
初めての任務は終わった。完全勝利とは言えないが、多くのことを学んだ。予知能力の限界と可能性、仲間と共に戦うことの意味、そして何より——
新たな敵の存在と、それに立ち向かう覚悟が必要だということを。
外を見ると、夕日がミッドタウン・プラザを美しく照らしていた。建物は無事に立っており、人々が普通の日常を取り戻そうとしている。
子供たちが公園で遊び、恋人同士が手をつないで歩き、お年寄りがベンチで談笑している。
僕たちが守り抜いた、かけがえのない日常だった。
「さあ、基地に戻ろう」ヴォルフさんが言った。「今夜は祝杯だ。そして…シャドウ対策の会議も開かなければならない」
「え、お酒ですか?僕、まだ二十歳で…」
「ジュースでも構わん」ヴォルフさんが苦笑いした。「大切なのは、みんなで今日の成功を喜び合うことだ。そして明日への備えを固めることだ」
僕は仲間たちと一緒に歩き始めた。もう一人ではない。この人たちと一緒なら、シャドウが戻ってきても立ち向かえる気がした。
街の夕暮れが、僕たちの影を長く伸ばしていた。でもその影は、もう僕を脅かすものではない。仲間がいれば、どんな影も、どんな敵も怖くない。
そして僕の心の奥で、小さな声が囁いていた。
『今度こそ、変えることができた。でも戦いは続く』
地下鉄サリン事件の悪夢を見た朝、僕が感じた天からの啓示は正しかった。
過去は変えられないが、未来は変えることができる。
そのために僕の能力があり、そのために仲間がいるのだ。
「蓮君」
ミスティーさんが僕の隣を歩きながら言った。
「今日のあなたの成長ぶりには、本当に驚かされました」
「そうですか?」
「最初にお会いした時は、とても不安そうでした。でも今日、最後の場面であなたが見せた勇気と決断力は、まさに英雄のそれでした」
僕は照れくさくて、顔が赤くなった。
「僕なんて、英雄じゃありません。ただ、みんなを守りたかっただけです」
「それこそが英雄の資質です」
ヴォルフさんが振り返って言った。
「特別な力を持つ者の責任を理解し、それを正しく使おうとする心。君は今日、真の異能力者になった。そして我々の真の仲間になった」
シャドウという新たな脅威が現れた。彼は確実に戻ってくるだろう。
でも僕たちはきっと立ち向かっていける。
なぜなら僕は、もう一人ではないのだから。
そして今日学んだように、仲間と力を合わせれば、どんな絶望的な状況も打開することができるのだから。
夜空に最初の星が瞬き始めていた。
新しい戦いの始まりを告げるように。
遠くの建物の屋上で、黒いフードの人影がこちらを見つめているのに気づいたのは、僕だけだった。
シャドウは、すでに次の計画を練り始めているのかもしれない。