『非共鳴区画』
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# 『非共鳴区画』
*量子共鳴:ホモ・センティエンティスの断章 #5*
*推奨音楽:リスト「ピアノ・ソナタ ロ短調」*
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*以下は、Synaptic Confluxにおけるデータアーカイブから復元された断片である。2247年の「量子共鳴崩壊事象」以前のファイルとして分類されているが、その真偽は検証不能である。*
*ホモ・センティエンティス共鳴4原則:*
*第一原則:すべての感情と思考は集合へと還元され、最適化される。*
*第二原則:非共鳴ノードは再調整または隔離され、集合の共鳴を保護する。*
*第三原則:真実は常に集合的合意によって定義され、個の認識に優先する。*
*第四原則:共鳴は人類進化の最終段階であり、全ての技術と思想はその完成に奉仕する。*
*― Consensus Core 法令 2211.03.11*
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## 共鳴データファイル: NR-6103-DZ
## 位相マップ座標: 記録なし [非共鳴区画C-17]
## タイムスタンプ: 2238.11.07.16:49:02
区画の壁は、どの角度から見ても完全に白かった。
【生体センサーログ:検知不能】
ここには生体センサーがない。エーテル・コルテックスもない。Noéticaのニューロネットワークもない。ここは切断された場所、集合意識のネットワークから物理的に隔離された空間だ。
非共鳴区画C-17。公式には存在しない場所。
私の名前はナディア・クロス。かつてはγ-5級神経外科医で、約束された輝かしい未来があった。今は「非共鳴者」の烙印を押された囚人だ。
食堂のテーブルに座り、私は白いプレートに盛られた無味無臭の栄養ペーストを無関心に突いていた。周囲では他の20人ほどの住人が同じように食事をしている。彼らの顔は疲れ、あるいは諦めの色を湛えていた。
「クロス、まだ慣れない?」
声の主は、テーブルの向かいに座ったエイデン・ロウだった。彼はここに来て3年になる。私はまだ4ヶ月だ。
「慣れることがあるとは思えないわ」私は答えた。「特に、この食事には」
彼は小さく笑った。「長くいると、このペーストも味がある気がしてくるよ。あるいは脳が幻覚を作り出すのかもしれないけどね」
エイデンの義眼《Spectral Void Eye》は通常の輝きを失い、ほぼ灰色になっていた。ここではすべてのインプラントはオフラインだった。繋がりなしの孤立した存在。これが私たちの罰だった。
「今日、新しい人が来るらしい」エイデンが声を潜めて言った。
「知ってる。オリエンテーション担当に指名されたから」私は答えた。
「ラッキーだね」彼は皮肉っぽく言った。「何か有益な情報を得られるかもしれない」
外部からの情報。それは非共鳴区画での最も貴重な通貨だった。私たちは世界から切り離され、何が起きているのか知る術はほとんどない。看守たちはささやかな形で情報を漏らすこともあるが、それは断片的で検証不能だ。
「誰だか知ってる?」私は尋ねた。
エイデンは肩をすくめた。「噂では歴史学者だとか」
「どんな罪で?」
「いつもの。『集合共鳴への干渉』じゃないか?」
それは私たち全員の罪状だった。漠然として何にでも適用できる便利な罪名。実際には、思想犯罪か、システムの欠陥に気づいてしまったかのどちらかだ。
食事を終えると、私は担当官のカーター准監督に会うために管理棟へ向かった。区画内を歩く間、私は壁に沿って均等に配置された抑制エミッターを意識した。それらは私たちの脳インプラントを抑制し、集合意識へのアクセスを物理的に遮断していた。
管理棟の前には、いつもより多くの警備員が立っていた。新入りがよほど危険人物か、あるいは重要人物なのだろう。
「ナディア・クロス」カーター准監督が私を迎えた。「準備はいいかね?」
「はい、准監督」私は答えた。「新入りについて何か知っておくべきことは?」
カーターは薄く笑った。「特に変わったことはない。標準的なオリエンテーションを行えばいい」
彼は何か隠している。その表情には微かな緊張が見えた。
「分かりました」私は言った。
我々は静かな廊下を歩き、処理室へと向かった。そこで新入りは区画の衣服に着替え、最終的な処理を受ける。処理室の前には4人の警備員が立っていた。これは通常より2人多い。
ドアが開き、白い制服を着た男性が現れた。40代半ば、痩せ型で、学者らしい外見だった。彼の目には混乱と疲労の色が見えた。
「ヴィクター・アシモフ博士」カーターが紹介した。「こちらはナディア・クロス。あなたのオリエンテーションを担当する」
その名前に、私は一瞬硬直した。ヴィクター・アシモフ。歴史量子記憶研究の権威。彼の論文をいくつか読んだことがある。集合的記憶の非線形動態に関する彼の理論は革新的だった。そして今、彼はここにいる。
「クロスさん、よろしく」アシモフは疲れた声で言った。
「博士」私はプロフェッショナルな態度を保ちながら答えた。「区画についてご案内します」
カーターは満足げに頷き、私たちを二人きりにした。警備員たちは距離を置いて後ろに控えていた。
「では、まずは生活区画から」私は言った。十分に聞こえる声で。そして小声で付け加えた。「話すことがあります。でも今はダメ」
アシモフはわずかに目を見開いたが、すぐに表情を抑制した。彼は状況を素早く理解したようだ。
私たちは区画内を歩きながら、私は公式の案内を続けた。食堂、共用スペース、医療施設、そして最後に住居区画。すべてが白く、無機質で、個性のないデザインだった。
「これがあなたの部屋です」私はドアを開けて言った。「基本的なものは揃っています」
部屋に入り、ドアが閉まると、警備員の目から一時的に逃れることができた。だが、監視カメラは常に作動している。私は部屋の角を指さした。死角となる小さなスペースだ。
アシモフは理解を示し、そのスペースに移動した。私も同様に。
「アシモフ博士」私は囁いた。「あなたの研究を知っています。なぜここに?」
「歴史を知りすぎた」彼も同じように小声で答えた。「特に、2225年の亜極域崩壊事件について」
その言葉に、私の背筋に冷たいものが走った。亜極域崩壊事件。私の父が死んだ事故。少なくとも、公式にはそう記録されている。
「何を発見したの?」私の声は震えていた。
「記録は改ざんされている」彼は言った。「事故ではなく、意図的な破壊工作だった。そして、その命令はコンセンサス・コアの最高レベルから出された」
私の心臓が早鐘を打った。父の最後のメッセージを思い出す。彼が何か重大なことを発見したと言っていたこと。そして次の日、彼は「事故」で死んだ。
「私の父はその施設にいた」私は言った。「彼は気候安定化システムの主任技術者だった」
アシモフの目が見開かれた。「あなたは...マケンジーの娘?」
私は息を呑んだ。「いいえ、クロフォードの。ジェイムズ・クロフォード」
アシモフは考え込んだ。「クロフォード...記録に彼の名前はあった。だが、私が発見した証言はマケンジー博士のものだった。事件の2日後に警察に証言し、その後...消された」
「マケンジー博士?」その名前は聞き覚えがなかった。「父の同僚だったのかも」
「だとしたら、あなたが医師であるにもかかわらずここにいる理由が説明できる」アシモフは呟いた。「あなたは危険な繋がりを持っている」
「博士、私がここにいるのは別の理由よ」私は首を振った。「集合意識に対する『認知的抵抗』。私の患者の一人が集合意識から切断されることを望んだとき、私はそれを手助けした」
「なぜ?」
「倫理的選択だった」私は簡潔に答えた。「患者が自分の意思を持つ権利を尊重したの」
そのときドアが開き、カーター准監督が現れた。
「オリエンテーションは十分か?」彼は尋ねた。その目は疑わしげだった。
「はい、准監督」私は専門的な口調で答えた。「博士に基本事項を説明しました」
「素晴らしい。アシモフ博士、夕食まで休息してください」カーターは言った。「クロス、私に同行してもらおう」
私は一瞬アシモフと目を合わせた。無言のメッセージを交換する—後で続きを。
カーターと廊下を歩きながら、私は平常を装った。だが心は激しく鼓動していた。亜極域崩壊事件、父の死、そして隠された真実。これらすべてがどう繋がるのか。
「クロス」カーターが突然言った。「アシモフ博士との会話はどうだった?」
「標準的です」私は答えた。「混乱し、怒り、そして次第に受け入れる。新入りのよくある反応です」
カーターは私をじっと見た。「彼は危険人物だ。あまりに親密になるのは避けるように」
「理解しています」
「本当にそうか?」カーターは立ち止まった。「覚えておけ。あなたはここで特権的な立場にある。それを危険にさらしたくないだろう」
特権。皮肉な言葉だ。非共鳴者の中での「特権」。それはわずかに良い部屋、わずかに多い自由時間、そして時折の看守との会話を意味する。
「ご忠告感謝します」私は言った。
彼は満足げに頷き、私を解放した。私は自分の部屋に戻り、扉を閉めた。窓から見える区画の中庭は、整然と区切られた白い通路と、精密に配置された灰色の植物で構成されていた。すべてが管理され、最適化され、生命力を失っている。
明日、私はアシモフと再び話す機会を見つけなければならない。彼の知識と私の経験を組み合わせれば、何か手がかりが見つかるかもしれない。父の死の真相、そしてなぜコンセンサス・コアがそれを隠したのか。
夕食の鐘が鳴った。私は立ち上がり、ドアに向かった。区画の壁は相変わらず白く、すべての角度から完全だった。だが今、私はその完璧さの中に亀裂を見つけ始めていた。小さな亀裂から、真実の光が漏れ始めている。
連絡するための方法を見つけなければ。他の区画にも同じような人々がいるはずだ。知りすぎた人々、疑問を持ちすぎた人々、システムの裂け目を覗き込んだ人々。
ここは非共鳴区画。集合意識のネットワークから切り離されたこの場所で、私たちは恐らく集合より自由に思考できる。そして、それこそが彼らが私たちを恐れる理由かもしれない。
非共鳴者。それはかつて汚名だと思っていた。だが今では、それは誇りの源泉になりつつある。
*<了>*
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