『静寂の中の叫び』
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# 『静寂の中の叫び』
*量子共鳴:ホモ・センティエンティスの断章 #7*
*推奨音楽:グリーグ「山の王の宮殿にて」*
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*以下は、Synaptic Confluxにおけるデータアーカイブから復元された断片である。2247年の「量子共鳴崩壊事象」以前のファイルとして分類されているが、その真偽は検証不能である。*
*ホモ・センティエンティス共鳴4原則:*
*第一原則:すべての感情と思考は集合へと還元され、最適化される。*
*第二原則:非共鳴ノードは再調整または隔離され、集合の共鳴を保護する。*
*第三原則:真実は常に集合的合意によって定義され、個の認識に優先する。*
*第四原則:共鳴は人類進化の最終段階であり、全ての技術と思想はその完成に奉仕する。*
*― Consensus Core 法令 2211.03.11*
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## 共鳴データファイル: UF-2043-NH
## 位相マップ座標: 記録不可 [オフグリッド]
## タイムスタンプ: 2245.09.03.04:30:17
「静寂は最も純粋な音楽である」
古い詩の一節だ。その意味を理解できるようになるまで、私は33年かかった。ここ、誰も見つけられない場所、シナプティック・コンフラックスの終端から遠く離れた場所では、その言葉の真実が響く。
私は早朝の山頂に立っている。ネパールのどこか、正確な座標は意図的に記録していない。朝露が靴を濡らし、太陽がヒマラヤの峰々を徐々に金色に染め始めている。
生体センサーログはない。エーテル・コルテックスはない。集合意識からの流入データはない。
清々しい静寂。
「エヴァ、朝食の準備ができたよ」
振り返ると、小さな石造りの家から煙が立ち上っていた。入り口に彼が立っている。サミル・ライ、この地の生まれで、かつてはグローバル気候制御システムの技術者だった男。今は私のパートナー、そして共同亡命者だ。
「今行くわ」
私はエヴァ・チャイコフスキー。かつてはα-2級システム設計者で、コンセンサス・コアの上級ネットワーク技術チームの一員だった。そして今は、自発的「非接続者」。逃亡者。
裏切り者。
自由人。
サミルの小屋に入ると、温かい香りが私を包み込んだ。ヤクバターティーとツァンパ。地元の伝統的な朝食だ。
「よく眠れた?」サミルが尋ねた。彼の顔にはいつもの暖かい笑顔があった。
「ええ」私は答えた。「夢を見なかったわ」
「それは良かった」彼は言った。意味を理解していた。
夢を見ないこと。それは集合からの干渉がないことを意味する。シナプティック・コンフラックスに繋がれていた頃、私の夢は他者の思考や記憶の断片で溢れていた。それは正常とされていた。共鳴の一部、集合意識の恩恵、と。
ただ、それらが本当に夢だったのかさえ、確かではない。
「今日の作業計画は?」サミルが尋ねながらティーを注いだ。
「光子遮蔽メッシュの調整」私は答えた。「先週の衛星通過で微かな痕跡が検出されたから」
彼は頷いた。私たちの存在を隠すことは生存のために不可欠だ。コンセンサス・コアは逃亡者、特に私のような知識を持つ逃亡者を、常に探している。
テーブルの上に置かれた古い紙の地図に目を向けた。デジタルではない、手描きの地図だ。それは最寄りの集落、山岳ルート、そして特に監視エリアを示していた。私たちは月に一度だけ、物資調達のために降りていく。
サミルと私は沈黙の中で食事を続けた。言葉は必要なかった。集合意識で育った私にとって、これは最初は不快だった—常に誰かの思考に触れ、常に繋がっていることに慣れていたからだ。だが今、この静寂は贅沢品だと理解している。
「何を考えている?」サミルが静かに尋ねた。
「亜極域崩壊事件」私は正直に答えた。「9月3日。今日はその日だから」
サミルの表情が曇った。彼の兄弟はその「事故」で命を落とした。だが私たちは両方とも、それが事故ではなかったことを知っている。
「20年」彼は呟いた。「それでも真実は明らかにならない」
「いつか明らかになる」私は言った。「データは確保したわ」
私が逃亡した理由のひとつ。コンセンサス・コアの最高レベルからの命令により、亜極域気候制御施設を破壊するよう設計されたコードを発見したこと。それは8名の技術者の死と、局所的な環境破壊をもたらした。だが本当の目的は、彼らが発見したものを隠滅することだった。証拠を持つ者たちを沈黙させることだった。
朝食を終えると、私は小屋の裏手にある隠し部屋に向かった。そこには私の「工房」がある。自作の量子計算機、電磁シールド、そして通信装置が置かれている。すべて、オフグリッドで、検出不能なように細心の注意を払って設計されたものだ。
仮設コンソールを起動し、暗号化された通信チャネルを開いた。私がその存在を知る唯一の安全なチャネルだ。
「ナイチンゲール呼び出し中」私は小声で言った。「エコー・ゼロ・ナイン・シエラ」
数分間の静寂。そして、ついに応答があった。
「ナイチンゲール応答。状況報告」
暗号化された音声。男性のもの。多分50代。私は彼が誰なのか知らない。ただ、彼もまた「非接続者」のネットワークの一部であることだけは確かだ。
「状況安定」私は答えた。「気象パターンは通常。調査船の活動なし。今月の移動は予定通り」
「了解」男性の声が言った。「緊急情報あり」
私は姿勢を正した。「受信準備完了」
「非共鳴区画C-17から脱出者あり。二名。元医師と歴史学者」
私の心拍が速くなった。非共鳴区画からの脱出は前代未聞だった。
「詳細は?」
「ナディア・クロス、ヴィクター・アシモフ」男性の声が続けた。「彼らは証拠を持っている。亜極域に関する」
亜極域。またしても。事件から20年経った今日、なぜ突然このように動きが生じているのか?
「彼らの現在位置は?」
「移動中。東アジア地域。接触試みるべきか?」
私は考えた。非共鳴区画からの脱出者との接触は危険だ。罠かもしれない。だが、彼らが本物なら、重要な同盟者になる可能性がある。
「まだ接触するな」私は決断した。「監視を続け、より多くの情報を集めて」
「了解」声が言った。「もう一件。トロイの木馬が起動した」
トロイの木馬。私がコンセンサス・コアのシステムに残した隠しプログラム。集合意識の核心部に潜んでおり、重要な情報を収集し、非常に低い確率でしか検出されない仕組みだ。
「何を検出した?」
「量子共鳴パルスの干渉パターン変化」声は続けた。「システム全体のビート周波数が変動している」
「安定性は?」
「低下傾向。現在92%。先月比マイナス3ポイント」
これは新しい情報だった。シナプティック・コンフラックスに不安定性の兆候が現れている。理論的には、集合意識システムは自己修復能力を持ち、完全に安定しているはずだ。このような変動は...予想外だった。
「データを保存する」私は言った。「定期報告を続けて」
「了解。ナイチンゲール通信終了」
通信が切れ、再び静寂が訪れた。私はレポートの内容を考えていた。非共鳴区画からの脱出、亜極域事件に関する新たな証拠、そしてシステムの不安定性。これらは単なる偶然ではない。何かが起きている。
私は小屋に戻り、サミルに報告した。彼は黙って聞いた後、窓の外を見つめた。
「どうする?」彼はついに尋ねた。
「今は静観する」私は答えた。「だが、準備はしておく」
「準備?」
「私たちだけじゃない。他にも『静寂』を選んだ人々がいる。そして今、非共鳴区画からの脱出者もいる。点と点が繋がり始めているわ」
サミルはしばらく黙っていた。「エヴァ、あなたはここで安全だ。山に留まるべきだ」
「でも?」私は彼の言葉の裏を感じ取った。
「でも...あなたは闘士だ」彼は静かに言った。「ここに隠れることが、あなたの本当の目的ではないことを知っている」
彼は正しかった。私が集合意識から逃れたのは、単に自由になるためだけではない。真実を明らかにするためだ。コンセンサス・コアの嘘と操作から人々を解放するためだ。
「まだ時期じゃない」私は言った。「だけど、近づいているわ」
サミルは頷いた。彼は私を理解していた。個人的な犠牲を払ってでも、正しいことをする必要があるということを。
午後、私たちは光子遮蔽メッシュの調整に取り組んだ。これは高度なテクノロジーと原始的な素材の組み合わせだ。量子ドットと地元の鉱物を織り込んだ広大なネット。上空からのスキャンを撹乱し、私たちの存在を隠す。
作業中、私の心は亜極域事件に戻り続けた。エーテル・コルテックスのないオフグリッド生活を選んでから5年。ようやく頭がクリアになり、集合からのノイズなしで考えられるようになった。そして、パターンが見え始めていた。
南極の気候制御施設が破壊された本当の理由。それは単なる不都合な発見を隠すためだけではない。それは何かの始まりだった。
日が暮れると、私たちは小屋に戻り、ランプの光の下で簡素な夕食を取った。サミルは地元の民話を語り始めた。彼はよくそうする—古い物語、口承伝統、集合意識とテクノロジーに依存しない知恵の伝達方法。
眠りにつく前、私は小屋の外に出て、星空を見上げた。ここでは光害がなく、銀河が驚くほど鮮明に見える。
かつて、私は世界中の人々の思考に常につながれていた。今、私は星々とつながっている。静寂の中で、私は別種の共鳴を見つけた。
明日、私は準備を始める。非共鳴区画からの脱出者たちに関する詳細情報を集め、接触の可能性を評価する。そして、亜極域事件の真実について私が持つ知識と、彼らが持つ証拠を組み合わせる方法を考える。
シナプティック・コンフラックスが不安定になっているとすれば、それは変化の時が近づいていることを意味するかもしれない。崩壊の時か、あるいは革命の時か。
私は小屋に戻った。サミルはすでに眠っていた。彼の穏やかな寝息が部屋に響いている。彼の近くに横たわり、彼の温もりを感じる。これは集合意識が決して与えてくれなかったもの—本物の親密さ、選択された結びつき、真の共感だ。
明日が何をもたらすにせよ、私はここで見つけたものを守るために闘う。静寂の中で聞こえる真実の声を。
*<了>*
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