『ノイズの中の囁き』
本文は、マークダウンで記述しています。←敢えて申し上げましのは、「形式」部分にも、「作品」の意図が含まれている、とご理解ください。
# 『ノイズの中の囁き』
*量子共鳴:ホモ・センティエンティスの断章 #1*
*推奨音楽:ショパンの「夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作)」*
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*以下は、Synaptic Confluxにおけるデータアーカイブから復元された断片である。2247年の「量子共鳴崩壊事象」以前のファイルとして分類されているが、その真偽は検証不能である。*
*ホモ・センティエンティス共鳴4原則:*
*第一原則:すべての感情と思考は集合へと還元され、最適化される。*
*第二原則:非共鳴ノードは再調整または隔離され、集合の共鳴を保護する。*
*第三原則:真実は常に集合的合意によって定義され、個の認識に優先する。*
*第四原則:共鳴は人類進化の最終段階であり、全ての技術と思想はその完成に奉仕する。*
*― Consensus Core 法令 2211.03.11*
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## 共鳴データファイル: CN-7734-XB
## 位相マップ座標: 40.7128° N, 74.0060° W [旧ニューヨーク]
## タイムスタンプ: 2235.08.17.22:43:18
私はノイズを聞いた。
【生体センサーログ:心拍数 87/共振位相ズレ:0.2%】
他の誰も気づいていないようだった。オフィスフロアの透明なパーティションの向こうで、同僚たちは通常通り作業を続けていた。彼らの脳内インプラントが処理する情報のホログラフィック投影が、それぞれの作業空間を七色に彩っている。
──集積ノードより流入データ:
<システム状態:安定(99.87%)>
<ニューヨークセクター生産性:標準比+3.1%>
<天候制御:最適化モード>
ノイズは消えない。それは通常の情報流とは異なるパターンで、私のエーテル・コルテックスの端を掠めるように漂っていた。私はそれを最初、システムのバグだと思った。品質監査官として、こうした異常は日常的に対処してきた。
だが、これは違う。
《コンティンジェンシー・プロトコル始動:位相ズレ監視強化》
私は自分の作業空間から出て、コーヒーを取りに行くふりをした。廊下に出ると、窓の向こうにはマンハッタンの夜景が広がっている。旧式の摩天楼は残されているが、その間を縫うように量子建築が有機的な形状でそびえ立っていた。ミリオンダラーの景色と呼ばれていた光景だが、今ではその通貨単位すら博物館の中でしか見られない。
ノイズが大きくなった。
【生体センサーログ:心拍数 94/共振位相ズレ:0.8%】
──緊急フィルタリング要請:
<異常パターン検出:未分類ノイズ>
<原因特定中...>
<推奨対応:最寄りのリフレッシュポッドでリセット>
私は再調整ポッドには向かわなかった。代わりに、情報制御センターの方へ足を向けた。ノイズは脈動するように強まり、私の思考を断続的に侵食する。それは...言葉だった。断片的で不明瞭だが、確かに言葉だった。
「...助け...」
私は立ち止まった。誰かが話しかけたのかと周囲を見回すが、廊下に他の人影はない。
「...聞こえている...なら...」
【生体センサーログ:心拍数 112/共振位相ズレ:1.7%】
──安全プロトコル発動:
<異常認知パターン検出>
<非共鳴症状の可能性:78.3%>
<immediate Recalibration Required>
この警告は私だけに見えているはずだ。他者が私の状態異常を検知するまで、あと数分の猶予がある。私は情報制御センターの入口に辿り着いた。通常、私のクリアランスではアクセスできないが、品質監査官という役職が与える一時的な権限を使えば...
《身元確認:モリス・ヴェイン/級:β-7/品質監査状態:アクティブ》
ドアが開いた。中では数人の技術者が巨大なデータフローを監視していた。壁一面に流れる情報の渦は、この都市セクターの集合意識の流れそのものだ。彼らは私に気づくと、疑問を浮かべた表情を見せた。
「ヴェイン監査官、予定外の視察ですか?」女性技術者の一人が尋ねる。
──流入データ:
<対象:エレナ・キム/級:α-3/疑念レベル:中>
「システム診断の一環です」私は答えた。「特定のノイズパターンを追跡しています」
この言葉に、彼らの表情が微妙に変化した。
「どのようなノイズですか?」彼女は注意深く尋ねた。
「未分類」と答えながら、私は主制御パネルに近づいた。「特定のセクターから発信されている可能性があります」
【生体センサーログ:心拍数 124/共振位相ズレ:2.4%】
──警告:
<不正アクセス試行の可能性>
<セキュリティプロトコル準備完了>
<コンセンサス・コア監視開始>
エレナが私の行動を注視している。彼女のデータグラスに映る情報は、私には見えないが、おそらく私の異常値を示しているだろう。時間がない。
私はパネルに手を触れ、都市の量子情報マップを表示させた。ノイズはさらに強くなり、今や明確な言葉となって私の意識に響く。
「助けて...私たちを...見つけて...」
マップ上で一点が輝いた。古い地下鉄のトンネル、使われなくなって久しいセクター。そこからノイズが発信されていた。
「ヴェイン監査官」エレナの声が厳しくなった。「あなたの共鳴値が不安定です。再調整が必要です」
他の技術者たちも立ち上がり、私を取り囲み始めた。
【生体センサーログ:心拍数 135/共振位相ズレ:3.9%】
──セキュリティアラート:
<係官派遣済み>
<推定到着時間:90秒>
<非共鳴者拘束プロトコル発動>
「彼らは生きている」私は言った。「地下に」
エレナの目が見開かれた。「誰が?」
「非共鳴者たち。隔離されたはずの。彼らは...」
言葉を終える前に、私のエーテル・コルテックスに電撃のような痛みが走った。エレナが緊急停止コードを発動したのだ。私の視界が暗くなり始める。
最後に見たのは、マップ上の輝点だった。そして最後に聞いたのは、ノイズの中の声だった。
「...見つけた...あなたを...」
【生体機能:強制休止モード】
──システム通知:
<非共鳴ノード検出:モリス・ヴェイン>
<隔離プロトコル実行中>
<メモリーリセット予定:2235.08.18.06:00>
<ケースファイル:閉鎖>
*<了>*
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*ファイル終了。次の断片へのアクセスを要求するには、量子認証コード「QR-ECHO-792」を入力してください。*